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黄金魂  作者: 天野東湖
第07話 友達のためにできること
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「愛情のもつれ、ですか」

「そうさ。あの男と私は、世間に隠れて付き合っていたんだ。まあ、お互いにバカだったとしか言えない過ちだったがね」


 言うまでもなく、そんな事実は介在しない。しかしどんなに出鱈目でも、裏付けを取りようのない証言は、時として都合よく利用できることがある。


「あの日、体育倉庫のお化けを見て慌てて戻ってきた三嶋と清水をなだめて、私は二人を先に家へと帰らせた。その理由はもちろん、これから体育倉庫で会う約束を守るためだ」

「ですが、ご自宅で伺った際のお話では、馴染みのスポーツ用品店に立ち寄ろうと考えて、三人で雨の中を歩いて帰ったとお聞きしましたが?」

「いつもの嘘だよ。私と先生が密会している時間を稼ぐために、二人にはいつも協力してもらっているんだ。だから二人には、その日もゆっくりと帰ってもらった。なぜなら私が後から電車で合流して、三人で家に帰るという筋書きだったからね」

「筋書き、だった?」

「そう、過去形さ。理由はご存知のはずだろう。私があの男を殺したんだから」


 仙道麗子は背もたれを軋ませ、おもむろに腕を組んだ。その表情には、虚を突かれたというような狼狽が微塵もない。むしろ想定する限りの最悪のシナリオを、いかにして食い止めるかに思案を巡らせている、そのような緊張感のあるしわが眉間に刻み込まれている。


「ではお訊きしますが、なぜ被害者を殺したのですか?」

「裏切ったからだ。あの男は将来、私と結婚するはずだったのに、急に別の女性のことが好きになったと言い出した。私はあの男に全てを捧げたんだ。なのにあの男は、私だけを見てくれなかった。だから、ついカッとなったんだ。やるだけやっておいて、もう終わりだ、これきりにしようなんて――あまりに突然で、理不尽すぎるだろう?」

「それで、竹馬で殺害、ですか」

「体育倉庫の中で、女が力ずくで男を止められる道具なんて、他にそうそうないからね」

「しかし、だとすると……」


 そこまで言って、彼女は咄嗟に口をつぐんだ。賢明な判断だが、私がそれを許すはずがない。


「当然そんなトラブルがあったものだから、あの二人とは合流できなかった。代わりに、携帯のほうにメールを送っておいたのさ。協力を頼みたい、私の部屋のトリックをやってもらいたいってね」

「鍵のトリックですか」

「ご明察だ。調べれば誰にでもわかることだが、私の部屋の鍵は、じつは外側からでも簡単にロックできる構造になっていてね。あまり鍵としての機能を果たさないものなんだが、申し訳程度のそれでも、アリバイには使えると思ったんだ」


 だから二人の携帯には、当時のメールが残っているはずだと付け加えておく。確認には一分もかかるまい。当人たちは今も別室で待機しているのだから。


「渋沢遊さん。三嶋さんと清水さんからも再度お話を伺えばわかることですが、お二人の密会のための協力などという嘘はすぐに暴かれることです。ご友人のことを案じているのはわかりますが、全てを正直に打ち明けたほうが――」

「三嶋と清水は、私の罪を軽くしようと考えて嘘をつくだろうね。そんなことは知らない、二人が付き合っているなんてありえないと。そしてこうも言うかもしれない。誰かは私が殺したと言い、誰かは私が被害者に襲われたんだとね」

「……私は、それが真実だと考えています」

「考えるのは勝手だが、それを物的証拠で示さないと陪審員は納得しないだろう。当日、私からの無理強いを除けば、あの二人は何事もなく帰宅したんだ。ただ、私の身の回りにだけ異変が起きた。だから今回の事件は、最初から最後まで、私の単独犯だと告白させてもらう。優秀な警察なら、それだけの証拠を、すでに集めきっているはずだからね」


 仙道麗子の眉間のしわがさらに深くなる。なぜ彼女が、やや強引で性急とも思える事情聴取から自白を取り、その後のスピード逮捕に踏み切ろうとしたのか。いや、仮に彼女が捜査に加わっておらずとも、普通であれば、真っ先に私が容疑者扱いされるはずだった。


