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黄金魂  作者: 天野東湖
第08話 死に至る病
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 すぐさま特殊マイクで応答を呼びかけたが、仙道彰も新田新一も、まるで無反応だった。半径一キロの圏外に出ているのだから、当然の話ではあるが。


 映像にある親友は、迷うことなく一の檻へと接触した。高熱パズルと呼ばれる特殊鍵を解き明かさねば、檻は開錠できない仕組みのようだ。縦に四マス、横に四マスのパネルを、たった一つの空白を利用して移動させ、正しい絵柄になるように整える――一度は誰もが遊ぶであろう、スライディングブロックパズルだ。


 ただし高熱。あの親友でさえ苦悶の顔をして手を引っ込める様を見せるので、パズルは沸騰する薬缶に触れるように熱くできているらしかった。


「情熱とは、見ている側にとっては暑苦しいものだ。特にそれが自分に向けられていると知ると、なお鬱陶しく感じるもの。なぜかわかるか? 情熱とは得てして、自分の立場を弁えないからだ。恋は盲目というのと同じ理屈で、当人に悪気はなくても、それが相手にどのような影響をもたらしているかなど想像すらしない。火遊びとはよく言ったものだね。そんな連中とは距離を置くのが、火傷しない唯一の自衛手段だが――さて仙道彰、まさか君は、その情熱人間の一人なのかい?」


 五分以内にパズルを完成せねば、子供たちがいる一の檻が爆破される。檻は六つあって、中にいる子供たちは六人ずつ監禁されている。仙道彰は、彼らに安心の言葉をかけながら、額に脂汗をにじませて両手を焼き焦がしつつ、必死にパズルを完成させていく。


 わずか二分足らずで、彼は高熱パズルを解いて檻を開錠させた。完成した絵柄は、じつは文字であった。悪とは何か――国雄には狐憑きの言いたいことがわからない。


 親友は檻を開け、中にいる子供たちを呼び寄せた。しかしその足首は依然として手錠で繋がれており、うまく歩くことができない。安堵のせいか、泣いていない者はいなかった。そのうちの一人が派手に転んだ。咄嗟に手を離し、虚空に解き放たれた手榴弾が爆発する。近づこうとした仙道彰をも吹き飛ばして、檻の中から粉塵が立ち込める。


「人生とは非情だ。誰かが助けてくれるだけでは、誰も助けられない。幸運もその一つだ。つまずくだけで怪我をする者、高所から落ちて無傷でいる者。この違いは、ひとえに運の一言で区別される。あるいは超常的な必然の要素があるのかもしれないが、それは正体が不明なのだから、とりあえず幸運で割り切ってしまうのだ。だから今はこう言うべきだよ。この土壇場でつまずくような友達を持った不幸を呪えとね」


 檻の中で倒れた親友が、ゆっくりと起き上がる。そのダメージは、単純に爆発の影響によるものか、それとも子供たちを助けられなかった無力感によるものか。


「……そもそも、お前さえいなければ、こんなことにはならなかった」

「やっぱり情熱人間だ。暑苦しいったらありゃしないが、どうせ言っても聞かないだろう。だったらもっと今の状況に酔えばいいさ。自分は正義の味方で、無力な子供たちを助けるために単身で敵地に乗り込んできた英雄を気取りながら、父と母の仇を討つために必死になって私を殺しにこい。君はもっと感情を表に出したまえ。言いたいことを素直に言え。腹が立てば怒ればいい。封印した憤怒を解き放ち、侮蔑の限りを尽くして相手を憎悪しろ。わざわざ綺麗ごとを並べる必要はない。今すぐ私を殺してやるぞと、心の底からの善意で断言してみせてくれ」


 足許をふらつかせ、親友は無言で二の檻へと歩いていく。すでに五分が経過していた。次の特殊鍵は、電流ルービックだ。正方形の六面体に色付けされた、二十七個もの小さな立方体がある、高難易度パズル。


 それは仙道彰が触れた途端に、連続的な破裂音をともなって感電した。親友の苦痛が、呻き声となって駅前にこぼれる。


「刺激的な装置だろう。人はそのように、常に刺激を求めている。変化を求めているんだ。安定の中の崩壊。それは君の矛盾と同じだよ、仙道彰。異変がなければ見向きもされない名探偵。本当は君が、他の誰よりも異変を求めているんじゃないか? 世界を股にかけた、破戒的な秘密基地。本音を思うがままに解放できる刺激的な遊び場は、それこそ世界中の事件を相手にすることで満たされる。この際だから、素直に言ってしまえばいい。本当は自分自身の存在こそが、この世で最も唾棄すべき邪悪であるのだと」


