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黄金魂  作者: 天野東湖
第06話 時空を越えて
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 西方駅から南に進んだ住宅街のど真ん中に、その屋敷がある。地元の住人なら誰だって知っている、人間が入ってはいけない禁断の邸宅だ。


 ただし、なぜタブーなのかは知らない。私が物心ついた頃から、中に忍び込んだ人間を丸飲みにするという旧聞に属する怪談に加えて、不自然に電波が途切れるとの都市伝説まで流布していたものだから、あれは最初からそういうものだと割り切っていた。肝試しにと噂に挑戦する連中が後を絶たないらしいが、少なくとも私は興味がない。人間よりも怖い存在を、私は岸沢市にきた当時から知らなかった。


 四つ辻の手前に、風化した瓦葺(かわらぶき)の門構えがある。昔から変わらない佇まいだ。門そのものは開いているが、厳重に張り巡らされた警察の立入禁止テープは今でも部外者の侵入を拒んでいる。その奥には錆びた玄関が覗けた。数メートルの石畳を挟んだ先に、引き戸がぴしゃりと閉じられている。


 表札はない。持ち主の名を示す物は、昔から一つもなかったはずだ。


「さて神崎、ここが例の『曰く付きの屋敷』だぞ」

「……まあ、覚悟はしてたけどさ。でもさすがに、ここまで似てると瓜二つっていうより、既視感(デジャヴ)すら覚えますなあ」


 立入禁止テープをあっさりくぐり、神崎茜がそそくさと石畳の左側あるらしい横道へと入っていく。


「ちょ、ちょっと神崎さん!」

「仕方ない。私たちも行こう」

「でも遊ちゃん、ここは……」

「怖いなら待ってるといいさ。警察が来たら教えてくれ」


 困惑する三嶋をなだめ、私は神崎と同じように黄色い立入禁止テープをくぐった。すぐ後を清水が続き、渋々ながら結局は三嶋も忍び込んでくる。


 そこは屋敷の縁側に面した中庭だった。まず真っ先に眼に飛び込んでくるのは、小さな公園の砂場ほどもある規模の穴だ。そのすさまじさは、石灯籠の(おもむき)を漂わせる橋が渡る小池をごっそりと吹き飛ばし、縁側の廊下とその瓦葺の屋根の一部を破壊するほど壮絶の一言に尽きる。


「うわ、さすがにひどいな、これは」


 思わず、率直な感想を口にしてしまう。


 この爆発に巻き込まれれば、どんな人間でも無事では済まないだろう。むしろ、こんな爆発が地中から生じたとはいえ、よく道路側まで破壊されなかったなと実感を噛みしめるばかりだ。


 私の言葉を耳にして、三嶋が重々しく頷いた。


「本当ですね。不発弾が、こんなにおそろしい物だなんて……」

「……先輩は、ここで殺されたんだ」


 え、と驚く三嶋には眼もくれず、神崎は浮き上がるような跳躍で穴の中に入った。何をするわけでもなく、ただじっとしゃがみ込み、なんの変哲もない土を見つめている。


 三嶋の驚きは私にも理解できる。神崎は『殺された』と言ったのだ。つまり入学早々に振り回された黒木とかいう先輩の死は事故ではなく、事件なのだと確信している素振りを見せている――。


 神崎に、以前話したことのある『曰く付きの屋敷』に案内してほしいと頼まれたのは、九月に入ってすぐのことだった。ただし私たちの都合もあるので、週末の日曜日にという約束のもとで合意してもらっている。


 なんでも、八月の爆発騒ぎで死亡した三人の被害者のうち、一人が東高の新聞部に所属する例の先輩だったらしい。そして事故現場にある邸宅が、私たちの地元でよく耳にする屋敷だと信じていたようだ。夏休みの間に行けなかったのは、他にもいろいろと厄介事が重なってしまったせいだと言っていた。


 その厄介事というのは、おそらく仙道彰とかいう幼馴染のことだろう。彼女が抱え込む深刻な悩みといえば、何も知らない私でもその程度の見当はつく。


 仙道彰は、私にとっても心覚えのある男だ。八月の大阪旅行で他の男子勢とともに同行したのだが、彼はそこで起きた殺人事件の真相を三日で解き明かしてみせた。ただし私が、誰よりも先にその真相を教えてもらったせいで、私自身の友達を救うことはできなかった。それでも私は、彼女のことを永遠の友達だと思っている。


