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本多国雄は考える。
昨日、昼休みの屋上でアシュレイが見せた『能力』の片鱗。そして現在も周囲の温度が急激に下がっていくあたり、彼の能力は紛れもなく『冷気』に関連しているはずだ。その有効範囲、熟練度、応用力は未知数だが、おそらくは互いの距離を保ちながら直接攻撃を仕掛けてくるタイプだと想像できる。
しかし対する『神風』の間合いは、本多国雄から約三メートル以内の半径に限定される。土地勘もなく相性も不利なこの状況で、いかに相手に接近し、そして打倒するか。今回の戦いの肝はつまるところ、神風の使い方に集約されるだろう。
未知なる相手の戦法が、こちらの対策を決めるのだ。
「――はっきり言って、ボクは君が大嫌いだ」
アシュレイは鮮やかな緑の光を宿した美しい瞳を彼に向けながら、冷酷に言い放った。敵意と憎悪が入り混じった、冷たい眼差し。
「無神経で非常識、そして平気で他人を侮辱する傲慢な眼。ボクが気に入らないのはその眼だ。まるで血肉に餓えた野獣のように汚らわしいその眼が、ボクをどうしようもなく苛立たせる」
「ふん、いいじゃねえか肉食でよ。それともお坊ちゃまくんは噂の草食系か? たまには脂身たっぷりのジューシーな肉でも食らわねえと、いい按排に腹持ちしねえぜ」
「……口の減らない奴だ。どうやら格の違いを見せつけないと、自分の立場がわからないようだね」
「良いことを教えてやろうか。お前はオレに対して怒ってるんじゃねえ。たんに焦っているだけだ。テメェはオレの中の何かを恐れている、恐怖しているからこそ、たやすくは近寄らせたくねえってわけだぜ」
途端、おそろしく不潔なものを見るように、アシュレイの眼が細まった。拳を握りしめ、鋭く、眼光を研ぎ澄ませる。
「ボクが、お前を恐れている、だと?」
「この世には例外なく『天敵』がいる。生まれ付きの相性ってやつだ。そいつは人間にも当てはまるだろ? オレとお前の関係さ。お互いを認めたくねえ者同士の、対立関係ってやつだぜ」
さらに空気中の温度が低くなる。もはや夏の残滓もない、冬の凍気そのものだ。夏服の薄手では、国雄の体温が削り取られるように奪われていく。
「……ボクは恐れてなんかいない。お前は地獄へ落ちるんだ! このボクが落としてやる!」
アシュレイのすぐ目の前の空間が揺らぎ、突如として親指大の結晶が無数に浮かび始めた。それらの結晶は次々と一点に凝集し、等身大の巨大な氷塊を空中に作り上げていく。
「なッ――」
「殴り合いだけが決闘だと思うなよ、野蛮人」
氷塊が動く。その初速、あたかも眼にも留まらぬ球速を想起させるほどに迅い。
しかし『神風』――生きた人間には使えない天下三名槍も、物言わぬ氷の塊が標的なら躊躇は不要。ただの一突きで氷塊を串刺しにするやいなや、その速度をあっさり縫い止め、片手で優雅な舞いを披露した後に再び空中へと固定してみせる。
無論、神風の正体を知る由もないアシュレイには、何が起きたのかわかるはずもない。
「バカな、一体何が――」
「とんだ甘ちゃんだぜ。さあ、これで正当防衛だ。自分だけが特別だなんて甘ったれ、漢の戦いに持ち出してくるんじゃねえ!」
蜻蛉切を一振りし、串刺しにした氷塊をアシュレイめがけて投擲する。