 経験者なら、一分以内に六面を揃えることができる立方体パズル。しかし今は、帯電という肉体的苦痛も相まって、その難易度は飛躍的に高まっている。


 さすがの親友も、不意に手を止めて思考を休ませていた。あるいは発狂しそうな叫びを上げて、なんとか理性を保っている。時々、本当に持っているだけで精一杯ではないかと心が痛むような顔をするのだ。それでも五分以内に六面を揃えた精神力は、並大抵の執念ではない。


 だが、体力の消耗はかなり著しいらしく、せっかく扉の開いた檻へと近づくこともままならぬ様子だった。しかし彼は、中にいる子供たちに手を差し伸べた。手は届かないが、弱々しい声で子供たちを招き寄せる。不安と恐怖に押し潰されて泣いている彼らの勇気を、なんとか奮い立たせようとする。


 ――『大丈夫じゃないのに大丈夫だ』と嘘をつく日がやってくる。


 子供たちは、傷だらけの仙道彰へと歩き出した。先ほどの爆発を見て、決して転んではいけないと言い聞かせているのか、じつに慎重な足取りで靴底を滑らせる。それが一番の方法だと親友が教えたのだ。幼い彼らは、その言葉を信じて忠実に遂行していた。やがて窮屈だった檻の中から、六人が解放される。


 仙道彰が、本当に安心した顔を見せた。

 途端、どこかで何かが落ちた音がした。


 一斉に爆発する六人。

 後方に吹き飛ぶ親友。

 覆い尽くす破壊の煙。

 駅前を支配した悲鳴。


 立ち上がろうとする親友が、高らかに吼えた。


「狐憑きィーッ!」

「いい顔だぞ、仙道彰。――絶望する。それは人が、自分の無力さを憎んだ瞬間にこそ、初めてその身に沁みるもの」


 足許に落ちた、四角い物体を狐憑きが拾い上げる。小さなボタンが付属しているので、おそらくなんらかのスイッチなのだろう。起爆の遠隔装置としか思えない代物だ。


 国雄にとっても、その非道は全ての希望が断たれたことを意味していた。檻の中にいる妹の有希子の命は、狐憑きの気紛れで操られているのだ。ならば親友が開錠に成功したとしても、人質は依然として人質のまま、爆破の命運は狐憑きの手に委ねられることとなる。


「くそ!」国雄が言った。「アステリア、なんとかならねえのか!」

「今、対抗策を関係者に打診しています」

「今は説得よりも行動が先だろうが!」

「この方法は、周囲一帯にも甚大な影響を及ぼす危険なものです。私の一存で決められるものではありません」

「くそが! 彰が一人で頑張ってるのに、俺たちはただ見てるだけかよ!」


 親友が三の檻に向かう。肩で息をする猫背の姿勢で、ぼろぼろの私服で、出血のひどいその顔で、彼はただ子供たちを救うために第三の特殊鍵へと取り組んでいく。


 大音量パスワードだ。彼がヘッドホンを装着すると、思わず耳を塞いでしまいそうな絶叫が(ほとばし)る。檻の鍵は一桁の数字列による電子ロック式だ。となると、あのヘッドホンには、そのパスワードとなる番号が囁かれているということか。


 仙道彰が、震える指先でボタンを押していく。禁断症状さながらの不安定さは、とうに下唇を噛みきって体力の限界を超えていることを示していた。一見すると他のどの鍵より気楽そうなのに、大音量の何かを流すヘッドホンは想像を絶するほど過酷なのか。


 三の檻の扉が開く。ぴくりとも動けない親友が立ち尽くす姿は、もはや死人同然だ。そして子供たちも、せっかく扉が開いたのに自らの足で脱出しようとはしない。


 両手で支える手榴弾と、それを遠隔操作で爆発させられる狐憑きの存在が、子供たちの希望を完全に奪い尽くしていた。だから仙道彰が動くしかなかった。しかし、傷だらけのその手は、なんの罪もない子供たちに触れることなく無慈悲な爆発によって遠ざけられる。檻から飛び出した仙道彰が、もんどり打って地面を転がっていく。


「仙道彰、君の信念は幼い頃から立派だが、残念ながら正義だけでは勝てない相手もいるものだ。そもそも正義とはなんだ? 邪悪とはなんのことだ? 君の戦いに勝利はない。本当はただの一度も勝利したことがないはずだ。なぜなら仙道彰、君はそれぞれの戦いを予防できない、永遠の敗北者だからだ。ゆえに、この文明社会に次々と生まれる、無数の弱者の悲鳴こそが君の良心と理性を殺すだろう。――なんて言ったところで、耳に甚大なダメージが残っている君に聞こえているはずもないのだが」


