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黄金魂  作者: 天野東湖
最終話 黄金魂
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 仙道彰は、その私服に塵一つない完璧な姿で立っていた。黒のレギュラーシャツに、濃青色のセルビッジデニム。愛用の本革製ワークブーツも、光沢のある艶やかなブラウンを保っている。


 とりわけ、外見の変化はない。あの黄金の眼を除けば、特筆すべき変身など何も遂げていないように見える。天敵めいた、対峙しただけで痛感する未知の圧倒感も、特にない。


 では、恭一郎の思わせぶりな予言は、苦し紛れのはったりだったのか?


 狐憑きはたまらず哄笑した。大言壮語の虚勢、大口を叩いたこけおどしは、その背景を見破られた時点で意味を為さなくなる。カジノ・オールインの極意だ。最後の切り札とはお互いの心理戦、それ即ち、人生を賭けた視線の駆け引きで決着する。


「親子ともども、見苦しい真似をする。私の『限界突破』に勝てないと悟るや否や、父親まで見殺しにして嘘八百の内弁慶とはな。道化もここまでいくと大したものだ。神崎茜もさぞかし幻滅したことだろう」


 宿敵の息子は何も言わない。ただ黄金の眼差しで見つめ返すのみだ。


「彼女はひどい幼馴染をもった。その呪われた腐れ縁は、ここで断つべきではないか?」


 有無を言わせず、狐憑きは仙道彰の心臓を掴んだ。胸の肉を抉る音が後から続くほどの速度で、口を歪めて笑ってみせる。想い人の名を叫ぶアステリアの声は悲鳴的だ。誰もが致命的としか思えない呆気ない幕切れ。


「滑稽なほど無力だな、仙道彰。だがその無力感を永遠に噛みしめさせてやるぞ。そして生かさず殺さず、じっくりと私を追いかけさせてやる。全ての人間の本性を、その眼で存分に見定めさせてやる」


 腕を引き抜く。胸部に開いた風穴から大量に失血し、仙道彰が倒れていく。込み上げてくる笑みを抑えきれずに、狐憑きが口許に手をやった時。


「気遣いは無用だ。お前の悪意が、全ての人類に与えられた悪意の限界を教えてくれた」


 ありえべかざる、死者の声。

 背後には紛れもない仙道彰が立っていた。


「……なぜだ? 能力ごと命の器を破壊したはずなのに、なぜ」

「俺はもう誰も傷つけない。誰からも傷つけられることはない」


 仙道彰は相変わらず動く素振りを見せない。しかしどのような能力であろうと、それが『限界突破』で倒せぬはずはないと狐憑きは確信している。あらゆる全てが『在る』限り、それは限界の名のもとに保護された一つの運動にすぎない。そして限界突破は、そうした保護下にある全ての運動を最初から超越する能力だ。


 ゆえにいかなる奇蹟も、この力の前では無力に等しいはずなのに。


「……大層な自信だな。恭一郎の遺産は、ちゃんと機能しているのか?」

「関わるな。それがお前の限界だ。誰であろうと、俺の前ではそれが、最初で最後の自衛手段になる」

「限界だと? この私に向かって限界だと? それは一体なんの皮肉だ? それとも私に太刀打ちできないと知り、とうとう気が狂ってしまったのか?」


 もう我慢できずに、狐憑きは嘲笑した。あまりに人を食った話に、地団太さえ踏み鳴らした。そして次の瞬間、怒りに任せて声を荒げた。怒髪天を衝く私憤に駆られる。


「いいだろう、気安い挑発に乗ってやる。だが私を失望させたなら、今すぐこの惑星ごと破壊してやるぞ」

「それがお前の悪意の限界か? その程度の発想力で悪意の化身を名乗るとは、片腹痛い」

「くだらん戯言はよせ!」


 間髪入れぬ時空攻撃の肉薄。頭部と胸部を封殺したおそるべき限界突破は、いともたやすく仙道彰を沈黙させた。


「どうだ、思い知れ! この力こそ、真の頂点に君臨する最強の能力だ!」


 首と、不連続な腕が床に落ちる。棒立ちの下半身を、狐憑きは思いきり蹴飛ばした。


 同時に『能力』まで破壊したのだ。新しい力を得ようと、それが『能力』という限界にある以上、全ては『限界突破』の前に敗れ去る運命にある。ならば仙道彰には、自力での再起の可能性は万が一にも残されていないはずだ。狐憑きから力技で蘇生を果たさぬ限り、決して誰にも復活させることなどできはしない。


