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「奥座敷とは、今俺が立っている座敷のことだ。ここは家族だけが使う場所で、茜たちのいる座敷は基本的に、表座敷と呼ばれる。あちらは客間だと解釈して差し支えない」
説明されれば、じつに合理的な名前だった。座敷わらしは家の盛衰に関わる神様なのだから、家族が使う奥座敷で祀られるのが当然なのだろう。
「日記から読み取るに、おそらく社会的に抹殺された時期と同じくして、彼女のもとには時折、友人と名乗る人物が現れ始めている。十五歳の出来事だ」
「私たちと同じ年齢だな」
「岩倉葉子の不思議な友人は二人いる。一人は白い着物を身につけた少女で、もう一人は赤い着物を身につけた少年だ。どちらも岩倉葉子よりずっと幼い、推測でしかないが六歳前後だと仮定できる子供たちだ」
「……まさか、その二人が、座敷わらしだとでも?」
「岩倉葉子にしか見えない子供の友達だ。現代における座敷わらしのイメージは諸説あるが、当時の座敷わらしへのイメージは、もっと生活に密接した根本的なものだった」
「どういうことだ?」
「古来より国民にとって、飢饉はとにかく忌避すべき災いだった。最たる例でいえば江戸時代だが、こちらは江戸の四大飢饉と呼ばれるほど災禍が集中している。そのため多くの村々では、こうした飢饉を乗り越えるために、やむを得ず七歳以下の子供を間引く風儀が執り行われることとなる」
「間引く……?」
「俗にいう『人身御供』だ。長男だけが家督を相続する時代だったので、飢饉などのどうしても不可避な災害に対する超法規的措置として、七歳以下の子供を区別的に殺す行為を間引くという。とおりゃんせのわらべ歌は知っているな?」
私は頷くだけで精一杯だった。現代とはあまりにかけ離れた話が、急に現実さながらの質感をともなって記憶を掘り出してくる。
「当時、七歳以下の子供たちを『神の子』だとする共通認識があり、だからこそいつでも神にお返しするという概念が存在した。それを現実的に実行するため、さまざまな方法で子供たちを神のもとへとお返しし、飢饉を乗り越えようとしたわけだ。乏しい食糧で、貧しい生活を支えなければならなかったのだから、間引く行為を口減らしとも呼んでいた」
「気味の悪い話だ。現実の出来事だとは考えたくもないな」
「間引きされた子供の亡骸は、殺害道具だった石臼とともに玄関や台所などに埋められる。誰もが足で踏む場所に遺体を置くことで、間引きが、その地域共同体の承知の供犠であるという懺悔の意味合いを込めるためだ。昔の農村というものは、ほぼ例外なく閉鎖社会で、地縁的にも血縁的にも濃密な繋がりがある。村八分や異人殺しという言葉も、ここから生じている」
「待て、玄関だって? じゃあ、あの七福神や花の絵はまさか」
「いつからかは知る由もないが、岩倉家が経験した昔の間引きの風習を受け継ぎ、それに供えていたものだろう。七福神は間引きした当時から玄関に供えていたものなのかもしれないし、花瓶の絵は欧化への途上にあった道成なりの弔意だったのかもしれない。ただ、娘の葉子の容態を哀れに思い、さまざまな神への祈祷を試すために、彼が古代の間引きの道具や遺体を継承して埋め立てていた可能性は否定できない。座敷わらしが別の土地に移動するという説も、この遺体の継承に関連性があるのだろう」
「……しかしそもそも、座敷わらしと間引きには、一体なんの因果関係があるんだ?」
「こちらは伝承による憶測でしかないが、そうした信仰的な道具や遺体が長い年月を経て放置されると、時として付喪神へと昇華される場合があるという。座敷わらしの正体は、この道具と遺体をこそ依代とする神々の霊魂だという説が、父さんの記録に遺されていた。もっと正確にいえば、風儀によって神様になった間引きの子供の霊、ということになる」
