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会場がにぎやかく盛り上がってきた。随分架橋に入っている。そろそろ中締めというころ、飯田は澪がトイレに行ったままなかなか戻ってないことに気付いて、探しに行った。
澪が化粧直しを済ませて会場に戻ろうとエレベーターホールの傍を横切ろうとした時、後ろから澪を呼ぶ声に気づいた。聞き覚えのある声にふと足を止めた。
「真藤さん、偶然ですね。こんなところで。」
澪が振り返るとそこには倉元が立っていた。
倉元はパーティのためか、ドレスアップされて、いつもより一層上品で華やかな雰囲気をかもし出していた。
少し飲んでいるのだろう、男の色気がいつもに増してあでやかに強烈に漂っていた。一瞬倉元の色気にぐらっとしそうになったのを澪はぐっと堪えつつ、仕事モードの顔してにっこり挨拶した。
「こんばんは。倉元さん。本当、偶然ですね。今日はどちらのパーティにご出席ですか?」
「ああ、以前、モデルの仕事で関係があったアパレルメーカーの記念パーティでね、会長さんが呼んでくださったんだ。もう引退したのにね、ありがたいことだよ。」
倉元は嬉しそうに笑う。澪はその笑顔にドキッとした。いい顔だなと漠然と思った。倉元もいつもより感情表現が豊かな澪に目が輝いている。
「少し酔ってるの?」
「いいえ、少し飲みましたけど、酔ってはいませんよ。」
澪はこの間のランチの時より、今日は少し飲んでいるせいか、あまり緊張せずに倉元と話せるのでなんだか嬉しかった。
「もうそろそろそちらも終わり?」
「ええ、たぶん、そろそろ中締めです。」
「このあと予定は?」
「いえ、別に、これで帰ります。」
澪は少し遠慮がちに微笑んだ。
「そう、じゃ、ちょうどよかった。僕につきあってくれないかな。こんなときに仕事の話もなんだけど、あれからちょっと考えたことがあってね、是非君と会って話をしたいと思ってたんだ。こんな時間じゃだめかい?」
澪は倉元の口ぶりから、いい話に違いないと思い目を輝かせた。
「いえ、そんな…。お仕事の話なら喜んでご一緒します。じつは私もあれから計画で練り直したことがいくつかあって、そろそろ倉元さんにお話しないとと思ってたんですよ。」
澪が顔を上気させて無邪気に倉元に返した。倉元はいつもと雰囲気の違う澪に目を細めながら満足気に微笑んだ。
「そう?よかった。じゃ、15分後にホテルのロビーで待ってるよ。」
「はい。」
澪は去っていく倉元の後姿に丁寧にお辞儀をした。そして会場に戻ろうと振り返ったとき、少しはなれたところに飯田が立っていた。
「先輩、今のV誌の倉元さんでしょ?何話してたんですか?」
「え?ああ、この間のタイアップ企画の話よ。この後、少し話をしてくるわ。どうやら新しいアイディアがうかんだみたいなの。」
「えっ?あのラテン野…おっと、倉元さんと出かけるんですか?やめといたほうがいいですよ。なんかあいつうさんくさい。仕事の話なら昼間アポとればいいんです。」
「何、流星みたいなこといってんのよ、飯田君。チャンスはつかまないとなくした後では悔やんでも悔やまれないわ。あ、ほら、うちの中締めよ。いきましょ!」
そう言って飯田を促してもとの会場へと戻っていった。
飯田はまずい展開に1人焦ってハラハラしながら、中締めの挨拶と三本締めを上の空でやり過ごした。終わった後、飯田が止めるのも無視して澪は待ち合わせの場所へと向かっていった。
ロビーにつくと倉元がすでに、ゆったりとした白いレザーのソファに腰掛けて待っていた。さすがに元モデルである。長い足を組んでリラックスして座ってるサマはグラビア写真をみているかのようで、驚くほど決まっている。近くを通る女性がちらっと必ず倉元を見ていく。
「お待たせしました。倉元さん。」
澪は倉元の傍に近づくと丁寧にお辞儀した。倉元はクスクス笑う。
「ねえ、その他人行儀やめようよ。普通にして、普通に。」
「え?普通にですか。普通にしてるつもりなんですけど、変ですか?」
「少なくとも君は春日とかいう彼にお辞儀はしないだろ?」
