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沓脱に入ると、仙道はいつの間にか七福神を手に取っていた。右の壁際、上がり框へと側面をくっつける形で横向けに置いてある木箱の上に、それは放置されていたらしい。
七体の人形が整列して足場で繋がっている、掌サイズの小さな代物だ。国内のちょっと古い土産屋を覗けば、必ず一つは置いてある感じがする。
「その七福神が、そんなに気になるのか?」
「明治時代の屋敷にしては、奇妙な置物だ。元々七福神は国内のみならず、他国の神様や仙人が集まって信仰された和洋折衷の縁起物で、約七百年前の神仏習合で生まれたものだ。しかし明治時代には廃仏毀釈運動が全国的に見られ、破壊活動まで行われるほど大規模な騒動に発展した。その影響で、華族の墓地ですら神道方式へと則らざるを得なくなる」
「華族――確か、当時この屋敷に住んでいた岩倉家も、華族だったな?」
「道成の父である岩倉具視は、欧米的な華族を理想として、華族会館を創立するほど独立的だった。明治以前の枠組みにとらわれないその思想は、やがて大日本帝国憲法下にある議会の貴族院を開かせることで落ち着きを取り戻していく。そうした思想家を父に持っていた道成は、やはり華族の在り方に特別のこだわりを持っていたらしい。当時、現人神として自らを神格化させた天皇の詔が発布され――これを大教宣布というが――そのためキリスト教や仏教は、まもなく神道に属するという形で共生の道を歩むことになる」
「……私の頭ではすぐに理解しがたいが、それと七福神が、何か関係があるのか?」
「七福神には、仏教やキリスト教とは無縁の神様が登場する。大黒天、毘沙門天、弁財天の三体だ。いくら過去の神仏習合で取り込まれた神々だからとはいえ、欧化への道を歩み出そうとしている道成が正式な玄関口にこれを飾るのは解せない。もっとも、だからこそなんらかの意味があるのだろうが」
「考えすぎじゃないのか? 当時そのままの七福神が現代になかっただけかもしれないし、もしかしたら道成とかいう男が、そこまで知らなかった場合もあるだろう?」
だが仙道は何も言わず、今度は壁に立てかけられた花瓶の絵を見上げた。控えめな一輪の花も活けてある代物だ。しかしこれも現代なら、どこの美術館に行っても売られていそうな手法と色合いをしている。
「一般的な花の絵、という感じだな」
「明治時代では、美術においても西洋の技法を取り入れてきた。この近代洋画はまさしく当時を再現しているが、注目するべきはこの絵画ではなく、そういう西洋絵画が当時でも正式な玄関口に飾られていたことだろう」
「だから、どうだというんだ?」
「道成はやはり、欧化への理解には肯定的だったと考えられる。しかしこの家は伝統的な日本家屋で、洋風という異色の文化を取り込めば、必ず違和感が生じる。全体的な調和に乱れが生じるとも言えるだろう。それを敢えて行うのは、それ相応の理由があると考えておくべきだ」
「深く考えすぎじゃないのか? 単なる置き土産かもしれないし、道成のほうがわざわざ改装する手間を惜しんだのかもしれない。それに彼の娘の岩倉葉子は、生来から病弱だというんだろう? 父親なら娘の不幸な境遇を憐れみ、国内にはない珍しい花の絵を土産に持ち帰るというのは、さほど不思議じゃないと思うがね」
「だとするなら、なぜ長女の自室に飾らないのか。正式な玄関口だからこそ、なんらかの意味があるはずだ」
そう呟くと、仙道はさっさと廊下に足を向けるので、私たちは彼の思索に置いてけぼりされたまま後に続くしかなかった。奥の敷居を越えると、例の二階への階段が伸びている囲炉裏の座敷に辿り着く。
細長い畳が敷き詰められ、その中央に囲炉裏がある内装だ。伝統的な和風の雰囲気で、国外の置物が飾られてあるわけでもない。床の間には掛け軸が、床脇には高級そうな壺や皿が置いてある程度だ。それらも所詮は現代の品物のはずなので、目的が当時の再現だけなら、実際に高価ではないのだろうが。
「二階へ行くのは、あの階段を使うのか?」
「少なくとも、私たちは他の階段を知らないな。そもそも最初に入った時は、外から見た限りでは二階建てとはわからなかったから、階段があると知って驚いたものだが」
これに対しては仙道も素直に頷いた。外観だけでは内部の全体像を掴めない、複雑な間取りをしているのが屋敷の特徴だ。あるいは、そういう造りでなければいけない理由でもあったのかもしれないが、それが道成の家に用いられる原因はわからない。
建物は伝統的でも、内装の一部には欧化を取り入れる。なんだか考えれば考えるほど、余計にちぐはぐな印象がして不自然だ。まるで岩倉家に生まれた唯一の異端のように。
