09
友達になったばかりの三人娘は、どうも小学校からの付き合いらしかった。この東高には棚から牡丹餅的な意味で入試を受けたので、まさか本当に三人一緒に合格するとは誰も思っていなかったらしい。
「――先輩が、行方不明?」
担任の先生と別れて廊下から戻ると、長い黒髪がとんでもなく綺麗な美人さんが悩みを聞いてくれた。渋沢遊という男の子っぽい名前に負けず劣らず、性格も男の子っぽいので飾り気がないのがまた恰好よくて。なんでも水泳一筋のスポーツウーマンらしく、去年は中学の全国大会で惜しくも二位だったとかなんとか。長身で色白で、スタイルも良くて、そのうえ密かに妬まずにはいられないほど胸がでかい。
……一位が取れなかったのは、じつはそれが水の抵抗の負荷を底上げしていたからじゃ、とは心の中でごにょごにょ。
「うん。昨日の夜から、家に戻ってきてないんだって親から連絡が入ったみたい。それで、あたしにその心当たりがないかって聞いてきたの」
「へえ。その先輩とは知り合いなのか」
「とんでもない。昨日会ったばかりで、何が何やらちんぷんかんぷん」
「だったら、なぜ神崎が呼ばれたんだ?」
「たぶん、その人が下校するまでの間に会っていた生徒全員に事情を聞いてるんだと思うよ。ほら、学校側としちゃあ、あくまでも学校の敷地内でしか関与できないわけだから」
「神崎さんは、その、昨日会ったばかりの先輩さんと、何を話していたんですか?」
そう興味深そうに訊いてくるのは、おさげの眼鏡っ子お嬢様だ。いかにも清潔的で文学少女の佇まいなんだけど、始終おどおどしている目元の表情がなんとも頼りない雰囲気で、気がつけば渋沢さんにおさげを弄ばれている感じ。でもこういう人に限って、いざという時の行動力は侮れないってイメージがあるし、何よりやっぱり胸がでかいから、個人的に興味の尽きない女の子ではある。
名前は三嶋彩乃。会員制の老舗料亭を継ぐ一家の一人娘なのだそうだ。
「茜でいいよ。――それがさ、その先輩、事前にあたしのことを調べてたらしくって、家の前で張り込みをしてたのさ。そこで盗み撮りをした写真を自慢げに見せつけて、一言。神崎茜に質問するから真実を答えてね、だって。答えても何も、こっちは面識がないのにいきなり盗撮とか、そもそも非常識にも程があるっつうの」
「す、すごいですね、その先輩……」
「おかげで昨日は午前中からフラストレーションが溜まりっぱなしで、入学早々から頭を抱えちゃってさ。――昨日はごめんね、せっかくお昼に誘ってくれたのに」
「い、いえ。そういう事情があれば、仕方がないと思います」
「右に同じく。野次馬系なら無視できるが、向こうから爆弾を抱えて近づいてくる連中は手に負えない。その先輩とかいう無礼者も、そういう手合いの一種だろう」
「わー、渋沢さん容赦ないー」
「相手によるな。少なくとも私は、他人に敬意を払えない奴とは付き合えない」
そして何食わぬ顔でミートボールを頬張る。あたしの席を含めて机と椅子を四つ向かい合うように並べていて、真向かいに三嶋さんが、その隣には渋沢さんが座っている。
三嶋さんが、その小さい口にお箸の先をつけながら首をかしげた。
「……先輩さん、どうして急に家に戻らなくなったのでしょうか」
「さあねえ。どうせまた、下校途中にろくでもない記事のネタでも見つけたんでしょうよ、きっと」
「記事のネタ、ですか?」
「そう。だってその先輩、新聞部の唯一の部員さんらしいから」
「唯一なんですか。お一人で切り盛りするのは大変そうですね」
「同情することないわよ。その先輩、自分から人間嫌いだってのたまうぐらいなんだから、むしろ今まで一人っきりで好き勝手できて、相当天狗になってたんじゃない? だから、今回の件でいい薬になると思ったんだけどな。たんに真実だけを書いても良い記事なんて生まれるはずもないし、やっぱり、人を育成できる良い先輩や顧問がいてこその部活動だと思うよ」
