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黄金魂  作者: 天野東湖
第07話 友達のためにできること
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 祖母の沈んだ眼差しに見つめられた時、私は思わず眼を逸らしてしまった。だがそこで神崎の視線とぶつかるものだから、行き場を失った焦点が所在なく泳いでしまう。


「どうして、ここに……」

「あたしが連れてきたの。渋沢さんたちが麗子さんの車に乗せられてから、彰が何もかも全部、話してくれて」

「全部、だと?」

「あたしも頑張ってみたの。事件に関係しているはずないって、警察に証明できるように」


 だが、全ての証拠は私一人の犯行であることを物語っている。そして事件の真実を暴くためには、これを覆す決定的な証拠がなければ不可能だ。


 唯一、私が三嶋と清水の関与を認める供述さえすれば、その不可能も可能になるが――。


「だから祖母を連れてきたのか。私に真実を吐かせるために、わざわざ警察署まで連れてきて、泣き落としをさせようとして」

「違う! このままじゃ、誰も救われないから! だからあたしは、本当のことを言ってほしくて、それができる人に頼んだだけ! そうじゃないと、みんながダメになるから」


 怒りで頭が痛くなりそうだ。彼女に恨みはないが、その行為には反吐が出る。


「余計なことをしてくれたな。神崎、お前は関係のない他人を強引に巻き込んで、めちゃくちゃな混乱を招くつもりか」

「めちゃくちゃにしたのはどこの誰よ! 最初から、ありのままを伝えていれば、こんなことにはならなかったはずなのに!」


 彼女は眼にうっすらと涙を溜めていた。今にもこぼれ落ちてしまいそうな大粒だった。それでも力強く私を見上げようとするのは、ここで負けてはならないといきり立っているせいだろう。


「……必要なことだった。それに関して、私は否定しない」

「必要だからって、なんでも正当化できるわけじゃない! どうして、どうしてこんな、ひどいことになっちゃったのよ……!」


 私の背後に誰かが経つ気配がした。仙道麗子の姿があった。


「茜くん、なぜここに」

「すみません、麗子さん。お叱りは後で受けます。でも今は、彰がここに来る前に、早く言っておかないといけないことがあるんです。きっとお婆さんも、それを望んでいるから」


 仙道彰の名前が出てきて、私は身構えた。しかしそれと同じくらい、祖母の存在も気になっていた。そして彼女と眼を合わせられない自分の後ろめたさに苛立ちを隠せない。


「渋沢さんが間違ったのは、罪を隠そうとして別の罪を犯したこと。罪を隠すために別の罪を犯していいなんて最悪の前例は、存在しちゃいけないから、作らせちゃいけないから、あたしたちは渋沢さんが隠そうとする真実を明かしてみせる。友達は、守るだけが友達じゃないから」

「お前に、私の何がわかる」

「わからないから、教えてもらうしかなかった。渋沢さんのお婆さんに、いろんなことを話してもらったの。渋沢さんの好きな食べ物や、渋沢さんとの思い出、初めて会った日のことも――渋沢さんのお父さんとお母さんのことも、全部教えてもらった」


 背筋に一かけらの氷が落ちていく。そんな寒々しい錯覚を、体温が下がるほど思い知る。


「渋沢さん、六歳の頃に交通事故に遭ったそうですね。その事故のせいで、お父さんとお母さんが死んで、それで岸沢市から飛んできたお婆さんに引き取られた。でもその事故には、まことしやかな噂があった。――あれはもしかすると、一家心中ではないかと」


 春休みの出来事だった。父が突然、旅行しようなどと言い出したのだ。


 その昨年の秋口になって、父と母が口論をし始めた光景を目の当たりにしてきたから、嘘のような旅行計画の提案はまさに渡りに船だった。なんらかのおかげで事態が好転して、父と母が仲直りをしたのだと思った。そうでなくても、なんらかのドッキリだったと思い込むことにした。どちらにせよ、外出は大いに好奇心をくすぐられるので、私から拒否をする理由はどこにもなかったのである。


 白銀のワンボックス・カーに乗り、移動中は、後部座席で取り外し可能なテレビ画面で少女アニメを見るのが好きだった。もっと正直に告白すると、そのアニメーション作品に登場するキャラクターのカードダスや、オリジナル・グッズを持って遊んだりもしていた。夢みたいな話なら、そういう可愛いヒーローに憧れることも(しばしば)だ。女の子なら、誰でも一度はこうした時期があるだろう。


 だが移動中に、ふとした違和感が私の視界を横切った。車を使ってどこか遠くへ行くのなら、高速道路とかいう殺風景な道なりを進むのが常だった。なのに窓の外に広がる景色は、山とも森ともつかずに、さらなる奥地へと招き入れるような不安定さが漂っている。


 陽が暮れた。

 夜の細い道。

 目的地はどこ?


