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西方駅は一般的に、橋上駅舎と呼ばれる施設だ。地上に走る線路の頭上に、窓口や改札口などがある駅舎を設け、さらに南北を繋ぐ跨線橋の役割も担うことで、歩行者も気軽に通り抜けられるように自由通路を保っている。
国雄とアシュレイはICカードを使って改札口を通り、すぐ近くの階段を駆け下りて、プラットホームに躍り出た。東西に伸びる線路に挟まれた島式ホームで、南北に一つずつある二面四線だ。長さは約二五〇メートルで、当然、両端の様子は同時に窺い知ることができない。
また、依然としてアステリアと連絡がとれない不都合な状況が、国雄の焦りを増長した。一体何が起きているのか、てんで予想がつかない。
「たぶん姉様の『光の羽衣』が成功したんだ。だから大型スクリーンの映像が途切れて、今は向こうの敷地内にある全ての電子機器が使用不可能になっているはずだよ」
「ガンマ・レイ?」
「国雄、君は高高度核爆発を知ってるかい?」
またしても理解不能な単語が飛び出てきた。高高度、とは遥か上空を意味する言葉なのだろうが、肝心なのはその後だ。
「……すまん、聞き間違いかな。なんて言った?」
「熱圏みたいに、上空八十キロメートル以上の大気層で核爆発を引き起こすと、EMPと呼ばれる電磁パルスだけが地上に降り注ぐ。要するに、膨大な電磁波が発生して、地上の大部分の放送や通信、交通システムなどに多大なダメージをもたらすんだ。今は自衛隊も応援に駆けつけてくれているから、あちらの社会的混乱もある程度は抑制できるだろうと考えて立案したんだろう」
「ンなバカな。お前の姉ちゃんは、彰のためなら迷わず核を使うってのか」
「誠に遺憾ながら、姉様ならやりかねないね。でも日本では核弾頭なんて使えないから、これは間違いなく姉様の能力によるものだ」
「アステリアの能力って、確か『光』を操るんだったよな?」
「元々、姉様は『光の天使』の開発を進めていたんだ。光は、波動性と粒子性の二重性を持っている。もし姉様が、これを応用した能力の新系統開発に成功していれば、広範囲のピンポイント電磁障害を引き起こすことも夢じゃない」
そういう問題ではないのだが、考え始めると頭痛が止まらなくなるので、国雄はもう思考放棄することにした。どうせ仙道彰の身の回りに起きる出来事は、そのほとんどが彼の理解の範疇を超えているのだ。
「……全く、どいつもこいつも。どうしていつもこう、彰に近づく女はタチが悪いんだ」
「ボクに言わせれば、それは女性が悪いのではなくて、仙道彰が悪いんだと思うけどね」
そんなことを臆面もなく言うものだから、口もあんぐりとなる。無茶苦茶なのに自信に満ちたアシュレイの気丈さは、しかしある意味で国雄も見習うべきなのかもしれない。
「とにかく、オレたちはオレたちだけで、車両をどうにかしなくちゃな」
「レディ・ポイズンが直接車両を操らないなら、特急列車を使って乗客全員を眠らせて、しかも炭疽菌を充満させる――なんて方法はできないはずだよ。ある程度の放置を考えていたとしたら、貨物列車のほうが可能性は高そうだ」
「特急列車に細工をした後で、狐憑きが裏切って憑依した可能性もあるんじゃねえか?」
「じゃあ、その特急列車を動かしているのは? 国雄の言うとおりで、もしも眠らされているのなら、管理者側がすぐに異変に気づくはずだよ」
「仲間がいる可能性もあるぜ。狐憑きに脅迫されて、否応なく手伝わされてる関係者がいても不思議じゃねえだろ」
「それでもさすがに、何十万人にも被害が及ぶ犯罪行為に手を染めるとは思えないけど」
「炭疽菌のことは知らないだけかもしれねえ。ただ列車を脱線させる、それだけしか知らない場合もありうるはずだ」
しかしアシュレイは、あまり納得できていない様子だった。次に国雄は、列車を止める方法について相談してみることにした。
「例の、なんとか凝縮って奴で、列車を凍結させられるか?」