 しかしあの事件がきっかけで、私は『友情』について深く考えるようになった。そして今では一つの結論に達している。


 私は、何があっても、友達を見捨てない。

 たとえそれが、赤の他人を不幸にするとしても。


「神崎、もう気は済んだか?」


 穴の淵に立ち、中を覗き込む。

 クレーターめいた土砂の底、哀しい眼をした神崎が立ち尽くしている。


「……うん。どんな理由があっても、先輩はこんな風に殺されていい人じゃないって、再確認できた」

「じゃあ戻ろう。警察に見つかると厄介だからね」

「みんなは先に帰ってて。あたしはもう少し残るから」


 穴の中から跳んで、神崎は私のすぐ横に着地した。四月の体育で実施した最初の体力測定でもそうだが、こいつは時折なんでもない顔をして人間離れした軽業を披露する。


 だから私は興味を持って声をかけたのだ。そして人格者である彼女のことを気に入り、今日まで親しい付き合いをさせてもらっている。


「神崎さん、待ってください!」


 三嶋が彼女の前に立ち塞がる。鈍そうに見えて、行動力が高いのは三嶋の長所の一つだ。おさげを解けば、絹のような長い髪を堪能することもできる。そして密かに筋肉フェチだ。大阪旅行の際、みんなでプールに行ったが、仙道や本多の体を見て顔を真っ赤にしていたことを思い出す。


「このお屋敷は、とても危険な場所だって近所でも噂になっています。具体的に何がどう危険なのかは、わたしにもわかりませんけど……。でも、そんな噂が立つくらいに有名な曰く付きに、神崎さん一人を残すだなんて」

「ありがとう、三嶋さん。でもね、ここに何があるかはもう知ってるんだ。すごく強力な存在感を放つ悪霊――もしかすると、あれは『死神』かもしれない。そんなのに出会ってしまったから、先輩はその後の人生を大きく狂わされてしまった。そして間違った能力の使い方が正しいんだって、他人に対する復讐を正当化してしまったの」

「神崎、お前は何を言ってるんだ?」

「あたしは、先輩を殺した真犯人を知ってる。彰だって知ってるの。でも彰は、あくまで真犯人しか見えていないから、だからあたしと彼の意見が分かれちゃったの。どんな方法で人を殺したかは、まだ重要じゃないって彼は言う。でもあたしは、そいつに傷つけられた人たちの痛みにも眼を向けてほしくて、それなのに彰は、殺す覚悟があるかなんて訊いてくるものだから、だから余計に訳わかんなくなっちゃって、あたしは――ッ!」


 神崎が三嶋を退かせる。三嶋は(おのの)いて後ずさった。


「……ごめんね、みんな。ここまで案内してくれてありがとう。後はあたしだけでなんとかするから」

「なんとかって、神崎さん、何をするつもりなんですか」

「この屋敷、どこか変だと思うの。死神がいるから家人がいなくなったのかな。それとも、もっと重要な『秘密』を隠したいから、最初から家人なんて必要なかったのかな」


 彼女は誰に同意を求めるわけでもなく呟き、縁側に乗り込む。母屋もとうに廃れているのに、律儀に靴を脱いでいるのがいかにも神崎らしかった。


「ゆ、遊ちゃん、どうしよう……」


 三嶋が私の顔色を窺う。清水はいつの間にか近くにやってきて、服の袖を掴んでいた。


「ここまで来たら一蓮托生だ。あいつにとことん付き合ってやろうじゃないか」

「で、でも……」

「心配するな。本当に危険だと思ったら、一緒に逃げよう。その時はもちろん、神崎にも付き合ってもらうとするかね。なあ清水」


 清水はこくこくと頷く。三嶋はまだ不安そうに表情を曇らせているが、やっぱり神崎のことも心配で放ってはおけないのだろう。

 次に眼を合わせた時、彼女は強く意思を固めていた。


「わたしたち、友達、ですよね。だから、絶対に守らなくっちゃ」

「ああ。もう二度と、失わないためにもな」


 三嶋が頷き、清水が微笑む。小学校の頃、言葉が話せないことを笑われた清水を助けるために三嶋が庇っていたところを、私が助けた。そんな奇妙な縁で手を取り合った仲だが、今ではこの二人に逢えてよかったと心から感謝している。


 縁側から入り、和室の敷居をまたぐ。床の間で途中から切れている掛け軸、腐った天井板、歩くと微妙に表面がめくれる畳、その内側に(うごめ)く白い虫。


 声にならない叫びを上げ、三嶋がさっさと屋内の廊下に移動した。神崎はそこを挟んだ向かい側の部屋――古い釜戸が見えるから、おそらく炊事場だ――から出てきて、廊下を右に曲がって進んでいく。


 背後から、どすん、と何かが倒れる音がした。


「清水、何をやってるんだ」


 和室で清水が尻餅をついていた。畳の表面がめくれて、足を滑らせたのか。


「全く、ドジだな」


 彼女は顔を赤らめて私の手を握り、立ち上がる。清水は左利きなので、私も自然と左腕を差し出す習慣が身についていた。ただし私と三嶋は右利きだ。だからといって、特に深い意味はないのだが。


