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黄金魂  作者: 天野東湖
第07話 友達のためにできること
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「真実の証明、だと?」


 誰よりも早く異を唱えたのは、仙道麗子だった。しかし廊下にいる全ての人間の視線を一手に集めても、仙道彰は微塵も怯まない。


「百聞は一見に如かずという。この携帯電話には、一つの画像が保存されている」


 彼は折り畳み式の携帯電話を掲げ、私たちに見せつけた。仙道麗子の合図で男性刑事がそれを手に取り、ある程度の操作を経てから、改めて女刑事に手渡す。


 彼女の顔がみるみる変わっていったのは、誰の眼にも明らかだった。そして気色ばんだ睨みを利かせて、仙道彰を見返した。


「これは、どういうことだ」

「事件当日の夜、被害者の帰りが遅いことを心配したある人物が、女子側の体育倉庫まで様子を見に行っていた。しかし体育倉庫には鍵がかかっており、扉を叩いて呼びかけても少しも応答がないので、やはり誰もいないのかと一旦は諦め、体育館を後にした」


 当時を克明に再現できる説明だった。いきなり扉が叩かれたので、肝が潰されるように驚いたのを憶えている。


「だがその時、ある人物は、体育館を出る前に不思議な一点に眼を留めた。それは当日の状況なら誰でもそうする行為の名残だが、誰もいないはずの体育館でそのような名残が見つかってしまうのは不自然なので、ある人物はとりあえず、携帯電話の写真機能を使って現状を記録することにした」

「……忘れ物だと思ったなら、普通は、そのまま保管できる場所に持って帰るだろう」

「彼にとってその時の目的は、被害者の捜索であったし、雨の中を持って帰るというのも面倒だなという思いがあったので、本数だけでも確認しておいて損はないと考えたそうだ。しかし翌日、体育館からは被害者の遺体が発見され、まさかと思いつつも事件に関係しているとは到底思えなかったので、結局は言い出せなかったと話している」

「いつだ。お前は一体いつ、そのことを本人から訊き出した?」

「画像がまだ保存されたままで良かった。本人の気紛れがいつ、唯一の証拠品を消去してしまうかわからないから」


 話が見えない私を尻目に、仙道親子は勝手に盛り上がっている。女刑事が溜息をつき、その息子はもう役目を終えたと言わんばかりに緊張感を解いていく。


 しかし、一体なんの話をしているのだろう。現状を記録、保管できる場所に持って帰る、事件に関係しているとは到底思えなかった……?


「何が、どうなってるんだ?」


 耐えかねて、私は迷いながら問いかけた。四つん這いのまま立ち上がれない私の目前に、仙道麗子は携帯電話の画像を見せつける。


 その瞬間、全ての疑問が氷解した。時間すら止まったような錯覚を感じた。頭の奥まで冷え込み、背筋の血管が凍りついていく絶望の感覚。


「渋沢遊さん。あなたなら、この画像の意味がわかりますね?」


 盲点だった。全ての証拠を消し去ったはずが、唯一、そういう覚悟を抱く前の油断には太刀打ちできなかったのだ。


 しっぺ返しの魔法である。画像には、体育館の入口にある傘入れが映っていた。時刻は十八時十三分三十二秒。しかもその中に納まっているのは、私の傘以外の三本で。


 ――それは誰と、誰と、誰のものなのだ?


「この画像の傘入れに納まっているのは、被害者の傘と清水菜月さんの傘、それから三嶋彩乃さんの三名の傘ですね。被害者の傘は、我々が現場到着時にすでに保管してあります。また、清水菜月さんと三嶋彩乃さん両名の傘についても、すでに調査のために、一時的に我々がお預かりしている状況にあります」


 呼吸ができない。

 視界が黒くなる。


「被害者の帰りが遅いのを心配して巡回した、ある人物とは、清水菜月さんが職員室を訪問した際に、被害者の隣にいた教職員の男性です。彼は我々にも、事件当日、体育倉庫に見回りに行ったが、きちんと鍵がかかっていたことを証言してくれています。そしてこの画像を拝見する限り、その時刻は、午後六時十三分の直後となるでしょう」


 まさか、そんなことが。

 まさか、そんなことで。


「事件当日の十八時十三分まで、殺害現場となる体育倉庫には、被害者と清水菜月さん、それから三嶋彩乃さんの三名しか存在しないことが確認されました。なぜなら当日は大雨で、傘を差して体育館へと向かうのが普通だからです。合羽という可能性はありません。朝から降り続けている雨で、誰かが傘を持たない、あるいは使わなかったという可能性は不自然だからです。また、お二人が忘れて帰ったという話もありえません。もしご帰宅の際に、お二人が傘を忘れていたのなら、家族の方が不審に思うのが普通だからです。無論、そのような証言は一度も出てきておりません」


 叫ぶしかなかった。全ての声音を遠ざけるために、私が吠えるしかなかった。

 どこかの扉が開く。三嶋と清水は、両足がもつれそうに駆け出してきていた。

 しかし仙道麗子は、安くはなかった。頭上から冷徹な鶴の一声が落ちてくる。


「それでは改めて説明していただきましょうか。十八時十三分、すでに密室と化していた体育倉庫で、被害者と清水菜月さんと三嶋彩乃さんは、一体何をされていたのでしょうか。もちろんその場に渋沢遊さんがいても不思議ではありませんが、だからといって清水菜月さんと三嶋彩乃さん、両名の関与を完全に否定することはできません。なぜなら翌日は、お二人の傘はきちんとご自宅に保管されていたからです」


