15
「――どう思う、これ!」
昼休みを迎えた本館の屋上。すでに寄り集まっていた三人の男子陣に、今朝の編入生が発した不可解な言質のことを打ち明ける。
今回の集まりも、あたしが彰にメールを送り、人目に触れない場所で相談したいことがあると切り出して端を発したものだ。従って、普段なら鍵がかかって出入りできない本館の屋上も、彼の探偵の技術で密かにこじ開けてもらっている。
ただし、打ち明けたのは『御苦労様でした』の部分だけだ。後半の言質はどう考えても悪い予感しかしない。
「いや、どう思うって言われてもな」
「その人の台詞、全く意味がわからないですよね」
あたしと彰はお弁当だが、国雄くんと新田くんはそれぞれの好みのパンと飲み物を購買部から仕入れている。国雄くんが練乳入りのフランスパンをがっつり頬張り、新田くんは柔らかそうなクリームパンを千切って食べた。
国雄くんは元々お弁当派だそうだが、今日は気紛れでパンに変えたらしい。新田くんは最初からお弁当を持たない習慣のようだ。
「内容はともかく、その編入生はあらかじめ、神崎さんのことを知ってた口振りじゃないですか。そのあたりはどうなんですか?」
ペットボトルの炭酸飲料を口にする新田くんに対し、あたしは首を横に振るしかない。
「間違いなく初対面。忘れてるってこともありえない。だって、相手はものすごく派手な女子なんだから。たとえ子供の頃だろうが偶然だろうが、普通は会った時にすぐ思い出すよ。それに家族で外国に旅行したこともないし、もうほんとにお手上げっす」
「相手は、そんなに派手な人なんですか?」
「そりゃあもう、とんでもなく美人ね。しかも気品が漂ってて、休み時間に見せる人柄も完璧。あれほど貴族的っていう言葉が似合う女の子も、そうそういないんじゃないかな」
「へー、そりゃ神崎とは正反対だな」
「そうそう、粗暴なあたしとは――って、なァんですってーッ!」
国雄くんの喉元に地獄突きをぶちかまそうとして、寸前で『神風』に止められる。腕をがっちりと掴まれ、あたしはぷぎーぷぎーと鳴くことしかできない。
ええい、卑怯なりよ! 眼に見えず、どんな攻撃も無傷で耐えられるという過去の戦国武将がその正体らしいのだが、お天道様の眼はごまかせてもあたしの眼はごまかせない。大仰な甲冑を着込んだその姿はくっきりと視界に映っている。
ふーんだ。どうせあの金髪美人は胸もでかいですよーだ。畜生、今に見ていやがれ! あたしだって毎日寝る前にバストアップ体操をして頑張ってるんだからね! まだ実りはないけれど!
「とにかく、それだけ住む世界が違うような女の子が、わざわざ外国から編入してきてまであたしに嫌味を言い残していったわけよ。そもそも御苦労様ってアンタ、一体どれだけ上から目線なんだか!」
けれど、相手はあいにく神秘的な貴族風の美女なので、学年問わずに好奇心旺盛な女子高生たちが注目しないわけがなかった。羨望の的となるのに半日もかからず、本人を差し置いて勝手に盛り上がる連中が密かにファンクラブを創設するほど、その人気はすさまじい。
たぶん、誰もが期末テストで鬱々としていた時に現れたからこそ、現実離れして夢中になれる話題の中心人物へと崇め奉られたのだろう。しかしそれも、本人のありあまるカリスマ性がなければ、取り巻き連中のほうから自然と雲散霧消するはずだったに違いない。
「問題は、その英国美人がなぜ、神崎のことを知ってたかだな」
パックの牛乳を豪快に飲み干し、国雄くんが一息つく。その足許には、まだ封を開けていない牛乳パックが二つも残っている。
新田くんは腕を組み、唸っていた。
「やっぱり、謎ですよね。相手は国外からやってきたのに、ずっと国内にいた神崎さんが知らなくて、向こうは知ってるって言うんですから。――そういえば、インターネットの繋がりはどうですか?」