「難しい。あれを発動させるには、先に駅全体を過冷却状態にさせる必要がある。派手に動くことはできないし、実行しても待っているのは魔女狩りだ。ボクたち能力者は、それほどの危険人物だということを再認識しておいたほうがいい」
「そんな、もんなのかねェ……」
「狐憑きもボクたちも、一般人から見れば、同じ『能力者』としてひとくくりにされる。それは異端者尋問で誤解を生んだ、あの悪しき暴走の再現を引き起こしてしまう危険性を常に秘めている先入観なんだ。けれどこれを否定することは絶対にできない。なぜなら、ボクたち能力者が犯罪の一線を越えるか越えないかは、究極的には自分自身のモラルだけにかかっているからね」
直後、国雄の頭を殴りつける警笛が聞こえてきた。西の方角から、貨物列車とおぼしき車両が走ってくるのがわかる。線路は三番線――ちょうど二人がいる南側ホームの北側に面した鉄道だ。
「こっちもだ!」アシュレイが言い放った。「こっちからも列車が来る!」
東側からやってくるのは特急列車だ。ただし上り線を利用しているはずなので、本来は南側ではなく、北側ホームの一番線か二番線、どちらかの線路で駅を通過する予定になる。
だが、すぐに妙だと異変を察知した。上り線でやってきた特急列車がいきなり進路を変更して、なぜか三番線に突入して距離を縮めてくるのだ。両者の警笛が重なり合うように鳴り響く。このままでは疑義を挟むまでもなく、貨物と特急で正面衝突してしまう。
「バカな! 彰だってありえねえって言ったはずだぜ!」
「……そうか、分岐器だ! 狐憑きは分岐器になんらかの細工を施していたから、列車が直前になって進路を変更させられたんだ!」
「おいおい、ンなことが本当にできるのか?」
「関係者に気づかれずに細工するためには、現場で最も信頼されている人間を利用すればいい。狐憑きの憑依能力なら、線路内の点検作業を請け負っている専門の作業員を簡単に利用できるはずだ」
「ちょっと待て。作業員に憑依していたって、今の狐憑きはレディ・ポイズンに憑依しているだろ。だったら、その作業員の意識が戻れば、細工の異変に気づくはずじゃねえか」
「今朝の人身事故――もしもあれが、狐憑きに憑依された作業員の、投身他殺だったら?」
呼吸が止まり、冷や汗が流れた。国雄は何も言えずに立ち尽くす。
三番線ホームの両端から、耳をつんざくようなブレーキの金切り音を立て、貨物列車と特急列車が猛進してくる。このままの速度で衝突すれば、後続車両が脱線して駅舎機能に甚大なダメージをもたらすかもしれない。
そして南東へと風に乗って拡散する、おそろしい細菌兵器――。
「くそがァッ!」
国雄は西側からやってくる貨物列車に向かって駆け出した。すぐにアシュレイの非難が聞こえてきたが、もはや手段を選んでいる場合ではない。神風から不可視の天下三名槍を受け取り、祖霊を線路におろして列車に向かわせる。
正面衝突を阻止せねばならない。
しかし進路変更もままならない。
三番線から二番線へと移らせても、数メートルと離れていない距離では、車両の速度を殺しきれずに脱線する恐れがある。なるべく直進させて、なおかつ正面衝突を回避できる方法があれば、それに越したことはない。
「国雄、どうするつもりだ!」
「神風で止める! 本命がどっちかわかんねえなら、どっちも止めるしかねえだろうが!」
一瞬、アシュレイが絶句するのがわかった。
「バカな、そんなことは不可能だ!」
「いいからテメェは特急に行け! それで氷の壁を作るんだ! 十センチか二十センチの厚さで、縦に、作れるだけ作って線路に並べやがれ!」
「――わざと破壊されて、列車の速度を殺せというのか」
「それしか方法がねえ! 伸るか反るか、さあどっちだ!」
牽引する先頭車両の青い質量が近づいてくる。大気を震わせるような警笛の大音量だが、集中力を高める国雄の意識はすでに、ホームの白線の内側へと注がれている。
跳躍し、蜻蛉切をホームの床に突き立てた。刃先が完全に埋没している。その槍の柄を両手で持ち、踏ん張るように腰を落として重心を低くした。無敵の神風が列車と激突するまで、後一秒――。