だが氷塊は、自らを生み出した美少年に命中する前に霧散した。氷塊を形作っていた能力の戒めが一瞬で解かれたからだろう。そして彼は眼を細め、無傷の国雄をねめつける。
「能力者か。本多国雄、君はボクと同じ能力者だったんだな」
「ふん、やっと頭を働かせ始めたか? だが遅えな。テメェの頭が鈍いうちに、こっちはある程度の見当をつけたぜ」
本多国雄が、歩を進めた。
「気体を集めて氷にする能力――だが気体が固体に変化するためには、その間に液体へと変化してなきゃならねえ。水蒸気、水、氷ってな具合によ。そして戻すのは一瞬だった。能力の効果を解除したからだ。おまけに昨日、昼休みで見せた雪の結晶。テメェの能力の正体は、この一連にある冷却過程そのものだ。ずばり『凍結』能力!」
アシュレイは反応しない。だが間違っているならば、即座に国雄を嘲笑するだろう。
ゆえに彼は確信する。この能力を相手にする場合、真に推し量るべきはその凍結効果の範囲に絞るべきであるのだと。
凍結対象に例外はないのか。どの程度の距離まで凍結させることができるのか。凍結の速度はどこまで加速できるのか。生み出した氷の支配はどれほど自在なのか。
そして大気が急速に冷やされ続けた時、人体にどのような影響が及ぶのか。
長期戦は確実に不利である。相手の位置をなるべく神風の間合い内に入れておかねば、敗北はおそらく必至だろう。ならば短期決戦こそ、国雄が組み立てていくべき戦略の要であるはずだ。
「……だからどうした。それでもボクの圧倒的優位は揺るがない」
そこで、国雄はたった今気づいた。彼自身の、ほんの一メートル以内の空中に留まっている氷の結晶が、鉛玉のサイズで数えきれないほど生み出されていることを。
まずい、と思った。
だが気づくのが遅すぎた。
「全方位からの氷の弾丸だ。その全て、防げるものなら防いでみせろ」
最後の一音が合図だったのか。前後左右、頭上から足許に至るまでのあらゆる方向から、半透明をした氷晶が疾風の如き速度で本多国雄に殺到する。
その大多数を、神風は自らの無敵の体と、蜻蛉切を駆使して防いだ。しかし、背後から肉薄する氷晶群ばかりは防ぎようがない。もとより国雄自身が動くこともままならぬ状況で、氷の弾丸を全て防御できるはずがなかった。
かくして、本多国雄の背面に、美しく煌めく結晶が豪雨のように突き刺さる。その瞬間、彼の口の端から赤い飛沫が四散した。
発光体を作り、閃光を放つ。
この不可思議な事象操作を行った点から推測すると、アステリアはたぶん光に付随する『何か』の能力者だろう。でなければ何もない空中から、発光体そのものを作れるはずがない。
しかし、だとすると新たな疑念が生じる。あの閃光の後、彼女は無防備だったあたしには何も手を出さずに、正面階段の上がり口まで後退した。その距離はおよそ五十メートル。そして閃光が視界を奪った時間は約六秒。
決して不可能な移動距離じゃないけど、たんなる快走にしては足音がなさすぎた。何も聞こえなかったと言ってもいい。それとも彼女は、素の身体能力でそんな常人離れした芸当を披露できるほど優れた実力者なのか。
「……ずいぶん臆病だね。そんなに離れてないと、安心して戦えないとか?」
「離れている?」背後からアステリアの声。「誰が、誰から離れているのですか?」
あたしはすぐさま振り返った。当然そこには屋敷の玄関、その巨大な門扉しかない。
もう一度、正面階段を見やる。宿敵はやはり優雅な物腰で長い髪をかき上げていた。
瞬間移動?