 父が運転する車は、そんな山道のど真ん中でいきなり停車した。フロント・ガラスから見える正面の道先には、右側に折れた曲線と、それに準ずるように曲がった白いガード・レールが孤立している。その先にあるのは樹木が密生した虚空だ。おそらくは下り坂だと、子供ながら不安を感じたものだ。


 ――ごめんね、ユウ。

 ――パパ、疲れたんだ。

 ――どうしようもないから。

 ――一緒に死んでくれないか。


 一方的な告白から、なんとなく記憶に残っている父の声を思い出す。思えば母は、自宅から車を走らせてからも、ずっと助手席で眠ってはいなかったか。


 しかし、そこから先はよく思い出せない。気がつけば私は、病室の天井を見上げていたからだ。そして久しぶりに祖母と再会し、父と母が死んだことを聞かされ、そのままあえなく祖母の家に引き取られる運びとなる。


 死の直前に立たされたせいか、それとも父と母の壮絶な自殺に自分だけが取り残されてしまったせいかはともかく、祖母に引き取られた私は斜に構えて物事を見る性格になっていた。心にぽっかりと穴が開いたような気はするのだが、何が抜け落ちてしまったのかは自分でもよくわからない。きっと、永遠にわからないだろう。


 だが、穴の開いた心の隙間を埋めるものはあった。それが水泳だった。水中に沈み込み、まるで何かから逃げるようにして腕を振り、足を蹴る。そんな死に物狂いの練習がタイムを縮めるから、いつの間にか全国大会の選手として、記録を競い合う人間になっていた。それが良いのか悪いのかは、やはり今でもわからない。


 水泳を続けてきたのは、そうして私が成功することで、祖母が喜ぶからだ。あの事故の影響で、祖母はいつも私に対して優しく気を使ってくれる。いつだって味方をしてくれる温かい存在だった。彼女が笑顔になれば、私も嬉しい。私が嬉しくなれば、祖母はまた笑顔を見せてくれる。


 記録や名誉などは、どうでもよかった。それは祖母もいつだって言ってくれた。怪我をしないのが一番だと。友達と仲良くして、私が楽しければそれだけでいいのだと。


 病院にいる間、一家心中という噂話とともに、遠巻きに眺めてくる大人たちの眼差しのいかに冷たかったことか。それだけに私にとっては、祖母といる時間だけが唯一の癒しであったし、水泳をする時間だけが唯一の楽しみとなっていた。そうした折り合いをつけて過去を振り返ることができるようになった頃、私は思いきって、父と母が自殺した理由を調べることにした。岸沢東方高校に入学する、直前のことである。


 父はどうやら経理の仕事に就いていたようだが、会社の金を着服して、そのまま博打に手を出したらしかった。しかし使い込みが露呈して、その帳尻合わせを要求されるが金はなく、やがて死を決意した――。


「渋沢さんが本当に守りたかったものは、なんですか。人生を大きく変えてしまう事件に巻き込まれた友達を見て、渋沢さんが守ろうとしたものは一体なんですか。その時あたし、ふと思い出したんです。渋沢さんは、事件が起きる前から負けず嫌いだったと」

「……それとこれと、一体なんの関係がある?」

「渋沢さんは、許せなかったんじゃないですか? いくら予測不可能だからって、友達を守ることができなかった自分が、本当は一番許せなかったんじゃないですか。信じてきた友達を裏切ってしまったみたいで、そんな自分を昔の事故のように照らし合わせたから、余計に腹立たしくなって今度こそ守りきろうと考えた。自分の命よりも大事なものを守るために。もう二度と、昔と同じ(わだち)を踏まないために」


 自分の犯した失態で家族を巻き込み、あまつさえ殺そうと考えた父のことなど、もはや一点の同情の余地もない汚名そのものだった。あの男の呪われた血が、少しでも私の体に流れているのだと考えると、あまりのおぞましさに身震いしてしまう。


 愛情なんて、信じる価値もない。

 だが友情は、信じる希望がある。


 祖母は、友達を大事にしなさいと言った。父が自殺を計画したのは、その身の回りに、助けてくれる友達がいなかったせいだ。それはそうだろうと納得できる。あんな身勝手な男と友達をしていられる人間など、よほどの酔狂でない限り、いるはずもない。


 そんな男に育ってしまった父なんて、存在しなかった。

 そんな男に惚れこんだ、見る眼なしの母もいなかった。


 私にとって家族とは、祖母と同義語である。父や母など、知らない、の一言で片づけてしまえる道端の死骸のような存在だ。そんな二人の間から、どうして私が生まれ、そして事故の後も救出されたのかはわからない。――あるいは、そうした二人だったからこそ、私が選ばれたのかもしれない。お前に両親と違う生き方ができるのかどうか、神様が試すつもりで残したのかもしれないと。


