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案内された場所は、本館の二階、廊下を挟んだ職員室の向かい側にある応接室だった。白い廊下に木製のドア。室内にはセンターテーブルをぐるりと囲むように、一人掛け用と三人掛け用のソファが置いてある。
そのうち、私と清水は上座の三人掛け用に座らされた。採光窓に背中を向けさせるのは、相応の相手の意図があるからだろうか。真正面の一人掛け用には、それぞれ男女の刑事が腰を下ろした。私の真向かいには、若い男の刑事がいる。
よって、清水の正面には必然と、あの仙道麗子が座る形となった。
「突然お呼び立てして、申し訳ありません。すでにご存じとは思いますが、体育館で発生した事件のことで、二、三お訊きしたいことがありましたので、任意同行させていただきました」
仙道麗子は、一回りも歳が離れていそうな私たちが相手でも居丈高にしない女性のようだった。それだけに好感が持てる分、油断できない知的さが見え隠れする。
私が同行すると言っても拒絶されなかったのは、彼女の同意あればこそだった。
「それで、私たちに訊きたいことというのは?」
「そちらのご友人、清水菜月さん、と仰るそうですね。彼女が、体育館で死亡する直前に被害者と会っていた人物の一人と聞きましたので、その事実確認を行いたいのです。もちろん発言を拒否されても構いませんが、その場合、特別な不都合があるかもしれないぞと、我々も勘繰らざるを得なくなることをご理解ください」
「不都合なんてないさ。ただね、清水はそういう意味で発言に支障が出てしまうわけじゃないことを、刑事さんにも知っておいてもらいたくてね」
「窺っています。ただし吃音症は、考えている時でも、どもるわけではありません。私の質問に対し、適切に、ありのままの真実を『YESorNO』で答えていただければ充分です。その際、首を縦に振ることを同意とみなし、横に振ることを否定とみなします」
「わからない質問があった時は、どうすればいいんだ?」
「細かなニュアンスの違いがあれば、適宜、私のほうで質問を繰り返します。また、どうしても複雑な回答を求める質問であれば、その際は、こちらで用意した紙とペンを使って答えていただきます」
男の刑事が、さっと素早く紙とペンを清水の前に置く。
「それからもう一つ。渋沢遊さんには特別に同行を認めましたが、我々は必ずしも、あなたの発言を求めているわけではありません。従って、我々が許可をしない限り、清水菜月さんへの質問の途中で口を挟む行為は慎んでいただきます。もしこれが認められない場合、強制的に退室いただくこともありえますので、その前提はお忘れなく」
「わかった。発言したい時は手を挙げておくよ」
「お願いします」
そんな絶妙の空気を見計らったかのように、室内に入ってきた別の誰かが私たちの前にオレンジジュースを置いて退室していった。向かいの刑事たちには湯気立つ湯飲み茶碗を置いている。
その時、ふと思った。仙道麗子が私の同行を許したのは、たんに清水菜月にとって口を開きやすい環境に整えるためではないのか。少なくとも気心の知れた友人が隣で同席していれば、緊張感もある程度は和らぐだろうと考えて。
「では早速、質問を始めます。我々が聞いた話によると、清水菜月さんは体育倉庫で物を借りたいという用事があり、職員室を訪ねていますね。これに間違いはありませんか?」
清水は頷く。問題はここからだ。事件の流れを再確認するという意味でも、この聴取は重要な価値がある。男の刑事も、自分の手帳を開いている。
「清水菜月さん。あなたは職員室を訪ねた時刻を憶えていますか?」
清水はセンターテーブルに身を乗り出し、提供された紙に時刻を記入した。老齢の方も見やすいだろう筆跡で十六時五十分前後と書いてあり、それを見て仙道麗子は頷いた。
