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黄金魂  作者: 天野東湖
第02話 対峙する過去
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「先輩、あたしです。神崎茜です」


 ぴくりと、肩が震えたように見えた。でも俯いたままの顔は上げてくれない。あたしの声が幻聴だと思い込んでいるのか、それとも反応を示すだけの余力も残っていないのか。


「あたし、見ました。たぶん、先輩の過去を。どうして嘘つきを許せなくなったのか、その一部始終を」


 黒木先輩は何も答えない。けれど、黙殺だって立派な返事だろう。

 少なくとも、あたしの存在を疎んじているわけではないのだから。


「先輩は確かに、友達と一緒にお化けを見た。けれどその友達は、お化けを極度に怖れて嘘をついてしまった。自分は何も見てない、そもそも屋敷にさえ行ってない――そうして先輩を突き放して、自分から遠ざけることで『もしかしたらの不幸』を逃れようとしたんですね。でもその結果、先輩の周囲から誰もいなくなり、その理不尽な仕打ちに、先輩は耐えきれなくなった」

「……当たり前じゃない。どう考えたって許せるはずがないでしょ。だって、今まであんなに友達だったのに、本当に祟りか呪いかもわからないくせに、怪我をしたあたしのことを周りに言い触らして、のうのうと何もなかったように振る舞うなんてさ」

「もしかして、その頃からですか。相手に『本音で回答させる』能力を自覚したのは」

「能力? ……ああ、もしかして『真実の(カミングアウト)』のこと? だったらそのとおりよ。あたしはこの力を使って、あいつらに復讐したんだから」


 復讐、という言葉にあたしは緊張した。当時の黒木先輩の怒りを表現するのに、これ以上ふさわしい言葉はないだろう。


「いい気味だったわ。人には誰にも言えない『秘密』がある。それも他人には知られたくない『とっておきの秘密』ってやつがね。もしかすると、本人も忘れている赤っ恥だってあるかもしれない。あたしはただそれを、あたし自身がされたように公衆の面前で本人に自白させてやっただけ。最も効果覿面だったのは、やっぱり対人関係の好き嫌いね。誰に好意を持って、本当は誰を毛嫌いしてるのか。それを本人の目の前で白状させてやるだけで、何もかもが思い通りに壊れていく。――ふふ、みんなが疑心暗鬼になって他人を見る眼が変わっていく様を眺めるのは、すごく楽しかったわ。まるで、悪い奴に天罰を与えてやったみたいに、心がスカッとしたもの」


 その声は、本当に楽しい思い出を語り聞かせるように弾んでいた。


 けれど、黒木女史は気づいているのだろうか。人間なら誰でも持っている、冒されたくない本音の領域を聞く耳持たずに暴いていく能力は、それこそ今までの友好関係から掌を返すように、あらゆる運命の天秤を一方的に傾けさせる危険性を秘めていることを。


 なぜならあたしには、本音だけで生きていく勇気は、ないのだから。


「天罰――そう、これは神様があたしに与えてくれた『正しく在るための力』だと思った。だから嘘つきを懲らしめてやったのよ。あたしは正しくて、あいつらが間違ってる。人を騙しても怪我さえしなければ、それが一番最良なんだってタカをくくってる。そういう連中の鼻っ柱をへし折ってやるのがあたしの使命だって、それが、この力を与えてくれた神様の意思なんだって、そう思って、今まで一人きりでも頑張ってこれたのに……」


 先輩は無造作に背もたれに体を預けた。天井を力なく見上げる後ろ姿には、どこか今の状況に観念した雰囲気すら漂っている。


「……あんた、どうしてここに来たのよ」

「もちろん、先輩が心配だったからです」

「ふん、バカじゃないの? ううん、あんたは本物のバカだわ。残念だけど、この部屋に入ったら最後、もう二度と元の世界には戻れない。ドアも窓も壁も何もかも、みんな全く動かないの。傷一つつけられない。たぶんこれ、新田新一の『能力』のせいでしょうね。あたしのトラウマを引きずり出して、きっとどこかで悠々とほくそ笑んでいるのよ」