「あたし、パソコン関連は苦手なの。携帯とかなら、なんとか使いこなせるけど」
「ということは、これまで一度も接点がないのに、ピンポイントで神崎さんを知っているというのが話の肝ですよね。しかも神崎さん個人は、通常の情報手段では検索もできない。こんな、不可能を可能にする芸当って、やっぱり『能力』持ちの人間だからじゃないですか?」
「おいおい、まだ不可能だと決まったわけじゃねえ。それに、仮にそいつが能力者だったとしても、どうして神崎を狙うんだ? 御苦労様でしたって言葉は、そりゃ確かに上から目線だが、だからって悪意があるとは一概に言えねえだろ」
「それなら、直接本人に訊いてみるのはどうですか? 真意を確かめるだけなら――」
「新田くん。それはね、ファンが群がってるアイドルに向かって生卵を直接ぶつけに行くような覚悟がいるの。おわかり?」
「す、すみません……」
恐縮そうに項垂れ、新田くんは炭酸飲料をちびちびと飲んでいく。
国雄くんはおにぎりの包装を解き、一口で半分ほど食べた。
「恨まれてるわけじゃねえ。だからって、友好的とは言えねえ。それなのに神崎のことを知っていて、わざわざ英国から編入してきたってか? しかし一声かける程度ならよ、国際電話なり手紙なりで済む話だろ」
「……あたしに用がある、わけじゃないんだと思う。だって、御苦労様でしたって台詞は、明らかにそれ自体で趣旨を完結させる労いの言葉でしょ? でも、あたしには心当たりが何もないから、お手上げ状態ってなわけで」
「だったら家族だ。神崎の家族だけが向こうを知っていたら、今の状況もありうるだろ」
「残念でした。あたしの家族は、ごく普通のサラリーマンと専業主婦なのです。それに、あたしが生まれてからお父さん、一度も国外に出張したことないしね」
国雄くんは胡坐をかいたまま、やけくそのように背中を床に倒した。口で咥えたままのおにぎりを揺さぶって弄ぶ。
「わっかんねえなあ。――彰、お前はどう思うよ」
丁寧な作法でお箸を使う彰が、ここで初めて顔を上げた。国雄くんを見て、あたしを見て、新田くんを見て、最後にお弁当に視線を戻す。
「わからないなら、直接本人に訊けばいい」
「おいおい、それは難しいって神崎が――」
「向こうから近づいてくるなら、話は別だ」
――へ?
あたしたちが言葉に詰まると、彰は眼で屋上の出入口のほうを指した。そこには問題の編入生アステリアと、ちょっと童顔系をした金髪の男の子が立っている。この男子もまた、彼女に負けず劣らずの目鼻立ちの持ち主だ。
「仙道彰様。この度はわたくしのために、せっかく貴重な御時間を割いて頂いているにも関わらず、遅れまして大変申し訳ございません。取り巻きの方々に気づかれずにこちらへ忍び出るのに、少々手間取ってしまいました」
言って、指先を合わせた完璧な動作で、恭しく頭を下げる。咥えていたおにぎりが床に落ちても、国雄くんは口を開けたままだった。
「いえ。こちらこそ、このような無粋な場所を指定して、大変心苦しく思います」
そして彰までお弁当を置いて立ち上がり、お辞儀する。
なんだなんだ、どういう状況だっていうのだ、これは。
「彰様が謝る必要はございません。元々ご無理を承知でお願いしたのは、わたくしのほうなのです。人目に触れない場所でお会い頂きたく、こちらのアシュレイを使ってご都合を伺わせて頂きました。御配慮くださり、深く感謝しております」
人目に、触れない場所で、会いたいだと……?
ということは何か。彰はあたしのために屋上の鍵を開けたわけじゃなくって、この女のために場所を用意したってのか! しかもなんだ、この妙に甘ったるい雰囲気は。まるで昔からの約束だったみたいに、二人の世界ができあがっちまってるじゃないかよ――ッ!
