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黄金魂  作者: 天野東湖
第09話 全て飽くなき私のために
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 動きを封じる仙道恭一郎ごと、両の肺腑を抉られる。それは最強を自負していたはずの『限界突破』を得た狐憑きの慢心からくる、痛恨の一撃だった。かつてない失態を演じ、屈辱的な煮え湯を飲まされ、こめかみの血管が怒りで膨れ上がっていく。紫色の瞳が濃く染まっていく。


 次の瞬間、狐憑きの姿が消失した。危険を察知したアステリアが光化移動すると、その直後に、産毛が立つほど禍々しい暗黒の爪痕が元いた位置の空間に刻まれる。


 あれは防御不可能の時空攻撃だ。全開状態の限界突破にある腕が通過すると、軌道上のあらゆる時空は無限大の質量によって重力的に侵食され、混沌化する。その内時空はあたかも、ワームホールの出入口が重複するように時の進行と遡行を同時に引き起こし、量子猫の仮定状態を無秩序なまま具現化したうえで、永久に脱出不可能な無限逆転現象の暴君として接触対象を封殺するのである。


 簡単にいえば、何も『できない』のだ。封殺した対象の時の流れは、進んだと認識した分だけ同じように巻き戻るので、あらゆる因果関係は『できない』こととなる。全時空のあらゆる因果から切り離された対象は、そうして思考も運動も知覚も『できない』以上、外部からの観察は人形館のように止まっているようにしか見えず、即ち何者も、一度封殺されてしまえば、この時空攻撃から逃れる術はない。


 それが『限界突破』のおそるべき暴力の片鱗である。神崎茜の能力は、そのようにただ万物を蹂躙して世界に君臨する。どういった原理で成立するかは追究するだけで無意味だ。その『原点』は矛盾を生み出しながら成立するので、最初から関わり合いになるべきではない。ただ『在る』ことが最も重要で、それ以外のあらゆる行為は『全て』が語りえない、永遠の『謎』として認めねばならない。


 だが、もしもそうならば、この暴力のどこに、打倒可能な弱点が存在するというのか。


「無駄だよ。全ては無駄だ」狐憑きが言う。「いかなる全ても、私を倒すことはできない。この限界突破こそ魔王の力、究極の力だ。この世の全ては私に破壊されることで敗北する。誰一人として敵う者はいない」

「さて、それはどうかな」


 眼前の宿敵、仙道恭一郎が背を伸ばす。その胸元には、先ほど穿たれたはずの光の剣の致命傷が一つもなかった。そして抹殺したはずのアステリアの復活。それは再生能力とも復元能力とも言いがたい、もっと本質的な回復能力の発露でなければ不可能な事象である。


 変わらない運命。

 定められた結末。

 それは死だ。

 理不尽な死。

 自分が死ぬか。

 他人が死ぬか。


 しかし、変えられない運命を変える能力――。


「恭一郎……。やはりお前の能力は、死者蘇生か」

「薄々は気づいていたが、確信したのは九年前の自爆の日だ。あの時、偶発的に復活した実体験がなければ、到底信じられる能力じゃない」

「最高位の奇蹟、ならば『聖詠福音(ゴッド・ブレス)』とでも名付けようか。しかし皮肉だな。稀有なその能力も、今の私を倒すことはできない。それどころか、この限界突破さえあれば、蘇生を実現させる能力をも破壊することができる。やはり君では役不足だよ、仙道恭一郎」

「ああ、それについては認めているよ。僕ではどう頑張っても君を殺すことができない。だが最後の希望が残っている。僕はそれに『全て』を託す」

「最後の希望だと? 何を言い出すかと思えば、よもやはったりしか反撃できんか。では言ってやろう。無意味で無価値な希望を信じても、お前たちには何もできない」

「何もできないのはお前のほうさ。僕の信じる希望は一つじゃない」


 恭一郎はチーフ・スペシャルを取り出し、狐憑きに向かって躊躇なく発砲した。しかし銃弾は、相手の体に傷一つ与えられない。周囲の特殊隊員らも一斉に引き金を引く。だが狐憑きの嘲笑をも止めることができない。


