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黄金魂  作者: 天野東湖
第07話 友達のためにできること
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 翌日。

 路傍(ろぼう)の水溜まりに、白雲が浮かぶ青空が映っている。


 東高に登校すると、やはり案の定、正門の前に人だかりができていた。体育館の倉庫にあるものを誰かが見つけて、通報したせいだろう。数台のパトカーに加え、警察関係者のものらしき車も停まっている。


 対面通行が、片側通行になっていた。女性の制服警官が、たった一人で交通整理用らしい誘導棒を持って立っているが、早くもうんざりした顔を見せている。さすがに早朝では頻繁に車が通ることはないはずだが、登校する生徒全員が興味深そうに彼女を見るからかもしれない。手持ち無沙汰で衆目に晒される気の毒な仕事に、私は少し同情した。


 背後で急停車した音が聞こえたのは、その後すぐだった。上品で美しいアルミボディの外観。車体に装飾されている独特の紋章は、いくら車の種類をよく知らない私でも憶えがある。


 獣の名を冠するそれの運転席から、キャビア色の高級感に溢れたパンツスーツ姿の女性が現れた。颯爽と、まるで今から暴力団とでも格闘するかのような気力にみなぎった姿勢は圧倒的ですらある。長身で細身、しかし少しも脆弱と感じさせない聡明さと自信を滾らせている、力強い眼差し。


 どこかで見た覚えがあった。だが思い出そうとする間に、交通整理に従事していた制服警官の女性がたちまち眼を輝かせて敬礼する。


「せ、仙道麗子さんですね! ご活躍の噂はかねがね――」

「挨拶はいいわ。現場はどこ?」

「は、はい! 女子側の敷地にあります、運動場を挟んだ向かい側の建物が体育館です。現場は、その中の倉庫になります」


 仙道麗子と呼ばれた女性は即座に眼を鋭くし、奥の敷地へと歩を進める。殺人事件で私服警官が現れたなら、彼女の正体は一つしかないだろう。あれが刑事の眼なのかと思うと、私の覚悟もさらなる強靭さが要求される。


 それにしても、予想外の死角から仙道の名を聞かされる羽目になったものだ。記憶にはまだ、先日の屋敷に隠されていた過去の映像が鮮明に刻まれている。仙道麗子とはつまり、仙道彰の母親にあたる女性なのだ。


 一家団欒とはあまりに無縁そうな家庭環境だと考えながら敷地を進むと、体育館をぐるりと囲む黄色のテープが張り巡らされているのが見えた。そこに制服警官が複数人も立ち尽くし、玄関のあたりを這いつくばるようにして作業に無心している大勢の男たちの姿も見て取れる。おそらく、あの男たちが鑑識とかいう連中なのだろう。先ほど見かけた仙道麗子はすでに体育館の中に入ってしまっているらしく、どこにも姿が見当たらない。


 できる限り平静を心がけているつもりだが、胸の緊張を抑えることは叶わないようだ。警察との戦いの火蓋が切って落とされたのだと自覚すると、今後の私自身の言動についても細心の注意を払わなければならない。


 人知れず深呼吸をする。

 もう一度、体育館のほうへと眼をやった。


 立入禁止らしいテープ区域の前で、神崎茜が体育館の玄関奥を覗き見ている。どうやら相当警察の動きが気になるらしい。現場に近づくのは危険だが、友達に声をかけないのも不自然な気がして、私は結局後者を選ぶことにした。うまくいけば警察の捜査状況などが入手できるかもしれない。


 そんな邪念を抱いているとは露ほども知らないだろう彼女に挨拶すると、神崎は嬉々と表情を変えて白い歯を見せた。相変わらず子供受けしそうな笑顔をする。


「朝から騒々しいね。何かあったのか?」


 制服警官の男性にも聞こえるように、我ながら白々しい質問を投げかけてみる。体育館のポーチはコンクリート製で、観音開きの木製のドアがあるが、今はその扉が完全に開ききっていた。写真撮影の音が頻繁に聞こえてくる。しかし、この体育館の中に何人の警察関係者が詰めているのかは窺い知れない。


「殺人事件みたいだよ。しかも被害者は、うちの学校の先生かもだって」

「先生が?」

「へへ、あたしってば耳に自信があるんだ。――ここだけの話、刑事さんらの会話はほぼばっちり盗み聞きしておりますぜ、旦那」


 少なくとも、神崎の地獄耳が侮れないことはわかった。先日の『曰く付きの屋敷』での一件もそうだが、彼女はあらゆる面で規格外の実力を隠し持っている。要注意人物の一人だと念頭に置くべきか。


「ひどい事件だな。第一発見者には同情するよ」

「それが、第一発見者は女性の体育教諭らしいのね。あたしたちの知らないほうの人ってこと。で、その人が自分で倉庫の鍵を開けたら、危うく卒倒しそうになるほどの無残な光景を見ちゃったんだって。だから慌てて職員室に戻って通報したみたい」


 女性の体育教諭は二人いる。神崎のいう人物は、私の記憶が正しければ陸上部の顧問を務めているはずだ。水泳部の顧問だったあの男と、親しい間柄にあったかどうかはわからない。


「無残な光景というと、結構猟奇的なのか?」

「それが」神崎は声を潜めた。「倉庫の中は一面が血の海で、殺された先生は、体の中を空っぽにされてたんだって。でもね、なくなってるわけじゃないんだ。むしろ見せつけるように倉庫内のそこら中に置き捨てられて、ぐちゃぐちゃだったらしいよ。蛍光灯にソーセージが垂れ下がってたら、そりゃショッキングなんて光景じゃないよね」


