02
二人が入学する某県岸沢東方高校は、生徒数約一千人を数える公立の進学校だ。通称は『東高』と呼ばれ、十九世紀から開校している歴史を持つ。
元々は隣接した敷地の上で男女別学だったものを、百周年を迎えた近年に校舎を改装、新築する計画を進めるにあたって共学化した経緯がある。これは岸沢市の要望があったと噂されているが、真相は定かではなく、そのうえ実際の教育課程といえば別学当初のまま変化なしという実情もあって、地元新聞でも記事が取り上げられたのは一度きりだ。それ以降は何も問題なく受験生を受け入れ、今日まで至っている。
正門から見られる校内は、すぐに教職員と文化部用の本館に突き当たる配置をしていた。また、門前には新入生用の案内看板が立てられており、男子は東側へ――つまり右側へ、そして女子は左側に進むように指示が記入してある。
どうやらそれが、男女別学の時代から受け継がれてきた敷地の配分であるらしかった。そしてこれが校則で規定してある以上、仙道彰と神崎茜は正門から個別に分かれて移動しなければならない。
「……なんていうか、別に共学化にする必要なんてなかったんじゃないの、これ」
「調べてみた限り、どうも完全別学というわけではなさそうだった」
「そうなの?」
「部活の応援や学校行事のように、男女合同でできるものに関しては、なるべく統一して取り組めるように変更したらしい。だから、一部共学化というのが現状だな」
「なんか、余計に面倒くさいことしてるのね」
「元々が百年以上もの歴史がある学校だ。別学だった伝統をすぐには変えられないから、少しずつ一本化に向けて努力しているということなんだろう」
「ふーん。そう言われても変な努力って感じ。やっぱ大人のすることなんて、あたしには全然わかんないわ」
彰は改めて校内を見やった。新入生独特の、新しい制服に着馴れていない風な生徒たちが案内看板の前に集まり、男女別に別れて次々と敷地の奥へと歩いていく。
「どのみち、学校側から案内が出ているなら仕方ない。ここからは互いに別行動だな」
「あ、ちょっと」小走りで近づき、茜は彰の制服の袖を掴む。「今日はスーパーのタイムセールがあるから、放課後は正門で待っててよ」
「うん? そんなに急いで買う必要のある物なんてあったか?」
「へへ、卵十個入りがたったの十円。お買い得でしょ」
「なるほど」
「じゃそういうわけで。遅れたら荷物持ち決定だからね」
念を押す茜にまじまじと見つめられ、彰は苦笑いしながらも首肯した。いつも戦利品を勝ち取ってくる幼馴染なのだ、せめて荷物持ちぐらいはこころよく引き受けねば罰が当たるというものだろう。
彼女の手が離れたところで、彰は他の男子生徒らと同じルートに足先を向け、全てが目新しい校内の奥へと歩いていく。
案内看板は、まず真っ先に新学級のクラスへの誘導を記していた。黒板に明記してある自分の名前の席を見つけて通学鞄を置き、それから入学式の会場となる大講堂へと移動を指示している。
本館より北側にある、地上三階建ての鉄筋コンクリート造の建物が、その大講堂であるらしかった。屋上部には時計台があり、現在時刻の八時三十分を示している。入学式は、その三十分後に開催予定だ。
一階の入口は、無数の男子生徒でごった返していた。軒の下ですら、まだ入れずに立ち往生している生徒が少なくないので、遅れて到着した彰は玄関にさえ入ることができない。
もとより人の多い場所があまり好きではない彼にとって、これはうんざりするほど退屈な時間を持てあます結果になった。一旦講堂から離れ、近くにあるベンチに腰を下ろす。
なんとなく見上げた大空が、冷たいような青色に染まっていた。
「空、綺麗だね」
その声が自分に向けられたものだとは思えず、彰は黙って空を見上げながら、ベンチに背もたれていた。するとベンチの空いた空間へ――彼のすぐ隣へと誰かが座ってきたので、必然と目を合わせることになる。
等身大の精緻な日本人形、と錯覚させるほどの美人だった。細いフレームの眼鏡がやや和風の趣を崩しているが、全体的に痩せていて、着用している白衣が妙に似合っているものだから、やはり物静かな美人という印象は変わらない。無論、彰よりは年上だろう。
女性は、さも友好的であることを示すかのように微笑んだ。
「もしあの空が、たちまち黒に染まったとしたら、君、どう思う?」
質問の意図がわからなかったが、彰はまた空に目を向けた。
「それは、朝が夜になるだけでしょう」
「そう、朝が夜になる。月も星も見えない夜。それが半日も続いてしまう」
彼女は、かけていた自分の眼鏡をマジックペンで黒く塗り潰した。それを再びかけて、青空を見上げる。
「……うーん、やっぱり暗いだけの夜では退屈だね。観察対象が何もない。変化がないと人は好奇心を失ってしまうみたい。そのうち、生きる気力も失ってしまうかも」
「だったら、その色眼鏡を外してしまえばいい」
「あっさり言うね。でもそのとおりなんだな、うん。ものの見方を簡単に変えられるのは人間だけ。おそらく、この惑星の中で唯一の例外かもしれない」
「……あなたは一体、何が言いたいんです?」
「入学おめでとう、と言いたかったの。仙道彰くん」
途端、すっと首筋が冷えたのを彼は感じた。無意識に体に力が入る。
「なぜ、俺の名前を」
「君の探し物だから。だけど今はまだ視る時じゃない。君はまだ心構えができていない」
「俺の探し物? ……まさか、あなたは」