あたしがそう言うと、三嶋さんは驚いたように目をぱちくりさせた。
「すごい……。神崎さんって、とても大人なんですね」
「いやいや、大人なもんですかい。たんに、人生の師匠に対して永遠の敬意を払っているだけでござりまする」
「人生の師匠、ですか」
「そう。だからこういう『究極の問題』みたいな話は、他人と比較してもあんまり意味がないんだな。だって、そういう人を見つけられてあたしたちの運が良いかって言われると一概に頷けないし、あたしたちの話をしたところで、他の人たちにしてみたら全然実感も想像もできない内容になっちゃうしね。――だって考えられる? 毎晩寝る前に手を合わせて、今日も一日、良い日でした、なんて報告をする自分の姿をさ」
彼女は力なく首を横に振った。もしあたしが逆の立場だったら、きっとそうしていたに違いないはずの仕草だった。
「……やっぱり、すごいな。神崎さんは大人です。わたしなんかとは大違い」
「三嶋さんは、将来の夢とかないの?」
「わたしは、その……昔から、家のお手伝いばかりしてきましたから。……あまり、他のことで汗を流す自分が、想像できないんです」
それきり、三嶋さんはばつが悪そうに閉口して俯いてしまった。ううむ、まだお互いに距離感があるせいか、これ以上は突っ込みにくい空気になっている。
ふと渋沢さんのほうを見てみた。彼女も箸を止め、考え事をしている風に眉間にしわを寄せていたかと思うと、やや真剣みを帯びた眼差しを向けてくる。
「神崎。その新聞部の先輩というのは、もしかして黒木という女史ではないか?」
「あれ、渋沢さん知ってたんだ?」
「もし同一人物なら、私たちも面識があると思う。なあ清水」
清水、と呼ばれた美少女がこくこくと頷く。
一見どころか、慣れるまではとても高校生とは思えない童顔をした女の子だ。渋沢さんが凛々しく、三嶋さんが可愛い系なら、清水さんは犯罪臭すら漂うような稚気満々の天使さんだろう。無口で表情の変化も乏しいが、四人の中では一番身長が低いのでマスコット的な立ち位置に定着している。
清水菜月、というのがこの美少女の名前だ。もちろん胸のサイズはあたしが勝っているものの、なぜか全面的に負けている気がしてならないのは、万人に寵愛されるために生を受けたような彼女の魅力のせいでござろうか。
「清水さんも、黒木先輩を知ってるんだ」
「いや、清水もあたしも昨日が初対面だ。正門で待ち合わせしていたところをばったりとね」
「待ち合わせ?」
「そう。清水は体があまり丈夫でないから、登下校の時は一緒に帰ろうと約束してるんだ。あたしたちは隣町からの電車通学でね。特に朝、女性車両に乗れない時はこいつがどれだけ緊張しているか、痴漢野郎どもは全くわかっちゃいないのだ」
「あ、それわかる。女性専用車両に乗れると、すごくリラックスできるもんね」
「だろう? まあ、そういうわけで昨日は私たちも偶然その先輩と会ったんだな。そして妙なことを訊かれた。何か面白いネタはないかって」
いかにも、あの黒木さんが単刀直入に切り出しそうな質問である。
「それで、ネタを提供した、とか?」
「断る理由もないだろう。ただ、ネタを持っていたのはあたしじゃない。清水のほうさ。というのもこいつの場合、あたしの部活が終わるまでは、図書室で本を読んでいることが多いからね。その時の話も、じつは口コミの噂をたまたま小耳に挟んだ程度の代物なのだ」
同意するように清水さんが頷く。一番サイズが小さいお弁当箱の中身は、もう半分ほど平らげていた。
「噂って、どんな噂なの?」
「珍しい噂、というよりは勿体ない話だな。新入生の中で、入学式にも出席せずにずっと自宅に閉じこもってる男子がいるらしい。新田、とかいう名前だったかな。あくまで噂だがね」
「閉じこもってるって、どうして?」
