16
念願叶い、あたしは今日ついに、彰と結婚する。
もう婚姻届は役所に提出してあるけれど、やっぱり親しい友達や、これまで何度となくお世話になってきた方々を招いて挙式を上げたい。それが世の全ての女性の悲願であり、夢見る瞬間のはずだから。
思えば、いろんな難事件と関わって、さまざまな人たちと国籍を問わずに交流してきたものだ。会話の通じない犯罪者もいれば、切ない恋のすれ違いにより誤って他人を殺してしまった人もいるし、友達を守るために自分を犠牲にしてまで警察と戦い抜いた人もいた。
そのいずれもの出会いが、あたしと彰を成長させてくれた経験として、深く心の奥底に刻み込まれている。今までも、これからも、きっとあたしたちは片時も離れることなく、探偵とその助手として――ううん、今日からは夫とその妻として、光の当たらない世界の片隅で泣いている人々のために悪と戦い続けるだろう。
だけど今、この瞬間だけは、あたしの隣をお父さんが一緒に歩いてくれている。嬉しいのか悲しいのか、それとも恥ずかしいのか困っているのかよくわからない、へんてこりんな顔をしてあたしと腕を組んでいる。今まで一度も見せたことのない、弱った顔だ。でも、だからこそ余計に、お父さんの並々ならぬ緊張が伝わってくる。
ごめんね、お父さん。
今まで沢山の迷惑をかけてきたよね。
でも大丈夫。
これからは、もう大丈夫だよ。
だってあたしには、これ以上いないってぐらいに頼りになる旦那様がそばにいてくれるんだもの――。
神父さんの前に到着し、お父さんは不器用な笑顔を作ってお母さんの横に腰をおろした。ずらりと並んだ参列者たちの最前列、天然パーマのお母さんはもう泣き崩れていて、その肩をお父さんがしっかりと抱き寄せている。ああ、そんな顔を見せられたら、あたしまでもらい泣きしちゃいそうだ。せっかくの晴れ舞台なのに。二時間かけてスタッフさんに頑張ってもらったメイクを落としたくないのに。
国雄くんやユキちゃん、黒木先輩と新田くん、それから渋沢さんに三嶋さんに清水さんも、今日のために駆けつけてくれている。みんな笑顔だ。そんな仲の良い友達に見られていることを改めて自覚すると、何やら嬉しいやら恥ずかしいやら誇らしいやらで、つい、顔がにやけてしまう。
――ああ、だめだ。本当に泣いちゃいそうだ。
ありがとうと言いたくても、込み上げてくる感動を堰き止めるのに精一杯なんだもの。
奮発した純白のウェディング・ドレス、もしかすると汚しちゃうかもしれないよ――。
ええい、全くこんな大事な時に、新郎の彰は一体何をしているのだ。神父さんの前でえんえんと新婦を待たせるなんて、非常識にもほどがある!
と、そこまで考えて疑問が首をかしげさせた。普通、誓いの式場では新郎が先に神父さんの前で待つものではなかろうか。仮に、百歩譲って予定が変更になったとしても、そういう都合上の変化なら速やかに新婦のあたしにも緊急の連絡を入れるはずだ。それだけにどう間違えても、新郎のいない式場で新婦を待たせることはありえない。
ふと気がつけば、神父さんどころか、式場の参列者らが一人もいなくなっていた。お父さんもお母さんも、国雄くんたちの姿さえも見当たらない。ここにいるのはあたしだけだ。あたしだけが、静かに式場に取り残され、そして誰もいなくなっている。
いやだいやだいやだ!
こわいこわいこわい!
あたしを一人ぼっちにしないで――ッ!
夢中で走った。本当に泣きたくなった。入口の扉を開けると、その先もまた誓いの式場に繋がっていた。豪華な大聖堂を思わせる絢爛な舞台。まるでミケランジェロだかラファエロだかの天井画が飾られていそうなその中で、静粛に進行を見守る参列者たちの視線が、今まさに新婦の顔を覆っている白のヴェールをめくる新郎の彰に注がれている。
相手の新婦は、やはりアステリアだ。
その姿はまさに、女神様そのもので。
「あ、彰……? これ、どういうこと……?」
「……茜、すまん」
そして交わされる、あたしじゃない新婦との誓いのキス。二人の唇は光に隠されて見えないけれど、鐘の音だけは聴こえていて。
「イヤァァァァァ!」
勢い余って飛び起きる。その瞬間、ごっちーんと額に何かがぶつかって、あたしはまた後ろ向きに倒れてしまった。
「心配して様子を見にきてあげたら、まさか頭突きを食らわされる羽目になるなんてね」
「も、申し訳ございません……」
放課後の保健室。
あたしは黒木先輩に土下座していた。十数分ほど前にいきなり飛び起きたことが原因で、簡易ベッドにお世話になる人が逆転してしまったせいだった。
「まあ、その石頭なら、後頭部を強く打ったとしても大した怪我にはならないわね」
返す言葉はなく、立てるべき面目もない。
これもそれも、全部彰のせいだ。あんな悪夢を見せられたら、たとえ現実じゃなくても軽いトラウマになってしまう。本当に嬉しかったのに……ッ!