 震える足で、かろうじて立ち上がった仙道彰が、四の檻へと歩いていく。足がもつれ、転倒しても、彼は再び起き上がって第四の鍵へと着手しようとする。


 名前のとおり、それは極悪な鍵だった。硫酸にたっぷりと浸かったパネルが十枚あり、正方形の縮図で並んでいる。一桁の数字が描かれたそのパネルは不規則に光を放ち、一秒に二つのパネルという速度で点灯を繰り返している。


「規則的であって、規則的でないもの。それが第四の鍵だ。仙道彰――靴が溶けてしまう前に、君は発見できるかな?」


 親友が愛用しているのは革製のワークブーツだ。靴底が少し厚いので、多少の時間なら稼ぐことができる。


 無色無臭の強酸性。ほとんどの金属を溶解させる、現在でも薬品の製造には欠かせない化学の液体。それに浸された光るパネルは、しかし規則的であって規則的でないものこそ、正しい鍵になるという。


 そういえばよく見ると、パネルの光る時間が、短いものと長いものがある。そして数秒ほど光が途絶えて、またパネルが光り出すといった具合だ。それが何か、正しい鍵に関係しているのだろうか。しかし国雄には、全くわからない。


「モールス信号ですね。その信号にある四桁の番号が光った瞬間に踏まないと、開錠できない仕組みなのでしょう」


 アステリアが苦々しい声音で呟く。ここで判明しても、仙道彰が自力でそれを突き止めなければ、第四の扉は開かれないのだ。


 だからだろう。親友は当然のように硫酸に足を入れ、光パネルを適切に踏み込んでなお施錠が解けない檻を見て、苛立ちを隠しきれない様子で踊り続ける。靴底が滑り、体から硫酸に沈み込んだ時には、駅前全体が騒然とするような悲鳴で溢れた。幸い、すぐに這い出して致命的ではなさそうだったが、焼け爛れた数箇所の無残な傷痕は、見るに堪えない有様だ。もしも現場にいるのが国雄であれば、ここまで粘れるかどうか自信がない。


 神崎が膝から崩れ落ちる。涙とともに時間も流れた。制限時間は、残り十二分を切っている。


 その時、倒れながらも硫酸パネルを凝視していた仙道彰が、やっとの思いで立ち上がる。革製のワークブーツは、すでにその靴底が溶けきっていたが、親友は躊躇なく足を入れて四桁の番号を踏んでいった。正解を代弁するかのような開錠の音。駅前に集まる大勢の市民たちから、自然と安堵の溜息がこぼれた。


「亡くなった年だ」神崎が呆然と言った。「岩倉の屋敷が全焼したのと同じ年――」


 眼を覚ますような爆音で言葉が途切れる。第四の子供たちも、犠牲の魔の手から逃れることはできなかった。あの悪意の地に奇蹟はないのだ。ただ子供たちを救ったかのように錯覚させ、新たな犠牲を見せつけるだけの地獄絵図。


 親友は、もう立ち上がるだけの力を残していなかった。しかし匍匐(ほふく)で這いずり、第五の檻へと進んでいく気力だけは残っていた。焼き小手とは即ち、刀身を製錬するための焼き入れのように赤く輝いた掌の人工物。そして鍵は、これを押し倒した時間分だけ檻の扉を開けるというもの。


 簡単にいえば、灼熱の腕相撲だ。肘を固定するための台座の上に、倒すべき人工の掌がある。ただし、倒すべき方向は真逆だ。つまり仙道彰が自ら負ける体勢で掌を台座に押しつけねば、人工の掌が曲がることで浮き上がる台座のボタンに触れ続けなければ、完全に閉じられた扉を開けることはできない。


「人生における究極の護身術は、何も期待しないことだ。どんな愛情も、いずれその幻想自身を本人たちで見極めなければならない不幸がやってくる。深刻な大問題というやつだ。しかし哀しいかな、全ての他人が理想的な解決をもたらすとは限らない。極限の状況下でベストを尽くすことのできる人間に恵まれた者はいい。だが、そうでない者たちはどうか」


