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黄金魂  作者: 天野東湖
第08話 死に至る病
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「――今朝、五時三十二分頃に起きました人身事故の影響により、一部運行に影響が出ております。下り線、約六十分の遅れが生じており、お出かけの皆様は――」


 報道をぼんやり聞いていると、ずっと西の駅で事故が起きたようだぞと反芻することができた。その延長線上にある西方駅も、また東方駅にも影響は出るだろうが、下り線だけなら問題ではないだろう。


 十月二十四日。

 運命の最終戦。


 問題の日曜日は、本多家にとって家人全員が慌ただしい外出の準備から始まっていた。国雄の妹である有希子は小学校の遠足のためにリュックサックに荷物を押し込んでいたし、母親の七海は、本多総合病院に勤める夫へと会いに行くために化粧直しに余念がない。


 そうした女性陣の目まぐるしい喧騒とは一歩離れたところで、国雄は一足早くに身だしなみを整えていた。黒色の長袖Tシャツ、穿き心地のいいブーツカットデニムに本革製のトランプ柄ベルトを通して、リビングの姿見で白い歯を見やる。朝食後も磨いたはずなのだが、なんとなく隙間に異物が挟まっている気がするのだ。


「おい有希子、ちょっと爪楊枝取ってくれねえか」

「手が放せないからムリー」

「国雄、鍵は持ってるわね?」

「おう。でもオレの帰りが遅くなるかもしれねえから、有希子にも持たせとくぜ」

「そうね。ユキ、うちに帰ったら、すぐにママの携帯電話にメールを送ってね」

「合点です!」


 敬礼の真似をして、彼女は手を振る七海を見送った。姉として敬愛している神崎茜から多大な影響を受けているせいか、有希子は日を追うごとに怖いもの知らずの積極性を見せ始めるようになっている。


 それはそれで良いのだが、神崎の強さはあくまでも、限界のない強大無比な『能力』の恩恵からくる全能性だということを彼女は知らない。そういう超人性を持たない有希子が、あるいは過剰に解釈を間違えてしまって暴走してしまわないか、彼女の兄としてはどうも心配でならなかった。


 もっとも、そうした意思表示をなかなか口に出せない複雑な胸中が、深い溜息となって雲散霧消するのもいつものことだ。仙道彰といい、神崎茜といい、まだ知り合って一年と経っていないのに、この退屈しない経験と思い出はどうだろう。


 高校一年生が、謎の過労死。

 あまり笑えない冗談である。


「おい、そろそろ出るぞ」

「よし! お兄ちゃん、こっちも準備できたよ!」


 まだ容量にゆとりがある風のリュックを背負い、私服姿の有希子が立ち上がる。以前はよくワンピースを着ていたが、今ではロゴ入りシャツにポンチョを使って色合いを整え、大胆に素足を見せるショートパンツを着用している。


 その中でもポンチョは四月、今は亡き黒木凛先輩が彼女にプレゼントした衣服だった。赤色のチェック柄で、有希子の大のお気に入りだ。先輩が亡くなった八月の間は、ずっとポンチョを抱いてベッドに眠り込んだものである。


「電気、ガス、窓、その他諸々の点検、終わったか?」

「うん、バッチリ! 学校にもおくれずにすみそうで良かったぁ」

「遠足は確か、バスを使うんだったな?」

「そうだよ。プラネタリウムを見に行くの。お星さまがキレイなんだって」

「ほう。星のことはわからねえが、まあ、ゆっくり楽しんでこい」


 有希子とは、マンションの敷地内で別れた。狐憑きが本格的に表舞台に出てくるなら、もう暴行殺人なんて薄汚い真似はしないだろうという国雄なりの判断があったからだ。


 それに今日は、雨の予報すらない快晴だ。あまり気を張り詰めすぎるのも体に毒というものだろう。


 気を取り直して仙道宅に向かおうとするが、ややあって、携帯電話を忘れていることに気がついた。それで急いで取りに戻り、仙道家の呼び鈴を鳴らしたのは、約束の時刻ぎりぎりという余裕のなさだ。適度というものを知らないのかよ、と国雄は自分で自分を叱咤(しった)した。