澪は急に流星のことをもちだされて戸惑った
「そんな怖い顔しなくても…。ごめんごめん、今日はちょっと口が過ぎるな。アルコールが入るとすぐこれだから。許してね。この間の彼にちょっと妬けてるんもんだから。つい…。」
「はっ?倉元さん?」
澪がおどろいた顔をして倉元の顔を見返した。倉元は笑いながら立ち上がって澪の傍にたって腕さりげなく差し出した。
「さあ、参りましょう。澪さん。」
急に名前を呼ばれて一瞬真っ赤になって俯いた。
「澪さん、手を。」
倉元に促されるままに差し出された腕に軽く手をかけると倉元は色気たっぷりの笑顔を澪に向けて歩き出した。
倉元が連れて行ってくれたのはこのベイエリアのホテルで一番景観がいいといわれるプレシャスアーバンホテルのラウンジだった。ラウンジにはいるとすべてが目の前に広がる夜景と一体化していた。歩いていくと足下に薄っすら明かりがちらほら照らされ、歩いている足元を見れば、そこがラウンジであるとやっと認識できるくらい迫力の景観だった。まわりを眺めると遠くにぽつんぽつんと人がいるぐらいで静かにゆったりとしたジャズの調べだけが響いていた。
「ステキ!」
澪がおどろいて景色にあっけにとられている。さりげなく倉元が傍によって澪の腰に手を回して
ソファを勧めた。
「ここへどうぞ。」
一瞬、澪ははっとしたが、促されるままに座った。
「ステキだろう?君を是非連れて来たかったんだ。喜ぶ顔が見たくてね。」
「えっ?お仕事のお話じゃないんですか?」
「もちろん仕事もだよ。でも、仕事ばっかりじゃ寂しいじゃない?こんなムードもいいでしょ?」
倉元は確信犯のようにニッコリ笑っているのだが澪の側からだと暗くてその様子が見えにくい。澪の顔にはちょうど月明かりが当たって、白い肌がさらに青く透き通って、艶かしく美しくなめらかな曲線をくっきり映し出していた。倉元はうっとりと澪を見つめた。ほんとうに綺麗な娘だ。こんな上等な子は見たことがない。
モデルの時も今も、女といえば自分を売り込むか倉元にいい寄るかのどちらかで、下心がみえみえで顔形は綺麗でも、心が綺麗と思える女は見たことがなかった。
でも、澪は違った。はじめから、下心がまったくない。しかも、禁欲的でいて、どこかその清潔で上品なところがひどく色気を感じさせるのだ。これは、持って生まれたうちから光るものなのだろう。倉元は初めてあった時、澪のそんな清麗さに一目ぼれしたのだ。
こんな職業をやっていると女を見慣れてしまうのでそんなことはありえないと思っていたのだが、澪に出逢って、すっかり返上してしまった。その時から、忘れられない人となった。もしかしたらはじめて心から惹かれた人なのかもしれない。倉元は景色に見とれている澪を眺めながらぼんやり思った。
ふと景色に夢中だった澪が振り返った。一瞬倉元がどきっとする。
「さっきの考えたことってなんですか?」
澪はにこやかに微笑んで倉元に問いかけた。倉元が平静を装って微笑みながら応える。
「そう言えば、プレス発表、今回はどこでやるんだい?」
「え?ああ、えー、ま、倉元さんだからいっか。V誌にはなるべくいいところを欲しいから…。」
澪は照れくさそうに勿体つけた。
「レジントンですよ。」
「へえ、レジントン?よく取れたね。あそこは著名人が使うので有名だから、なかなか押さえるの大変なんだよ。」
倉元が驚いた表情で言った。
「うちには優秀なスタッフがおりますもん♪あそこのガーデンテラスを貸切です。」
澪は嬉しそうに得意げな顔で倉元を見る。
「ほう、すごいなあ。それ、是非、うちで独占取材させてくれないかな。さっき考えたことってそれなんだ。クノチアキと結城ななえだろ?君達スタッフに密着させてもらって裏方も含めて取材した様子を掲載したいと思ったんだ。どうかな?」
「えっ?それ、本当ですか?もう、是非お願いしたいです!」
澪は子供みたいにはしゃいだ様子で満面の笑顔を倉元に向けてくる。倉元はどうしようもなく愛おしさがこみ上げてきて、抱きしめたくなる衝動ををぐっと堪えた。
「真藤さんの報告はなんだい?」
澪はぽっと顔を赤らめて少し恥ずかしそうに口を開いた。