「まずは最初の壁を突破しよう。君の運命は、御父上と同じくらい過酷で、そしてひどく片思いしているから」
彼女から黒で塗り潰された眼鏡を渡される。
それを見てから再び顔を上げると、まるで狐につままれたように、女性の姿は消失していた。影も形もない。
「待ってくれ、俺は!」
「また会えるよ。君の決意が固いなら」
たまらずベンチから離れて周囲に目を走らせたが、露骨に不審そうな目を向けてくる新入生以外には、誰の姿も見つけることはできなかった。代わりに、大講堂の入口の出入りがようやく落ち着いているのを確認する。
また会えるよ――今はその言葉を信じて、入学式に臨むしかない。
大講堂の玄関からステージのある広い空間に入ると、安いパイプ椅子がずらりと並べられていて、すでに多くの新入生たちが着席している様子が窺い知れた。壁一面には、いかにも手作り感の漂う華やかな歓迎の装飾が用意されており、ステージ上にも校章を飾った幔幕や、梅の花が優しい彩りを添えている。
着席の配置については、クラス別で区切られた空席の範囲内でなら自由らしいので、彰はほどよく空いている席に座ることにした。周囲を見回す限り、どうやら一階は男子が、そして二階には女子の席が割り当てられているようだ。
ちらりと窺えば、神崎茜も今しがた空席を見つけたらしかった。こちらと目が合うと、途端に明るい笑顔で手を振ってくる。よほど入学式が楽しい様子で、そのことをわざわざ携帯メールでも伝えてくるのだから浮かれっぷりも相当である。
「周囲からも浮くなんて、どれだけ喜んでいるんだか」
気を取り直して、もう一度講堂内にざっくりと目を向けていく。
壁際に並んだ椅子は、新入生用のそれに向かって配置されているので、教職員用に設けられたものだろうことはすぐにわかった。それもおそらく、新学級を担当する教諭たちが列席するための椅子なのだろう。その中にはやはり、仙道彰を含めた新クラスの新入生をまとめる教諭も腰を下ろすはずだ。
進学校だけあって、やはり成績に厳しい教諭が担当するのだろうか。
それとも意外と熱血系の、暑苦しい教諭などが担当するのだろうか。
そういえば、学校長はどんな人物なのだろう。
ベンチで会ったあの女性も、学校関係者なのだろうか。
「お、おい、あれ見ろよ」
ふと、どこからともなく聞こえてきた声に、彰も釣られて首を巡らせた。
他の新入生とは一線を画した、並外れて引き締まった肉体をした男が、斜め前の空席にみしりと音を立てて座った。制服の上からでも筋骨隆々とした威圧感が放射されていて、古風な言い方をすれば『番長』というイメージがしっくりくる。
先ほど見た限り、身長は彰よりもかなり高い。少なくとも一九五センチはあるだろう。そんな超高校生レベルで恵まれた肉体に、下手をすると座っているだけで椅子を破壊してしまいかねない風格が備わっているのだから、彼を目撃した周囲の新入生たちが動揺してざわつくのも当然の反応だった。
「うわ、すっげえ……。誰あいつ?」
「お前知らねえの? 本多国雄っつって、去年たった一人で暴走族を潰した中学生だよ。違う学校でも同期だからってんで、一時期めちゃくちゃ噂になっただろ」
「ああ、あいつが噂の……。そういえばさ、現役のヤクザからも誘いがきたとかって話があったよな」
「そうそう。それを聞いた時はどんな化物だよって思ったけどよ。実際に会っちまったら嫌でも納得するわ」
「だな。同じクラスじゃなくてマジで助かったぜ」
その会話が、本人には聞こえないと高を括っていたのか。
本多国雄と呼ばれた男が睨みを利かせて振り返ると、二人は途端にたじろいで、逃げるようにその場から離れていく。
彰も、その噂には聞き覚えがあった。去年の十二月、報道では少年グループの暴走事故だとして、多数の単車が横たわった車道周辺の俯瞰映像が、朝の情報番組で流れていたのだ。急カーブでも急勾配でもない、直線道路の現場だった。当時の重軽傷者は十数名にものぼるらしかったが、死者はゼロだったとレポーターは話している。
その道路には、炎上した後らしく焼け焦げた単車もあれば、ハンドルあたりがぺしゃんこに潰れた単車も倒れていた。しかし彰の眼を奪ったのは、車体が真っ二つに切断された単車である。太いタイヤごと袈裟斬りに――あるいは逆袈裟斬りに――したように非常に鮮やかな切断面だったので、余計に記憶に残っているのかもしれない。
だが、と噂の本人を目の前にして思う。
噂が本当で、あの事故がじつは、多勢に無勢だった暴力を覆した事件だったとしても、たった一人で暴走族を潰すことなど本当にできるのだろうか。茜は論外だが、本多国雄はあれから少し月日が流れているとはいえ、大した傷もなく堂々と今日の入学式に出席している。
相手の経験が、まだ浅かったのか。
それとも本多国雄が、よほど規格外だったのか。
当の本人は、陰口を叩いていた二人を面白くなさそうに見送った後、彰の視線には全く気づかぬ様子でステージのある方角へと向き直る。
会話の内容はともかく、どうやら噂の存在自体は本人も知っているような反応である。だとすれば尚更、先ほどの二人組の会話は心地よいものではなかっただろう。その真偽を確かめることもなく、鵜呑みにした連中がこぞって噂ばかりを広めて敬遠するのだから、わずらわしく思うのも無理はない。
「友達、か」
もし本多国雄が友達になれば、どんな高校生活になるのだろうかと想像して、彰は少し苦笑した。
友達作りよりも、もっと重要なことが、この高校には隠されているのだから。




