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仙道麗子のジャガーに乗り、西方町と東方町とを繋ぐ幹線道路から、岸沢警察署に入る。地下駐車場に直結したエレベーターは三階で停止して、細長い廊下を進む。
その廊下で、多くの男たちが壁際に立ち尽くしていた。いずれも駅前で見かけるような会社員風の服装をしているが、いずれも刑事特有のねちっこい匂いを身にまとっている。獲物に食らいついたら絶対に放さないという、獣の出で立ち。
私と三嶋と清水は、仙道麗子の後に続いて、ひとまず小さな会議室めいた部屋へと案内された。長方形を作るように細長い会議机だけがある室内だ。そこに私と三嶋が座らされ、清水が別の部屋に移動させられる。普通なら三人同時に別々の部屋に移動させられて事情聴取を受けるものだと思っていたが、なんらかの魂胆でもあるのだろうか。
女性職員が湯気立ったコーヒーを持って置いていったが、私と三嶋は互いに口をつける気にもなれなかった。何かを話しかける余裕もなく、かといって完全に一人きりになるのも遠慮したい複雑な沈黙が続く。そうして黙々と、重い空気と時間だけが流れていく。
やがて清水が戻ってきた。壁時計がないので、時刻がわからない。次に仙道麗子に呼び出されたのは三嶋だった。やがて女性職員が清水用のコーヒーを運び、退室する。
全てを話したのか、という私の問いに、清水は頷くだけで応えた。清水に洗いざらいの真実を告白させるには、それだけの説得力のある仮説と物証を揃えねばならない。だから私はすまないとだけ言い、彼女は俯いたまま首を横に振った。彼女にそうさせてしまった私自身の落ち度を、責めることしかできない。
唐突に部屋の扉が開いた時、三嶋は嗚咽しながら入室した。もうかなり泣いた後らしく、涙痕がまだ目尻に残っている。私は思わず彼女を抱きしめた。三嶋は再び叫ぶように泣き出し、足許から崩れ落ちていく。
仙道麗子が、最後に私を招いた。よくドラマに出てくる取調室そのものの小部屋に入れられ、抽斗のないスチールデスクを挟んで向かい合う。入口側の壁際にはもう一つの机があり、すでにパソコンを起動させた若い男性刑事が待機していた。
一寸の隙もない女刑事が、両肘を立てて身を乗り出してくる。
「今回の事件で最も奇妙な点は、犯人がなぜ被害者をバラバラにしたのか。私が赤一面の現場を見た際にまず考えたことは、それでした」
私は何も言わない。言わなくても、仙道麗子は勝手に推理を組み立てて話してくれるだろう。それも、限りなく真実に近い推察を。
「では、その意味とは何か。これを突き詰める際に、最初に把握しておかないといけないことは、ただ一つです。犯人は間違いなく、普段から医療や精肉に関連した仕事を行って解剖への経験値を積んでいない、全くのど素人という点です」
「どうして、そんなことがわかるんだ?」
「専門家が見れば、切り口を調べただけでわかることです。初めて泳ぐ人間と、あなたのような一流選手の泳ぎ方では全く異なるように。その道に深い造詣のある人間の行為には、まるで無駄がないもの。さらに切り口からは、生体反応の有無を調査した結果、被害者を生きたまま解体した可能性を否定しています。つまり犯人は、今まで人間大の肉の解体に関わったことのない素人であり、被害者は、殺害後に改めて体をバラバラにされたことが判明したのです」
生きたまま解体する。
いくら私でも、まず頭に思い浮かばない陰惨な手口だ。しかし仮に、それこそ実行してのける犯人がいるならば、そいつは疑う余地なく狂っている。壊れていると言ったほうが正しいか。