私は思わず息を吐いた。何か重大な秘密を知った時の、言い知れない罪悪感のようなしこりを覚えた。現代感覚に囚われている私には想像にも及ばぬ信仰だが、そういえば座敷わらしの出る家は、その地域の中でも尊崇されて、特例的なありがたみを受けるものではなかったか。
「……まるで皮肉だな。神の子として魂を送ったというのに、供養した遺体に神の魂がおりてきたのでは、本末転倒だろう」
「しかし、だからこそ付喪神としての結節点になり得たとも言える。古くから国内では、死を穢れと見る風習があった。現在でも近親者が死ねば、四十九日までの期間を忌服といい、祝行事への参加を慎むマナーがある。しかし穢れあるところに聖域もある。その聖性が失われて屋敷の没落が始まるなら、座敷わらしにとって特徴的な盛衰の浮き沈みにも得心がいく。あらゆる信仰において、死体は重要な意味合いを持つはずだ。それらの信仰が忘れられた時、霊的な恩恵は嵐のように牙を剥くのかもしれない」
私は、岩倉葉子の小座敷に飾られていた十字架を思い出した。熱心な信仰が別の教えに浮気した瞬間、付喪神である座敷わらしの恩恵が少しずつ失われていったのだろうか。
「……難しい話だ。およそ私の腑には、すんなりと落ちてくれそうもない」
「では話を元に戻そう。とにかく、岩倉葉子には二人の友人がいた。普段はゴム腫による影響のせいか、白い着物の少女とともに自室で過ごすことが大半だったが、時として赤い着物の少年とも顔を合わせる日があったそうだ。この時は、岩倉葉子は例外なく落胆している。優しい少女とは対極的に、少年は悪戯っ気が強く、岩倉葉子の外見をからかうような言動ばかりをするからだそうだ」
「それはそれは、ずいぶんと二面性のある神様なんだな。いや、元々が二人なのだから、二面性とは語弊があるか」
しかし仙道は何も言わなかった。どこか遠くを見つめるような瞳は、なんらかの確信を秘めているように見える。だが無論、その正体が私にわかるはずもない。
「さて、岩倉葉子は、やがて月を重ねるごとに少しずつ、少女と会う回数と、少年と会う回数が逆転していくことになる。同時に、彼女の容態ももちろん少しずつ悪化するのだが、岩倉葉子がついに寝床から出られなくなった頃合いを見計らい、赤い着物の少年はそっと耳打ちするように、ある衝撃的な真実を打ち明ける。そしてその真実を聞いた時に、岩倉葉子は気も狂わんばかりに怒りを露わにした」
「ある衝撃的な、真実?」
「彼女を苦しめる病の原因についてだ。先に話したはずだな。岩倉葉子は男女間の接触を持たなかったため、自分で梅毒にかかる接点が見当たらない。つまり岩倉葉子の梅毒は、彼女自身の行動によって己を苦しめる因果応報などではなかったわけだ。では先天性の梅毒とは、一体どのような感染経路で生じるものだったか」
「――、まさか」
「そう、そのまさかだ。赤い着物の少年は、岩倉葉子を苦しめる病状の原因が、彼女の母親にあったことを面白半分に暴露したんだ。世の中には知らないほうが幸せな真実もある。奴はまさに悪意の権化だった。岩倉葉子の怒りは当初こそ少年に向けられたが、父である道成から真偽を問い質し、それが嘘偽りのない真相であることを知ってしまった。いつの時代でも、憤怒と憎悪は取り返しのつかない衝動を引き起こす。岩倉葉子が自分の血脈を憎み始めるのに、そう大して時間をかけなかった」
想像するだけでも、すさまじい怨嗟の声が階上から聞こえてきそうだった。岩倉葉子は死ぬまで悪化し続ける病に体を蝕まれ、寝床から一歩も動けない時に、母親が原因で病に苦しめられているという真実を告げ知らされたのだ。
「だから、日記には『死ネ』という文字が頁を埋め尽くすほど書かれていたのか? それだけを一念するほど、岩倉葉子はただ憎み続けた」