 そういう隠蔽工作を、私が自らの手で行ったのだ。他ならない、あの血塗られた深紅の密室の海底で。そして仙道麗子は、私だけではなく三嶋と清水の関与も疑ったからこそ、その存在証明のために三人共通の自白を取らざるを得ない境遇に追い込まれていた。


 そうしなければ、事件の真実が永遠に闇の中へと葬り去られてしまうから。


「言えないなら私から言ってやろうか。あの体育倉庫には、じつは私と顧問の先生以外の存在の痕跡が、全く発見されなかったと」


 女刑事の眼と、視線がぶつかった。どちらも譲れない沈黙の応酬が続く。


 せめて三嶋と清水の関与だけでもなかったことにできないか――事件発生を隠すこともできず、殺人行為を隠蔽することもできないと察した私は、犯人特定のみを混沌とさせるためにあらゆる手段に手を染めた。誰かが倉庫の扉を叩いて立ち去った後、三嶋と清水を帰らせ、まずは竹馬の指紋を丹念にハンカチで拭き取ってから、再びあの男の後頭部めがけて何度も振り落としたのだ。


 別に、日頃から憎しみを覚えていたわけではない。だが、清水にひどいことをした男に対して遠慮する気分にもなれなかっただけのことだ。それに当時、これは笑い話ではないが、私は本気で死者の起き上がりを恐怖していた。もしあの男が起き上がったらと思うと、確実に死んでいると肌で理解できるまで殴り続けねばならないと考えたのだ。


 どちらにせよ、作業中は体育倉庫の扉の鍵をかけたままだった。しかし唯一、大講堂の裏側にある秘密の抜け穴に行った時だけ、あの男のズボンに入っていた倉庫の鍵を使って出入りした。三嶋には私の部屋から着替えの予備の制服と、実家の料亭から使い物にならなくなった牛刀を手に入れてほしいと頼んでいる。それを受け取るための約束の時刻が、午後九時だった。当日は大雨なので、学校関係者が積極的に見回りするとは考えにくい。


 その時は三嶋も、まさか体を解体するための道具になるとは思ってもいなかっただろう。しかし彼女に真実を話せば、決して牛刀の持ち出しに同意することはなかったはずだ。誰だってそうなる。だから私は嘘をつくしかなかった。死因をごまかすために必要なのだと言えば、彼女の良心も少しは揺れ動くだろうと推測していたから。


 約束の時刻に約束の場所へ行くと、頼んでいた二つの物が入っているスポーツバッグが置いてあった。無論、私の部屋に置いてあったバッグを、三嶋が約束のとおり持ってきたにすぎない。誰にも怪しまれず、誰にも発見されない方法はこれしかなかった。ただ何も知らない神崎には、教えてもらった抜け穴を利用して後ろめたい気持ちもあるのだが……。


 ――今の私には、もはやどうでもいいことか。


 祖母のために自宅へ電話をかけたのは、あの男を解体する前の頃だ。体育倉庫の密室を維持するには、誰かが必ず中に入っていないといけない。あの男が倉庫の鍵を持っているから密室たりえるのだ。もっと頭の良い人間なら、なんらかのトリックを編み出すことができたのだろうが、私にはあれで精一杯だ。もとより自分も助かろうなどとは、微塵も考えていないのだから。


 密室の謎は、至極簡単なものだ。要するに、体をこれでもかと微塵切りに解体し、その血肉を混沌と悪徳の権化のように飾り立て、全ての髪の毛や塵やゴミを回収し、指紋やら靴跡やらを全て上塗りするために倉庫内を血の池地獄に変えた後、私は跳び箱の中に隠れてじっと息を潜めていただけのことなのだ。そして夜が明けて、誰かが倉庫の鍵を開けてくれるまで、ひたすら狂気と同化し続ける――。


 第一発見者が私の存在に気づかなかったのも無理はない。跳び箱の隙間は、ある程度の視界を確保しつつも肉塊で埋め尽くしていたし、何より真っ先に眼に飛び込んでくる血と悪臭の倉庫を見れば、まず卒倒するか逃げ出すかのどちらかしかないと考えていたからだ。そして女性の体育教師は、後者の行動を取った。その後、私は無人となった体育倉庫から悠々と脱出したのである。


 ただし体に染みついた返り血や血臭を洗い流す必要があったので、商店街にある銭湯を利用する必要があった。早朝から高齢者以外で利用する人間は滅多にいないはずなので、年老いた番頭は必ず私の顔を憶えているだろう。本物の血と赤ペンキの違いもわからない番頭だが、仙道麗子は抜かりなく確認しているはずだ。