「それがわかったら噂にはならんだろう。噂は、その本質が『謎』だから噂になるんだ。入学式から不登校の新入生がいて、だからその男子が自宅に閉じこもっているんだろうという邪推は成り立つが、肝心の『なぜ』がわからないから面白半分に尾鰭が付く。それが噂を広める所以であり、噂を口にすることの愉しみでもある」
「そっか、言われてみればそうかも。よくある怖い話とか、それの実際の真偽はともかく、ちょっとした好奇心をくすぐる程度の話題は日常的にあって困らないもんね。だからこそ会話も退屈しなくて弾むわけだし」
「そういうことだな。そういえば近所にも『曰く付きの屋敷』があったか。あれは確か、敷地内に入ると圏外になる、だったかな」
「うわー、なんか家の中に入ったら閉じ込められそー」
「家に閉じ込められるのと、家に閉じこもっているのとでは、大違いだな」
あら、お上手だこと。あたしたちが大笑いすると、清水さんも少し口元を微笑ませた。
下校時間を迎えた放課後、ついに黒木先輩は登校しなかった。
つまり丸一日、その行方が掴めない経過になる。これではご家族が心配されるのも当然だ。事故や事件に巻き込まれた可能性を考慮に入れると、警察署に捜索願を提出するのも時間の問題かもしれない。
昨日、昼休みの出会い頭で恫喝した記憶が重くのしかかる。渋沢さんの話では別のネタを探していたようだけれども、じつはやっぱりあたしの脅しが効いていて、それが原因で人間嫌いに拍車がかかって自殺――なんて想像が頭をよぎらずにはいられない。
彰に助言を求めようと電話をかけてみるも繋がらず、かといって我関せずを決め込んで家に戻るには抵抗があり、やむなく大講堂の裏の敷地に足を向ける。夕の色が雑草に沁み込み、なんとも物寂しい風情がコンパクトに暮れていく。
こうして一人きりになると、つい、いろんなことを考えてしまう。
先輩は人間を嫌っていた。だから昼休みになると、ここでミーちゃんに会い、キャットフードを御馳走していた。もしかすると自分の昼食もここで済ませていたかもしれない。だって先輩の友達は、ミーちゃんだけだから。
……どうして。
どうして先輩は、嘘つきと正直者に、あれほどまで拘っていたんだろう。人間を嫌い、ミーちゃんを好んでいた理由も、根本まで遡れば先輩なりの『善悪』の価値観に辿り着く。そして先輩が、その価値観を絶対のものと傾倒する原因も、必ず善悪に関わる過去にあるはずで。
正直者が怒られ、嘘つきが保護された。
それが不公平だから、彼女は許さない。
――だから、友達がいなくなった……?
そこまで考えたところで、草叢から物音が聞こえた。こちらの事情なんてお構いなしで、ミーちゃんは何事もないような顔で歩いてくる。相変わらず尻尾は立てたままなんだな。
「ごめんよ。先輩ってば、今日は学校に来てないんだ」
撫でてやると、気持ちよさそうに体を震わせて小さく鳴いた。その邪気のない瞳で見つめられると、先輩が消えた原因があたしにもあるような気がして、ちょっぴり後ろめたい。
「ほんと、先輩はどこに行ったんだろうね」
あたしの記事が使えなくなったから、別のネタを探しに出て消息を絶った先輩。これは単純に、記事の編集までに時間がかかっているから戻らないだけなのか。
それとも、自分の意思で移動した先でのっぴきならない緊急事態に陥り、自力では脱出不可能な状況に追い込まれているのか。
不意にミーちゃんが一鳴きした。また草叢のほうに戻り、そのまま金網の抜け穴を通って外の舗道に出てしまう。そして振り返ると、あたしを見て一鳴き。そっかそっか、そろそろ帰らないと、おみゃーさんの飼い主さんも心配しちゃうよね。
けれど、ミーちゃんは帰らなかった。その場に立ち留まったまま、また鳴いてあたしを見つめてくる。こっちが怪訝に首をかしげても鳴いて、ばいばいと手を振っても鳴かれてしまう。まるで誘うような振る舞いだ。ひょっとすると、あたしは本当に誘われているのか?