「その可能性は極めて高い。自分にはなんの罪もないのに、死を前提に顔まで歪められる病には為す術もなかった地獄のような日々だ。天国への信仰で封印されていた負の感情が、おそるべき悪意のわずかな後押しだけで簡単に解放されてしまったとしても、もはや誰にも止める術がなかっただろう」
「そういえば、今までで母親の話題が一度も出てこなかったが、これには何か理由があるのか?」
「調べてみたが、謎のままだ。だが岩倉葉子のさらなる出生の秘密を推察することはできる。もしも母親だけでなく、父親の道成にも梅毒のきらいがあった場合、彼はとうの昔に死亡していなければならない。ごく通常の感染経路で梅毒に感染すると、その三年後にはゴム腫などの晩期症状に苛まれて、とてもではないが外交に勤めることの難しい体になるからだ。従って母親だけが梅毒にかかっていることを裏付けるわけだが、父親が無感染で、母親だけが感染しているのなら、その娘である岩倉葉子は一体誰の子供になりえるか」
がつん、と頭を殴られた思いだった。仙道彰という男は、私が全く想像もしない事態をさらりと言ってのける。過去の謎の身ぐるみを、容赦なく引き剥がしていく。
「……養女だったのか。岩倉葉子は、どういう経緯があるにせよ、結果的には道成に引き取られて、その身を大切に育ててもらっていた」
「だがその恩義も、悪意の友人と苦痛の病状により、たやすくひっくり返された。梅毒の悪化は、次第に脳もやられて人格変化をもたらす。もはや白い着物の優しい少女でさえ、日に日に膨らんでいく彼女の憎悪の火を止めることはできなかった。岩倉葉子は少女よりも、少年の言葉だけを信じるようになってしまったからだ。そして変えられなかった運命の日――即ち、十六歳の誕生日を迎える」
「……屋敷の全焼、か」
「日記には、その原因となる詳細が書かれていなかった。それは当日に書けというほうが無理があるので当然なのだが、やはり推察は可能だ。第三者による放火でも、偶然の火の不始末による人災が原因でもないだろう。犯人は最初から屋敷の内部にいて、だからこそ道成とその下手人をも火災に巻き込むことができたわけだからな。そして当時、これほど狡猾で用意周到に動けた人物は一人しかいない。寝床から出られなかった岩倉葉子はまず論外だ。真犯人は、特等席で対岸の火事を眺めることにこそ極上の楽しみを見出す、生得的に無尽蔵の『悪』の素質を秘めた天才的な知能犯――」
「――狐憑き、だね」
いつから追いついていたのか、私のすぐ横に神崎茜が立っていた。清水がびっくりして私を挟み、三嶋がなだめる。
例のおそろしい死神を背後から羽交い絞めにしている神崎に対し、仙道は確かに頷いた。
「これで、明治時代より再現された屋敷の謎が明らかになった。この屋敷は父さんが追い続けていた殺人鬼、狐憑きの誕生を封印したものだ。しかし、まだ解き明かされていない謎が三つ残っている。岩倉葉子の遺体がどこへ消えたのか、彼女の名を騙る所有者は何者か。そして死神はなぜ存在しているのか」
「それも、なぜかわかりそう?」
「遺体の行方は不明だが、所有者には察しがつく。建築業者に人相を尋ねた際、先方からナビとよく似た特徴を照合することができた。おそらく、ほぼ間違いないだろう」
「でもどうして突然、こんな屋敷を再現する気になったのかな?」
「協力者が現れたからだろうな。屋敷が建てられたのは、十五年以上も前の話だそうだ。十五年以上も前の協力者。茜なら俺が言わんとすることがわかるはずだな?」
「じゃあ、残る謎は、後二つだね」
「幸い、手がかりはまだ手許に残されている。これを見てくれ」
二階の小座敷で、十字架を手にする時に落ちてきた例の白紙を仙道が見せつける。だがその白紙には、発見した当初にはなかった茶色の文字が浮かび上がっていた。
「私を見つけて、だって? 仙道、その和紙は確か真っ白だったはずだが?」
