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黄金魂  作者: 天野東湖
第08話 死に至る病
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 何かの聞き間違いかと思った。そうでなければ幻聴のはずだった。あるいは奇想天外な夢でも見ていて、次の瞬間には現実に戻れるのではあるまいか。


 しかし仙道彰は言葉を続けた。本多国雄の戸惑いなど、少しも眼に留めていない。


「レディ・ポイズンの目的が、炭疽菌の空中散布だとしたら、どのような方法を使うかを自分なりに検討してみた。まず大まかに分けて、空路と陸路と水路の三種類が考えられる。しかし水路は不可能だ。岸沢市に港はなく、下水道全体を高速で気化させるような兵器は、少なくとも国内では使えない」


 アウラは肯定の意を示すまばたきをした。それに頷いて、彼は言葉を続ける。


「空路は、気球船、ヘリ、ジェット機、自家用機などが候補に挙げられるが、どれも事前申請がなければ使えない方法だ。直前になって進路を変更する手段もあるが、もしも俺がレディ・ポイズンなら、まず間違いなく陸路を選択するだろう。目新しい飛行物があればすぐに異変を察知できるが、日常的に誰もが利用している交通手段からたった一人のテロ行為を見分けることは、不可能に近いからだ」

「お、おい彰、どういうことだ? オレにはまるで話が見えてこねえんだが」

「レディ・ポイズンは列車を使うはずだ。岸沢市内の大部分を炭疽菌で汚染させるには、船舶級の輸送量が必要になる。それをまかない、なおかつ、ある程度の加速がついていて強引に停止させることが難しい慣性ある大質量は、列車しかありえない」

「れ、列車だと?」

「おそらく貨物列車か特急列車かのどちらかだろう。貨物列車はコンテナ内部に炭疽菌を充満させておけば、扉を解放するだけで病毒を気流に乗せて散布できる。また特急列車は、車両にいる乗客を眠らせると同時に炭疽菌を充満させれば、駅前に脱線事故を引き起こすことで病毒を市内に流出させられる。ただしどちらの場合も、東方駅と西方駅のどちらで実行させるかがわからないし、脱線事故を目論んでいるのなら、どちらの駅かに加えて、駅前の北と南のどこに脱線させるかもわからないときているが」

「だ、脱線……」

「実行犯はレディ・ポイズンでも、裏で絵を描いているのは狐憑きだ。何事も派手好きな奴なら、この程度は簡単に描いてみせるだろう」

「そんなバカな! 電車を脱線させるなんて、そんなことあるわけがない!」

「明日は十月二十四日、つまり俺の誕生日だ。何も起こらなければいいが、奴の性格上、悪趣味な誕生日プレゼントを用意しているかもしれない。岩倉葉子と同様、十六歳になる俺を絶望のどん底に突き落とすために、そしてその絶望を特等席で眺めるために、きっと狐憑きは動き出すだろう」


 脱線した列車が駅前に突っ込んでいく。その車体は巨大な堰堤(えんてい)と化して乗用車の流れを止め、無知な野次馬どもを引き寄せるだろう。マスメディアもこぞって放送を垂れ流し、そこに炭疽菌が蔓延すれば、もはや眼も当てられない大惨事が全国に流出する――。


「……本当に、列車を使うと読んでいるのか?」

「予防不可能、炭疽菌散布方法、脱出経路、劇場型犯罪――これらの要素を全て満たしたテロ行為は、列車を使う以外に他はない。それ以外の方法では、日常的でない異変を早い段階で察知されてしまう可能性が高いからだ」

「もし、列車を使う方法そのものが間違っていたとしたら、どうするよ」

「その時は、炭疽菌がばら撒かれるのを指を咥えて見守るだけだ。――俺たちも炭疽菌に侵されながらな」


 仙道彰を信じるか。それとも自分で他の方法があるのかどうかを考え、それに対抗する手段を講じるか。ただし明日までしか時間がない。


「アウラ、これであなたにも事態の緊急性を理解してもらえたと思う。もちろん、報酬は俺個人から支払おう。まずはこの鍵をあなたに渡す」


 親友は、取り出した二種類の鍵をしっかりとアウラに握らせた。しかし彼女の瞳はまだ仙道彰に注がれている。真意と、その言動の真贋を見抜くためだろう。


「西方町の市街地に、寂れた日本家屋が一軒だけ建っている。一方の鍵は、囲炉裏のある部屋から地下室へとおりるための鍵。そしてもう一つは、その地下室に眠っている外車を動かすための鍵だ。ベントレー・コンチネンタルGTなら、前払いの全額を満たしているだろう。捨て値で売っても一千万は下らないし、トランクの中にも現金がある。もちろん経歴の確かなものだ。いくらでも調べてもらって構わない」

