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黄金魂  作者: 天野東湖
第07話 友達のためにできること
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 西方町の駅前で三嶋と別れ、例の『曰く付きの屋敷』に差しかかったところで清水とも別れる。私の家は、その屋敷から五分ほど歩いた長屋にあるのだ。


 築七十年を迎える、昭和生まれの三階建てだ。どれも瓦葺(かわらぶき)で、屋上を物干しにしている。そのうち私の家は車道沿いに植木鉢を並べた玄関先であり、中に入ると、沓脱のすぐ右にある台所で夕食の準備をしている祖母と眼が合った。


「おかえり、遊。今日は早いのねえ」

「ただいま。水泳部の活動が一時休止になってね、それで早く帰ってきた」


 いつも割烹着を着ている祖母は、老いた年齢分のしわに負けない笑顔で出迎えてくれる。彼女の伴侶である祖父はとうに他界しており、父も母も同じくこの世にいないので、私の物心ついた頃からの思い出は、ずっとこの家とともにある。


 というよりも、それまでの記憶はなかったことにしていたと言うほうが正しいか。


「学校で何かあったのかい?」

「わからない。でも警察の人が来て、体育館の中をいったりきたりしてた。だからきっと、すごく大変な事件が起きたんだと思うよ」

「警察って……」


 たまらずといった様子で、祖母は台所から顔を出してきた。


「大丈夫、なのかい?」

「ああ、大丈夫だよ。授業は今までどおりだったし、もし何かがわかったら、学校側から改めて私たちに教えてくれるだろうからさ」


 祖母の言葉から振り切るように、自分の部屋へ向かう。鍵は横一文字の窪みがあるだけの貧相なものなので、じつは硬貨を持っていれば外側から容易に開けることができる代物だ。防犯としての機能はないが、泥棒に入られたことは一度もない。


 三嶋と清水には昨夜、まずはこれで私の部屋に鍵をかけてもらうように携帯のメールで指示している。後の言い訳は携帯電話から家にかければ済む話だ。私の口から直接話せば、祖母もあまり口うるさく言うことはない。

 ただし、祖母は間違いなく事件の真相を知らないと断言しておこう。私はあくまでも、独断による偽装工作として電話をかけたにすぎないのだから。


 その時、玄関の呼び鈴の音が鳴った。すぐに祖母が応対に出る気配がして、私は急いで車道沿いの窓際に身を潜める。


「――岸沢東方高校の一年、渋沢遊さんのお宅ですね?」

「は、はあ。あのう、どちら様ですか?」

「申し遅れました。私は岸沢警察署から参りました、刑事課の仙道麗子と申します。つい先ほど、御自宅に渋沢遊さんが戻られるのを偶然見かけたものですから、できれば少々、お話を伺えないものかと立ち寄らせていただきました」


 どうやら居留守を使うことはできないようだ。それにしても偶然見かけたなんて、あの麗子とかいう女刑事も白々しい演技をする。


 一つ溜息をつき、自分の部屋を出ることにした。






 刑事たちとの話し合いは、やはり一階の居間で行うことになった。昔ながらの卓袱台(ちゃぶだい)を挟んで、学校の応接室でも対面した男女二人の刑事が座っている。


 電源の入っているテレビには、夏に結婚したとかいう男性アイドルの浮気報道が流れていた。現在は結婚相手とも別居中で、しかも浮気相手と泥沼の渦中にあるらしい。


 あまりに場違いなのでテレビの電源を消した時、祖母がそれぞれの手許に湯飲み茶碗を卓袱台に置いた。やがて仙道麗子が口を開いた。


「お忙しい中、無断で押しかけ、失礼いたしました。その後の捜査で、改めて渋沢遊さんにもお伺いしたい点が幾つか浮上いたしましたので、ご協力いただけますか」

「勿体ぶった言い方は好きじゃないよ。どうせ断っても学校まで押しかけてくるんだろうから、できれば手短に進めてほしいね」

「すみません、助かります」


 傍らの男性刑事は、やはり素早く手帳を取り出してメモの準備に入った。まだ二十代とおぼしき外見なので、新人か若手あたりだろうか。


「早速ですが、お尋ねします。渋沢遊さんは、水泳部に所属しているとお聞きしました。なんでも、かなり優秀な選手だそうで、一年生ながら上級生と同じ練習に取り組んでおられるとか」