「人間は、希望があれば絶望に耐えることができるという。しかし逆に考えてみたまえ。希望を信じるから、絶望に殺されるのだ」


 撃ち込まれる銃弾の雨の中を悠然と歩き、狐憑きは最も身近にいた特殊隊員の首を、赤子の手をひねるように反転させた。その真後ろにいた別の隊員が、たまらず後退する。


「怖がらなくていい。何をしても勝てない絶望を受け入れろ。眼を閉じ、口を結び、耳を塞ぐのだ。そうすれば、何もしなくていい解放感に救われる。君たちはよく戦った。後は何も知らずに、全てを忘れて背中を向けるのだ。迷うことはないさ、その間に私が全てを終わらせてあげるから」


 アステリアの接近、二つの光の剣の刃が煌めく。


 だが狐憑きは、その身に受けてもダメージがない。あらゆる剣撃をもってしても創傷が生じない鉄壁は、事実上無敵に等しい防御力を誇っている。


「微塵切りにするつもりか? 仙道彰の幼馴染に対して、ずいぶんと非情な戦いぶりだ」

「茜さん、聞こえていますか。彰様の重荷を一緒に背負うと言ったあなたが、この程度の雑魚に言い負かされてどうするのです!」

「何を言い出すかと思えば、とんだ負け惜しみだな。私の能力は、憑依が成功した時点で」

「黙れ下郎! 女に寄生しなければ生きられない軟弱者など、虫唾が走る!」


 四方八方からの援護射撃を縫い、アステリアが一時距離を取る。右足を一歩だけ引いた半身の構え。右腕をおろし、左腕の肘を顔のあたりまで持ち上げて、必殺の威力を誇っている二振りの光の剣の切っ先を地面に向ける。


「狐憑きの目的は、茜さんの体を使って、彰様を苦しめることです。それが九年前の最大の復讐になると考えてのことだからです。茜さんは九年前、彰様の自殺を直前に食い止めました。ですが、それは狐憑きにとって、予期せぬ反逆だったはずです。だからこそ仙道家を滅ぼし、人々の憎悪を傾けさせ、あなたの体を使ってあらゆる拠り所を徹底的に奪い尽くすことで、彰様を絶望のどん底へと突き落とそうとした。それが、狐憑きが彰様を狙う真の目的なのです。そして彰様という犠牲者を新たに生み出すことで、他にも潜在する全ての不安要素を釣り上げようと考えた」

「見事な推理だな、ミス・英国(ブリティッシュ)。だが気づくのが少し遅かった。神崎茜を手中に収めた以上、もはや君たちに打つ手はない。全く、無敵というのは凄まじいね。まるで呪縛そのものだ。私の耳にはもう、惨めな負け犬たちの遠吠えしか聞こえない」

「いいえ、あなたはお二人をまるで理解していない」


 二人、という言葉に引っかかりと覚えたのか、狐憑きは怪訝そうに眉をしかめた。思い当たる節など、想像もつかないといった風の疑わしい眼差し。


「茜さん、あなたはかつて、わたくしに向かってこう言いましたね。十五年と半年の歳月を甘く見るなよと。あの時、わたくしがどれほど悔しい思いをしてその言葉を聞いていたか、あなたにおわかりでしょうか」


 狐憑きは何も言わない。精鋭なる特殊隊員はその間にも集中砲火を行うが、やはり限界突破の前では、蚊に刺された程度の手傷を負わせることもできなかった。


「この際だから、はっきりと申し上げます。わたくしは、あなたのことが大っ嫌いです。なんの努力もなく、最初からのうのうと彰様のおそばにいられて、それを当たり前のように享受していられた幼馴染の存在が、わたくしにはひどく不愉快でならなかった!」


 光化移動からくる、左の斬撃と右の刺突の連続攻撃。いかなる超人とて防ぎようのない打撃の数々も、しかし狐憑きは無傷で立ち尽くす。


 アステリアは『彼女』の眼と鼻の先に顔を近づけた。


「なぜあなたなのです? 彰様を想う気持ちなら、誰にも負けない自信があるのに。ただ好きなのです! ただ愛しているのです! それなのになぜ神は、わたくしを彰様のいの一番の共有者に選んでくださらなかったのか! ともに堕ちていく者なら、別にあなたでなくても良かったはずなのに!」