「仙道彰と、謎の編入生ねえ。ちなみにあんたは、昼休みからの経緯については全く何も知らないのよね?」
「今の今まで、ずっと眠っておりましたゆえ……」
「その後の経緯、詳しく知りたい?」
「ぜひともよろしくお願いします」
そういうわけで、あたしは先輩からのありがたい途中経過を、かいつまんで頂戴した。
彰たちは放課後を迎えても教室に戻らなかったらしい。どちらの担任教諭も体調不良を理由に早退していることを把握していたが、後日は欠席が続くかもしれないとの連絡が、つい先ほど先方から入ったようなのだ。
胸騒ぎがして、あたしはすぐに彰に電話をかけてみた。電波が届かない場所にいるのか、あるいは電源が入っていないため、とりあえず伝言サービスにすぐに折り返し電話をするように残しておく。
つまり彰は、例の二人組の編入生とともに、真実どこかへ消えたのだ。ただしおそらく国外ではない。一時的にせよ高等学校に編入するのなら、国内に留まるための最低限度の設備が整った居住地は不可欠だろう。そこにアシュレイくんの『長居する気がない』との発言を考慮すれば、自分たちで電話対応ができる――あるいは徹底的に拒絶できる――仮住まいが必要とはならないか。
能力をほんの少し解放すれば、彰のいる場所なら簡単に探り当てられる。だけど、それが市外の場合は移動にどれだけ時間がかかるかわからないので、家族にも学校側にも迷惑をかけてしまうことになる。せめて、編入生への連絡先さえ突き止めることができれば、なんとかなるかもしれないのに。
「……あんた、考えてることがダダ漏れよ」
ぎくりと身が強張る。だって、やっぱり心配なんだもの。
「仕方ないじゃないですか。あんなに綺麗な美人と彰が一緒にどこかへ消えて、明日から休み続けるかもしれないなんて、そんなの絶対に……」
「そうは言うけれどね。その編入生とあんたの幼馴染は、今はたんに学校を早退しただけでしょ? 向こうはともかく、仙道くんまでもが休み続けるとは限らないじゃない。休むのは例の編入生たちだけで、彼だけはひょっこり登校するかもしれないわ」
「……それは、そうですけど」
正座のまま、重ねた自分の手の甲を見つめる。
あのアステリアが、彰だけを素直に引き渡すとは思えなかった。だけど逆に、彰が彼女を説得すれば、意外にもおとなしく首肯するのではないかと思う気持ちも少なくない。
その、どちらもありうるから身動きがとれない、という歯痒い立場なのが余計につらいのだ。もしも後者が正しければ、勇み足のあたしはその時点で笑い者になってしまう。
「……あんた、なんでそんなに心配性なの?」
「え?」
「ひょっとして仙道くんのこと、じつはちっとも信用してないとか?」
「そそ、そんなことないですよ! あたしは誰よりも、彰のことを信じてますから」
「だったら問題ないじゃない。とりあえず明日まで待ってみて、それでも帰ってこないのなら、今度こそ積極的に動けばいいわ。その時はあたしも協力してあげるから」
意外な申し出に、あたしは面食らった。
「先輩が、ですか?」
「あたしの『能力』を忘れたの? 相手が小僧だろうが校長だろうが、あたしに『嘘』は通用しない。でも調べるのには少し時間がかかるから、やっぱり明日の放課後まで待ってほしいのよね」
――これは見事な不意打ちだ。あまりに嬉しすぎて涙が出ちゃう。こう見えてもあたしは、乙女ですからねっ。
「でも、いいんですか? 先輩は無関係なのに」
「無関係だから、何が起きても責任はとらないわよ。編入生の謎について記事にできるかどうか未知数だけど、そもそもあんたには借りがあるわけだし。まあ、ここで早速借りを返すのも悪くないと思っただけだから、妙な勘違いだけはしないように」
黒木先輩らしい言い回しだ。彰との対面後、先輩は『弱い人を幸せにする記事』を追求して、日々さまざまな事柄についての知識を深めている。彼女は本質的に、やっぱり真面目な人柄なのだ。
「ありがとうございます。先輩ってば、本当は優しいんですね」
「あら? 一言多いように聞こえたけれど?」
「そんなことないですよ。ありのままの気持ちを正直に伝えただけです」
「まあいいわ。そういうことにしておいてあげる」
そう言うと、黒木先輩は完全に横になった。あたしに背中を向ける姿勢。
「ああ、それからこれは、あたし自身の解釈なんだけど」
「はい?」
