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黄金魂  作者: 天野東湖
第04話 未来は光だった
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「なぞなぞの答えは――『右の扉が天国への扉かと訊かれた時、あなたは、はいと答えるか』よね」


 自分の能力について思案を巡らせていた時に、ふと思いついた共通点だった。黒木の能力は、対象の『実名』を指したうえで、その返事が『YESorNO』で回答できるように質問しなければ発動しない。

 対して今回のなぞなぞは、天国の扉がどちらかを指したうえで、天使と悪魔のどちらも『YESorNO』で合致させられるように回答させればよかった。つまり、能力の発動条件に必要な質問方法と、なぞなぞの回答となる質問方法が酷似していたのである。


 ここに気がつけば、質問の文法に多少の手を加えるだけで、後は時間の問題となった。そして黒木の解答が正しかったかどうかは、子供たちの反応を見れば確かめるまでもない。


「すごいや! 本当にノーヒントで解くなんて!」

「ねね、どうしてわかったの? 何か秘訣でもあるの?」


 子供たちが眼を輝かせて近づいてくる。

 こういうのも悪くないな、と黒木は微笑んだ。子供たちを笑顔にするために、真実を追い求めるのも悪くはない。


「秘訣なんてないわ。ただ、最後まで諦めないことは大切よね。諦めない『意志』がある限り、何度だって這い上がることができるんだから」

「えー、何それ。意志があったって、死んだら何もかも終わりじゃん!」

「受け継ぐ人がいるわ。あたしが失敗しても、次の人が、そのまた次の人が失敗しても、心を受け継いでくれる人がいる限り、いつか必ず目的を果たしてくれると信じてる」


 それがあまりよく理解できないからだろう。階と阿部は互いに顔を見合わせ、首をかしげた。


「お姉ちゃんの言ってることはよくわからないけど……。でも、僕たちの負けには変わりないよね」

「悔しいけど、僕たちの負けなんだな。お姉ちゃん、もう動けるはずだよ」


 階が言うとおり、ようやく両足が解放されたようだった。しかし動かそうとした瞬間、足が痙攣して思わず地面に手をつく。

 ふくらはぎを触ってみると、やや固まっている感じがした。ずっと立ちっぱなしだったせいで、むくみまで生じているらしい。足全体が締めつけられるような疲労感に、溜息をつくように辟易(へきえき)する。


「もう足がぱんぱん。早く家に帰ってシャワーを浴びて、その後でゆっくりと足を揉んであげたい気分だわ」

「女の人って、そういうめんどくさいことをよくやるよね」

「面倒ってことは否定しないけど、逆に言えば、それだけの手間暇をかけてるってことよ。だから邪魔だけはしないようにね。あたしたちも一生懸命なんだから」


 はーい、と気安い返事が間延びする。本当にわかっているのか疑わしいが、今はそれを掘り下げている場合ではない。


「さて、約束どおり『F』について知っていることを全部喋ってもらいましょうか」

「約束だもん。仕方ないね」

「ありがとう。素直であることは良いことよ」


 一呼吸置き、思い浮かぶ疑問点をいくつか整理する。


「まず、あんたたちがいつFと会ったのか、聞かせて頂戴」

「六月……だったかな。たぶん、六月に入ってすぐだったと思うけど」

「今年の?」

「そう、今年の。僕たち、いつもこの空き地でサッカーの練習をしてるんだ。その時に、向こうから声をかけてきたんだよね」

「相手は一人だった?」

「うん。すっごく美人の女性で、スーツ姿がカッコよかった」

「お父さんのくたびれたスーツなんかより、全然カッコよかったね」


 六月の上旬といえば、子供用の洋服店を経営していた女性社長が逮捕された頃の話だ。それと同時期にFはこの二人と接触し、おそるべき悪霊が現れる屋敷について何かを話しかけてきた。