 できは、しない、はずなのに。


「児戯だな、狐憑き。最強だの無敵だの、そんな陳腐な子供騙しにこだわってどうする」


 狐憑きが、ゆっくりと振り返る。

 バカなと呟き、ありえないと吐き捨てた紫の眼の先には、やはり無傷の仙道彰が立っていた。


「私は確かに、この手で貴様を破壊したはずだ」

「ああ、お前は間違いなく俺の全てを破壊した」

「なのになぜ、お前が生きている?」

「それが俺だからだ。他に論はない」

「そんなバカな。ありえない、不可能だ!」

「駄々をこねるのは、子供の特権の一つだ」

「なぜだ? なぜ、お前はなぜなんだ!」

「関わるな。俺を巻き込むと不幸になる」

「Why!」


 狐憑きは錯乱していた。自覚もないほど呼吸を乱していた。ごくりと唾を飲み込む音が奇妙なほど響く。仙道彰の黄金の眼が、彼を捉えて離さない。


「……簡単な話だ。この世には、正体不明の謎、というものがある」


 ――心構えができるように、言っておく。


「十七世紀、現ドイツのザクセン州にあるライプツィヒ都市において、一人の天才が誕生した。彼は、世界万物の事象には全て確かな根拠があると考えたが、のちにその理由律は、彼自身が提唱した最もおそるべき問題によって生涯、自分自身を苦しめる結果をもたらすこととなる」


 ――古い僕は死に、新しい息子がよみがえる。


「ゴッドフリート・ライプニッツによる定式。これを『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか』という」


 ――彰はきっと、生まれ変わった眼で、君を射貫くだろう。


「なぜライプニッツがこれを提唱したのか。それは彼自身も物理学者であり、ニュートンと同じ時代に生まれ、信仰する神が創りたもうた世界の謎を解き明かすために辿り着いた、最後の難問であるからだ。そして現代においても、この難問における真の解答は得られていない」


 ――そして君は『なぜ』と問い続ける。


「古今東西、あらゆる偉人たちはこの難問の真の理解に着目していた。古代インドからは、紀元前における仏教の開祖、仏陀より。また、同じく紀元前の古代ギリシャでは、アレクサンドロス三世の家庭教師を務めたアリストテレス。十八世紀から二十世紀にかけても、多くの偉人たちがこの難問に賛否両論を示した。そして現代、ヴァチカンのローマ法王も、英国の講演でこれを語った記録が残っている」


 ――だが間違えるな。


「世界に矛盾はありえない。だが、その世界が生じる前の起源は存在するのか、あるいは、起源は全く何もないのかという原点回帰への結論が、人類の理性の範疇にある理解で得られるかどうかとは別問題であることも、この難問の前では感得せざるを得ないだろう。なぜならこれは表裏一体の矛盾を抱えた問いであり、起源が『在る』ならば、それは何か。あるいは、その何かが『ない』ならば、なぜ世界が在るのかと、なぜの謎の連続が無限に続くからに他ならない。そこで偉人たちはいつしかこれを、どちらが正しくても相克する難問。または、限界を超えた新たな限界を知る行為として、最も遠い深淵にある冒涜的な奇問と呼ぶことにした」


 ――それこそが息子の『全て』だ。


「この問題を良心的に解くためには、誰もが平等であることを認めることで一つの完結を迎える。どのような解答にも優劣はなく、どのような解題にも是非がない。それらは全て、可能性の無限を満たすための枯淡の境地であり、あらゆる期待を慰めず、いかなる幻想も無にしない。ただ今そこにある経緯、一切に依存しない自明への起源に至る過程について、語りえない謎が在る。その呼び声をこそ、知性を理性たらしめる奇蹟の洗練に結びつけるであろうことを信じることで、飽くなき魂たちの創造的活動はやっと救われると考えねばならない。そのように学ばねば、後世において、あまりに救済の余地がないからだ」


 ――人類の持つ無限の可能性の原点こそが、彰の『真の力』になる。


「さて『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか』――それは原理も理屈も根拠もなく、全ての起源であり最終到達点として、ただ単純に在るものだ。今この瞬間にある謎を生み出した唯一の原点。インテリジェントの限界を超え、この世のあらゆる全てを平等にする可能性への救済。誰もが同じ限界に突き当たるのだから、それは誰も傷つけず、誰からも傷つけられない永遠の存在となる。よって、相手が誰であれ何であれ、この存在の前では等しく至れぬ者となるだろう。そして父さんと俺だけが理解する」


 ――では、もし仮に、そうした『最も原初たる起源』を体現する者が現れたならば、どうだろう。あれも違う、これも違う、だから二次的に理性の限界を超えた狂気と混乱を招く者。それは永遠に縮退しかさせない盾であり、対となる進化の矛が幾度となく突破で崩そうともこれを新生し、最も奥深い始まりさえ関わり合えない未知なる概念をも隠す者。