 さらに光の太刀筋が加速する。アステリアによる剣の舞は、思わず特殊隊員らの動きを止めてしまうほど華麗だが、いまや絶望的なほど狐憑きへのダメージがない。本来なら、ほぼあらゆる接触対象を消滅させる無限熱を閉じ込めた光の刀身も、無限という限界値ですら理不尽に超越してのける相手の前ではあまりに無力だった。


「あなたが憎い。ええ、あなたが憎いですとも! あなたさえ、神崎茜さえいなければ、彰様はきっとわたくしに振り向いてくれたはず。でもあの方は、わたくしの前では一度も笑ってくださらなかった。彰様の本当の笑顔を、わたくしは、ただの一度も見ていない!」

「……そんなの」神崎茜の、声。「そんなの、あたしだって見たことない」

「あなたの能力が狐憑きに悪用されている限り、彰様は永遠に笑顔になれない! 絶えず自分を傷つけて、思い出を殺し続けて、狐憑きに憑りつかれているあなたに対してずっと哀しい眼をして、がむしゃらに追いかけるだけです! そんな彰様を、茜さんは、本当に心の底から望んでいるのですか? あの方を理解しているのなら、そのような妄言など、考えることも愚かしいはずではないですか!」

「ええい、うるさい!」


 同じ声質だが、それが神崎茜の反駁(はんばく)であるはずがなかった。狐憑きは、例のおそるべき時空攻撃で光の剣を破壊し、続けざまに手刀でアステリアの首を襲う。


 しかし光化移動。追撃を防ぐべく彼女が放ったのは、狐憑きの足許から噴出した巨大な光の十字架だった。その規模はあたかも、この『地図にない私邸』が丸ごと墓標になったかの如く。


「茜さん、今のあなたでは、これ以上ないほど彰様を深く哀しませるだけです。かつては父を失い、多くの友人を失い、母を失い、無関係の人間まで失って、そして今また、悪い夢から存命でいらした恭一郎様と幼馴染のあなたを失おうとしている彰様を、さらに深く哀しませていいというのですか!」


 狐憑きが眼を見開かせて背後を見た。注意深く気配を断って回り込んでいた恭一郎が、魂の抜け殻となった仙道彰を跪いて抱いている。


「させるかーッ!」


 狐憑きが吼える。

 残像をともなう踏み込み。

 その行く手に立ちはだかる特殊隊員たち。


 屈強な男たちがその鋼の肉体をもって狐憑きの思惑を妨害せんと、鉄壁の布陣を組んで、暴虐の限りを尽くす『限界突破』に蹂躙される。それは回転する刃を体で止めようとする無謀に似て、鮮血の飛沫のみが虚空へと痛ましく散りかかる。


「……彰、大きくなったな」


 恭一郎は、息子の顔に手を触れた。その体は六つの檻の鍵を解除するため、あまりにも傷つきすぎて全ての箇所が致命傷に見える。


 閉じた瞳にかかる息子の前髪を、彼はそっと指先でずらした。


「彰、ごめんな。僕が狐憑きを殺せなかったから、お前にまで呪いを背負わせてしまった。本当なら、こうして父親面して再会するのは、良くないことなのかもしれない」


 恭一郎は知っている。仙道彰は立派に戦い続けてきた。彼はそれをずっと見届け続けてきたのだ。学生ならではの衝突、編入生の乱入、元諜報員の試練、殺人事件の点滅、世界最高の暗殺者との戦い、岩倉家の謎、生物兵器テロ。その全てが、一歩間違えば大惨事に陥ったかもしれない危機に直面していながらも、息子の彰はたちどころに解決へと導いてきた。


「でも、どうしてだろうね。彰には、僕と違う世界で幸せになってほしいと、心からそう願っていたのに。それでも僕と同じ探偵の道を歩んでくれると知った時は、やっぱり嬉しかったな。麗子に聞かれたら説教じゃ済まなさそうだけれど、うん、すごく嬉しかった」