「仙道くんが何も言わずに消えたのは、それだけの理由があるからだと思うの。さすがにその内容については見当もつかないけれど、もしかすると彼、あなたを巻き込みたくないからこそ、何も言えないまま消えたのかもしれないわ」
「あたしを、巻き込みたくないから?」
「あくまでも可能性の一つよ。頭の片隅にでも置いておきなさい」
妙に胸の奥をざわつかせる言葉を言い残して、黒木先輩は寝入ってしまった。
なぜだろう。それを思い出してはいけない、途轍もなく深い領域に閉じ込めてある心の禁忌に触れてしまったような、おそろしいのに受け止めないといけない不吉な第六感が、あたしの何もかもを呑み込もうとしている。
……いやいや、これはきっと理由のない不安なのだ。なんでもない杞憂が、いろいろと悪い予想を働かせてしまうから、そんな益体のない想像に歯止めがかからなくなってしまうのだ。
あたしは気を取り直して夕食を作り、彰の家で辛抱強く、彼の帰りを待ち続けた。けれどどうしても戻ってこないので、お母さんに事情を説明して、彰の家で一晩泊まることにした。お母さんは色っぽい青春の夜を想像したらしく、しきりにあたしをからかうのだが、生憎とそうは問屋が卸さないのが仙道彰なわけでして。
大体、もしそれならそれで逆に、緊張しっぱなしで電話をかけることもできないと思うんだな。自慢じゃないが、あたしはファースト・キスさえ未経験。指と指を絡めるような手の繋ぎ方だって、まだ一度もしたことがない。
というかそもそも、これだけ長く一緒にいられる時間と環境にありながら、一度だってハプニングが起きないとはどういうことさ! わざと鍵を閉め忘れても気配で察せられ、超強力な液体栄養剤『栗鈴くん』をがばっと投入しても襲ってくる気配がない。あたしの完璧なお膳立てがことごとく潰されていく様は、その『鉄の心』に打つ手なしの状況なのに、それでも彰がいない今となっては、愉しい思い出のように脳裏に浮かび上がってきてしまうのだから病気は相当重症だ。
ああ、そうですとも。
彰がいない世界なんて、あたしには到底考えられない。
夜が果てしなく長く感じる。
静かすぎるリビング。
眼の前で冷えていく二人分の夕食。
つい夢に見る、呼び鈴の幻聴。
そしてあたしは再び、一人ぼっちの時間に打ちのめされる。
――何もかもが虚しかった。それもこれも、夜が明けても彰が帰ってこないせいに違いなかった。
翌日。
アステリアは病欠で休みをとっていた。早朝のホームルームで担任から打ち明けられた時、クラスメイトらは一斉に不満の声を上げたが、あたしはもうどこ吹く風だ。とっくに決意を固めているので、何が起きても彰さえ無事ならそれでいい。
そして懸念どおり、何も変化がないまま放課後を迎えた。無論、悪い意味での変化なしである。編入生の姉弟はともかく、彰もまた欠席したのだ。その理由は病欠らしいのだが、彼の近親者で連絡できる人物がいないのは、誰よりもあたしが承知している。自宅には誰も帰らなかったし、早朝まで彰のお母様から連絡すらなかった。仙道麗子さんは決して、彰の病欠を聞いて事実関係を知ろうとしない薄情者ではない。
つまり、何者かが彰の欠席理由を偽り、あまつさえ学校側に強引に容認させたと考えていいだろう。そしてその何者かはおそらく、同じ時間から姿を消した編入生と決して無関係ではないはずだ。
あたしは放課後、正門の前で黒木先輩と待ち合わせをしていた。彼女は約束した時間より、十五分ほど遅れてやってきた。
「お待たせ。いろいろわかったわよ」
「すみません、便宜をはかっていただいて」
「水臭いこと言わないで。それより、相手は予想以上に強敵みたいだから、注意してね」
「話を詳しく聞かせてください」
黒木先輩は、夏服のチェニックスカートから手帳を取り出した。学生用の物ではなく、個人的に利用している無地の物だ。
「まず結論から言うと、学校側が知っているのは連絡先だけだったわ。それも直結ではなくて、連絡事務代行のオフィスに繋がる番号みたいね」
「連絡事務代行――ってなんですか?」
「国際電話でもそうだけど、主に多国籍で働く個人事業者が利用する、代行オフィスのことよ。本人の代わりに代行オフィスのスタッフが連絡を受け取り、その内容を通訳して、改めて本人に連絡するってわけ。これなら特定の共通語を学んでいなくても、相手からの連絡の要点は掴めるでしょ?」
なるほど、と妙に感心している場合ではない。そんな仕事があることは驚きに値するが、今はそれより大事な話の続きがある。