 その後、凶器と着替えの入ったスポーツバッグを手に自宅へと戻り、何食わぬ顔で登校する。


 今から思えば、神崎茜は血の残り香に気づき、私と事件の関係を疑ったのかもしれない。彼女は驚くほど勘が鋭く働く。あの時の言葉に、私の心はどれほど揺り動かされたことか。


「本来なら、女子体育館の倉庫に二人の痕跡があるのは不自然じゃない。そもそも、ほぼ全女子生徒の痕跡があっても不思議じゃないんだからね。しかしそれだと逆に利用されてしまいそうだから、私以外の全ての痕跡を消してしまえば、当日その場にいた人間はあらゆる物的証拠によって限定されるだろう? まあ、その内容をお友達の彼女らにうっかり話してしまったから、さも現場にいたかのような嘘を許してしまう羽目になったのは認めるがね」


 私は苦笑した。なるべく狂人を演じて、二人の関与を突き放す必要があった。だがその三文芝居が、仙道麗子に通用するかどうかはわからない。


「……うっかり話して、ですか」

「私だって、それなりの罪の意識はあったつもりだ。だから友達にも相談したし、二人は当然だが自首を勧めてきた。だが私は、それができなかった。先に裏切ったのはあの男のほうなのだ。それなのに私だけが罪に問われるのは、どう考えても間違っている」


 拭いがたい汚名を、完全に消すことはできない。全てを完璧に隠蔽しようとするから、どこかが破綻するのだ。ならば、その場にいる人間の痕跡を無視して、過去にいた人間の痕跡を全て消滅させれば、その場にいたと断定できる人物は一人しかいなくなる。


 三嶋と清水が自白しようと無駄なことだ。倉庫に確実にいた私の証言より、倉庫にいた可能性もある二人の真偽不明の証言が取り上げられるのは本来ありえない。警察は確か、証拠もないのに疑わしきは罰せず、とかいう原則があるはずだ。そのために私は一晩じっくり時間をかけて、あらゆる過去の痕跡を、誰にも手の届かない暗黒の中へと葬ってきたのだから。


「あんたは確か、我々を信じてくれと言ったな」


 自分でも驚くほど冷静に、そう言った。仙道麗子は複雑な眼をして、私を見返してくる。


「ええ、確かに言いましたが」

「だったら、さっさと自白の裏付けをとってもらおうか。あの男を殺したのは私で、あの男をバラバラにしたのも私。つまり事件の真犯人は私一人だ。なぜなら三嶋と清水には、あの男の体を解体することは不可能だからだ。不可能であるものは真実じゃない。そして真実でないものは、事件と関わる接点を全く持ち得ていないことになる。殺人なら決して不可能ではないが、無関係である可能性も否定しきれないはずだ」

「まだ捜査を初めて二日目です。これから新しい証拠が出てくる可能性も捨てきれない」

「やってみるがいい。だが何も出なかった時、マスコミは真犯人とは無関係の人間を叩き続け、やがて警察の無能をも叩き始めるだろう。そうしたら警察は、世間の顰蹙(ひんしゅく)をも買い始めるかもしれないな。だとすると、一概にも一枚岩とは言えなさそうな刑事さんたちの中には、さっさと真犯人の自白どおりに事を進めて処理しようとする動きが現れ始めるのではないか? ほら、だって私はご覧のとおり、被害者の血が付着した指紋がびっしりとそこら中にある真っ黒な容疑者なんだから」


 仙道麗子は、ここでようやく眼を伏せた。さまざまな未来図を展開して計算を働かせているのだろうが、その未来は大まかに分けて大前提が二種類しかない。


 新しい証拠が、出てくるか否か。


 残念ながら、その可能性は皆無と言わざるを得ない。なぜなら事件は、あの倉庫だけで発生したからだ。そして倉庫内のあらゆる痕跡は、私の手によって私以外の証拠が完全に消し去られている。パンドラの箱の希望は、必ずしも栄光でできているわけではない。