「……もしかしてミーちゃん、先輩がどこにいるか知ってるの?」
あたしの問いかけに応えるように、にゃあ、と鳴くマンチカン。
まさかとは思うけど、期待せずにもいられない。それこそ猫の手も借りて、早く先輩の安否を確認したい気持ちに駆られる。
あたしは金網に近づいて頭上を見上げた。高さは約六メートルだが問題ない。周りに誰もいないことを確認して、その場からの垂直跳びで難なく飛び越える。ミーちゃんは驚いた素振りすら見せずに、じつに淡々とした表情で尻尾を向けて歩き始めた。
うーむ……。素直に後に続いてはいるけれど、今度はこのマンチカンが何者なのかで疑問符が浮かんでしまう。もちろん子猫には違いないが、ただの子猫と断ずるにはあまりに落ち着き払っていると言いますか、妙に胡散くさいと言いますか。
そうこう考えているうちに、ミーちゃんはとある一軒家の前で立ち止まった。煉瓦風の質感がある外壁がおしゃれな建物で、どことなく西洋風の門構えをしている。塀のそばには丁寧に刈り込まれた緑の植栽が縁取っていて、豪邸と呼んでも差し支えない存在感だ。そして毛筆体で『新田』と刻み込まれた戸建ての表札――。
――偶然でも運命でもなんでもいい。
先輩と仲の良かった子猫が案内してくれた先が、清水さんが耳にした噂の新入生と同じ名前の所有者がいる一軒家だというのなら。
あたしはきっと、この家にこそ、踏み込むべきなのだ。
ミーちゃんはあたしの決意なんてそっちのけで、するすると二階にある部屋の窓枠までのぼった後、こちらに振り返って一鳴きした。まるで、先輩はここにいるよとでも言わんばかりに、招くように。
玄関のチャイムを押すと、ほどなくして入口の扉が気怠そうに開いた。応対に出てきたのは四十代の女性で、常に疲れきっているような猫背が印象的だ。おまけに顔色も悪く、なんらかの悩み事を抱えているのは誰の目にも明らかである。
どちら様ですかと尋ねられ、簡単に自己紹介をする。そして昨日から東高の女子生徒がお邪魔していませんかと質問すると、途端に狼狽して激しく否定し始めた。
先輩は確実にこの家の中にいる――そう確信できる反応だった。押し問答も面倒なので、問答無用で上がり込み、階段をのぼって二階の廊下を進んでいく。
女性はずっとあたしの腕を掴んでいたが、その力が弱いので逆にあたしが引きずるような妙な格好になった。申し訳ないが、今は先輩を捜すほうが先決なのだ。廊下の先、突き当たりの手前にある部屋のドアに飾られた、アニメ絵のメッセージボードに目を凝らす。
『僕は無害』
『君は有害』
『だから一歩も入るな』
『警告』
『心の聖域は万人を退ける』
方角からして、どうもここが問題の部屋らしかった。けれど、このメッセージボードは一体なんだろう。絵柄の趣向といい、よっぽどアニメが大好きな人の部屋だということはわかるんだけど。
庇うようにドアの前に立ち塞がる女性はしきりに『入ってはダメ』とヒステリー気味に叫ぶが、どうも一連の言動からして一家の母親らしかった。他に住人はいないようなので、核家族なのだろう。シンちゃんは悪くない、シンちゃんはあたしが守る、と必死に叫んでいる。
なんだか、いろいろな意味で部屋に入るのを躊躇してしまいそうだ。けれど、丸一日も放置されている先輩のことを考えると、無為に時間を過ごしてもいられない。
「部屋、入らせてもらいますね」
神経質そうな母親を力ずくで退かせ、ドアの把手を握り込む。
意外なことに、鍵はかかっていなかった。本当に、卵を握るような易しさで、開き戸が意のままに動いていく。
そして、悪い意味でも、あたしの予想は大きく裏切られるのだった。