 親友は、そのように試行錯誤しながら第五の鍵と戦っていた。両手で灼熱の掌を倒し、なりふり構わず子供たちに脱出を促している。


 だが、子供たちは泣いて首を振るばかりで動かなかった。不安と恐怖で、足がすくんでしまっているのだ。手榴弾を持つ両手が震えている。そうして、ただ冷酷に時間ばかりがすぎて、門限の爆発を迎える。


「笑えばいい。他力本願の連中には、構ってやるだけ時間の無駄だ。だから他人には何も期待するな。むしろ動物園の珍妙な生き物でも見てやるような眼で、お気の毒にとほくそ笑むのが健全だ。そのほうが実害もないし、何よりも安全でいられるだろう。だからよく言われるように、友達はよく選ぶべきだぞ、仙道彰くん」


 血の涙が落ちた。仙道彰の負傷は、そのように凄惨だった。そしてとうとう第六の檻、最後の鍵の解除が迫ってくる。そこには国雄の妹である有希子がいて、同じように卑劣な(かせ)が付けられていた。


 アステリア、と国雄は叫んだ。しかしイヤーピースからは沈黙の応答のみが返ってくる。何度も呼びかけてみたが返事がない。危険度の高い対抗策とやらは、実行できなかったのか。


「仙道彰、私を見ろ。君はじつに私の期待どおりの反応を示してくれた。まさに恭一郎の生まれ変わりだ。生き写しさ。顔立ちや性格はちょっぴり違うが、信念は全く同じものを持っている。そして私を知ると、たちまち眼の色を変えるところもそっくりときたものだ。ぞくぞくするね。君は私を追い求め、私も君に注目している。ほら、共存関係の成立だ。私たちはきっと、もっとずっと深くお互いのことを知り合える仲になれる。――私は君が好きだよ。だから君も早く、私だけを見つめる存在になってくれ」


 第六の鍵、超重量鋼鉄扉。しかし扉は自動的に左右へと開いていく。そして無言のまま仙道彰が檻の中に入った瞬間、扉は勢いよく閉じられた。内側にはいかなる把手(とって)もなく、鍵になりそうな仕掛けなども見当たらない。


 国雄には訳がわからなかった。しかし親友は、これの仕掛けを即座に見破ったようだ。子供たちを扉から最も離れた位置に移動させると、そのうちの一人が持っていた手榴弾を手に取り、自らが射程距離ぎりぎりから投擲して扉を発破させる――しかし彼は吹き飛び、子供たちもまた少なくない爆発の衝撃と豪風に襲われる。


 考えてみれば、じつに単純な構造なのだ。狐憑きは、鉄扉を内部から破壊しろと言っている。そしてそのための武器は、子供たちが握っている手榴弾だ。ただし仙道彰も含めた七人全員が、手榴弾の連続的な爆発に耐えられるかどうかは定かではない。


 狐憑きが腕時計を見やった。残り時間は後、三分。


「そろそろだな。もうすぐ一つの街が悲劇的な過去になる。仙道彰、君はやはり無力だ。以前にも忠告したはずだぞ。私は無敵で君は無力。ほら、どう頑張ったって運命は変えられないだろう? ゆえに変えられないものは、考える価値もない」


 その時、空が一瞬またたいた。まるで世界がまばたきをしたかのような異変に、駅前の喧騒は悲鳴と驚愕に満ち溢れる。同時に大型スクリーンの映像に砂嵐が混入して、親友が公開処刑されている『地図にない私邸』の状況が一切掴めなくなる。


 国雄は駅前の柱時計を見やった。残り三分で、西方駅に特急列車と貨物列車が到着する。アシュレイが焦燥した表情で振り返った。


「時間だ! 列車の安全を確認しなければ!」

「くそ! オレたちは見届けることもできねえのかよ!」

「国雄、仙道はボクたちにこの街の運命を託したんだ。今度はボクたちが、信頼に応える番だ」


 アシュレイが西方駅に走る。国雄はいまだに崩れ落ちている神崎を見やった。あまりのショックで呆然自失としているようなので何度も呼びかけていると、ふと、彼女の周囲に熱気とも陽炎ともつかない空間の歪みが発生しているのを目撃する。


「か、神崎?」

「……たかが神様如きで、あたしの彰に手を出しやがって」


 憤怒という表現ですら生ぬるい、圧倒的な憎悪の波動。


 勘弁してくれ、と思った。悪意の神様の次は、殺意の魔王が何かをやらかしそうに立ち上がったかと思うと、次の瞬間にはその姿が消えている。狐憑きが余計なことをしたせいだ。それとも神崎の暴走すら、奴の予定どおりとでも言うのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、時間は刻々とすぎていく。列車が到着するまで、後二分しかない。


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