 時刻は、八時ジャストだ。


「悪ィ、もう少し早く来る予定だったんだがな」

「よく来てくれた。では早速、概要を説明する」


 二階のリビングに、国雄を含めて、親友と神崎、新田、アステリアとアシュレイの六名が集まっていた。くの字をしたシステムキッチンを挟む形で、食卓と、液晶テレビを囲むソファが並ぶ空間がある。液晶画面に映っている情報番組はたった今、天気予報から芸能ニュースへと移行したばかりのようだ。


 六人はそのソファに座り、中央にある樽型の折り畳みテーブルを囲んでいた。卓上には岸沢市全体を記した地図と、東方駅前、西方駅前の両方を詳細に記した拡大地図が置いてある。さらに列車の時刻表と、今朝の気圧配置をコピーしたらしいプリントも見て取れた。


 おそらく仙道彰は、徹夜で狐憑きの思惑を予想し尽くし、その妨害方法を調べ明かしていたのだろう。卓上に溢れそうなほどの資料も、彼の部屋に行けばさらに多くの資料類の山々が拝見できるに違いない。


「まず、全員に専用のイヤーピースを装着してもらう。左耳専用だ」


 一見どこにでもある形をした、イヤホンの先端部分のみをアシュレイから手渡される。無論外側は肌色だ。それを外耳道孔に押し込むと、今度はまたも肌色のテープが渡された。包帯と同じくらい薄く、喉仏を完全に覆ってしまえる大きさで、正方形をしている。その裏側には、何やら回路のようなものが描かれていた。


「このテープみたいなのは、なんだ?」

「特殊マイクだ。あまり遠くまで飛ばせないが、半径一キロ以内なら、装着してもらった全てのイヤーピースに声が届く仕組みになっている。イヤーピースの電源は一日限りだが、水中でも問題ない。ただし電波の悪い場所には当然だが声が届かないので、移動する際はそこに留意してくれ」

「盗聴の恐れは?」新田新一が言う。

「ありえないとは言えないが、解析には時間がかかる。事前に専用周波数を知らなければ、まず相手に漏洩することはない」


 そう聞くと、まるで自分もスパイの一員になったようで、国雄はわくわくした。喉許にテープを貼り付け、鏡を見て違和感がないかどうか確認する。


「最先端はすげえな。日本の危機感のなさってやつが、ようやく実感できた気がするよ」

「この程度は最先端のうちに入らない。全員、俺の声がイヤーピースで確認できたか?」


 国雄も含めた五名が頷く。それを見届けて、仙道彰も頷いた。彼が依頼したアウラ用のイヤーピースはすでに渡してあるらしいが、特殊マイクの装着は断固拒否されたようだ。この場にも現れないところを見ると、やはり馴れ合うつもりは一切ないのだろう。


「まず大前提として、俺たちの敵は二人いる。あらゆる人間に憑依できる魂だけの存在、狐憑きと、あらゆる毒物の専門家であるレディ・ポイズンの二人だ。狐憑きの所在はまだ不明だが、レディ・ポイズンの狙いはおおよそ見当がついている」


 卓上にある地図のうち、親友は西方駅前のものを取り出した。東西に伸びた地上の駅で、改札口は二階にあるが、四番線まであるホームはあくまでも一階にある。上り線が一番と二番で、下り線が三番と四番に分かれているのだ。


「今朝の気圧配置を見ると、風は南東向きに吹く確率が高いことが予想できる。スリー・レベルの風力だ。毎秒五メートル、一時間で十八キロ前後の気流だと考えていい」

「十八キロか。一旦流出したら、もう止められねえってことだな」

「この条件で岸沢市の大部分に炭疽菌を散布するには、西方町から東方町に向かって菌を散布するのが効率が良い。だから敵はおそらく、列車を使って、この西方駅でなんらかの動きを見せるだろう。もし脱線事故を画策しているなら、当然、南側のバス・ターミナル付近を狙うはずだ」


