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「なぞなぞ?」
「そうさ。今、僕たちのクラスで流行ってるんだよね」
邪気はなさそうだが、どこか狡猾さも備えた眼をしていた。どちらも短髪だが、直毛と天然パーマに分かれている。おそらく非常に仲の良い友達同士なのだろう。少なくとも、顔立ちは全く似ていない。
とりあえず黒木は息を整えることにした。一度足を止めてしまえば、もうがむしゃらに走り続けるのは難しかった。
それに息が整えば、冷静な思考も少しずつ取り戻すことができる。男の子たちの反応は最初から不自然だ。なぜ見ず知らずの他人に、それも一目で年上とわかる黒木を相手に、突然『なぞなぞ』をしたいなどと切り出すのか。
いや、無考えの子供をいちいち相手にしていたら埒が明かない。
彼女は二方向に枝分かれした道筋に視線を巡らせた。黒木のいる場所は言わば、Y字路の中心地点に値する。そして追いかけてきたのは南側からなので、四つ辻で遭遇した影はまず間違いなく、男の子が二人いる空き地のすぐ横を通って逃走を図らねばならない。
「残念だけど、子供の遊びに付き合っている暇はないの。それより本当に誰かがこっちに走ってこなかったの? ちゃんとよく思い出して」
眼を険しくして言ったつもりだが、彼らはまるで意に介していないのか、むしろ黒木を小馬鹿にするように気取った仕草で知らんぷりを決め込んだ。さすがの彼女も、これには苛々させられた。
「ちょっと、あたしは今すっごく急いでるの。知らないんだったら知らないって、はっきり言って!」
「えー、だってなあ?」
二人はまたしても顔を見合わせ、意地悪そうに笑い飛ばす。それで余計に腹が立ったが、どうにか怒りを噛み砕いて飲み込むことにした。
「あのね。あたしが追いかけている相手は、もしかしたら凶悪犯かもしれないの。そんな奴を放っておいたら、この街がめちゃくちゃになっちゃうかもしれないのよ。あんたたちだって、友達を殺されたくはないでしょ」
「――は? 凶悪犯?」
「そうよ。事の重大さがわかった? こっちに逃げてきた犯人は、あんたたちの顔も見たかもしれない。そしてあたしが、あんたたちから相手の情報を訊いたと知ったら、今度はあんたたちまで標的にされるかもしれないわ。そうなるのは嫌でしょ?」
しかし、彼らの反応はまだ鈍かった。きょとんとして、全く危機感がない。
黒木は歯噛みした。子供に事態の重さを説明するのは、思っていた以上の労力を必要とするようだ。あまり苛立ちを抑えきれそうにない。
「だから早く教えて頂戴。あいつはどっちに逃げたの? 追いかけて正体を突き止めないと、もしかすると大変なことに――」
次の瞬間、子供たちは腹を抱えて笑った。呆気に取られたのは黒木のほうだった。恐怖で頭がおかしくなったのか、それとも状況が理解できずに、能天気にも笑い話だと勘違いしているのか。
「ちょっと、あたしは冗談を言ってるつもりじゃないんだけど!」
「だって、凶悪犯と僕たちを間違えてるんだよ! お姉ちゃんの眼、節穴じゃん」
がつんと、言葉で頭を殴られたような衝撃があった。四つ辻で逃げ出した影の正体が、この子供たちだという。
ただし、思い当たる節が全くなかったわけではない。そういう可能性も考えてはいたが、だとすると『彼』の件はどうなるのだ。この幼い二人組が人を殺すのか。あるいは二人のうちのどちらかが、本物の『彼』なのか。
まさか、ありえない、と黒木は自ら持ち上げたおぞましい推論をすぐさま振り払った。動転して気が立っているのは事実だろう。しかし、だからといって、小学校の高学年風な男の子たちを前にして、まるで殺人狂みたいに取り上げるのは暴論だと認めざるを得ない。彼らの言うとおり、見る眼がないのは自分のほうだったのだろう。
「……じゃあ、あの屋敷の前から走っていったのは、あなたたちなの?」