 密室トリックで、私が二人の傘を持って出歩くことは不可能に近い。ゆえに王手が打たれた。まさか、傘入れにある忘れ物を律儀に確認するために写真を撮るなんて教職員が、あの学校にいたなんて。


 そういえば東高は、あくまでも進学校なのだ。多少の面倒こそあれど、そうした点検は正確に確認するのが教職員の義務なのだろう。嘗めてかかっていた私の、完膚なきまでに自縄自縛の末路だった。


「遊ちゃん……」


 三嶋が顔を覗き込んでくる。

 清水が、私を見つめている。


「ごめん……。本当に、ごめん……」


 返事の代わりに、熱い抱擁に包まれた。全ては静寂の中の慟哭だった。






 泣きじゃくって動けなくなった神崎茜を、仙道彰がひとまず家に連れ戻すことになった。再度の取り調べを行わなければならないのと、これで今生の別れになるわけではないと、彼が一歩引いた立場から説得してようやく首肯した惜別である。


 私は取調室で全てを告白した後、小さな会議室へと戻された。清水は私と入れ替わって取調室へと向かったので、室内には三嶋と祖母が肩を並べて座っている。


 二人と同じ列には座れないと思い、私はテーブルを挟んだ向かい側に回り込もうとした。しかし直後に祖母が手招きするので、私は面食らった。鉛を飲み込むような罪悪感がひしひしと胃を圧迫し、苦い物を口に入れたみたいに表情が強張る。やはり祖母の眼を見返すのは、ひどく抵抗があった。


 しばらく時間が経って、私は、祖母の隣の椅子を引いて座った。祖母を裏切った罪が、今ここで罰として与えられるのだと思った。なら、それを受け止めねばならないのも私の責任だろう。今更、菩薩のように優しい言葉を期待できるはずもない。


 首は、自然と祖母とは逆の方向に曲がってしまう。祖母を挟んだ同じ列で三嶋が座っているので、私の視界には無人の室内が広がるばかりだった。腕を組み、背中が丸くなる。


 指先が震えているのがわかったが、自分ではどうしようもなかった。祖母の隣の空気を居心地悪くしたのは、因果応報なのだから。


 あるいは、こうして壁時計の秒針だけがちくたく響く室内で祖母のそばに留まり続けるのも、ある種の天罰なのかもしれなかった。


「遊は、昔っから強がりだったねえ」


 ぎゅっ、と抱き寄せられた。

 祖母の胸の中へ倒れかかる。

 頭の上に、祖母の顎が当たって。


「遊は、何をしたってあたしの孫さ。そしてあたしは、いつだって遊のお婆ちゃんだからね。だから、ずっと待ってるよ。遊にね、おかえりって言うのが、あたしの生き甲斐なんだからさ」


 また、眼のあたりが熱くなった。

 潤んだ瞳で、視界が滲んでいる。

 優しいよ、優しすぎるよ、なぜ。


「……なんで、そんなに優しいのさ」

「遊が、あたしの一番の、宝物だからだよ」


 言葉はいらなかった。そこで今日初めて、祖母と眼が合った。穏やかな、慈愛に満ちた女神のような眼。それは年老いてなお、むしろ年老いたからこそ輝きを放つことができる、その世代として積み重ねてきた気骨ある美しさに違いない。


 これが人間なのだと、改めて思い知らされた気がした。この温かさ、この包容力を持つことが、最終的に人が到達する最高の極意なのだ。神様も天使も悪魔も信じられない者は、唯一、人間によって救われる。人を救うことができるのは、いつだって、人間だけなのだ。


 私は祖母の胸を借りて、再び泣き崩れた。わんわんと、みっともなく泣き続けた。だが祖母は止めなかった。私の頭をゆっくり撫でて、ただ優しく微笑むだけだ。それだけで、傷だらけの私の心はたちまち癒されていく。これほど深い愛情を、どうして犠牲なくして信じることができなかったのか。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

「一人じゃないよ。遊は、絶対に一人ぼっちじゃない」


 染み入るような天の声。祖母はあくまでもいつまでも、私の味方であり、教育者だった。


 ――途端に響く、二回の破裂音。


 夢現(ゆめうつつ)の懺悔から眼が覚めて、私はすぐに鼻を啜った。この室内と外の廊下とを繋ぐ扉が開く。へらへらした場違いな笑顔の男性刑事が入ってきた。いつも仙道麗子の隣にいた、あの若い男性刑事だ。


 その男が、おもむろに右手を掲げる。


「いやあ、殺されたのはとんだハプニングだったけどさ。その代わりに、とっても面白い前座を見せてもらったよ」


 その手には、なぜか拳銃があって。

 その拳銃が、私に向けられていて。


「だから御苦労様。道化者(ピエロ)、傍から見てもすごく滑稽だったよ」


 ただそれだけを吐き捨てた後、男性刑事の右手が発光した。パン、と悪い冗談みたいな音――。


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