「お前、そんなのを隠し持ってやがったのか」

「父さんが隠していた遺産だ。おそらく狐憑きに資金凍結された場合のことを想定して、すぐに利用できる現金と、現金化させやすい道具を残しておいたのだろう。狐憑きはその能力の特性で、全ての銀行を操ることもできるから」


 改めて、狐憑きという悪意のおそろしさを突きつけられた気がした。他人の体を自在に操作するというのは、あらゆる権力の中枢にあっさりと侵入し、支配することができるのだ。なぜなら人間社会には、常識的に考えて、不可解な霊質のファイヤー・ウォールなど存在しないのだから。


「それから、もう一つ報酬がある。――俺の命だ」


 その瞬間、国雄は、恥も外聞もなく素っ頓狂な声を上げた。驚きのあまり、怒りを通り越したさまざまな感情の収拾がつかなくなっている。


「あなたを重傷に追い詰めたのは、この俺だ。つまりあなたの狙撃を目撃した代表者だと言っても差し支えない。その男の命をあなたにやる。だからその代わり、ナビの件で応戦した他の連中は見逃してもらいたい。冗談を言っているのでないことは、俺の眼を見ればわかるはずだ」

「待て待て待て! この女だって目ん玉剥くようなバカげた台詞を、ンな真面目な顔して吐くんじゃねえよ!」

「もしこの要求が受け入れられない場合、俺は今この瞬間にあなたを殺す。俺の命と刺し違えてでも、あなたを生かすわけにはいかない。だが今この街を襲撃しようとする危機を振り払えるのは、あなたしかいないんだ。だから俺はあなたが欲しい。あなたでなければ不可能な仕事がある」

「だから、もッ、言うことやることがいちいち訳わかんねえんだよ、テメェは!」


 たまらず頭を掻き、地団太を踏む。しかし仙道彰とは、こういう男なのだ。そして彼の信念をねじ曲げるだけの理由を、本多国雄は持っていない。


「この女は、金で人を殺すんだぜ! そういう殺し屋なんだ。ンな女が、彰だけを例外にするわけねえじゃねえか!」

「いつ俺を殺すのかは、アウラに任せる。依頼を引き受けた時、俺の命はアウラのものだ。だが俺は、狐憑きを倒すまでは死ぬに死にきれない。だからせめて、俺を殺すのは、憎むべき狐憑きを倒してからにしてほしい。それからなら、いつ殺してくれても構わない」

「彰ァッ!」


 咄嗟に胸倉を掴んだが、仙道彰の眼差しには一点の曇りも見当たらない。それで国雄は余計に苛立った。容赦なく殴りつけ、相手はたちまち尻餅をつく。口許から滲み出る血を、手の甲で拭った。


「お前、お前の死を哀しむ人間が、一体何人いると思ってるんだよ!」

「手段を選んでいる場合じゃない。世界各国に監視されながら、なぜレディ・ポイズンが消されなかったのか。それは、彼女の生体反応が途絶えた時、地球上のあらゆる特異点において治療不可能なバイオハザードが引き起こされるからだ。そういう切り札があるからこそ、彼女は自由に生きていられる。いわば全人類が人質なんだ。これを防ぐためにも、レディ・ポイズンは生け捕りで封殺する必要がある」

「……バイオ、ハザードだと?」

「炭疽菌は所詮、レベル・スリーの治療可能な病毒にすぎない。狐憑きはあえて、目前の希望にすがりつくことで無差別に絶望を味わわせる方法をとったからだ。しかし世の中の病毒には、レベル・フォー・クラスの、予防も治療も難しい悪魔たちが存在する。そしてレディ・ポイズンは、それらの病毒全てを無力化する能力『完全耐性(マイティガード)』の持ち主だ」

「病毒の、完全無力化……」

「だから今回の一件で俺たちは、市民を守りながら炭疽菌テロを阻止して、レディ・ポイズンを安全に生け捕りにし、なおかつ暗躍する狐憑きを再起不能にさせることが最優先となる。そのためにはどうしても、アウラ・ミラ・ファウストラップの全面協力が不可欠だ」


 仙道彰は立ち上がり、今なおベッドに横たわっている暗殺者を見据えた。銀髪に灼眼をした殺し屋は、真っ向から彼を見返している。


「もし依頼を引き受けてくれるなら、この病院からの脱出は手配する。国内で最も安全な場所に移動したうえで、できる限りの治療を受け、依頼を遂行してほしい。もちろん依頼遂行後の行動についても、少なくとも俺の関係者から一切尾行させないことを約束する」

「もしも断ったら?」


 ここで初めて、アウラが口を開いた。優しく官能中枢を刺激する、甘く響くフルートのような声音の色。


「世界平和を祈りながら、心置きなく死んでくれ」


 命懸けの駆け引きが始まった。室内全体がやにわに軋んでいく圧力を感じたが、国雄はどうにも動けなかった。親友の言動が全て正しいとは思えない。しかし、彼の言葉を覆すだけの説得力ある別の方策を編み出す術を、本多国雄は何一つ持っていなかった。