「我々が確認したところ、この時点までは、被害者も特に変わった様子はないとのことでした。それは清水菜月さんが職員室を訪れる前、少なくとも一か月前後まで記憶を遡っていただいた同僚の教職員の方々から得られた証言です。そして昨日、清水菜月さんが職員室を訪れた際、被害者の横に座っていた同僚の男性から得られた証言でも、同様の回答をいただきました。その方は、さらにこうも話してくれています。被害者は、普段と変わらない様子で清水菜月さんの要求を受け入れ、体育倉庫の鍵を持って職員室を出ていったと。なぜなら当時、体育倉庫の鍵を保管しているはずの女性職員は、悪天候のために早々に帰宅なされているそうでしたから」
矛盾のない流れだった。しかし、だからこそ私は強い疑念を抱かざるを得ない。今回の事件で唯一、私が解せないのは、あの男がなぜ清水を襲ったのかということだ。女性へのそういう悪趣味な偏向があったとは、どうしても思えない。
むしろ潔癖。水泳部の顧問というだけあって、部員全員を歯車のようにしか見ていない徹底した指導に、かえって私たちからの信頼も厚かったというのに、一体なぜ。
それとも、たんに私の見る眼がなかったというだけの話か。あの男の特殊な秘密を見抜けなかった、私自身の認識が甘かっただけなのか。今となっては、もはや何もかもが後の祭りだが。
「当時、清水菜月さんから見て、被害者の様子はいかがでしたか? 不自然な点、または疑問点があれば、どんなに些細なことでも話してください」
これは私も気になるので横槍を入れなかったが、清水は長考した後、かぶりを振った。やはり奇妙な変化はなかったらしい。
「……では話を続けます。清水菜月さんは、被害者とともに職員室から出た後、どこにも立ち寄らずに体育館へと入っていった。これに変更はありますか?」
清水は首を横に振る。
私の耳の裏が少し熱くなった。
「昨日は雨が降っていましたが、当然、お二人は傘をお持ちだったはずですね?」
これには清水も同意した。昨日はずっと雨だったのだから、ずぶ濡れで体育館まで走る阿呆はいないはずだ。
「その時にお持ちだった、清水菜月さんご自身の傘は、どのような色と形をしていたか。憶えていますか?」
家にある、と清水は記述した。その傘を警察が預かってもいいかという質問に、彼女は少し戸惑ったものの、やがて首肯した。しかし、あの男の傘がどのような形状だったかについては、わからないという意味合いで首を横に振っている。
私もよくわからないが、傘如きで、一体どんな捜査の役に立つのだろうか。
「体育館に入った後、お二人はまっすぐ体育倉庫に向かいましたか?」
清水は頷いた。その時こそ彼女は、あの男に襲われたのだ。おそらく不意打ちで、最も信頼していた学校の教師という立場を利用して。
「体育倉庫では、どのような物を借りたいと相談したのですか?」
竹馬、と清水が書き記す。
そこで初めて、仙道麗子の表情に微細な変化が生じたのを私は見逃さなかった。聴取の質問が途切れたのは、一瞬のうちに幾通りもの想像が脳裏をよぎったからかもしれない。
「当時の体育倉庫に、竹馬はありましたか?」
清水は首肯する。
「その時、被害者の方に、なんらかの変化はなかったですか? たとえば、どんな目的で竹馬を借りたいのか、それを執拗に尋ねてきてなかなか解放してくれなかったとか」
清水はやや顎を引いた後、小さく否定の意を示した。だが、素人の私が見てもわかってしまうほど、彼女は腋を締めて身を小さく緊張させていた。
私はすぐさま手を挙げた。しかし発言は認められなかった。それでも意地になって鋭い眼で睨むので、仙道麗子は渋々といった様子で話を進めることになった。
あるいは、今の時点では深く追究しても、清水の思考を閉ざしてしまうだけに終わると計算を巡らせただけなのかもしれない。現時点では、相手連中も容疑者の絞り込みにまだ余念がないはずだ。
「他に、体育倉庫で気になった点はありますか? あるはずの道具がなかったとか、逆に倉庫にあるはずのない物が置いてあったりなどは、いかがでしょう」
俯き加減のまま、清水は否定した。つらい嘘だった。だが自分自身を守るための嘘だと理解してくれているからこそ、清水は容赦のない刑事の質問にもなんとか応えていられるのだ。彼女は当時、周囲の様子など見る余裕もなかっただろうから。