「前回また3位でおわって…悔しくて…。そのリベンジで今回は気合いれて企画を考えたはずだったんです。でも…、私バカだから、前回なんで3位に終わったかまったくぴんときてなかったんですよね。それで、今回は以前にお話したときより、内容を増やしました。これで絶対いけるはずなんです!」
澪は真顔でまっすぐ倉元を見据えてくる。倉元はその視線に釘付けになった。澪は本当に仕事で真剣になるといい顔をする。
「まだ、現在交渉中なので詳しくはお話できませんが、人気ブランドとのコラボでデザインケース入りの商品を予約のみの限定で企画しているんです。先日の初回の交渉も好感触なので、時期になったら詳しくお話できます。私も大好きなブランドですし、とっても楽しみなので、絶対のこの話は取りたいですね。」
澪は目をキラキラさせて子供のような表情をするともう一度外の夜景に目をやる。
結局、澪は目の前の迫力の景色に魅入られてつい、2杯もカクテルを飲んでしまった。少し体が火照っている。ちょっと飲みすぎたかもしれない。はじめに、新人の歓迎パーティーで流星の悪口を飯田にぶつけながら結構飲んでいたのだ。
澪はソファに体をあずけると大きく深呼吸した。
「ん?どうしたの?少し酔った?」
「ええ、でも大丈夫です。」
澪は少し苦笑いして返す。
「じゃ、帰ろうか?」
倉元は優しく囁くように行ってニッコリ微笑んだ。澪もそれに同意した。倉元はウェイターを呼ぶと席で支払いをすませて、澪を大事そうに支えて立ち上がった。
「すみません、大丈夫ですから。私普通に歩けますし。」
澪が、倉元がぴったりとよりそいながら優しく支えてくれるのを丁寧に断ろうとするが、倉元はにっこり笑うだけではぐらかすようにやり過ごした。しかたがないのでそのままされるがままにラウンジを出て、プレシャスアーバンホテルもあとにした。
「少し、このベイエリアを歩こうか。酔い覚ましに。」
倉元がそう提案すると、澪は夜の海の風がひんやりとして心地よかったので酔い覚ましならと頷
いた。
夜の海は美しかった。水面にその上にかかる道路を走る車の光が走馬灯のように駆け抜ける。火照った肌はひんやりとした海風にさらされ、さわやかな気分にさせてくれた。
「倉元さんはどうしてモデルをやめたんですか?」
澪は唐突に倉元に声をかけた。質問の内容に倉元は少々驚いたが、もう一度にっこりと笑った。
「モデルよりも自分で何かをやりたかったからかな。雑誌の仕事はモデル時代から興味があったんだ。今はまだ、一編集者だけど、近い将来は自分が編集長になって本当に自分がプロデュースした雑誌を作りたいと思っているんだ。それから、今立ち上げかけている僕のブランドもね、もっと大きくしていきたいんだ。」
倉元は少年のようにキラキラした目で照れくさそうに話した。
「へえ、ステキですね。倉元さん今、とってもステキな人に見えました。」
「え?ひどいなあ。今まではなんなの?」
くすくす笑いながら澪の顔を覗きこむ。澪は照れながら、ちらっと倉元を見て話を続ける。
「倉元さんはいつもかっこよくてセクシーで。目のやり場に困るくらいステキですよ。…でも、さっきの…夢を照れくさそうに語ってる倉元さんはもっとステキです。少年みたいでなんか、いいですね。」
倉元はドキッと心臓が跳ね上がるのを感じて驚いた。こんなに心が動く瞬間なんていままでなかった。澪はいとも簡単に倉元の心をを翻弄する。倉元はもう、澪の純粋さにとことんやられて参っていた。
「澪さん…、澪…。あなたが好きです。」
突然の倉元の告白に澪は驚いて振り返ろうとした瞬間抱き寄せられた。とっさに振りほどこうとするが、倉元の逞しい腕に強く抱きしめられて身動きがとれなかった。そして倉元が自分の胸に顔をうずめている澪の顔を覗きこむように顔を近づけてくると、澪の額や頬に軽く唇でやさしく触れていく。そして愛おしげに唇を軽く食むようにやさしく重ねてきた。
澪はなんとか倉元から離れようとするが、倉元のエゴイストの香に包まれて、突然のキスに翻弄されて力がはいらない。体は思いのほか、倉元にもたれかかり、気が遠くなっていった。