「さて、新たな事実が判明しました。ど素人の犯人は、被害者を殺した後、なぜわざわざ手間のかかる解体作業に食指を伸ばしたのか。通常、遺体を解体しようとする犯人の多くは、彼らにとって不都合な真実を隠蔽するために、別の場所へと持ち出そうとする意図が見え隠れします。しかし今回の事件では、確かにこれでもかと遺体を解体してはいますが、じつは失われている局部や臓器は一つもなかった。それどころか犯人は、あたかも我々に見せつけるように血を壁に塗りたくり、倉庫内のあらゆる物品を肉と骨と贓物で埋め尽くしたのです。それを見た同僚の刑事は人間の仕業じゃないと頭を抱えましたが、私が注目したのは一点のみです。被害者の体をこれほどまでに細かく解体し、また倉庫内に装いをこらそうとする作業には、一体どれほどの所要時間がいるのだろうかと」
彼女の論旨はじつに明快だ。謎を解いては、また新たな謎を提示する。そうして事件の真実へと、少しずつ、着実に近づいていく。
「じつは三嶋彩乃さんの実家は、古い料亭を営んでいるのですが、そこで不可解な事件が一件だけ起きていました。なんでも、古くなって誰も使わなくなった肉切包丁――つまり牛刀が、一本だけ見当たらないそうです」
「すでに処分したか、記憶違いじゃないかな」
「その可能性もあります。しかし、別の可能性も疑う必要があります。それはもちろん、盗まれた可能性です」
私は何も言わなかった。仙道麗子も返答を期待していないようだ。今頃は私の家を捜索しているのかもしれない。
「時間のかかる解体作業です。そこで素人の犯人が、単独犯か複数犯かを考えてみました。ここで登場するのが、清水菜月さんの職員室の訪問時刻です」
「忘れたな、そんなものは」
「十六時五十分頃です。その時間まで、被害者は確実に生存していました。しかしその後、体育館で清水菜月さんと別行動を取ったはずの彼の足跡は、ここで完全に途絶えてしまいます。不自然が露呈しました。被害者はなぜまっすぐ職員室には戻らずに、行方を晦ませたのか」
「男でも、井戸端会議ぐらいはするんじゃないのか?」
「残念ながら、当時校内に残っていた人間は数えるほどしかいません。またその全員には、教職員が同席していたアリバイがあります。しかし誰も被害者を見ていない」
「誰かが共謀して、嘘をついている可能性だってある」
「もちろんです。ただしどのように嘘をついても、犯行現場が体育倉庫で間違いないのはお忘れなく」
「……だから、どうだと言うんだ?」
「当時、体育倉庫の道具を借りたいと申し出てきた人間は、一人しかいないのです。また、その必要がある可能性の高いグループは、他には皆無でした。そして当然ですが、外部の人間による犯行ではありません」
「なぜ?」
「外部犯なら、無計画で敷地内に侵入することはありえません。体育倉庫を選ぶ理由には、そこでなければ意味がない重要な鍵が眠っているはずです。ならば体育館を選んだのには相応の理由があるはずですが、同じ日にたまたま清水菜月さんが、たまたま犯人が狙っていた被害者を呼び出して体育倉庫まで移動した、なんて偶然はまず考えられない。万が一、被害者が誰でもよかったのなら尚更です。体力のある男性教諭を狙うのなら、女子高生を狙うほうが遥かに都合がいいはずですから」
私は何も言えない。反論できる隙が見当たらない。どこか突破口がないかを探すのだが、足掻けば足掻くほど深みに嵌まる蟻地獄の錯覚に溺れてしまう。
「……だから、清水の単独犯だと言いたいのか」
「慌ててはいけません。まず大前提としてですが、我々は、被害者が十六時五十分頃から、十八時十五分頃までの間に殺された可能性が非常に高いと見ています。前者は先ほど申し上げたとおりで、後者は被害者の同僚が体育倉庫に鍵がかかっているのを確認した時刻になります。その時間帯の中でアリバイのない人間は、二人だけ」
「二人だって?」