頑張れ、と私は心の中で応援した。そうすることしかできない自分の無力さがとても憎い。
「では清水菜月さんの記憶では、体育倉庫から竹馬を借りた後、何事もなく体育館を出ていったと、我々も受け取ってよろしいでしょうか」
やはり俯いたまま、清水は頷く。まともに仙道麗子と眼を合わせられないのは、当時に乱暴された記憶が再びよみがえってきているせいかもしれない。センターテーブルで死角となった膝の上の両手を、彼女はぎゅっと握りしめている。
私は咳払いをして、オレンジジュースに口をつけた。はっと我に返った清水が、同じくオレンジジュースに手を伸ばして嚥下した。一息ついて少しは気持ちが静まってくれるといいのだが。
「質問を続けます。清水菜月さんは、被害者とは体育倉庫から別行動になりましたか? それとも体育館を出て、すぐの別行動でしたか?」
清水は、一度不安そうに私を見て、それから慎重に考え込むように、ゆっくりとペンを手に持ってから、体育館を出てからと記述した。さらなる質問に、体育倉庫にはきちんと鍵をかけてから、と返答している。
「確認しますが、体育館を出てから、被害者とは別行動だったわけですね?」
今度は仙道麗子の眼を見返しながら、清水が首肯した。念を押すような質問に、多少の苛立ちを感じたのかもしれない。
「結構です。さて、あなたはそうして被害者への相談を終えて、体育館から無事に竹馬を借りたわけですが、その後はどちらに向かいましたか?」
自分の教室へ、と清水が書いていく。途中の廊下などでも誰とも会っていないと書き、竹馬を借りる理由については、文化祭の出し物として必要だったから、と記入した。私の指示だったとは書いていないが、それは隠すべき情報でもないので特筆することはない。
「文化祭の出し物というのは、具体的にどのような企画だったのですか?」
お化け屋敷、と書くのを見届けて仙道麗子が頷いた。それから彼女は私を見てくるので、そこでようやく発言が求められているのだと察した。しかし、気づきにくい。
「もちろん、クラス全員が知ってる話だね。担任も知ってるし、隣のクラスの連中も例に漏れない。竹馬を借りたのは、ちょっとした壁紙の具合を確かめるのに必要だったんだ。高さとか横幅とか、そういうのを全体的に眼で見て測定したくてね」
「企画の提案をどなたがしたか、憶えていますか?」
「さすがに難しいね。企画といっても、まずは出し物の多数決から始まった。だから誰がどんな発言をしたかなんて、いちいち憶えちゃいないよ」
「では、清水菜月さんはいかがでしょう。お化け屋敷の企画を誰が言い出したか、憶えていますか?」
しかし彼女は首を横に振った。実際そのとおりだろう。多数決が決まったのは二週間も前の話だ。当時の発言を一部始終、全て憶えている人物などいるはずがない。
「竹馬を借りた後、誰とも会わずに教室へと戻り、出し物の準備作業に専念した。我々が把握したこの流れに、間違いはありませんか?」
清水は頷く。私も同意した。
「その準備作業には、具体的に、何時から何時までだったと憶えていますか?」
ここで清水は不安そうに私を見た。これは予想していなかった質問だからだろう。かくいう私も、ここでの発言には慎重を期さねばならないことを痛感している。
私が体育館に向かう前、教室には担任の先生が顔を出していたし、その前に下校案内の放送が流れていた。つまり、その時にはもう教室には私しかおらず、時刻はすでに午後の六時を迎えている。
「……清水が戻ってきた時刻は知らないが、作業を終えたのは、確か六時十五分ほど前、だったかな。竹馬を返しに清水が教室を出て、それからすぐ三嶋が後を追ったのも、確かその時刻だったと思う」
「渋沢遊さん。有意義な証言の提供は痛み入りますが、我々は今、あなたの発言を求めていたわけではありません」
「おっと、それは失礼した。つい、口が滑ってしまって」
「まあ、いいでしょう。ただ、三嶋という発言が気になりますが」
「友達だよ。昨日は私たち三人で、遅くまで作業していたからね」