 とても奇妙な結びつきである。もし女性社長とFの間に接点があれば、事件の様相には大いなる変化が生まれるだろう。


「もしかして、そのFって女の名前――」


 黒木は、すでに逮捕されている女性社長の名前を口にした。途端、少年たちは大きく眼を見開いて驚きの声を上げる。


「お姉ちゃん、Fさんのことを知ってたの?」

「知ってるも何も、彼女は犯罪者よ」

「ええっ!」


 彼女はiPhoneを取り出し、例の女性社長が逮捕された当日のネット記事を検索した。そして顔写真付きのそれを子供たちに見せると、二人ともたちまち失望した面持ちを浮かべて絶句する。


 悪者だと覚悟はしていたのだろうが、さすがに少女暴行殺人の犯人がそのFだと知った際の衝撃は、やはり計り知れないもののようだった。


「そんな……」

「僕たち、殺人犯にだまされてたの……?」


 所在なく、悔しそうに呟く二人は、本当に居たたまれない表情をしていた。彼らの心が踏みにじられた瞬間の傷痕だ。信じていた相手に裏切られる痛みを、黒木凛は誰より強く知っている。


 階と阿部はしきりにまばたきを繰り返した。その瞳が少しずつ濡れていく。

 その二人の間に立ち、黒木は中腰になった。そして彼らの手を握る。


「世の中にはよく、騙されるほうが悪いと言う人もいる。けどね、あたしはそうは思わない。悪い目的のために人を騙すのは、悪意がある証拠よ。悪意は人を傷つける。人が傷つくということは、それだけ心の痛みに哀しむ人が増えるということ。そしてそれは、人が人に対してやってはいけないことなの。だって、心の痛みで人を幸せになんかできないでしょう? 悪意は人を不幸にするの。だから、決して許しちゃいけないことなのよ」

「でも、僕たち、悪い人に利用されて……ッ!」

「間違えない人なんていない。大切なのは、間違いを認めたうえで、今後も同じ間違いを繰り返さないように気を付けること。それが今のあなたたちに必要なことなの」


 彼女は二人の体を抱き寄せた。男の子の割に、まだ細い体つきだった。


「大丈夫。あんたたちはもう男の子なんだから、ちゃんと前を向いて、二度と間違えないために戦っていけるわよね。だから今は、思いっきり悔しい思いをしていいの。それこそ、次に会ったらぶちのめしてやるぐらいの気持ちでね」


 その時、階と阿部はお互いに堰を切ったように泣き出した。黒木の両肩に、ぽたぽたと熱い何かが落ちてくる。

 だから彼女は背中をさすってあげた。優しい手つきだった。それで二人はまた泣き声を張り上げた。しがみつく手に力が入る。しばらくこのままでいることが、彼らにとっての傷薬になるようだ。


 やはり、Fという女は許せない。


 それにしても、あの女性社長とFが同一人物だったという不可解な謎は、黒木とて驚きを禁じ得ない。なぜ、という疑問が尽きないのだ。警察手帳、噂の屋敷、そして暴行殺人事件――。


 一見すると何も関連性のないキーワードに思える。だが、関連性がないはずがなかった。そうでなければ、わざわざFを名乗って子供たちと接触したりしない。しかしあの事件と屋敷を繋ぐ相互関係など、今の黒木には欠片ほども思い浮かばなかった。


 そういえばFは、屋敷が犯罪者の巣窟になっていると子供たちに告白している。ただし、この話自体に信憑性がないのは確かだろう。Fの正体は、すでに逮捕されている女性社長だった。そして屋敷の中に潜むのが、犯罪者以上に危険な悪霊だと黒木自身も知っている。ゆえに屋敷の話については、子供たちの関心を引き寄せるための嘘だと切り捨てることができるだろう。


 問題は、なぜ子供たちの関心を屋敷に引き寄せる必要があったのかだ。そうでなければFは接触しない。そしてFは確か、子供たちにこう告げていたはずだ。あの屋敷に入ろうとする連中はみんな悪者だ――。


 犯罪者の話が嘘ならば、あの屋敷に入ろうとする人間が悪者だという話も当然、嘘だと解釈できる。ではなぜ、そのような嘘をつく必要があったのか。

 嘘を信じさせることで、屋敷の前で挙動不審な態度をとる人間を子供たちに注目させるためだ。犯罪者の巣窟に入ろうとする悪者なのだから、子供たちは躍起になって見張りを続けるだろう。そして現れた悪者と接触するはずだ。なぜなら悪者は、懲らしめなければならないから。


 しかし、これは真っ赤な嘘である。ではなぜFは、屋敷に入ろうとする人間を、虚言を駆使してまで子供たちを利用して、妨害する必要があったのか。


 ……妨害?