途端、尋常ではない力で背後に引っ張られ、国雄の体が後方に引きずられた。腕が折れても、蜻蛉切の刀身がホームの床に強烈な轍を刻みつける。しかしなおも勢いは止まらない。列車と真っ向勝負をしている神風が止まるまで、彼はひたすら命綱のように蜻蛉切を掴み続けるしかない。
貨物列車の付随車両、その単一の重量はおよそ数十トン。だが無敵の神風なら、そんな大質量を牽引する時速九〇キロほどの速度と激突しても実害は皆無に等しい。
国雄に直撃するのは、その後の、神風が引きずられる問答無用の暴力である。使役する祖霊の行動範囲は、あくまでも能力者である国雄を中心とした半径三メートル以内。もしこの範囲外に飛び出そうものなら、どちらかが必ずその移動に対して追随することになる。
深い傷跡を残すホームの床面が悲鳴を上げる。
まるで共鳴めいて、列車の車輪が鳴いている。
両足に刻まれていた古傷の銃創が、爆発した。
その時、蜻蛉切を挟む形で、国雄の向かい側からアシュレイが柄を掴んだ。床面に埋没している槍の刃先あたりを凍結させて、さらに抵抗力を強くしようとしている。
「アシュレイ、お前――」
「こういうのを、この国の諺では、縁の下の力持ちっていうんだろう?」
「いや、ちょっと違うような気がするが」
「支えてやるさ。ボクの力を舐めるなよ!」
凍結能力も加わった蜻蛉切の抵抗により、ホームに入る前から失速していた貨物列車の運動を完全に停止させた。国雄たちは息をついて蜻蛉切から手を離す。三番線を見やると、同じように停車している特急と貨物の先頭車両の距離は、一メートルもない。ぎりぎりのところで神風は踏ん張っていた。
しかし安堵も束の間、次の瞬間には、付随車両に搭載されていた全てのコンテナの扉が突然開いた。あっと思った。しかし中から猛烈な炎が噴き出し、全てのコンテナの内部を同時に焼き尽くすので、国雄もアシュレイもその様子を黙って見守ることしかできない。
「アウラだ」アシュレイが呟く。「焼夷弾の狙撃が成功したんだ」
弾頭が着弾するとナパームが室内に飛散して、あたり一面を火の海にする焼夷弾。仙道彰は、万が一の際にはそれを使って、炭疽菌が充満しているとおぼしき全ての車両を焼き払ってほしいと依頼していたという。もしも貨物列車が本命なら、自動的にコンテナの扉を解放する細工を施すこともできるから、というのが彼の推理だった。
――しかし、もしもその対象が、乗客のいる寝台特急の列車だったなら?
ふと、特急列車に眼を向けた。どこも破壊されることなく、業火にも包まれずに沈黙を保っている。運転手が訳もわからぬといった風で、窓から顔を出していた。
「終わっ――たァ……」
肺の中の空気を全て吐き出すように、国雄はホームの床面に横たわって天井を見上げた。体のあちこちが痛むのは、蜻蛉切と一緒に引きずられたせいで、骨肉と臓器のほとんどを傷つけたせいだろう。そのせいで、今はあまり動く気になれない。
神風が戻ってきた。突き刺さったままの蜻蛉切を抜き、消失させる。よく見れば目許と口許だけを覗かせる仮面にひび割れが生じており、今にも破裂しそうな雰囲気だ。事実、国雄と眼が合った瞬間にそれは砕け、神風の正体を露わにする。
――本多国雄は困惑げな表情を固めたまま、ちらりと同じ背丈の『神風』を窺う。
だがそれは、国雄が想像していた祖霊ではなかった。兜を着用し、厳めしい当世具足を身につける者の本来の姿は、なんと本多国雄自身であったのだ。その容貌、その目鼻立ち、まるで鏡で映し出したかのように瓜二つ。
そこに『秘密』があるのは自明の理であった。そもそも無敵であるはずの神風、たとえ兜だろうと鎧だろうと、本来なら傷一つ付かないはずなのだ。それがなぜか、仮面だけが砕けて本多国雄を真っ向から見下ろしている。だが、当の祖霊が彼に酷似した容貌だったとは到底思えない。
やがて祖霊が消失した。国雄は動けなかった。心身の疲労と混乱により、もはや大地に足をつけて立ち上がることもできない。アシュレイは体力の全てを使い果たして、眠りに落ちていた。