「……なぜ、そこまで自分を貶めても、犠牲になろうとするのですか」

「犠牲も何もないからだ。私は私の罪によって罰を受けるだけにすぎない。迷惑をかけてしまって、それは申し訳ないと思うけどね」

「真実は明かされるべきです。なぜ被害者が殺され、なぜ加害者が殺したのか。あなたが被害者の体を解体したのは、お友達の二人が、もうこれ以上傷つかなくてもいいように、あなたが代わりに矢面に立とうと覚悟したからです。ですが、三嶋さんと清水さんは、そのせいで大事なものを奪われました。かけがえのない、渋沢遊さんという友達をです」

「真実は全てが正義じゃない。そして全ての真実が、明かされていいものだとは限らない。人が嘘をつくのは、この世の全てが真実で理解できるものではないからだ。海へ垂れ流すゴミ処理方法のように、誰かがしないといけない必要悪もある」

「事件の真実を隠そうとすることは、必要悪ですらない」

「ああ、そうだな。私は犯罪者、極悪非道の殺人者だ。だから遠慮なく逮捕してくれ。それで事件はつつがなく決着する」

「あなたは今、とんでもない自己満足を弄しています。関係者全員を静かに傷つけ、あらゆる信頼関係をゆっくりと破壊している。これは友情でもなんでもない、ただの呪いです。最初から歪んだ保護で、今回の事件から逃げられたところで、今後のご友人たちが新しい生活をまっとうに過ごしていけるとお思いですか」

「だったら、そんなありもしない偽物の思い出は早く忘れることだ。人間の幸せな機能の一つだよ」

「大事な友達を忘れろと、あなたは彼女たちの前でもそう言い切れますか」

「私は本当の友達ではなかった。ただ、それだけのことだ」


 会話が途切れた。睨み合いだけが続き、それしかできない仙道麗子の苛立ちが手に取るように伝わってくる。


 私は賭けに勝ったのだ。もはや誰にも事件の真実を証明することはできない。自白だけでは罪に問われず、存在する全ての物的証拠は私が犯人だと証明している。三嶋と清水の関与を肯定できる要素は、何一つありはしない。アリバイ作りのことも、彼女らはそれが殺人事件に関連していると知らなかったと私が言えば、二人の証言は嘘の森の中に隠れていくはずだ。


 くっくっ、と私は笑った。それが安心感からか、それとも正体不明の狂気にあてられたからかはわからなかった。何がおかしいのか自分でもよくわからない。ただ、何もかもがこうして終わっていくのだろうことは、もはや疑いようもない。


「裏付け捜査は早めにお願いするよ。捜査が長引けば、無関係の人間にも迷惑がかかる。人殺しは私だ。私以外の誰も事件には関与していない。そのことを私は永遠に否定しない。そして私の関与を裏付ける全ての証拠についても否定しない。これに対する証明は警察の努力によってのみ実を結ぶ。――そう、あんたたちは計らずとも、私の共犯者になるわけだ。真実を永遠に闇の中へと消し去る手助けをする、その共犯者にね」


 わたしは立ち上がった。直後に男性刑事が立ち上がるが、仙道麗子は立たなかった。


「どこへ行くつもりですか」

「別に逃げも隠れもしないよ。不安なら監視をつけておけばいいさ。拘置所でもどこでも連れて行け。だが今の時点では、ここで語るべき話はもうないはずだろう。ならせめて、無関係の友達に迷惑をかけてしまったことへのお詫びをさせてもらえないかな。最低限、人として」

「……お友達は、深く傷つくと思いますが」

「それでも世間は二人を受け入れるよ。少なくとも、冷たく眼を逸らされることはない」


 私はおもむろに歩いた。ゆっくりと扉の前に立ち、その把手(とって)を掴んで、ひねる。それを二人の刑事は、ただ黙って見守るだけだった。人生と引き換えに、あの警察を出し抜いた小さな達成感が、ほんの少しだけ満足したといえば否定はしない。


 きぃ、と蝶番が軋みを上げる。

 私が開けたのは、地獄への扉。

 だが、それでもいいと思った。


 血塗られた手が、天国の扉を開けるはずはないのだから。


 完全に開け放った扉、その一歩先にある廊下へと眼を向ける。

 その瞬間、私は度肝を抜かれた。

 私の眼を一直線に見返してくる、哀しそうな光を放つ丸い瞳。さまざまな疑問が一斉に弾けて、ただ彼女の名前だけを呟いた。


「神崎、茜……」

「渋沢さんが向き合わないといけないのは、あたしじゃない」


 彼女が指差す方角に眼を向ける。

 廊下の突き当たりに、打ちひしがれたような祖母の姿があった。


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