「残念ながら、完全に人目に触れない場所を用意することはできませんでした。ご期待に添えず、まことに申し訳ございません」
「お気持ちは充分頂きました。ですが敢えて、当方の事情をお汲み取り頂けるのであれば、今この場にいるご友人の皆様方の御引き取りのご検討を、お願いするわけには参りませんでしょうか」
な、なんだと――ッ! こいつ、厚かましいにも程があるだろッ!
あたしは嫌だぞ! 絶対にやだ! 死んだって二人っきりなんかにさせるもんか!
「申し訳ございません。彼らは個人的に、深い信頼を寄せる友人たちです。そんな彼らを無下にあしらうような無作法は、あいにく心得ておりません。できれば奥を利用し、誰の耳にも届かぬ位置で、御挨拶をさせて頂けないでしょうか」
さすが彰だ、と言いたいところだったが、誰の耳にも届かない位置で挨拶って、結局はどういうことなの! あたしの眼の前で一体、何が起きてるっていうの――ッ!
「貴様、姉様に対してその傲慢な態度、恥知らずにも程が――」
「アシュレイ、やめなさい」
金髪の男の子が反発するも、アステリアが一言だけで見事に制する。彼は驚いたように彼女を見たが、やがて悔しそうに彰を睨んだ後、渋々といった様子で眼を背けた。
「不行届きで、まことに申し訳ございません。わたくしは彰様の御意向に従います。ただし、くれぐれも先の約束どおりでお願いいたします」
「ね、姉様……」
「アシュレイはここで待っていなさい。わかりましたね?」
途端、捨てられた子犬のように寂しい顔をする美少年。どうやらアシュレイくんという名前らしいが、彼は二人が遠く離れていく最中、ずっと監視するように彰を睨んでいた。
彰を睨む彼と、アステリアを睨むあたし――うむ、君とは良い友達になれそうだ。
「……なるほどな。事情はどうあれ、あの編入生は神崎にじゃなく、彰に用があったってわけか」
体を起こした国雄くんが、合点いったように腕を組む。新田くんも納得げに頷いた。
「綺麗な人ですね……。ああいうのをスーパーモデルっていうんでしょうか。あんな人と知り合いだなんて、仙道さんはやっぱりすごいです」
「確かに、あれだけの美人なら世界中の雑誌の表紙を飾っても不思議じゃねえだろうが。しかしオレは逆に不気味に感じるぜ。あの女が手ぶらで帰るタマだとは、どうしても思えねえ」
「じゃあ、あの人の目的は、一体なんだと思います?」
「十中八九、彰だろ。あるいはその交友関係の先にある何か。どちらにしても彰抜きには語れねえ事情っつうもんがあるんだろうぜ、あのお上品な英国美人さんにはよォ」
「――姉様への悪意ある発言は、そこまでにしてもらおうか」
金髪の美少年、アシュレイくんが近づいてくる。心地よい靴音が妙に似合う。
「よお。また会ったな、編入生」
あたしと新田くんが面食らう中、当の本人は飄然と腕を組んで鼻を鳴らした。どうやら国雄くんとアシュレイくんは、顔見知りであるらしい。
「二人って、知り合いなの?」
「クラスメイトだよ。編入生は二人いたんだ」
なるほどと心の中で頷く。新田くんは別のクラスだから今まで知らなかったのも当然で、アシュレイくんは不服そうに国雄くんを睨んだ。
「断っておくが、ボクは君のような野蛮人がいる、なんの誇りもない国に長居するつもりはない。姉様が用事を済ませたら、さっさとこの国を出ていくつもりだ」
「あん? なんの誇りもねえだと?」
「だってそうだろう。君たち日本人が狂い始めたのは、文明開化以降からだ。それまでは東の国独自の誇りを築き上げてきたのに、今や政府も人民も、自らの誇りを見失って右往左往している。そういう意味では、君たちは確かに新しい時代を作り上げたよ。――疑心暗鬼の暗黒時代をね」
「テメェ、言いたい放題でご満悦そうなツラだな、おい。大好きな姉ちゃんが得体の知れねえ男に寝取られそうだからって、嫉妬して辺り構わず八つ当たりってかァ?」