 それだけに、息子が傷ついていく姿を見守り続けるのは苦痛以外の何物でもなかった。もっと早くに真実を明かして、じつは生きていたことを妻の麗子とともに告げる手も考えなかったことはない。


 しかし狐憑きが息子を狙っていると確信した時、それは決してできなくなってしまった。あの少女暴行殺人事件は、被害者が全て十一歳前後の少女に限定されている。岩倉葉子が生来より宿していた持病が発症していた年齢と同一で、なおかつ犯行の場所と手口が岸沢市に集中しているとなれば、犯人は狐憑き以外には考えられなかった。


 ではなぜ狐憑きは、岸沢市に留まり続けるのか。

 なぜ九年後の今になって、犯行に着手したのか。


 少女たちに絶望を与え、あらゆる人格の暗黒面を体現した、真の女性を獲得する。だがそれは、第三者に狐憑きの存在を知らせる暗示でしかない。岩倉葉子は十六歳の時、己の体を狐憑きに任せて自宅を全焼させた。そして九年後といえば、恭一郎に最も近しい存在だった仙道彰と神崎茜が、ちょうど十六歳前後の年齢に差しかかる時期ではないか。


 必然、狐憑きの狙いが彼と彼女の二人だと推理するのに、さして時間はかからなかった。どういう目的で狙うのかは不明だが、いずれだろうと、偶発的な蘇生は必ず最終局面での『切り札』になりえるはずに違いない。


「狐憑きは、少女たちに非道を繰り返すことで、自分を知る者たちをできる限り岸沢市に集め、一網打尽にする計画を立てた。それが可能な方法に確信があってのことだ。そして茜くんが狙われた。彼女の能力なら、相手が誰であれ負けることはない。しかし茜くんに憑依するためには、彼女自身に協力させないと不可能だ。通常の手段では『限界突破』で覆されてしまうからね。そこで奴は、彰、お前に注目したんだ。お前を苦しめれば、必ず茜くんは動き出す。その時、茜くんの弱みにつけ込めばと、ここまでは奴の計画どおりだ」

「恭一郎様!」


 アステリアが吹き飛ばされ、壁に激突する。


 直後、恭一郎の腹部から仙道彰の背中にかけて、何者かの赤い右腕が無造作に貫いた。狐憑きのそれに違いなかった。


「お返しだ、恭一郎。親子ともども、能力ごと魂も破壊してやる」

「不安が遅すぎるね。君のその傲慢が最大の弱点だ。すでに僕の能力は発動した。さあ、時間はもうほとんどない。今この瞬間しかない優越感を、存分に楽しむといい」

「……貴様ともあろうものが、ついに頭がおかしくなったか?」

「心構えができるように、言っておく。古い僕は死に、新しい息子がよみがえる。彰はきっと、生まれ変わった眼で、君を射貫くだろう。そして君は『なぜ』と問い続ける。だが間違えるな。それこそが息子の『全て』だ。人類の持つ無限の可能性の原点こそが、彰の『真の力』になる」


 瞳を閉じた彰の目尻には、まだ血の涙の痕がくっきり残っている。その涙痕を恭一郎は指先で拭った。滲んだ血の上に、小さな水の一雫がしたたり落ちる。


「泣くなよ」そうして強く抱きしめる父は、あくまでも笑顔のままで。「僕たちは男だぞ」


 恭一郎の体が輝いた。黄金色の光の粒だった。その一つ一つが仙道彰へと移り、まるで細胞の一つ一つに吸い込まれていくかのように溶けていく。


 光は、仙道恭一郎の魂だった。その全てが仙道彰の体に融合した時、彼の姿はどこにもなかった。いるのは仙道彰だ。無瑕疵の仙道彰なのだ。彼は大地に立ち、ゆっくりと首を巡らせて背後の狐憑きを見やる。


 その瞳には――。


「狐憑き、もう俺に関わるな。俺を巻き込むと、取り返しのつかないことになる」


 ――黄金色の、目映い輝きがあった。


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