「そうだよ。別になんでもないけど、お姉ちゃんがすっごく驚いた顔して走ってくるから、僕たちも夢中になっちゃってさ。だから、もしかして遊んで欲しいのかなと思って、ここで待つことにしたわけ」
だから、体力とは無関係のなぞなぞ遊びをしようと切り出したのか。なんだ、あまりに単純すぎて、逆に拍子抜けしてしまう――。
「それにお姉ちゃん、あのでっかいボロ屋敷に入ろうとしてたよね」
「――、え?」
「Fさんが言ってたよ。あの屋敷に入ろうとする連中はみんな悪者だって。だったら、お姉ちゃんも悪者だよね? 悪者は懲らしめなきゃいけないって、子供でもわかるよ」
背筋に冷たい汗が流れた。今まで走っていて体温が上がっているはずなのに、薄ら寒い感じがする。夏の陽射しはただ眩しいだけで。
「あんたたち、何を言って」
「なぞなぞは全部で五問。僕たちが問題を出すから、お姉ちゃんは答えるだけでいい。五問のうち三問に正解すればお姉ちゃんの勝ち。でも逆に三問間違ったら、僕たちの勝ち」
「ちょっと、あたしは遊ぶなんて一言も」
言ってない――そう言おうとして、黒木は言葉を止めた。強引に話を進めようとする子供たちに近づこうとした矢先に気づいた出来事だった。
足が、全く動かない。
「なに、これ……ッ!」
「僕、ゴールキーパーなんだ。ボールを止めるわけじゃなくて足を止めちゃうのは皮肉だと思うけど、よく考えたら無敵だよね。相手を動けなくさせちゃうなんてさ」
天然パーマの男の子が言う。
手に持っているサッカーボールを地面に置いて、直毛の男の子も進み出た。
「そんで、僕はエースストライカーってわけ。触れた物体をもっと固くすることができるんだ。お姉ちゃん、身動きとれないよね? 罰ゲームPKって知ってる? 知らないなら知らないでいいよ。どのみちサッカーボールがものすごく固くなったら、こんな風になっちゃうからさ!」
強く蹴り出されたサッカーボールは、空き地、と書かれた看板を木端微塵に吹き飛ばして奥の塀にぶつかった。球状の痕跡を穿ち、さながらボーリング・ボールめいた重量感を見せつけて地面に落ちる。
もしあの威力が黒木の細い体に当たれば、骨まで折れるかもしれなかった。
「あんたたち、まさか」
「僕の名前は、階誠也」
「僕の名前は、阿部真」
階、と名乗る天然パーマの男の子。
阿部、と名乗る直毛の男の子。
黒木は確信した。この子供たちは二人一組の能力者なのだと。
「さあ、僕たちとゲームしよう」
くそったれな話だが、黒木は自分が追い詰められていることを悟った。それも、年端もいかぬ子供二人を相手に、高校生の自分が、である。
とにかく冷静になれ、と黒木は念じ続けた。まずは状況を把握し、それから打開策を講じなければ、相手への主導権は奪えない。
四つ辻から追いかけてきた影の正体は、二人組のサッカー小僧だった。しかも二人して能力者で、その彼らから攻撃を受けているのが現状だ。それはなぜか。
悪者だからだ。あの古ぼけた屋敷に入る連中はみんな悪者だから、入ろうとしていたと勘違いした二人が黒木を攻撃している。ではなぜ勘違いしたのか。黒木が屋敷のほうへと眼を向けて立っていたからだろう。ここまではなんとか推察できる。
解せないのは一点だけだ。
あの屋敷に入ろうとする人間が、どうして全員悪者だと断定できるのか。
「……あんたたちの言う、Fって、誰?」
「刑事さんだよ。警察手帳も見せてくれたから間違いない」
「手帳を見て、名前もわからないの?」
「バカだなあ、お姉ちゃん。犯罪者に刑事さんの名前を教えるわけないでしょ。刑事さんの名前を出す時は『F』に統一しようって、そう決めてるんだからさ」
「じゃあさっき、あんたたちの名前を教えてもらったけど、それはいいわけ?」
「――、あ」
いかにも子供らしい仕草で眼を泳がせる。だがやがて妙案が浮かんだのか、また余裕のある表情を見せて腕を組んだ。
「さっきのは偽名だよ。だから本気になんてしないでよね」
「階誠也に質問する。Fの名前を知ってるか」
「はい」
「男?」
「いいえ」