「……葉可久礼か」


 彼女がなんと言ったのか、あまりに声量が小さく、国雄にはわからなかった。


「……それで、私に何をさせたい」

「二段構えの策を取る。あなたには最終防衛線に立ってもらいたい。具体的には――」


 国雄にも秘密にするように耳打ちするその内容を、暗殺者は慎重に吟味するがごとくに閉口していた。およそ数十秒ほどの密談を終えた時、真っ先に息を吐いたのは国雄だった。


「ここまできて、オレだけ仲間外れか?」

「国雄には、他にやってもらいたいことがある。だが無理にとは言えない。俺の今までの話を信じてくれるなら、せめて安全が確認できるまで、岸沢市を離れていてくれるとありがたい」

「バカ野郎、誰が離れるか。オレたちゃ親友だぞ。自分の命を簡単に捨てるような奴を、放っておけるかってんだ」


 アウラに眼を向けると、彼女も視線だけを巡らせて国雄を見た。そんな落ち着き払った態度が無性に気に食わず、彼はあからさまに嫌な顔を作ってやる。


「いいか暗殺者。もしもこいつを殺してみろ。そしたらな、この世で最もタチの悪い女が二人、地獄の悪魔どもも裸足で逃げ出すっつう鬼面でお前を追い詰めるから覚悟しておけ」

「……国雄、それは一体誰のことだ?」

「よし、彰は一度、自分の身の回りにいる連中の顔をよォく見ておくことをお勧めする」


 それを聞いてどう思ったのか、ふっとこぼれるような笑みがアウラの口許に浮かんだ。そういう表情のできる女だということを国雄は少し意外に思う。もっと冷徹で、血も涙もない人殺しだと考えていたが、彼女は違うタイプの殺し屋なのだろうか。


「いいだろう」そのアウラが言った。「その男の命は確かに私がもらった。それで異存はないな」

「ありがとう、恩に着る。――アステリア!」


 仙道彰が声高に叫ぶと、唐突に集中治療室の扉が開いた。革靴の小気味いい音を鳴らし、アステリアとアシュレイが歩いてくる。国雄が気づいた時にはもう遅い。


「彰様、息災で何よりです。そして本多様も、今はお元気そうで安心しました」


 今は、という部分を強調せずとも、彼女の威圧感は強烈な不信となって押し寄せてくるので、国雄は咳払いをしてはぐらかすしかなかった。誰がタチの悪い女だって? 嫌な汗をたっぷりかいている。


「アステリア、聞いてのとおりだ。アウラは依頼を受諾した。予定どおり、この病院から移送する」

「かしこまりました。すでに周囲の監視者たちは眠らせてありますので、後は大事なく、ご案内させていただきます」


 説明の間にも、アシュレイは慣れた動作で電動ベッドを制御し、アウラの肢体と繋いでいる最低限の医療器具の接続を維持して、移動の準備を終えようとしていた。しかし手で制止して立ち上がったところを見ると、時空の支配者とも謳われた孤高の暗殺者は、どうやら狸寝入りのおかげで相当な回復状態にあるらしい。


「アステリアの報告どおりだな。さすがとしか言いようのない体力だ」

「……夢を見ていた。アキラ・センドウ、お前の赤い眼が私を見下ろす、刹那の夢だ」

「その男の命は、もうあなたのものだ。その代わり、何がなんでも生物兵器テロを防いでくれ。――よろしく頼む」

「……お前は一体、何者だ?」

「正真正銘、普通の高校生だ」


 お前のような高校生がいるか、と国雄は思ったが、口には出さなかった。とんでもない男と知り合ってしまったが、頼もしいやら、気が気でないやら。


 アシュレイの補助を振り切り、アウラは自らの足で廊下へと歩き出す。呆れて溜息しか出ないといった風のアステリアが先導し、アシュレイが背中を守る按配。入口にいた黒服二名は、ぐったりと床に面してうつ伏せに倒れている。


「……明日だな。一世一代の、大勝負だぜ」

「総力戦だ。俺たちが勝つか、奴らが勝つか、全ては神のみぞ知る」

「おいおい、相手は神様じゃなかったか?」

「そういえばそうだったな。古来の風儀によって神格化した祖霊か」

「彰は、神様なんてものを信じてるのか?」

「いや、神様は信じていない。だが、お前たちのことは信じている」

「おうおう、嬉しいことを言ってくれるね」


 仙道彰は振り返り、国雄の胸に拳を置いた。ちょうど心臓に位置する箇所のあたりだ。


「国雄。ありがとう」

「へっ、辛気臭い。そういうことは全部終わってから、聞いてやるよ」


 そして国雄もまた、親友の心臓のあたりの胸元に拳を置いた。お互いの絆を確かめ合うように、二人はやがて微笑した。


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