「三嶋さんは、清水さんが職員室へ向かい、竹馬を借りて戻ってきてからも、ずっと教室で作業をしていたのですか?」
「そのとおりだ。付け足すことは何もない」
「では、当時は他に、誰も教室にはいなかったということですね? あなたがた三人以外には」
「そうなるね。ただ、同じ時刻に他のどこかで別の同級生がいたとしても、私たちは知る術がないけど」
「参考になりました。――それで、先の質問ですが、清水菜月さんはいかがですか?」
清水はしばらく思案げに眼を伏せた後、私と同じ回答を記述した。そしてさらに続きを書こうとして、ふと思い出したようにペンを止める。何か余計なことをしてしまったと、後悔した瞬間の表情に似ていた。
「どうかしましたか? 何か気になることがあれば、遠慮なく記入してください」
仙道麗子はそう言ったが、清水は不潔な物から手を放すように紙とペンをセンターテーブルに置いた。白紙には私が発言した時刻とほぼ同じ記入以外、何も書かれていない。
清水は、その先を書こうとしてペンを止めたのだ。
では、何を書こうとして、思いつきを止めたのか。
……ああ、そういうことか、と私は合点した。そして清水の優秀さに、心から救われた気分になる。そういえば仙道彰も言っていたな、彼女はじつに優秀だと。
「質問を続けます。清水菜月さんは、少なくとも渋沢遊さんと、十七時四十五分頃までは、自分たちの教室で出し物の準備作業を行っていた。それから竹馬を返しに教室を出たとの話ですが、次に、どちらに向かいましたか?」
ここだ。清水はここで、ふと落とし穴に足を踏み外しそうになったのだ。借りた道具を返すためには、まず職員室に立ち寄らねばならない。体育倉庫に鍵がかかっているのは、すでに清水自身が記入しているためだ。
しかし実際には、彼女は職員室には行っていない。また、同じ理由で三嶋も職員室には出向いていない。では、教室を出てから職員室には向かわずに、彼女たちは一体どこを歩いていたのか。
うまい嘘を、即席で作る必要があった。
「……そういえば、一年校舎を出た時、体育館に向かう影を見かけたって言ってたよな」
三人の眼が一斉に私へと向けられる。清水は驚きの眼差しだが、刑事らのそれは不快を物語っている。
しかし、ここが正念場だ。私は構わず独り言を続けた。
「刑事さん、聞いてやってくださいよ。清水たちは確かに、体育館に入っていく不審者の影を見たっていうんです」
「渋沢遊さん」
「でも、中に入っても誰もいない。もちろん体育倉庫には鍵がかかってる。だからすごく薄気味悪くて、すぐにその場から逃げ出したそうですよ。竹馬は置いてきちゃったとか、言ってたかな」
「渋沢さん」
「私たちはさっきまで、お化け屋敷の準備に苦心してましたからね。幽霊でも見たんじゃないかって、六時をすぎて二人が戻ってきた時は、下校中もその話で盛り上がりましたよ。なあ清水」
突然水を向けられ、彼女は戸惑いながらも事情を呑み込むように首肯した。仙道麗子の私を見る眼がきつくなったが、背に腹はかえられない。
案の定、仙道麗子は眉間にしわを寄せて腕を組んだ。背もたれに体を預け、思い出したように湯飲み茶碗を唇へと運ぶ。ことり、と静かにそれが長机に置かれた。
「渋沢遊さん。訊かれてもいないことをぺらぺらと喋るのは、その人物に必ず後ろめたい理由があるからだという、我々の経験則を安易に刺激する行為に繋がります」
「おっと失礼。また口走ってしまったかな」
「我々は、警告を無視する者をいつまでも野放しにしておくほど、暇を持てあましているわけではありません。まことに残念ですが、渋沢遊さんには退室していただきます」
男の刑事に連行され、私は強制的に応接室から締め出されてしまった。だが、大まかな事件の流れは再確認できたし、三嶋との口裏合わせにも早急な手直しが必要なので、このタイミングでの締め出しは逆に助かったとも言えるだろう。
仙道麗子が三嶋への聴取を始める前に、彼女とは事前に打ち合わせを済ませておかねばならない。私は携帯電話を取り出しながら、駆け足で教室へと戻ることにした。