「そうです。渋沢遊さん、あなただけは例外に、担任教諭の目撃証言があります。彼女がいつ見回りにくるか予想不可能な以上、この目撃証言を利用することもまず不可能。なら、だからこそ、先の二人の存在が非常に重要な意味合いを帯びてくるのです」
「……何が言いたい」
「単独犯か、複数犯か。我々は考えなければなりませんでした。清水菜月さんが、本当に事件とは無関係なのかどうかを。そこでまず、彼女が殺人犯である可能性について考えてみましたが、これは早々に切り捨てることができました」
「当たり前だ。彼女は犯人じゃない」
「それを裏付ける決め手は死因です。被害者は殺された後、改めて体をバラバラにされていますが、直接の死因は脳挫傷による急性脳内血腫です。そして外傷部位が後頭部に認められたことから、犯人はなんらかの鈍器で、被害者を背後から襲ったと考えられます」
竹馬は現場に置きっぱなしだ。しかし私以外の指紋は全て拭き取ってあるはずだが。
「竹馬がひしゃげていた箇所は、木製の足台とは逆側にあります。そうなると犯人にとっての柄は、木製の足台がある鉄棒までの短い部分にならざるを得ない。それはちょうど、この竹刀を持つようになります」
仙道麗子は、自らの足許に置いてあったらしい竹刀を取り出すと、迷うことなく机上に置いた。どこの剣道場にでもありそうな、ごく普通の竹刀のようだ。しかも彼女はそれを手に取れという。私が戸惑うのは言わずもがなだろう。
だが、そうしなければ話が進まなさそうだったので、とりあえず言われたとおりに手に取ってみた。右手を下から覆い、左手を上から被せる持ち方で、ゆっくりと竹刀を垂直に立てていく。
「さて、凶器となる鈍器が見つかれば、次に確認すべきは、犯人がどの角度から振り下ろしたかです。さすがの犯人も、脳をぐちゃぐちゃに攪拌させることは難しかったようですね。脳内出血の痕跡は、被害者の右耳の裏側にあたる右後頭部でした。主に頭頂部から、右後頭部にかけて集中していたのです」
私は一瞬、空気を吸い込んだ。彼女の言いたいことがわかってしまった。そしてなぜ、私に竹刀を握らせたのかも悟ってしまう。
「もうおわかりですね。被害者を撲殺した犯人は右利きなんです。他のお二人にも竹刀を握っていただきましたが、唯一、清水菜月さんだけが右利きではありませんでした」
「私は、右利きだ」
「あなたにはアリバイがある。被害者を殺すのは不可能なんですよ。では一体誰が、犯行可能な犯人か。賢明なあなたなら、言うまでもないはずです」
壁に竹刀を投げ捨てた。それは激しい音を立てて床に転がった。鋭い怒声を上げて立ち上がった男性刑事を、仙道麗子が片手で制する。
息が乱れているのが、自分でもよくわかった。
「被害者を殺害した犯人は、三嶋彩乃さんです。しかし、ここで新たな疑問が生じました。なぜ彼女は、今まで全く接点のなかった男性教諭を殺害したのか。これには二つの考えを巡らせることができます。一つは、計画的にせよ衝動的にせよ、思わず暴力を振るう可能性のある関係を被害者と持っていたこと。そしてもう一つは、殺害意思はなかったが、力加減を誤って殺してしまったこと。ただし前者は、事実上アリバイ作りの困難だった渋沢遊さんに直接お訊きした質問で、彼女が一人きりで相手と会う時間を作れなかったことで可能性を消すことができます。そうなると残っている可能性は一つしかない」
「昼休みの質問なんて憶えてないね」
「あなたが憶えていなくても、テープレコーダーはしっかりと記録しています」
冷たい音を立てて、彼女は掌サイズの小型機を机上に置いた。あえて再生しないのは、私なら記憶しているはずだと言外に告げているからだろう。
くそ、と心の中で罵った。この女ならやりかねない周到さだ。しかしもはや全てが遅い。