 私は少し立ち眩みがして、息を吐いた。体温が少し下がった感覚に襲われている。どうやら私は、今はまだ人間らしい感傷を持ち合わせているようだ。それを喜ぶべきかそうでないかは、正直わからない。


「……神崎は、まるで中を見てきたように言うんだな」

「見知ってる人が中にいるから、その人の声だけを聞き分けてるの。だから今のは、その人が使った表現をそのまま口にしただけ」

「見知っている人というのは、もしかして仙道麗子のことか?」

「ありゃ、知ってるんだ?」

「さっきジャガーに乗って正門に現れてね。ああいう恰好いい女性は、どうしても人目につくものさ」

「うんうん、麗子さんってば本当に恰好いいよね。彰の車好きもあの人の影響があるからなんだ。でも悪い事件が続いたから、彰はいろいろ変わっちゃって……」


 そういえば、仙道彰の子供の頃の姿というものを想像したことがなかった。しかし今頃思い浮かべようとしたところで、現れるのは何を考えているのか全くわからない無表情の子供だった。


「仙道麗子という人は、いわゆる彼の母親なわけだろう?」

「そうだよ。麗子さんが刑事さんで、父親の恭一郎さんが私立探偵をしてたの。どっちもすごく頭が良くて、仲睦まじい夫婦だったなあ……」

「夫婦、だった?」

「別に離婚したってわけじゃないよ。彰の家には、いろいろな因縁があるんだ。本当に、いろいろね」


 これ以上は仙道家のことを詮索するな、ということだと察した。ならば頭を切り替えるのは早いほうがいい。


「もう少し、倉庫の話をしていいか? どうやら私もまだ、野次馬根性が抜けないみたいでね」

「どうぞどうぞ」

「殺された先生の状況はわかったが、第一発見者の先生は自分で倉庫の鍵を開けたという。だとすると、鍵を開けるまで倉庫は密室状態だったというわけか? 確か、あの部屋には窓すら付いていなかったはずだが」

「そうそう、不思議だよねえ。鍵は被害者の体の中にあったみたいだから、犯人は密室にした倉庫で、わざわざ先生の体を切り刻んでいったわけでしょ? どうしてそんなことをする必要があったのかな? それに犯人は、その後どうやって脱出したんだろう。大体、体育倉庫で殺す必要があったのかどうかも疑問だって麗子さんは言ってたし、バラバラにした凶器も発見できてないんだって言ってたなあ。後は確か、単独犯か複数犯かについても特定を急がなきゃって言ってた気がする」


 さすが、殺人事件を専門としている刑事は思考回路が違う、と素直に感服した。私は今から、仙道麗子も含めた刑事全員を相手にしなければならないのだ。

 気を引き締めねばならない。すぐ隣にいる神崎茜をも欺くほどの演技を透徹しなければ、三嶋と清水を守ることはできない。


 聞かせるように溜息をつく。神崎は怪訝そうに私の顔を覗き込んできた。


「大丈夫? やっぱり気持ち悪いよね、こんな話」

「殺人事件なんて、滅多にお目にかかれるものではないからね。一年に二回も経験して、しかも今回は猟奇的だっていうんだろう? 正直に言えば、あまり慣れたくない話だよ」


 私は体育館から背を向けた。立入禁止区域に踏み込まない限り、ここは日常的な学校の敷地内だ。少なくとも(からす)でさえ眼を背けるような、血液と臓器と骨肉で彩られた陰惨な地獄の瘴気を浴びることはない。その外側に立ち、生徒という名の青い森の中を歩くことができる。


「私は一足先に教室に戻っているよ。神崎はどうする?」

「あたしはまだ残ってるかな。久しぶりに麗子さんと話せるかもしれないしね」

「そうか。あまり無理しないようにな」

「あっ、渋沢さん!」


 突然の呼びかけに、ぎくりと足を止めてしまう。

 振り返ると、神崎は不思議そうに私を見ていた。


「なんだ?」

「……変なこと訊くかもだけど、何かあった?」

「いや、何も」私は笑窪(えくぼ)を作った。「何もないよ」


 神崎と別れ、教室に入る。


 三嶋と清水が真っ先に駆け寄ってきた。不安そうに表情を曇らせる三嶋と違い、清水はあまり顔色が変わった様子がない。吃音症のことを誰にも理解してもらえなかった昔みたいに、何もかもを諦めてしまっているような、その表情。


 まるでこれから先、何が起きても、その流れのままにどうにでもなれ、とでも言わんばかりに。


「遊ちゃん……」


 だから私は、二人の頭を撫でてやるのだ。

 大丈夫だから安心しろと、言い聞かせて。


「何があっても、それは全て私の計画どおりだ。お前たちは、聞かれたとおりのことを、体験したとおりに話せばいい。全ては打ち合わせのとおりにだ。いいな?」


 二人は緩慢とした動作で頷いた。アリバイさえ完璧なら、彼女たちへの疑いはあくまで可能性の一つに限られる。そして密室の存在が、二人を守護神のように保護してくれるだろう。


 賽はすでに投げられた。

 鬼が出るか蛇が出るか。


 不意に、仙道彰が私を見つめる姿が脳裏をよぎった。だがそれは、笑い話にもならない妄想だ。軽く頭を振り払い、私は小さく拳を握る。


 ――昼休みを迎えた教室で、覚悟していた時間がやってきた。廊下から清水を呼び出す教職員の隣には、あの正門前でジャガーとともに現れた仙道麗子の姿がある。


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