 その者の名は、(ことわり)なき墜落者だ。


 未来永劫、可能を不可能にする者。

 何も依拠なく、極限を平等する者。

 際限なき深みで、他を離間する者。

 孤独だけが取り柄の、存在する者。


 ――永遠に決着つかぬ矛盾の、無窮の片割れ。


「それが俺の能力『黄金魂(エヴリシング)』だ。気にするな、狐憑き。理解できない問題というものは元々、世にざらだ。大切なのは、今何が必要かを見極めること。即ち、勇気を持つことだ」

「勇気、だと……?」

「俺は、狐憑きが俺自身に憑依した唯一のチャンスを考慮して、茜を突き放すことばかりを考えていた。そうしなければ、狐憑き、お前を殺す機会を永遠に失ってしまう可能性があるからだ。他の人間を殺してしまうかもしれない罪悪感への恐れも、俺を殺すだけなら、きっと克服してくれる。それに茜の家族が人質にとられた危険性も考慮しなければならなかった。あいつには苦しい選択をさせてしまうかもしれないが、それしか方法がなければ、きっと理解してくれるはずだと信じていた」


 狐憑きは眼をそらした。小さな紅唇がかすかに震えているのは、神崎茜の意思が多分に働いているせいだろう。


「だが今度は、俺が変わる必要性に迫られてしまった。新しい能力を手に入れたおかげで、狐憑きの憑依を不可能にさせたからだ。俺はもう、歳をとることもなく、死ぬこともできない。傷も病も毒も、あらゆる欲望さえ持つことは許されない。直接、自らの手で他人を傷つけることもできない体だ。もはや俺にできることは、かつての仙道彰の真似事をし、ただ知り、唱えるのみとなっている。これら守護と呪詛の表裏一体は、まるで元々の誰かに似ているが、そんなことはもうどうでもいい」

「仙道、彰……!」

「お前が理解できるよ、狐憑き。人間から遺伝的に生まれたのではなく、人間が幻想的に造った存在なら、人間の社会の在り方など最初から無視していられるのも当たり前。なぜなら社会は、あくまで人間に適応した構造でできているからだ。そもそも人間ですらないお前が、わざわざ社会に適応する理由は見当たらない。お前が必要とするのはあくまでも人間であって、共存社会ではないからだ。それにお前は根本的にナビとは違い、輝かしい夢や希望では満たされない邪悪がなければ生きられない」


 狐憑きの顔が、これ以上ないほど醜く歪んだ。敵対する相手があまりに汚らわしくて、憎悪と嫌悪でなければとても正視していられないといった表情だ。しかしその悪意でさえ、仙道彰はただ無表情に受け止める。


「そう真っ当に睨み返すなよ。俺とお前は同類だと言ってるんだ。互いに人間失格の対等関係さ。だから理解できる。しかしお前は敬遠する。そして固執する。不幸だな、狐憑き。生まれて初めて現れた思わぬ理解者が、永遠の敵対者なのだから」

「貴様、よくも、そんな世迷言を……ッ!」

「実際迷っている。言うべきか、言うべきではないのか」


 彼は一拍置いた。それから改めて相手を見据える。


「狐憑き、お前もやがては死ぬ存在だ。いずれ人類がいない時代が訪れたなら、その存在意義を見失って自滅する。かわいいものさ、お前だけが邪悪じゃない」そして彼は憂色の濃い黄金の眼を細めた。「人間でもできる初心者向けの悪意が、お前の専売特許なのか?」


 その時、狐憑きは高らかに吼えた。憤怒と呼ぶのも憚られる、敵意の発露。


「殺してやる! 仙道彰、お前は必ず私の手で殺してやる!」

「なかなか迫力のある口説き文句で大変申し訳ないのだが、何も感じない。よく考えてもみろ、死んだも同然の人生だ。あらゆる苦痛も絶望も、不幸ですら存在できない。理想はのどかな青空と笑顔の続く社会だが、地球が消滅する数十億年後にはそんな夢も見れないだろう。宇宙が消えたら、世界はどうだ。その先には一体、何が残っている? そうして俺は、過去も未来もなく永遠に観測するだけの存在となっていく」


 そう言うと、仙道彰は少しだけ微笑した。その黄金の眼には、たとえようのない憂いを帯びている。


「茜、聞こえるか? 俺はもう人間をやめてしまった。我慢できなかった。お前にあんな暴言を吐いた狐憑きを殺せるならば、どんな能力でも欲しいと思った。その結果が、この始末だ。けれど後悔はしていない。だから今から告白する我儘も、全てありのままを伝えたい」


 狐憑きが動き出す。全力の『限界突破』で祝福された右腕を振り上げ、今まさに眼前の敵へと打ち放たんとして。


「茜、俺はお前が好きだった。仙道彰は、神崎茜を、誰よりも心の底から愛していた」


 顔をぶっ叩く直前の告白に、彼女の体はぴたりと停止した。驚きに満ちた顔だった。


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