違うだろう。ただそれだけの能力なら、発光体の出現は説明できない。それに、たとえ瞼を閉じていようと、あの閃光では強烈な負荷を遮断することはできないはずだ。だから閃光の強さを自在に変更できるのも、彼女の能力の強みとなっているはずで。
「アステリア、アンタ一体……」
「理解できない。それはこの世のあらゆる感情の中で、最も『おそろしい』衝動ではないでしょうか。なぜなら正体不明だからこそ、自分が追い詰められていることにも気づけない。しかし、あなたはそれでいいのです。何も理解できぬまま、ただ敗北のみを噛みしめて、この屋敷を出ていきなさい」
腹部に強い衝撃。頭の中が真っ白になる。眼前に黄金の奔流がさらりと流れているのは、それがきっと、アステリアの長い金髪が空中にたゆたっているせいだろう。
不可解な瞬間移動攻撃。
けれどあたしは、簡単に吹き飛ばされてなんかやらない。お腹はものすごく痛いけど、耐えられないほどでもない。掌を見せる宿敵の右腕を掴む。彼女が驚く気配がした。
「……わっかんないなあ。ほんと、アンタの能力の正体が掴めない」
「これは――」
「けど、アンタは捕まえた。指一本じゃ満足できないもんねッ!」
すかさず左のボディブロー。間合いはもちろん、踏み込むタイミングも申し分なかったはずだった。
それでも拳は空を切る。しっかりと掴んでいた右腕どころか、彼女の体も一瞬のうちに消えて見失ってしまう。
体勢を立て直す。アステリアは少し離れた、五メートルの位置に立っていた。まるで何事もなかったかのように、襟を正して、端然と。
あたしたちはまた睨み合う。ほんの少しの休息時間。
「……なんて言ったかな。ボクシングで、今のアンタみたいな戦い方のこと」
「アウトボクシングですか。和製英語では一撃離脱とも言いますが」
「あー、それそれ。まさに必要最低限の戦い方って感じだよね。必要な時に必要な行動を必要な速度で実行する。もしかしてアステリアってば、無駄が嫌いなタイプ? 合理的で美しい勝利でないと気が済まないとか」
「そういう茜さんは、一見すると無鉄砲で、じつに典型的な向こう見ずの方だと分析してしまいがちになりますが。実際は相手のことをよく観察していらっしゃいますね。たった今この瞬間にも、無駄口を叩いて時間稼ぎをしておきながら、どこかに使えそうな勝機が隠されていないかを注意深くチェックしているのでしょう? 油断も隙もないというのは、まさにあなたのことを仰るのでしょうね」
「ふーん。今度は相手を褒めて、その反応を窺おうってわけ? 大体アンタ、なんであたしのことを名前で呼ぶのさ」
「茜さんこそ、先ほどからわたくしの名を呼び捨てにしていますが」
「……別にいいじゃん、ちょっとぐらい呼び捨てにしても」
「では、わたくしも心の赴くままに呼ばせて頂きます」
く、こんの、可愛くない奴ッ!
しかし悔しいかな、アステリアの分析は見事に的を射ている。このエントランスホール、そもそも無駄に広大な空間なので、幅も高さも奥行きも相当あるのだ。
これでもし、一瞬で距離を詰められる一撃離脱戦法を得意とする人間がいたなら、そのアドバンテージは絶大な有利をもたらすはずだ。かといって、その戦法を可能とする『能力』の正体をこそ見破らなければ、どのような対策も立てられない。
さて、彼女の能力とは具体的に何を示すか。
雷などの、電気に由来する能力の可能性はどうだろう。この場合、発電しなければ光を放出できないはずだが、先の発光体にそのような傾向は見られなかった。炎も同じく却下できる。さして高温でもなかったし、その前に、完全な球体になりえる炎をあたしは知らない。
「行きます」
アステリアの宣告。
背中から衝撃を受け、体が硬直する。吹き飛ばされないが、あまりに突然なので痛みに対する心構えができない。それが余計に心身の疲労を増幅させる。おまけにアステリアの移動の気配が一切掴めないのも、確かにおそろしくはあった。
ただしこの人智を超えた瞬間移動攻撃は、最初の一撃のみのようだ。背後からの追撃は拍子抜けするほど精確に読める。宿敵からの初撃を利用して前のめりに前転し、すかさず背後への足払いを仕掛ける。
当たるとは思わないし、真実、アステリアには当たらなかった。追撃のため踏み出そうとしていた左足を引く、そんな最小限の動作だけで足払いを躱し、右の掌にあの発光体を生み出した。やっぱりあれは、彼女の意思で自在に操作できる代物であるらしい。
また距離を保つのか――そう思って右腕で目許を覆ったが、強烈な閃光は走らなかった。しまった、と後悔だけが脳裏に走る。これは視覚への目晦ましではなく。
「光を防ぐために反射的にとってしまう『行動』への目晦ましです」
ずどん、と鋭角的に振り下ろされた首筋への痛烈な打撃。
襲いかかるはずだった光の代わりに、今度は真っ暗な闇だけが視界に広がった。