 あたしは、自分の背後にある部屋の扉に手をかけた。ドアノブは(ひね)ることもできず、もちろん押しても引いても微動だにしない。


「新田新一って、誰です?」


 その瞬間、先輩はおもむろに軽蔑した眼差しを向けてきた。


「あんた、そんなことも知らないでここに来たの? それでどうやって、あたしを見つけ出したっていうのよ」

「持つべきものは友達ですよ。子猫のミーちゃんが、ここまで案内してくれたんです」


 まさに開いた口が塞がらないといった表情で、黒木女史は愕然とした。


「そんなバカな。そんな、そんな御伽噺(おとぎばなし)みたいなこと、信じられるわけが」

「本当ですよ。なんだったら先輩の『能力』を使って、あたしに質問してみてください。そうすればきっと、あたしの話を信じる気になりますから」

「……なんであたしが、あんたなんかを信じなくちゃいけないのよ」

「たった一人で生きるには、この世界は強敵ですよ、先輩」


 扉を軽く叩けば、確かに硬質の音が跳ね返ってくる。木製だが厚みがあるので、たとえ男の子が全力で叩いても、素手での破壊には根を上げてしまうだろう。


「ふざけないで! 二人でも無理に決まってるじゃない! あたしたちはここで、惨めったらしく飢え死にするしかないんだわ」

「もう諦めるんですか。意外とあっさり覚悟を決めちゃうんですね」

「だって、他にどんな方法があるって言うのよ! 携帯は通じないから助けも呼べないし、どこも壊せないから出口も探せない。ほら、やること為すこと八方塞がりじゃない! そもそもこの世界に、本当に出口があるのかどうかもわからないのに」

「ありますよ。しかもその鍵を持っているのは、たぶん、他でもない先輩自身です」


 なんですって、という返事がくるのに、数秒もの間があった。


「さっき先輩が言いましたよね。自分のトラウマを引きずり出して、という話です」

「……それがどうしたのよ」

「何がどうあれ、能力によってこのトラウマ世界が生み出されているのなら、その強度をより高めているのは、このトラウマ世界の基となっている先輩の心の働きによるものじゃないでしょうか。先輩の心の傷が深ければ深いほど、この部屋はより強度を増して出入口そのものを塞いでしまう。ほら、よく言うじゃないですか、自分の殻に閉じこもるって。この世界はまさに心の殻なんです。先輩の心の強さがそのまま、このトラウマ世界の強度に繋がっていると仮定してもいいでしょう」

「じゃあ訊くけど、どうしてあたしのトラウマを作り出す必要があるわけ? 新田新一に個人的な恨みなんてないのに」

「それはたぶん、新田新一の部屋に最初に踏み込んだ人間が、たまたま先輩だったからですよ。先輩が踏み込む前、新田新一の部屋には当人以外、誰もいなかった。だから先輩の過去を選別して、最も強力な心の世界を生み出した。次に部屋に入ったあたしが何も影響を受けなかったんですから、きっとこの仮説は間違っていないはずです」


 言ってから、あたし自身も気づいた。黒木女史が謎の能力の被害に遭っている今の状況は、そっくりそのまま、あたしが黒木女史の能力に悩まされた状況と酷似しているということに。


 個人的な恨みはないけれど、条件に該当した最初の人間がたまたま被害をこうむったという、なんとも遠回りな因果関係。しかもまた意味不明な被害にあたしが加わっているのだから、二の舞を演じるというか同じ(てつ)を踏むというか。


「……何よ。じゃあ結局、あたしだけが悪者ってわけ? あんたたちが善人で、あたしが悪者だって言いたいの?」

「ところがどっこい、あたしも一緒に捕まっているので、善悪は全くの無関係でしょうね。新田新一はとにかく部屋に入ろうとする他人を拒絶したくて、別の世界を作り出すことで、自分の部屋から隔離しようと躍起になっているんです。部屋に入る前、扉に貼られていたメッセージボードはご覧になりました?」

「え、ええ」

「つまり、そういうことです。新田新一の能力は、現実の世界とはまた別に、他人の心を基にした異世界を作るもの。しかもその異世界は、相手の経験から一番パワフルな原動力となった過去を選び出して実体化させたもの。だから、この異世界から抜け出すためには、実体化の原動力となっている黒木先輩の意思一つにかかっているんです」


 立ち尽くしていても(らち)が明かない。あたしは拳を作り、扉を強く殴りつける。

 しかし無傷。逆に傷んだのは、日頃のケアがすごく大変な右手のほうだった。


「あ、あんた何を――」

「あたしを信じてください。あたしを信じて、扉だけがぶっ壊れるイメージを思い描いてください」


 もう一度、扉を殴る。けれど痛むのは拳だけだ。表面は相変わらず美しい木目を浮かび上がらせている。


「そんな、そんなこと急に言われたって」

「先輩が人間嫌いなのは知っています。でも、せめて今この瞬間だけは、あたしを信じてください。あたしにチャンスをください!」


 拳が扉に弾かれる。三度目の正直に至らず、手の痛みだけが肥大する。


 ストレスが精神不安を生み、心を守るための防衛本能が部屋の強度を高める悪循環。

 悩み事で体に異変が起きたり、胃に穴が開いたり、それこそ人間不信にも陥ったり。

 大切なのは『心の強さ』だ。それこそが、きっと『能力の強さ』にも繋がるはずッ!