「先輩がたには、よく面倒を見てもらってるね。もちろん顧問の先生からも、だけど」

「その顧問の先生が、今朝がたに発覚した殺人事件の被害者だとしたら、どう思われますか」

「どうもこうもないよ。一度にいろんなことが起こりすぎて、実感が湧かないんだ」

「あまり驚かれないのですね」

「ついさっき聞いたからね」

「聞いた? どなたにですか?」

「同じクラスの、アステリアっていう英国人さ。七月から編入している美人だよ」


 隣の男性刑事がペンを走らせようとしたが、寸前で仙道麗子が制した。この情報は不要だという判断なのか、しかし私には意外な行動に見えた。


 いや、さほど不思議でもないか。アステリアは仙道宅に住まい、この女刑事は仙道彰の保護者であるのだ。謎めいた英国美人の詳細を、仙道麗子が知らないことはありえない。


「話を続けます。おそらく明日にも全校集会が開かれて情報が開示されるでしょうが、今朝がたの体育館で死体となって発見された被害者は、長年水泳部の顧問を勤めていました。そこで学校側から水泳部員の名簿を見せていただいたところ、偶然渋沢遊さんのお名前が浮上しましたので、被害者について詳しい話をお聞かせいただきたいのです」

「別に構わないが、そこまで親しい間柄ではないよ。顧問と部員という関係からは決して逸脱してはいないつもりだ」

「なるほど。ではあなたは、今回の殺人事件には、男と女であることが重要な鍵になっているとお考えなのでしょうか」


 今この瞬間ほど、自分の迂闊な発言を呪ったことはない。


「仕方ないだろう。男の先生が、わざわざ女子体育館の中で殺されたんだ。もしかすると、あの先生と誰かがじつは付き合ってた、なんて邪推はすぐに思いつくよ」

「心当たりがあるのですか?」

「あの先生、見てくれは不細工じゃないからね。かといって、誰かと付き合ってたなんて噂は聞いたことがない。ただ昨今の少女漫画じゃ、ありきたりだと言いたかっただけさ」

乙女的(ロマンチスト)ですね。渋沢遊さんはてっきり、現実と幻想の区別をつけておいしい漁夫の利を楽しむ人だと考えていました」

「おいおい、それじゃあ私が悪者みたいじゃないか」

「昼休みの聴取の、お返しです」


 言って、仙道麗子は湯呑みに手を伸ばす。どこまでが計算なのか、仙道彰と同じように真意が読めない表情だ。


「あ、あのう」祖母が身を乗り出した。「うちの遊が、何か疑われておるんでしょうか」


 仙道麗子はすぐに首を横に振った。


「そういうわけではありません。生前の被害者がどのような人物なのかを把握するためには、以前から交流のあった方々に直接お話を伺うのが一番です。渋沢遊さんは、被害者が顧問を勤めていた水泳部に所属しておられたので、水泳部員から見た被害者の印象なども参考にさせていただきたいのです」


 やはり、油断ならない。

 も、参考にしたいのか。


 祖母はとりあえずの納得で溜飲を下げたのか、再び正座の姿勢に座り直してお茶を(すす)る。


「渋沢遊さんのご活躍は、同期生のみならず、上級生の水泳部員からも幅広く伺っております。しかも昨年は、中学生の全国大会で二位の成績だったとか。それほど優秀な選手が水泳部に所属したとあっては、たとえ一年生といえども、顧問が注目しないわけにはいかないでしょう。少なくとも、他の同期の方々よりも積極的な交流があったと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか」