ふとそんな考えが脳裏に浮かんだ時、清水が服の袖を引っ張る気配がした。彼女が指し示す方角には囲炉裏があり、その直下から白煙が立ち昇り始めている。
もちろん、誰かが火をつけた、なんてことはありえない。
「仙道、囲炉裏だ! あの白い靄から奴が、死神がやってくるぞ!」
「屋敷に入ってから数分で出現か。感知能力は一級品というわけだ」
「冷静はいいことだが、あんな化物と、一体どうやって戦うっていうんだ!」
灰だらけの囲炉裏から、黒い頭巾がのっそりと浮かび上がってくる。それがフードだとわかった時、白い頭蓋骨の暗黒めいた眼窩まで覗けてしまって怖気がする。
そして灯る、眼窩の焔のざわめき。
「仙道!」
「もし奴の基本属性が霊体なら、通常の物理手段では太刀打ちできない。だが俺の能力なら、五秒間だけ対抗できるはずだ」
「五秒間、だけ?」
「さあ行け。俺が奴を食い止めている間に、屋敷の謎を解いてくれ」
仙道がそこまで言い終えた時、死神はすでに本来の姿で宙に浮いていた。体中を覆っている白い靄は、やはり無数の人面が苦痛の表情で入れ替わっているようにしか見えない。
その死神に向かって、いきなり仙道が突進した。頭から奴に突っ込み、実体があるのかないのかわからない体を両腕で挟み込んで、沓脱のほうまで抱えて走って行く。
「仙道!」
「早く行け! ここにいては奴の餌食になる!」
彼の背中が敷居の向こう側へと遠ざかっていく。自分の身を犠牲にしてまで死神と戦う男を見捨てるのは、正直に言って苦痛でしかなかった。仙道の役目、私たちの役目、だがそれを知っているのと実行するのとでは、やはり全く違う意味合いが宿る。
清水は私の腕の袖を引っ張り、見つめてくる。
不安も、決意も込めた眼だ。
迷う私の背中をいつも後押ししてくれる、力強いその眼差し。
「……行くか。仙道の献身を無駄にはできない」
清水は一度だけ顎を引くと、私に続いて階段を駆けのぼっていく。二階には、真正面の玄関側と、右手に伸びる中庭側への廊下がある。そのうち、神崎が調べ物をしていたあの小座敷は、中庭側の廊下に面していたはずだ。
その小座敷の机の上に、ぽつんと置かれている書物。これだけは明治時代当時のまま、この屋敷の中で人知れず保存されていたようだ。少なくとも現代にある安っぽいノートではない。桜色をした表紙にはかろうじて、元々かなり丁寧な筆致だったはずの『葉子』と書かれているのが見て取れる。ある意味、稀覯本だ。
私は早速、頁をめくって拝見した。まずは日記かどうかを調べる必要がある、のだが。
「――参ったな。そういえば明治時代の書物なら、今とは書き方が全く異なって当然なのだったか」
記載している内容が読み取れないと、たとえそれが有用な日記であっても現状では役に立ってくれない。記述は鉛筆で書かれたようだが、あちこちで文字の一部が欠けていたりして、旧字体の全文の意味合いを汲み取るのにも高い難易度が要求される。
だが清水が脇から覗き込んだ時、彼女がきちんと文章を眼で追いかけていることに気がついた。ひょっとして、と期待が膨らむ。
「清水。これの翻訳を頼めるか?」
彼女は弾かれたように私を見たが、すぐに事情を察したらしく、頷いてくれた。ただ、全ての頁を翻訳させるわけにもいかないので、彼女が気になった要点のみの翻訳に留めておいてほしいことも伝えておく。
その間、私は他にも過去の真実を暴く手がかりとなるような代物がないかどうかを探すことにした。まずは箪笥の抽斗だが、こちらにも数冊の同じ桜色の書物が入っていたので、とりあえず清水に渡しておく。押入れは、古びてはいるが現代の作りらしき竹馬やカルタ、お手玉などの遊び道具が入っているだけだ。さほど重要そうには見えないので、これらはそのまま放置しておいても問題ないだろう。
聖書はざっと見た限り、やはり現代のホテルなどに置いていそうな代物だ。埃にまみれ、英文とそれを和訳した文章が全ての頁に渡って連なっている。小瓶の中身を嗅いでみると、案の定、猛烈な腐臭が鼻を刺激した。とても中を検める気にはなれない。
――さて、他にも見ておくべき箇所はないか。
ふと気になって、長押の十字架を手に取ってみた。その時、一枚の和紙が床に落ちたが、白紙のまま何も書かれていなかった。次に十字架を調べてみると、足のあたりに位置する十字の刑具部分がコルクのように外れ、内部の空洞に細く丸まった紙が納まっているのを発見した。指先でなんとか取り出し、何も考えずに紙を広げて、思わずぎょっとする。
皮膚の内側から、拳大ほどの瘤が肥大化したものが顔中を覆っている女性が映っていた。左眼が膨らみ、鼻骨がひしゃげて、左頬がげっそり削がれている。唇や顎、首、あるいは頭頂部にも肥大化した瘤があり、その姿はあまりに衝撃的だ。たまらず元のように写真を丸めたが、動悸は治まらず、その人を女性だと認識できたことに自分自身が驚いている。
あれは一体なんだ?