 西方駅の南側には、百貨店と、映画館を取り入れた大型商業施設などがある。日曜日はそれなりの歩行者で賑わう界隈だ。そこに列車の脱線事故が起きたとなれば、大惨事へと至るのは眼に見えている。


「だが、脱線を狙っているかどうかは、まだわからねえんだろう?」

「すまない。だが、ある程度の狙いは絞っている。これを見てくれ」


 仙道彰は、時刻表の一部分を編集してコピーしたらしいプリントを、全員が見えやすいように卓上に置き直した。それが二枚ある。貨物列車と特急列車だ。


「西方駅に焦点を絞れたことで、列車の到着時刻もおおよそ特定できる。午前九時、通常運転なら下り線から――つまり西から東に向かって貨物列車が通過する。また午前十時、今度は上り線から特急列車が、東から西に向かって通過する予定になっている」

「そこまで特定できてるなら、事前に検査させればいいんじゃねえか? それなら列車の特定もさらに簡単になるはずだぜ」

「プロなら当然、あらゆる危険性を視野に入れているはずだ。事前検査を潜り抜けるため、貨物列車は生鮮食品を詰め込んだコンテナを牽引するものを選び、特急ならば寝台特急を選ぶだろう。正当な証拠なしには、そう簡単に止めようがない列車だ。俺が今言った通過時刻も、その二つの列車に絞って話してある」


 さて、はたして敵は本当に列車を利用するのだろうか。いかに仙道彰の発案とはいえ、規模が巨大なだけに、彼の言葉を全て鵜呑みにするのは危険も大きいのではないか。


「そういや今朝、西の駅のほうで人身事故があったぜ。そのせいで、ダイヤが一時間ほど遅れるって話だ。となると、東からやってくる特急列車と、西からやってくる貨物列車が、ちょうど午前十時に鉢合わせするんじゃねえか?」

「そうだ。ただし先も言ったが、上り線と下り線とでは元々の線路が合致しない。それに人身事故は、そもそも日常茶飯事だ。一時間程度の遅延が発生しても、全体の運行を管理しているのが鉄道の専門家である以上、まさか今日の土壇場で、偶然にも正面衝突を引き起こすような人為的失態は、あまり考えられないと言えるだろうな」


 そうだろうかと考え、そうだよなと得心を示す。いくら狐憑きでも、その偶然を装った必然的な不幸を発生させられるとは思えない。そんなことができてしまえば、因果関係を操作できるのと等しいではないか。


「しかし、だとしても厄介には変わりない。特急と貨物、どっちが敵の本命か、直前までわからねえってことだろう? 具体的に、オレたちゃ何をすればいいんだ?」

「西方駅に焦点を絞る以上、人員の配置もかなり容易に――」


 そこで、なんの前触れもなく親友の言葉が途切れた。やや不審げに歪んだ彼の眼差しは、突如として臨時報道に切り替わったテレビの情報番組へと注がれている。風雲急を告げるが如く緊急事態を告げる女性アナウンサーの表情は、おそろしく硬い。


 たちまち五人全員が、奇妙な沈黙とともに液晶画面へと眼をやった時だ。地元の放送局からの映像が切り替わり、街中のどこかを移動するバスのフロントガラスを背景にして、一人の女性乗務員がペットボトルのオレンジジュースを飲んでいる。


 しかし――赤毛のショートヘアに、刺青を施したその面妖。


「彰様、彼女がレディ・ポイズンです」


 アステリアの指摘に、場の空気の緊張が一息に高まった。そして当の本人は、聞こえるはずのない指摘に応えるように画面に眼を向ける。


「初めまして、岸沢市民百万人の皆さん。おはようございます。今朝のお目覚めはいかがでしたか? 最高でした? 最低でした? それとも、特に何も感じなかった? そうか、それは残念。皆さん、ニュースはよく御覧になります? すでに報道されているだけでも、あなたの身近で、人が一人すでに死んでいるのに」


 ――それに人身事故は、そもそも日常茶飯事だ。


 密かに、麻痺した心の急所を突かれた気がした。他人が死んだだけでは、人間はもはや、対岸の他人事のようにしか感じなくなっている。だが逆に、他人が死んだ程度でいちいち反応していては、心と体がもたないのも事実ではないのか。