国雄くんが立ち上がる。アシュレイくんは彼に比べて遥かに身長が低いが、真っ向からの睨み合いでは引けを取らなかった。
「貴様、姉様を愚弄するか……ッ!」
「あいつら、美男美女でお似合いのカップルじゃねえか。姉の祝福を素直に喜べない不心得者が親族にいるんじゃ、そりゃアステリアっつう女も、簡単には彰に近づけねえよなァ」
アシュレイくんの表情がみるみる険しくなる。同時に、あたしの心も連続的に傷ついていく。
「……姉様が、あんな、どこの馬の骨とも知れない男を選ぶはずがない」
「おやァ? とすると、アステリアはやっぱり彰本人に用事があるみてえだな。おまけにその内容は、どうやら二人の幸せな未来に関する話題らしいぜ」
美少年がはっと眼を剥いた。国雄くんがにやにやする。あたしは愕然とする。
「貴様、このボクにカマをかけたな」
「ご大層な誇りはあっても、頭を冷やす知恵はないみてえだな。野蛮人に騙される文明人は、一体どのツラ下げて国に帰るつもりなのかね」
不穏な気配。新田くんがおろおろする中、一触即発の空気が辺りに漂う。
「大嫌い決定だ。ボクの名誉にかけて、お前だけは絶対に許さない」
「そりゃ奇遇だな。オレも鼻持ちならねえガキの相手は面倒でよォ」
二人が悠然と近づく。国雄くんの身長が一九五センチほどらしいから、アシュレイくんの背丈は一七〇センチくらいだろうか。全体的に細身なのに、どこか武道の達人めいた雰囲気がある。
と、その時だった。あたしの頭上から手許に、一粒の白い妖精が落ちてきたのは。
「なッ――」
国雄くんが眼の色を変える。新田くんも同様だった。あたしも例に漏れない。
それは『結晶』だった。無数の結晶が、雪のように夏の青天井から降り落ちて、無骨な屋上を豊かな白景色に変えていく。指先が冷えて、お弁当の中身まで見た目に寒くなる。
冷たい肌触り、質感は紛れもなく本物だ。しかし、確実に本物ではありえない。
夏に雪の結晶が降るなど、絶対にありえないのだから。
「バカな、これは」
「野蛮人め。ボクの前で狼藉を働いたことを後悔させてやる」
体感温度がぐんぐん下がる。
七月なのに冬季の気温に触れているようだ。
その感覚はもはや『寒い』のを通り越して『冷たい』ほどで。
体が震えるのは武者震いのせいか、それとも正体不明の冷気のせいか。
「テメェ、まさか!」
「時とともに凍って死ね」
「――アシュレイ、そこまでです」
いつの間にか、アステリアが彼のそばに立って片手で制していた。移動の気配がまるでないのに、気がつけば視界に入っていた底知れない感覚。
雪と冷気は、すでに消失していた。
「姉様、しかし」
「この場での用件は無事に伝え終えました。――本多様。度重なる非礼、大変失礼いたしました」
「あ、ああ……」
さすがの国雄くんも、彼女には圧倒されたらしい。毒気を抜かれたように立ち尽くし、頭を掻いてお茶を濁す。
「弟がお騒がせいたしました。わたくしたちはこれから他に立ち寄るところがございますので、そろそろ失礼させていただきます」
ええ、ええ、早くどこへでも消えてしまいやがれ――そう思っていたのに、彼女の隣にはなぜか彰が立っている。それも、ひどく思い詰めた顔つきで。
「あ、あの、彰? 一体どこへ行くつもりなの?」
「……茜、すまん」
はいィィィ?
彰はあたしが作ったお弁当を、床に置き去りにしたまま、アスなんとかと一緒に屋上を後にする。すぐに呼び止めて真意を問い質したかったが、それより何より頭の中がぐちゃぐちゃに混乱して、思考が真っ白に停止している。呼吸すら止まっていた。
「本多さん、これって」
「イギリスって、十五歳から結婚できたっけか?」
呑気な会話をする男二人をよそに、あたしはただ理解不能な現実とともに、開いた口が塞がらないまま後ろ向きに倒れるのだった。