 そこまで考えたところで、黒木は愕然とした。全くの逆なのだ。屋敷に入る人間がFにとって脅威なのではない。屋敷に関心を持った人間こそが脅威なのだ。それを悟られないための不特定多数として、犯罪者の巣窟という言葉を選んだ。おまけに子供たちならば、屋敷の周囲をうろつき回っても特に怪しまれずに済む。


 つまり、Fにとって最も厄介なのは『屋敷』そのものだったのだ。あの屋敷には秘密がある。それはFにとって明るみにされたくない秘密であり、だからこそ屋敷を調べようとする人間たちの思惑を妨害しようとする。なぜならあの屋敷には悪霊が棲みついていて、おそらくはFも入れないほどの危険地帯となっていたからだろう。でなければ、あの屋敷に隠された秘密は早々に処分されて然るべきである。


 調べに行くしかないだろう。

 電波の届かない不吉な敷地。

 即ち、悪霊が息を潜める最悪の屋敷の中心部を。


 そこに、四月から続いている事件に秘められた、真の謎を解く手がかりが残されているのなら――。


「お姉ちゃん。じつは僕たち、Fから預かっている物があるんだ」


 穏やかに涙が引いていた阿部がそう言った。階も同意するように何度も頷く。


「どういうこと?」

「Fが言ったんだ。もし僕たちが負けたら、相手にそれを渡してほしいって」

「渡すって、何を?」

「箱だったよ。真っ白い箱だった。ほら、ケーキを入れる時に包むような、どこにでもありそうな箱」

「中身を見たことは?」

「ないよ。それがFとの約束だったから」


 じつに突飛な話だった。能力者だと見込んで悪者を懲らしめろと頼んだ子供が負けた時、その相手に箱を渡せとFが言ったのだという。まさに謎の箱だ。安易に触れるべき物品でないことは、さすがに論を待たずに理解できる。


 しかし、触れるだけなら無害であることは子供たちが証明していた。約二か月以上もの間を保管していたのだ。一度その箱を見てみるだけなら問題はないだろう。


「その箱、ここに持ってこれる?」

「うん。ちょっと待っててね」


 謎の箱は、どうやら阿部が保管しているらしかった。五分程度のごく短い時間で、彼は問題の箱を手に持って戻ってきた。


 一般的なギフト用の白箱のようだ。外観は長方形で、何も印刷されていない素地を使用しており、約六号までの大きさなら確かにホールケーキも入れられるだろう。しかし把手(とって)がなく、意外とずっしり重い。二キロ、いや三キロだろうか。耳を近づけても、少なくとも秒針が動くような音はしない。だが箱を少しだけ振ると、カタカタと中の物品が擦れる音がする。


 黒木は思いきって上蓋を開けてみた。旧型のラジオカセットレコーダーが横に寝かせて入れてあった。黒に近いような濃いグレーで、十センチほどの丸形スピーカーが単一して右側に、そして左側にはカセット蓋がある。

 レコーダー本体は、横幅が三十センチ程度、高さが十センチ程度の大きさだ。アンテナ付きがいかにも時代遅れといった感じで、黒木でさえ初めて手にした代物である。電源は乾電池式、ご丁寧にもカセットまですでに挿入してあるようだった。