「今朝の連絡はどうですか? 病欠と連絡するのも、その代行オフィスを利用して?」
「それは公衆電話を利用すれば事足りる話だわ。代行オフィスを使うのは、簡単に住所を悟られないようにするためでしょうね。しかもそれを学校側にも容認させるのだから、並大抵ではないわ。どちらにしても、相手は相当用心深くて、かなり強い影響力を持つ連中よ。同年代だからといって、油断しないほうが良さそうね」
「ということは、何もわからないまま、ということですか」
「希望はあるわ。これを見て」
黒木先輩が見せてくれたのは、要点を箇条書きにした一枚の紙だった。サイズからして手帳の用紙を使ったのだろう。
「これは?」
「招待状というべきか、挑戦状と受け取るべきか。とにかくそれは、編入生の関係者から教えてもらった居場所の要点よ。簡単に短くまとめただけ、だけどね」
「どういうことですか?」
「昨日その代行オフィスに連絡したら、しばらくしてあたしの携帯に電話がかかってきたのよ。向こうは公衆電話で、相手は渋い声の男性だったわ。そして『神崎茜』って名前を確認すると、こちらの質問には一切応じずに場所だけを教えてくれたのよ。連中はきっと、あなたが連絡先を突き止めるのを見越していたのね。仙道くんを餌にして、あなたを試しているのかも」
「試すって、あたしを?」
「仙道くんと一番長い付き合いをして、最も身近にいる人物といえば、家族以外には他に誰もいないでしょ? 代行オフィスに電話をかけた時、ちょっぴり閃いてあなたの名前を残したのは間違いじゃなかったわ。連中が注目するキーワードを言わないと、きっと公衆電話からの着信もなかったはずだもの」
「あたしに、注目……」
「そうよ。連中は間違いなくあなたを注目してる。その理由はわからないけど、仙道くんにも深い関わりのある目的のためなのかもしれない。まあどっちにしても、相手の真意は直接行って確かめないと、わかったものじゃないわよね」
「――おうおう、なかなか景気の良さそうな顔合わせじゃねえか。まるで今から殴り込みにでも行こうってツラしてるぜ、神崎よォ」
振り返ると、国雄くんと新田くんが同じく下校途中のようだった。あたしと黒木先輩が一緒で意外そうな顔をしないあたり、前後の事情を察しているのかもしれない。
「あんたって、もう少しまともな喋り方はできないの?」
「先輩、そっちはどうでもいい話題だぜ。どうせ内緒で、彰に関する話をしてたんだろ? だったらオレも混ぜてくれ。期末のうえに編入生のごたごたで、ちっとは気晴らしにでも体を動かしておきてえなと思ってたところだ」
「ぼ、僕も同行します。仙道さんのこと、やっぱりすごく気になりますから」
「いや、オメェは来るな」
ぴしゃりと国雄くんから拒絶され、新田くんは不満を露わにした。
「ど、どうしてですか! 僕だって仙道さんのことが心配です。それなのに、自分だけが何もしないなんて、そんなの我慢できない」
「だからって意気込んでも、相手は遠慮しねえぞ。姉はともかく、弟のほうは間違いなく能力者だ。しかも相当腕が立つだろう。それに引き替え、お前はまだ自分の『能力』すら満足に使いこなせてねえじゃねえか。悪いことは言わねえ。足手まといになりたくねえのなら、おとなしく待っててくれや」
「……まだ相手と戦うとは決まってません。話し合いで解決できる方法もあるはずです」
「連中が素直に交渉に応じるタマかよ。弟は早く手放したいだろうが、実権はあくまでも姉のアステリアにある。しかもあの女はある意味、仙道と同じくらい意志が強いタイプだ。自分で手に入れた物をそう簡単に手放すとは、まず考えられねえ」
国雄くんはあたしを見た。あたしは頷いた。
「先輩、ご協力ありがとうございました。ここからはあたしたちだけで行ってきます」
「気をつけてね。さっきも言ったけど、相手はあなたが思っている以上に強敵だと想定しておきなさい。あたしに電話をかけてきたのは年上の男性だったけど、逆を言えば、そうした熟年の大人をも動かせる側にいるのが編入生だっていう具合にね。そしてそれは単純な財力や人脈があるという話じゃない。もっと大きなソフト・パワーを発揮できる影響力を持ち、彼らはそれを自在に操ることができるのよ」
「……肝に銘じておきます」
――茜より、茜を相手にした他人のことを想定して言っているんだが?