私は一体、何を見たんだ?
思い出すと気分が悪くなるので、壁を背にして座り、とりあえず胸の緊張が落ち着いてくれるまでは一休みすることにした。清水は心配そうな顔をしたが、私が翻訳を急がせたせいか、少し複雑な眼の色をして再びボールペンを動かしていく。彼女には少し悪いことをしたが、こればかりは譲れない。
深呼吸を何度か繰り返す。
数分も休んでいると、動悸もようやく沈静化し始めた。
写真はともかく、十字架、聖書、小瓶、桜色の書物、竹馬やカルタなどの遊び道具等が置いてある内装から判断するに、この小座敷は確かに特定の人物の個室として使われていた場所なのだろう。そして遊び道具の保存から察するに、少なくとも岩倉道成が利用していたとは考えにくい。あいにく衣類などは発見できなかったが、おそらく長女の個室だと考えて間違いないだろう。
しかし、なぜ十字架や聖書などが置いてあるのだろう。華族である岩倉家は国家神道に準じているはずではなかったのか? もしも仮に敬虔なクリスチャンであったとしても、手の届きにくい長押にわざわざ十字架を配置するのは理解に苦しむ。
そんな風に考えていると、清水が私の服の袖を引っ張った。怖い顔をしている。緊張の表情だ。例の桜色の書物を持っているが、それを私に見せたいらしい。翻訳のものでなく、原本を見せることに意味があるのだろうか。
怪訝に思いながらも、指摘された頁を眼にした。
即座に閉じ、清水を抱き寄せて頭を撫でてやる。
死ネ、という文字が隙間なく、その頁にびっしりと書き込まれていたのだ。見ただけで当人の計り知れない執念、そして飛び抜けた負の感情が冷徹なほど叩きつけられそうで、清水が不安がる気持ちを痛いほど理解する。
それでも彼女は、ある程度の翻訳を終えたメモ用紙を渡してくれた。彼女の孤軍奮闘にただ感謝し、書かれた内容に眼を通していく。それらの中で、私が特に気になったキーワードをまとめると。
母胎。
水銀。
隔離。
悪化。
黴毒。
奥座敷の神様。
憑りつかれた。
祈祷。
打つ手なし。
嘘。
友達。
なんらかの流れに沿っていそうだが、あまりに漠然としすぎていて、どうにも掴み所がない。何が何やら、さっぱりだ。
足りない頭でよく考えてみたが、私では手に負えないという結論以外に何も思い浮かばなかった。キーワードを携帯で調べようにも、敷地内は圏外になるという曰く付きが実証されただけで望みもない。ここはやはり危険を承知で、仙道に再び会いに行くしかないだろう。
清水をなだめて囲炉裏の座敷におりると、直後に仙道が壁に叩きつけられる場面に遭遇した。彼が身につけている衣服はずたずただが、それは斬られた跡ではなく、何かに勢いよく激突したり転がったりして生じた痕跡のようだ。
「仙道、すまない! 岩倉葉子の部屋は見つけたが、私たちだけでは手に負えない!」
「めぼしい物は見つけたか!」
「持ってきた!」
「なら今は、それを持って早く屋敷を脱出しろ! 態勢を立て直す!」
「しかし、まだ三嶋と神崎が――」
途端、死神が宙に浮いたまま、風のように私たちへと接近した。あまりに突然すぎて、私たちはおろか、仙道もまた反応できずに立ち尽くして。
「しまッ――」
仙道の短い声。
私は片手で、清水を階段に押し倒した。
直後に振り上げられる、巨大な鎌の鋭い切っ先。
絶体絶命の私を救ってくれたのは、仙道でも清水でもない、第三者の素早い右腕だった。