「今時カセットレコーダーって、ありえないよな」


 子供たちが茶化すように笑う。しかし黒木は笑えなかった。


 これは伝言なのだろうか。Fは――というよりも女性社長は、なんらかのメッセージを残そうとして、子供たちを利用したのだろうか。


 悩んだ末、彼女はレコーダーの再生ボタンを押した。しばらくは砂嵐が流れた。音量はどうやら、つまみを左右に回転させて調節するらしい。


 声が、聞こえ始めた。


「初めまして、愛するあなた。今は『こんにちは』でしょうか、それとも『こんばんは』でしょうか。もしかすると『おはよう』かもしれないわね。いずれにしても、今ここで、私とあなたの接点が生まれたということがとても重要なこと。その一点だけが、何よりも大事な心構え」


 女性の声だった。しかしこれが、あの女性社長の声なのかはわからない。黒木は彼女の声質を知らなかった。無論、白衣の女性の声でもない。


「自己紹介をするわね。私の名前は『憑き物』と言います。ふふ、なんのことだかわからない? もしかすると、愛しいあなたは本当に無関係の人かもしれないわね。でもそれがあなたの運命。さっきも言ったでしょう? ここで出会ったという事実そのものが、最も大切な絆なの。私とあなたを繋ぐ、たった一つの赤い糸。だから私はあなたを愛しているわ。たとえそれが、すぐにお別れしなければならない運命にあるとしてもね」


 得体の知れない緊張感に包まれる。黒木も、子供たちも、疑問を差し挟む余地すらなく女性の声に耳を傾ける。


「あなたはパンナム一〇三便を知っているかしら? 私も同じ体験をしたから、ぜひ同情してあげたいけれど、専門家に聞いてみたら、とても芸術的な出来栄えだったんですってね。一九八八年十二月二十一日、スコットランド地方の現地時間で午後七時の特大花火よ。わずか四〇〇グラムほどの重量しかない、セムテック入りのラジオカセットレコーダーがその原因。もっと正確に言えば、高度計信管による時限装置が作動したから、らしいわ。ねえ、愛しいあなた。そんな、専門家でさえ舌を巻く芸術作品に、一度でいいから、実際にその眼で見てみたいとは思わない?」


 触れてもいないのに、別のスイッチが作動する。

 カチリという冷徹な音。

 モーターが動き出す音。

 パンナム一〇三便。

 ラジオカセットレコーダー。

 特大花火。

 時限装置。

 すぐにお別れしなければならない運命――。


 全身の血液が逆流する。そのような寒々しい感覚を、黒木はたっぷり味わった。


「残念ながら、素人の私には単純な構造だけで精一杯だったわ。その代わり、おかわりもできる量を用意してあげた。猶予は一分。残り五十九秒、五十八秒……。ああ、ぜひとも今この瞬間が『夜』であることを祈るわ。だって、昼の花火は優雅ではないでしょう? 美しくないものは見る価値もない。私は無価値なものを決して好まない」


 黒木は走った。レコーダーを胸に抱えて、とにかく走り続けた。ここは市街地の中心だ。どこか捨てる場所を探さねばならない。それもたった一分で。


「私は人間が好き。でも、人間が奏でる断末魔はもっと好き。あと四十六秒、四十五秒。愛しいあなたが奏でる断末魔を、この耳で聞いてあげられないことが唯一の心残りだわ」


 黒木は叫んだ。くそったれと思った。この女を少しでも哀れに思っていた自分が情けなくなる。こいつは性根の腐った悪魔、同情の余地もない最悪の犯罪者だったのだ。


「お姉ちゃん!」

「どこ行くの! 待ってよ!」


 子供たちがついてくる。離れてと叫ぶが言うことを聞いてくれない。それで余計に叫び声を上げた。たまらず『神様』と叫んだ。ついに涙がこぼれた。残りが何秒かわからない。もうカウントダウンが聞こえない。怖い。おそろしい。猶予は後、何秒だ。


 一方通行の細い道に出る。

 角を曲がって入口を見た。

 縁側に続く中庭の景色が。


「さようなら」


 胸元のレコーダーが発光した。それは真夏の熱気など比較にもならずに、強烈な熱風とともに胸元からやってきた。その一瞬で、黒木は過去を思い出した。それが落涙と同時に蒸発する。本当にあっという間の出来事だった。


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