ほんと、どっちがお節介だかわかったものじゃない。
あたしの心配より、自分の心配をしやがれってんだ。
「そうだ、先輩。悪ィけど向こうの学校に待たせてある有希子を呼び出して、オレの家に送ってやってくれねえか。最近は胸くそ悪い事件が続いて、おちおち一人っきりで下校もさせてやれねえんだわ」
「ええ、いいわよ。――子供ばかりを狙った暴行殺人、ほんとに奇妙な事件よね」
「お礼に、お袋がデザートを出してくれるよ。だからよろしく頼む」
「任せておきなさい。ほら、新田もこっちに来るの」
「ええっ! ぼぼ、僕もですか?」
「あんた以外に『新田』はいないでしょ。ほら、さっさとついてくるの!」
「ぼ、僕だって一緒に戦いたいのに……」
先輩は強引に新田くんの腕を引っ張り、正門を後にする。
さて、と士気を高める国雄くんが、改めてあたしを見た。
「弟のアシュレイは、オレに任せておきな。あれだけ挑発してやったんだ。こっちの姿を一目見れば、奴は必ずその気になる」
「わかった。お姉さんのほうは、あたしがやる」
「……しかしなんだ、新田の言わんとすることも理解できなくはねえわな。呆気なく話し合いで解決できりゃ、確かに万々歳だが」
「それはたぶん、ありえない。最初から話し合いで解決できるなら、屋上で全てを話したほうがすっきりするもの。それをしないということは、少なくともアステリアのほうには話し合いの余地を持っていない。たぶんあたしたちを蚊帳の外に置くことで、その出方を窺いながら彰を手許に置いておく、そういう一石二鳥の布石を打ったのね。だから先輩が電話をかけた時、あたしの名前を出せば簡単に住所を教えてくれた。きっとあたしたちが実力行使に出るのも見越したうえで、ううん、むしろその実力を見てやろうという算段があればこその、余裕の表れかもしれない」
「チッ、気に入らねえな。連中の掌の上で、滑稽に踊らされてる気分だぜ」
「たぶん、これを計画したのはアステリアのはず。もしアシュレイくんが主導権を握っていたなら、こんな回りくどい小細工はせずに適当な場所で待ち構えて、あたしたちを呼び出したはずだもの。そのほうが何もかも手っ取り早いしね」
「同感だな。アシュレイはどうにも直情径行だが、アステリアは油断も隙もねえ狡猾さが見え隠れしやがるぜ。お前さん、あの女に勝てそうか?」
「彰の存在をどうちらつかせてくるかで変わるけど、でも絶対に勝ってみせる。あの子も間違いなく能力者だろうけど、こっちだってそう簡単には負けてやらないから」
「ふん、面白くなってきたじゃねえか。姉弟そろって能力者かよ。だったらその自信ってヤツを、完膚なきまでにぶち壊してやろうじゃねえか」
腹が減っては戦ができぬということで、少しばかり食事をとってエネルギーを摂取する。
行き先は、電車で一時間ほど走り、それから三十分ほどバスに揺られて、さらに徒歩で移動した山奥の住所だ。陽が暮れるのも時間の問題で、あまり長居すると山道を運行するバスの最終便を逃してしまう足枷まで付くから、嫌でも気合いを入れ直すしかない。
緑の豊かな山の斜面、林道めいた細い道を歩いて森の中を突き抜ける。一人分の幅しかない道の両側には、針葉樹が群生していた。いかにも幽霊や野獣が現れそうな雰囲気で、ここで居を構える相手の神経を疑ってしまいそうになる。
もしかすると、先輩も連中の悪ふざけに騙されたのでは――そう考え始めた矢先、国雄くんが何かを発見した。鉄格子でできた門のようだった。そしてその手前で立ち尽くす、あるいは待ち構えている燕尾服の紳士が一人。
「お待ちしておりました。神崎茜様、本多国雄様」
言って、白髭がチャーミングな老紳士はにこりと笑った。人当りの良い笑顔。