 廊下側に振り返ると、神崎どころか三嶋すらいなくなっていた。神崎の後を追って先に行ったのだろう。彼女を一人にさせるわけにはいかないので、真っ当な判断だ。


 私たちも二人の後を追った。廊下を進んでも姿は見えないが、どこかに階段があるのか、二階へと上がっていく何者かの足音が振動する。複数の座敷や寝間はあるが、どこも似たように風化した内装で変化がない。途中で囲炉裏(いろり)がある部屋も見つけた。階段は、どうもその部屋の中に設えてあるらしかった。


「えらく複雑な間取りだな。ひょっとすると、年代のある武家屋敷かもしれないぞ」


 清水は不思議そうに首をかしげる。私も思いつきの発言に自信があるわけではないが、釜戸がある邸宅は、たとえ二次装飾だとしても現代的とは思えない代物だ。個人の趣味と割り切るなら、ずいぶん思い切った骨董品の活用なのだが。


 とりあえず神崎に続いて二階に上がる。階段はぎしぎしと音を立て、ちょっとした吊り橋のような不安定感を漂わせた。清水が私の服を掴む。私は彼女の歩調に合わせて階段をのぼった。二階はぼんやりと薄暗く、廊下もまた私たちの足取りに合わせて重く軋む。


 神崎の足音が、奥の部屋で止まったようだ。だがそこで、私は不安を抱かずにはいられなくなった。もっと早く、おかしいと気づくべきだった。奥の部屋で止まったらしい足音は、一人分しか聞こえない。では三嶋の足音は、神崎と全く同時に止まったというのか。


 不意に、清水が怯えた風に体を緊張させた。私が知らず知らずのうちに彼女の腕を掴み、強く握ってしまったせいだった。すまない、と謝る。しかし一度抱いてしまった三嶋への不安は、より一層強くなっていた。


 きっと、気のせいだろう。本当は足音が二つあって、私がそのどちらか片方だけに気を取られていたに違いない。さっさと奥の部屋で合流すれば、後で笑い話にできる杞憂なのだ。だから早く、このなんでもない笑い話を二人に打ち明けてやりたい――。


 神崎が調べていたのは、どうも子供部屋らしい小座敷のようだった。ただし異様としか言えない内装をしている。聖人が磔刑に処された十字架が長押のあたりに飾られ、真下の甲板には聖書だとか、水の入った小瓶が置いてあるのだ。くたびれた箪笥や机などはあるが、どうも家財が古臭い。そして何より重要な事実、部屋には神崎一人の姿しかない。


「……神崎。三嶋は、一緒じゃないのか?」


 神崎は手に持っていた紙の書物を読むのをやめ、怪訝そうに眼をしばたかせた。そして私たちの足許あたりに視線を動かし、眼を見開く。


「二人とも、こっちに来て! 早く!」


 今度は私たちが怪しむ番だった。自分たちの足許に眼を向けると、何やら霧とも煙ともつかない、白い『何か』が這い出してきている。そして悪臭。鼻がひん曲がりそうなほど強烈な臭気がいつの間にか漂っていた。


 それが危険極まりない代物だということは、私よりも清水のほうが遥かに敏感に察しているらしい。表情が青ざめ、おそろしい『何か』を見たように歪み、私の腕にしがみついてくる。まるで今ここで立ち尽くす行為そのものが、命を危険に晒しているとでも言わんばかりに、必死に、それこそ力の限りに、全力で。


 背後に、不穏な気配を感じるのに、振り返れない自分がもどかしい。


「神崎!」

「走って!」


 神崎の叫びに従い、とにかく前に走り出す。

 足を動かした瞬間、神崎の横顔が、私のすぐそばを通過した。

 そして背後で爆発する、何かと何かがぶつかった暴音。


 私と清水は、小座敷の奥まで無心に走った。

 入口には、神崎の背中が見えている。


「神崎、大丈夫か!」


 返事に代わり、彼女は右手の親指を突き立てる。

 その眼前、真っ黒のフードをかぶった男が――。


 いや、あれは男ではなかった。

 人間ですら、なかった。

 剥き出しの頭蓋骨に、黒装束のような布切れの隙間から覗き見える、肋骨と腕の骨。


 しかも体中が白い靄のような何かで覆われ、その靄が眼と鼻と口の黒い輪郭を形作り、無数の人の顔を――あるいは胴体や腕までも再現して、まさに地獄に堕ちた罪人よろしく苦痛の表情を浮かべて(うごめ)いている。


 そして黒フードの骸骨が右手で振るう、巨大な鎌の重量感。


「神崎、あれは」

「こいつが死神。黒木先輩の人生を狂わせた張本人」


 あっけらかんと言い放つ神崎に呼応するかのように、骸骨の眼窩が、ぎらりと炎の色をして輝いた。


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