「殺害意思はないが殺してしまった。これは三嶋彩乃さんの正当防衛、あるいは被害者の事故死が、可能性として挙げられます。ただし後者は、死因の脳内出血により完全否定を推奨できます。残る可能性は正当防衛ですが、そもそも三嶋彩乃さんはなぜ、正当防衛をする必要があったのでしょうか。渋沢遊さんの証言によれば、十八時直前まで教室にいたのにもかかわらず、確実に間違いない殺害現場である体育倉庫にまで足を運び、被害者を殺害している。それは一体なぜですか」
「……三嶋は、犯人じゃない」
「アリバイ作りのできない渋沢遊さんの言葉を借りるなら、三嶋彩乃さんが十八時直前に教室を出たのは、清水菜月さんを追いかけたからではないですか? いえ、もっと正確に言うならば、三嶋彩乃さんは、清水菜月さんを捜しに行くために教室を出たのではないのですか? なぜなら清水菜月さんは、職員室に向かうために教室を出てから、ただの一度もお二人の前に戻ってきたことがないからです」
全ての前提が崩壊した。あの男と一緒に職員室を出たことは、あれの同僚らしい職員が証言している。ではそれから、おおよその死亡推定時刻までの約一時間以上もの空白を、あの男と清水はどうしていたのだろう。
「……それは、ただの憶測にすぎない」
「我々も信じられませんが、そうでなければ、三嶋彩乃さんが無我夢中の自衛手段をとることはないと思います。約一時間も戻ってこない友達を捜しに体育館に向かった彼女は、体育倉庫内で行われている、行為を目撃した。――彼女はこう話してくださいましたよ。あの時、いきなり携帯電話が鳴らなければ、被害者に気づかれることはなかっただろうと」
全身の水分が、血が抜けきった錯覚が走る。しばらく沈黙が続いた。重い空気がひしめいていた。男性刑事のキーボードを打つ音が止む。それからまた、喉許を圧迫するような時間が流れていく。
私は頭を抱えた。頭痛がし始めていた。脳の奥からずきずきと疼くように痛む。当時のことを思い出すと、頭痛は傷口に塩を塗り込むように激しくなる。
「……渋沢遊さん。酷なことを言いますが、今この段階でなければ、皆さんを守ることは不可能なんです。一度マスコミが動いてしまえば、一度でも事件の報道が世間を賑わせてしまったら、その時点であなたたちは晒し者になる。警察が注目しているのが、あなたを含めた女子高生三名であることを感付かれてしまう恐れがある。その前に、全てを話してください。三嶋彩乃さんの証言どおりなら、まだ正当防衛の可能性が残されているのです。どうか我々を信じて、事件の真相を打ち明けてください」
仙道麗子はおそらく、同じ論調を展開して、三嶋と清水の二人から真実を訊き出したのだろう。そして最後に私が真実を告白すれば、被害者を殺した犯人と、被害者を解体した犯人と、被害者に襲われた被害者という、今回の事件の真の姿を掴めたはずだった。
――だが。
その真の姿とは、どうあがいても誰も救えない真実だ。無抵抗の被害者を汚し、不可抗力の加害者を責め、その家族も友達も何もかもを巻き込んで、それは世間が抱くであろう偏見の眼の正当性を支える道具に成り下がるだろう。
解き明かした真実が必ずしも人を救うとは限らないのだ。警察は満足げに一件落着するというが、事件が終わっても当事者らの人生は終わらない。予防不可能の突発的な犯罪のせいで、永遠に苦しめられるレッテルを貼り付けられるというのなら、それをこそ未然に防ぐことが正しいはずだ。助けてくれないくせに非を咎める連中ほど不愉快なものはないのだから。
「……そうかい。わかったよ。私は全てを認める」
だからさ、私はどうしても、警察との取引には応じられないんだよ。
「あの男を殺したのは私だ。そしてバラバラにしたのも私。動機は、そうだね、いわゆる愛情のもつれってやつかな」
途端、仙道麗子が息を吸い込むのがわかった。
私は背もたれに体を預け、彼女の眼を見やる。
さあ、反撃開始だ。
仙道麗子、あんたに私は倒せない。