「お察しのとおりだよ。記録を見ればわかるけど、非公式ながら上級生に負けず劣らずの成績を維持していたからね。部長と同じくらい、顧問ともよく話し合っていたと思うよ」

「その顧問ですが、渋沢遊さんから見た彼の人物像は、いかがなものですか?」

「少なくとも、女子部員を食い物にするような男ではないね。だから私たちからの信頼も厚かった。あの先生の言動には必ず意味があると信じて、練習に励むことができた」

「その先生が、体育倉庫で殺害されました。しかもわざわざ女子側の体育倉庫で、です。このことを訊いて、あなたはどう思いましたか?」

「現実的じゃない、と頭が混乱するだけさ。そもそも、顧問の先生がいつ殺されたのかもわからないのに」

「遺体の損壊があまりにひどく、精確な推測はできませんが、多くの目撃情報とも照らし合わせた結果、被害者が殺されたと思われる死亡推定時刻はおそらく、昨夜の六時前後だと想定しています。十八時十五分前には、被害者を探していた教職員のかたが一度、体育倉庫に鍵がかかっているのを確かめておられますから」


 どんぴしゃりの測定だ。科学捜査というもののおそろしさを改めて思い知らされたが、死体を一つ取り上げただけで、一体どれほどの情報を得られるのだろう。


「昨夜の六時か。私たちが学校を出た時間だな」

「あなたが十八時きっかりの時刻に教室に残っておられたのは、担任の先生からも伺っています。しかしもしよろしければ、その後の行動も詳しく聞かせていただけませんか」

「もちろん、断る理由はないよ。ただ、どこから話せばいいのかな」

「学校を出たのは、何時頃ですか?」

「さすがに時計は見てないな。わからないと答えるしかない」

「では学校を出た後は、どうされましたか?」

「まっすぐ家に帰ったよ。商店街を北に抜けて、駅前に着いて――ああ、そういえば一つ思い出した」


 男性刑事がぐっと前屈みになるのがわかった。仙道麗子の眼は鋭い。真正面から見返すのは相当の勇気がいる行為だった。


「本当は電車を使って西方町に行くんだけど、その日は馴染みのスポーツショップに立ち寄ってみようかと思って、目抜き通りを歩いたんだった。別に何か買う予定もなかったし、実際は店に入る前に雨のせいで立ち寄る気が削がれてしまって、結局は徒歩で西方町まで移動することになったというだけの話でね。ほんと、あの時は三嶋と清水に迷惑をかけたと思うよ」


 これは駅構内の防犯カメラに映らないよう、考えた工作だった。もし三嶋と清水だけが映っていた場合、私はどこに消えたのかと疑われるからだ。


「つまり学校から御自宅まで、どこにも立ち寄らずに徒歩で移動したというわけですね」

「そういうことになるね」

「参考までに、そのスポーツショップの名前と場所を教えてもらってもいいですか?」


 これは打ち明けても支障がないので、勿体ぶる必要もなかった。東方駅と西方駅の線路沿いに伸びている大通りにある店だ。若い男性刑事は黙々と情報を記録している。


「御自宅に戻られたのは、何時頃ですか?」

「じ、十九時ぐらいだったと、思います」祖母が答えた。「その日は、遊の帰りがいつもより遅かったので、憶えとるんです」


 得心がいくように仙道麗子が頷く。東方町から西方町まで、徒歩で約一時間という移動距離はさほど不自然ではない。


「御自宅に戻ってからは、どこにもお出かけになられませんでしたか」

「部屋に、おりました。遊は、具合が悪いからと、ずっと部屋におりまして」

「実際に部屋の中に入って、その姿を確かめましたか?」

「ああ、いえ、電話を……」

「電話? 失礼ですが、親機を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」


 祖母はもちろん承諾し、仙道麗子を階段横に置いてある固定電話機へと案内する。


 ただし我が家のそれは、骨董品の黒電話なのだ。プッシュボタン式ですらない、大昔のダイヤル式のもの。つまり子機などないわけで、当然ながら相手の登録情報が表示される液晶画面も存在しない。