驚いたのはやはり天然パーマの階だ。今の回答が自分の意思で出たものではないことに即座に気づき、混乱している。
能力『真実の口』を使わせてもらった。しかし効力は万能ではない。相手を『実名』で指定し、回答が『YESorNO』となるように質問しなければ、能力自体が発動しなくなるためだ。
ただしこの場合の『実名』とは、必ずしも戸籍に登録している本名とは一致しない。素性に触れる接点として長年本人に定着している呼称があれば、そちらのほうが優先されるからだ。おそらく本人の自覚によって、実名も変わるからだろうと黒木は推測している。
「ば、バカ! 何を本当のこと言っちゃってるんだよ!」
「そ、そんなこと言われたって、僕のせいじゃないよ!」
一時的な仲間割れも、すぐに落ち着くだろう。二人が告白した名前が真実であることを確認した今、なるべく隠し通すべきは、黒木自身もまた能力者であるという真実だ。唯一の武器はこれしかないのだから。
「あんたたちに近づいたFとやらは、女性なのね。しかもあの屋敷が、悪者の巣窟みたいになってると嘘を吹き込んだ」
「う、うそじゃないよ! だって僕たち、あのボロ屋敷で怪物を見たんだから!」
その言葉に、彼女は背中が急速に冷やされる思いを味わった。体中の水分が抜かれて、干物になるような感覚。
「あんたたち、あの屋敷に入ったの?」
「そ、そうだよ! そこで見たんだ! 骸骨みたいな幽霊が突然現れて、いきなり僕たちを襲おうとしたんだから! あれは悪い奴だ。それに、あれを操ってる悪い奴が中にいるんだってFさんも言ってた! だから――」
「バカ! あの屋敷には入っちゃいけないの! 本当に、すごく危険なんだから!」
怒られて、二人は肩を震わせた。後ろめたく翳った眼に、起き上がるような怒りの光が宿っていく。
「……なんだよ。悪者のくせに、僕たちに説教するつもりかよ」
「あんたたちが何を言おうと、危険なものは危険なの。だから今も放置されてるんだって、どうしてわからないの。大体、そのFって女は、なんであんたたちにそのことを教えたのよ。まさか、あんたたちに悪者を懲らしめさせるために秘密を打ち明けた、とか言うつもりじゃないでしょうね」
言葉が喉に詰まるあたり、どうやら図星だったようだ。それで黒木は余計に腹が立って仕方がなかった。子供を利用して他人を攻撃しようと策謀を巡らせたFという女は、どう好意的に解釈しても人格者とは呼べない悪意の存在だ。許せるはずがない。
しかしそうなると、白衣の女性が残していった意味深長な言葉がさらに不可解となってしまう。彼女は『彼』と言ったのだ。最初はてっきりFがその人物なのかと疑っていたのだが、ここにきて見解が割れるとはどういうことだろう。
ひょっとして、からかわれただけなのか。
いや、そもそもあの女が、Fという可能性も残されている。
しかし――たった一つの救命措置。
「……いいわ。あんたたちの遊びに付き合ってあげる」
「ぼ、僕たちは遊びのつもりなんかじゃ――」
「その代わり、あたしが勝ったらFのことを洗いざらい喋ってもらうわ。それでそのFとかいう女に説教してあげる。怪物が棲む家に子供を巻き込もうとするなんて、絶対に許せないってね」
子供たちと睨み合う。彼らも薄々はFの悪意に気づき始めているのだろうが、引っ込みがつかなくて意地になっているのだろう。
そういう時は、素直に負けを認められる口実を作ってやればいい。この場合はなぞなぞ勝負だ。子供たちが提示する五つの問題を黒木が紐解くことで、邪悪なFが仕掛けた簡単な呪いをも解くことができるだろう。
必要な正答数は三つ。
間違えてもいいのは二問だけ。
「真っ向勝負よ。正々堂々、小細工なしで答えてあげる」
「時間制限は十五分だ。年上なんだからノーヒントでいいよね。これでどう?」
「結構よ。問題ないわ」
「じゃあ第一問! 学校が休みの時にしか乗れない電車はなーんだ!」
たかが『なぞなぞ』だと軽んじていたが、なかなかどうして。
最初の問題から、やけに長考してしまう黒木だった。