 そして、嵐のような雨の日の体育倉庫に直面した。三嶋と清水に警察への自首を勧めることも考えた。しかしできなかった。また置き去りにされてしまったら、今度は一体何を信じればいいのだろう。父とは違い、彼女たちは何も悪いことをしていないのに。


「あたしにも、自分の命より大切な人がいる。そいつは、もうほんとにどうしようもないくらい鉄仮面で、極限まで追い詰めてやらないと本音を言ってくれないから、時々本気で腹が立つことがあるんだよね。でも、少なくともそいつは、絶対に、自分本位の間違った行動をとったりはしないの。あいつが自分を犠牲にできるのは、それ以上に犠牲になってしまう可能性のある人たちの代償が重すぎるから、だから代わりに全部を背負い込もうと戦ってるだけ。思いっきり泣くこともできずに、心から笑うこともできなくなって、それでも一人で遠くへ行こうとするから、本気でバカって言ってやりたい時もあるけど。……どうしてかな、そんな風にすっごく憎いのに、それでもやっぱり同じくらいに、あたしは彼のことがすごく好きなんだって胸を誇れる。好きでいられるだけで幸せになれるくらい、とってもとっても、大好きなんだって心から素直にそう言えるの」


 こいつは、本当に厄介だと思った。憐憫だとか同情だとかで、私の正気を取り戻そうと考えているのではない。

 神崎は私の中から、光を救い出そうとしているのだ。それは窒息する海底からの脱出、息を吹き返すような目映い空へ弾む浮上に似ている。


「でもね、もしそいつが誤って人を殺したら、たぶんあたしは、まず真っ先にぶん殴ってやるの。それで一緒に罪を償って、またゼロからやり直すんだ。あたしは、その人となら、それができるって信じられるの。そうやって信じられるから、あたしはどんなに大変でも、その人と一緒ならなんとかなるって頑張ることができるのよ。渋沢さんだって、そういう人とずっと一緒だったはずだよね」


 はっ、と気づかされた。その時にはもう、祖母は私のすぐ近くまで歩み寄っていた。右手が、しわだらけの温かい両の掌に包まれる。それでも私は、祖母を見ることができない。


「遊……。もう、警察に用事は済んだのかい?」


 なんと、なんと温かい声なのだろうと思った。たまらず眼の奥が熱くなる。聞き慣れたはずの祖母の声が、まるで蜘蛛の糸のような天上の光に変わっていく。


「じゃあ、今日はもう帰ろうかい。疲れただろう。お前の一番好きな料理はなんだったかねえ」


 私は奥歯を噛みしめた。表情が変わるぐらい、強く奥歯を噛みしめた。呻き声が出る。前のめり、背中が丸くなる。右手に涙が落ちた。熱い涙だった。それでも、それでも私は、見守る祖母の眼を見つめ返すことすらできない。


 私は、薄汚い狂気の殺人者なのだから。


「ごめん、ごめんよ、ごめんなさい、もう許して……」


 膝から崩れ落ちた。合わせる顔もない。しかし、真実を吐露することはできなかった。もう何が正しいのかもわからずに、全てに背を向けて地獄へと歩き出すことしかできない。そういう道を、他ならない私が選んだはずではなかったか。


「私が殺しました。私が殺したんです。私が事件の真犯人なんです。だからもう、それで勘弁してください。お婆ちゃん、ほんとにごめん……」


 もう天を見上げることもできない。

 廊下の地に俯くことしかできない。


 あの事故から一度も流したことのない涙が、堰を切ったかのように止まってくれなくて。


「――茜、話は終わったか」


 破滅の足音が、こつりこつりと、近づいてくる。


「……うん」神崎は涙声だった。「でも、結局何もできなかった」

「……そうか」


 私はおそるおそる、みっともない泣き顔を上げた。

 最後の敵だと確信していた男が今、眼の前にいる。


「家族の声も、友達の声も届かなかった。もう俺から言うべきことは何もない。これから三人にとって最も大事なアフターケアの方法は、お婆さんに全てお話している。弁護士とカウンセラー、そして全員で話し合える時間を作れるように。そのための引導を、今から俺があなたに渡そう」


 仙道彰――その見下ろす眼は、あくまで冷ややかで、厳格で。


「あなたは、一人で頑張りすぎた。そろそろ、心と体を休める時間が必要だ」


 彼の瞳には、まるで父親に叱られた子供のように泣いている私の姿が映っていた。もう止める術はない。彼の右手が、誰の物とも知れない折り畳み式の携帯電話を掲げて見せた。


「真実を証明する。そのためには一つの写真があれば充分だ。今回の殺人事件において、被害者を殺した人物と、被害者の遺体を解体した人物は、同一人物ではない」


 ――ああ、私の終着駅が見えてきた。


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