「や、やめてよ。そんなに必死になって、あたしに何かを求めないで!」

「拒絶しないでください! この部屋から一生出られなくなってもいいんですか!」

「イヤ! あたし、こんなところで死にたくない……ッ!」

「だったら生きるんです! 生きて、一緒にここから脱出しましょう!」


 何度でもぶん殴る。手が真っ赤に腫れて、指と甲の間にある関節あたりの皮膚が剥がれ始めた。血が滲み出して、ひどく痛い。けれど、引き下がるわけには絶対にいかない。


「あたしは……あたしは……ッ」

「先輩の本音を聞かせてください! 今ここにいるあたしに、先輩の『正直な気持ち』を打ち明けてください!」


 骨まで軋むような痛みが走る。何度となく叩かれても扉の表面に変化はなく、あたしの血が付着して痛々しい有様だけが露わになる。

 途轍もなく堅い壁だ。

 これが心の壁なのだ。

 だとするなら、一体どうすれば乗り越えることができるのか。


「……あんたって、本当にいい度胸してるわね」

「今の時代、ハングリー精神がないと女の子なんてやってられませんから」

「なにそれ、バカみたい」

「そんなに莫迦を連呼されると、結構傷ついちゃうんですけどね」

「あんたバカよ。正真正銘のバカ。あたしのために命まで賭けてどうするのよ」

「だって、心配になるじゃないですか。あれだけ脅した後に相手が行方不明になったら、もしかすると永遠のお別れになっちゃうかもって、つい考えちゃうわけですし」

「……あんたまさか、あたしが自殺するとでも思ったわけ?」


 小さく頷くと、それこそ先輩は一笑に付した。そして大笑い。


「……なんであんたなんかを、一瞬でも優等生だと思って勘違いしたんだろう」

「もう盗撮とかやめてくださいよ。ほんっとに怖かったんですから」

「いい記事のネタになると思ったんだけどなあ」

「ここから出たら、きちんと写真とネガを渡してもらいますからね」

「……あたし、どこで道を間違えたのかな」

「逆に訊きますけど、間違えない人なんているんですか?」


 それが突拍子もない返事だったからか、先輩は意表を突かれた顔で見返してくる。


「間違いに気づいたら、思いっきり悩んで、今度こそ間違えないように前に進みましょう。くよくよ立ち止まったって解決にならないんだから、なんでも行動あるのみです」

「……あたしに説教するつもり?」

「とんでもない。ただの独り言です」

「その言い方、なんかすごくムカつくわ」

「お、いい睨みっぷりですね。やっと立ち直ってきましたか」

「うっさいわね! 全くもう、いちいち手を止めてないで、扉でもなんでも、早く破壊すればいいじゃない!」

「あら、やっちゃっていいんですか?」

「ふん。……生意気だけど、今はあんたしか、いないんだから」

「へへ、そうこなくっちゃ」


 今まで殴り続けてきた右手の傷を押さえる。回復には一秒もいらなかった。出血どころか、もう傷跡の名残すら見当たらない。


「さっきも言いましたけど、この部屋は、先輩の心を基にして生み出された異世界です。なので、もしこの部屋ごと扉を破壊してしまったら、あるいは先輩の心にも――精神にも多大な影響を及ぼす恐れがあります。まずはこの不安を払拭する必要がありました」


 彰の言葉を思い出す。

 あたしが自分の能力を行使する際には、段階的に、少しずつ気力を高めないといけない。

 なぜなら、あたしの能力は『破壊』に特化した性質だから、だそうである。


「扉、壊せそう?」

「力加減が難しいですね。もし心の壁の強度を見誤ってしまうと、この世界ごと吹き飛ばしてしまうかもしれない。あたしだけが脱出するならそれでも構わないんでしょうけど、この異世界の中心である先輩をも助けるとなると、そうはいかない。だから先輩にはまず、先輩自身の心の一部に突破口を作ろうとするあたしを信じてもらうしか方法がなかったんです。そうしないと、扉だけが壊れるイメージを、先輩が思い浮かべられそうになかったから」


 能力を使う以上、チャンスは一度きりと考えたほうがいい。

 制御にはそれなりの集中力が必要だし、なにより一度きりのほうが、黒木女史に与える影響も最小限に留めることができるから。


「……あんた、何をするつもりなの?」

「ただ殴るだけですよ。だから先輩は、あたしを信じてください。扉だけを破壊しようとする、あたしを信じてください」


 体に熱が入る。

 今にも空中に浮いてしまいそうな幻想。

 自分が重力の中心になったような錯覚。

 宇宙が今も膨張を続けているように『あたし』が爆発的に加速する。


「いいわ。あなたを――神崎茜を信じてあげる」


 先輩の言葉で、我に返る。

 腰を落とし、右腕を引く。

 拳を握って、力を込める。


「だからお願い……ここから出して!」

「合点承知!」


 一度きりの深呼吸。

 気合いを入れて前を見据え、我流の右ストレートを打ち放つ。

 直後に無数の裂け目が走り、木製の接触面が陥没する。

 おびただしく重なり合う、亀裂音。

 たちまち継ぎ接ぎだらけのような表面に変わった扉は、次の瞬間、木端微塵に吹き飛んだ。

 その先には、真っ白い光の世界が続いていて。


「す、すごい……」

「さあ、元の世界に戻りましょう、先輩」


 あたしが伸ばした手を、黒木女史は安心した顔で握り返してくれた。


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