「まあ、そんなことはどうでもいいですよね。肝心なのは、自分たちが幸せになること。不幸なんて疲れるだけなんだから、何も不自由なく気楽に過ごしていられることが一番の幸せ。他人から束縛されず、他人を支配し、他人を顧みずに、気が向けば他人に手を差し伸べてあげる自由生活を送ること。それこそがずっと安心の幸せだ。少なくとも、名前も知らない赤の他人に、自分の人生をとやかく振り回されることはない」


 幸せとは何か。国雄は改めて考えてみたが、それを具体的に表現しうる言葉が見つからなかった。ただ家族がいて、友達がいて、それで何も不幸が起きずに済むのなら、それが一番いいのだと、そのように漠然と思い描くことしかできない。


「そこで私は、思いきって、人間がいない世界を考えてみた。動植物たちは何も知らずに密漁や養殖の対象となることはなく、食物連鎖の掟に従って繁栄し、やがて朽ちて死んでいく。排煙で侵される大気、廃物で汚される大海、自然が失われる大地はもう見なくてもいい。ぜひ一緒になって考えてみてほしい。人類がいない世界だ。きっと誰もがこう思うだろう。そんな世界は――」


 ごくりと喉が鳴る。いつの間にか彼女の発言に注目している自分を知る。


「とてもじゃないが、感動がない。魅力もない。何も変化がなくって味気がない。つまり、退屈なんだ。だから私は、人間がいないと生きられない。君たちの阿鼻叫喚を想像するだけで心が躍るんだ。これはもう病気だね。人類依存症だよ。ああ、だからこそ私の楽しみを分かち合えるのは、私を追い詰めることのできる人間だけだろう。私は逃亡者で、君は追跡者。――そうさ、今この瞬間にも私のことばかりを考えている君のことだよ、仙道彰くん」


 狐憑きだ、と彼が言った。悪意の権化たる神霊はあろうことか、そう簡単には殺せない裏事情を秘めているレディ・ポイズンに憑依しているのだ。


「そこでだ。今日、めでたく誕生日を迎えた君に、私からささやかなお祝いをプレゼントしたい。十六歳にちなんで、岸沢市内にある十六箇所の病院に、同等の爆発物と炭疽菌を仕掛けた」


 一瞬、狐憑きが何を言ったのかよくわからなかった。どこの、どこに、何を仕掛けたと言ったんだ?


「そのうち八箇所は木端微塵に吹き飛ぶし、他の八箇所は小さな生物兵器に汚染される。時間制限は九十分だ。嘘だと思うなら、一箇所だけ爆破しておこう」


 狐憑きが、携帯電話で何かを操作した。


 直後、絶え間ない地鳴りのような震動音が、彼方から響いてきた。ひどく近い場所だ。不吉な予感がする。


「今沈んだのは、本多総合病院かな。確か、君の母親がいた病院だよね。残念無念、仙道麗子くんは何もできずに死んじゃいましたとさ」


 誰もが絶句していた。国雄でさえ、本多総合病院という言葉を理解するのに、数秒ほど必要とした。唯一、仙道彰がアステリアに指示を出して、卓上のノートパソコンで何かを確認させている。


「ほんと君の家族って、無力で無価値で、なんて喜劇なんだろう。私に利用されるために生き、私に使い捨てられるために死ぬ。じつは病院以外にももう一つ、とっておきの秘密兵器があるんだが、こちらは最後まで内緒にしておくとしよう。あまり自慢げに手の内をさらけ出すのも、殺人ゲームの面白味に欠けるというものだからね」


 画面の狐憑きが指を差す。国雄は我慢できずにリビングを飛び出していた。しかしその直前、狐憑きの言葉だけが背中に突き刺さる。


「さあ、次は君の番だ。二度目の選択の問題だぞ。なんの罪もない病院を見捨てるか? それともこの可愛い乗客たちを見殺しにするか? ただし忘れるな。この報道、全国民が君に注目しているぞ、仙道彰」


 総合病院まで、全力疾走でも十分はかかる。親父は、そしてお袋は、無事なのか――。


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