 仙道麗子はもう一つ、私の部屋の様子を窺うために二階へと移動した。しかし中に足を入れた物音はせず、二人は再び居間に戻ってくると、卓袱台に座り直した。


「渋沢遊さんは、携帯電話から、家の固定電話に繋いだのですか?」

「それしか、祖母と連絡を取る方法がなかったからね。どうしてだか急に気分が悪くって、部屋から出る気にならなかったんだ」

「携帯の履歴を見せていただいても?」

「どうぞ」


 自前の携帯電話を操作していると、男性の刑事がそれを受け取って観察していた。午後九時頃の履歴を見せると、携帯電話はすぐに返してもらえた。


「具合が悪くなる原因に、心当たりはありますか?」

「いや、ないね。たぶん疲労かもしれない。最近は文化祭の準備に精を出し続けていたし、ちょっと前には度肝を抜くような肝試しもしたからね。水泳部の活動だって決して楽ではないから、いろいろな疲労が積み重なって一気に爆発したのかもしれない」

「確かに、日頃のストレスは体に良い影響を与えませんからね。御自宅に戻ってからは、ずっと部屋にいたと把握してよろしいですか?」

「信じてくれるならね」

「ありがとうございます。とても参考になりました」


 要するに、あの男が殺害された時刻からの私のアリバイは皆無に等しい、という参考を得られたという意味だろう。だが逆に、他の二人については証明できるはずだ。彼女たちには当日、深夜のあらゆる時間帯において、できる限り人目に触れてもらうように指示しているのだから。


 ふと仙道麗子が立ち上がった。それを見て、隣席の男性刑事も立ち上がる。


「お邪魔いたしました。また何かお伺いすることもあるかもしれませんが、その時もまた、よろしくお願いします」


 早く帰ってくれ、と心の中で何度唱えただろうか。祖母は粗相のないように愛想笑いを浮かべるが、内心は私と同様、とても平静ではいられないはずだ。そしてやはり、連中が去ってくれることに心底安堵している――。


「そういえば、渋沢遊さん」


 その、わずかな隙を突くように、仙道麗子が敷居の手前で振り返った。


「事件の決着は、案外早いかもしれません」

「なんだって?」

「じつは体育倉庫の、ある証拠物件から、血痕付きの指紋が検出されました。それはどの体育倉庫にもあるもので、なおかつ指紋の形状から、その血痕付き指紋が外側から触れたものではなく、内部から触れたものだと推測できます。しかもその血痕は、間違いなく、被害者のものであることが判明しました」


 真実の掌で赤い果実が握り潰される、そんな圧迫感が胸を支配した。その瞬間の自分の表情まではわからないが、仙道麗子は口元を少しゆるめた顔で私を見下ろしている。


「だから、どうだというんだ?」

「犯人がどのように密室を作り、脱出したのかが、判明したということです。全く、おそるべき執念だと舌を巻きました。計画的でない殺人は、その動機が衝動的だったことを裏付けていますが、それにしても咄嗟にあれだけの隠蔽工作を実行するとは驚きを禁じ得ません。よって犯人は、どのような意図があってかはともかく、並大抵ではない強靭な精神力を駆使して犯行に及んだはずです。問題は、なぜあれほど過激な隠蔽工作をする必要があったのか、ですが……」


 私たちはお互いを見つめ合った。それが数秒ほどの時間か、あるいはもっと長い時間をかけた凝視だったかはわからない。


 やがて刑事たちは、ありきたりの世辞を口にして玄関から姿を消した。あの仙道麗子は想像を絶する速度で、私に引導を突きつけようと向かってきている。おそらく明日には、なんらかの動きが見られるだろう。


「遊……。あんた、本当に大丈夫なんだろうねえ」


 祖母の問いかけに、当然私は、ありきたりの生返事しかできなかった。


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