「明治時代の遊び道具の一つだ。みかんの皮を絞って汁を落とし、絵や文字を描いて紙を乾かし、真っ白に戻す。その後、火にかざして炙り出すと、あらかじめ描いておいた絵や文字が和紙に浮かび上がるというものだ。父さんはこうした初歩的なトリックが大好きだった」
仙道は懐かしむように優しい声音で言う。
それが私には、なんだか切ないように聞こえた。
「よく、それを炙る物を持っていたな?」
「ジッポライターだ。もし死神を倒せない時は、最悪、屋敷ごと燃やすしかないと考えていた。霊体というものは炎で浄化できるらしいのでね」
彼はジーンズのポケットから銀色のジッポを取り出した。どこまでも用意のいい男だが、本当に屋敷に火を放つ覚悟があったかどうかまでは汲み取れない。
「……わからないな。私を見つけて、だけでは具体的な指示とは思えない」
「これだけが最後に残された手がかりだ。屋敷にはまだ秘密がある。まさか当時の遺体が眠っているとは考えないほうがいい。もっと別の『私』を見つける必要がある」
彼がそこまで言うと、神崎が突然おかしがって笑みをこぼした。そして慌てて、悪い意味で笑ったわけじゃないの、と付け加える。
「やっぱり彰が場を取り仕切ると、やっと普段の空気って感じがするね。なんていうか、こう――身が引き締まるっていうか、すごく安心できるっていうかさ」
「今のお前には言われたくないな」
「ひ、ひどい! あたしだって好きでやってるわけじゃないのにーッ!」
彼女には悪いが、私は仙道に同意せざるを得ない。そいつは本当にお化けなのかと疑いたくもなるが、なんとなく伸ばしてみた指先は黒のフードさえすり抜けるのだから、改めて身も凍りつくというものだ。
「……神崎は、そいつに触っても平気なのか?」
「うん、大丈夫みたい。鼻がひん曲がりそうな悪臭さえなかったら、少しは可愛げもあるんだけどね」
そんな軽々しい問題ではない気もするが、彼女にとってはその程度の相手ということか。どこまでが現実でどこまでが非常識なのか、もはや私の理性では収拾がつかない。悪臭にやられた鼻のように、まともな感覚はとうに麻痺しているようだ。
「それで、仙道はその和紙に書かれた『私』とやらには、もう予想を立てているのか?」
「あいにく見当もつかない。見つけて、ということはまだ発見されていない『私』がいるということだが、それは岩倉家に関する遺体ではないだろう」
「なぜ、そう言える?」
「岩倉家に関する遺体でまだ発見されていないものは、座敷わらしの依代となった遺体と、岩倉葉子の遺体のみだ。しかし、屋敷が全焼するほどの火災を経て、その二百年後近くもなる現代まで無事に保存されているとはまず考えられない。だから他にも何かあるはずだ。それはもしかすると、岩倉家には直接関係のない『私』なのかもしれない」
「直接関係がないのに、私を見つけて、か?」
「そうだ。とにかく、屋敷の中をひっくり返しても探すべきだろう。茜はそのまま待機、残りは手分けして『私』に関係しそうなものを探してくれ」
神崎が不満そうな声を上げた時だった。中庭のほうに一匹の猫が歩いていて、私たちを見やると、にゃーと鳴く。赤い首輪を付けた短い脚の猫だ。私は初めてお目にかかる。
神崎は再び奇声を上げた。うるさいぐらいに喚き、しきりに子猫を指し示す。
「彰、あれあれ! あの猫が『私』のはず!」
「……なんだって?」
「だから、あの猫の名前! 首輪を確認して! 名前が『ミー』のはずだから!」
一呼吸を置いて、仙道が動き出す。それで子猫はびっくりして逃げるので、私も清水も三嶋もたまらず追いかける構図になる。
本音を告白させてもらえると、謎を追いかけるより、猫を追いかけるほうが楽しかった。しかしやはり謎のように、逃げ足の早い子猫を捕まえるのは容易ではなかったが。




