7#
あれから一週間がたった。あれ以来ずっと流星の姿を見ていない。こんなことははじめただった。流星は澪が望もうが望まなかろうがいつも目の届くところにいた。澪はそんな状況にずっと当たり前のように思っていたので、一週間まるっきり姿を見ないのは互いが旅行にいっているときぐらいしかなかった。それでも旅行だという名目があるから、特に気にせずにいられたが、今回は違った。
何も理由がないのだ。
一週間前、流星の様子がおかしかったということ以外に…。
今日は週末で新入社員が研修を終えて今日から出社してきていた。今日は新人の歓迎会だ。その時ばかりは流星の顔がみられるだろう、澪はそう高を括っていた。実際は、新しい企画のプロジェクトメンバーになって、月曜の朝までに仕上げなくてはいけない仕事で一杯一杯でとても歓迎会に行けるような状況ではなかったのだ。
流星がそんなことになっているとはまったく知らない澪は、流星の顔を見れるだろうという希望に少しだけ明るく仕事ができた。あとで顔を見たらなんで顔を見せなかったのか、問い詰めてやる…。
新人の歓迎会とは言え、業界に名のとおった化粧品メーカーである澪たちの会社は、ベイエリアの一等地にあるグランドオーシャンホテルを会場に押さえていた。いくつか事業があるが全員が出席のため、総勢1000人が集うこととなった。
そのうち、約200人が新入社員だ。
今年は大盤振る舞いで採用しているが、実は昨年度の採用はゼロだったのだ。
ここ数年、人数が減っていなかったので採用を控えていたのだ。しかし、今年、200人もの大盤振る舞いした背景には2007年問題があった。団塊の世代が一気に定年を迎えて、今年からは退職者が山のようにでる。すでに役職定年で早期退職も出てきているため、背に腹を替えられず、大量採用に踏み切った。
「真藤先輩、やっぱりいいですねえ、新人がいるって。なんか新鮮な風が吹いてきますよ。」
飯田が目を躍らせて若い女性新入社員に熱い視線を送っている。
「なにばかなこといってるの。あなたも若いじゃない、そんな年寄りのようなこと言って。」
そう言って面白がって笑う。
「ああ、あの中から流星や飯田君に餌食になるかわいそうな子がいるかと思うと気の毒でならないわ。」
飯田が飲んでいたビールを一瞬喉に詰まらせた。
「ごほっ!…せ、先輩!それひどっ!流星先輩はわかりますけど、俺なんて紳士ですよ!誠実ですし…。流星先輩と一緒にしないでくださいよ!」
「それじゃなに、流星はけだものでいたいげな若い女の子を手篭めにしてるとでも?」
やばい…。澪はお酒がはいると、大胆できつくなるのだ。流星に俺が行けないからしっかり見張ってるように念を押されてきたのだった。いらないことでつい口を滑らせてしまったことを飯田は多大に反省した。
しかし、もうおそかった、澪が荒れはじめた。
「やっぱりそうよね〜。流星はけだものよ!ほんと女たらしだし!あいつ何人女をとっかえれば気がすむのよ!しかもにくったらしいことに、面食いだからかわいくて綺麗な子ばっかり!絶対男ができない私へのあてつけなのよ!絶対あんな男信用できない!そうでしょ?飯田君。君もあんな男とつるんでるといつまでたっても彼女できないわよ。それどころかかわいい子でもつれてってみなさいよ。流星に持ってかれるかもよ。うん、友達考えたほうがいいわよ!」
「うわあ、荒れてますね、先輩。もうあんまり飲まないほうがいいですよ。」
飯田がオロオロしてなだめにかかる。
「うるさいわね、別に酔ってなんかないわよ。」
そう言って澪はギロッと飯田を睨みつける。
確かに酔ってはないけど、荒れてるよな…、どう考えても…。なんでこの二人ってこんなに似てるんだろう。だいたい二人とも素直じゃない上にハードなんだよな、性格が。俺、踏んだりけったりじゃんか。飯田はそう思いながら、また深くため息をついた。
ちぇ、真藤先輩のおもりをしなくてもいいなら、あの新人君たちの輪にはいれたのに〜、流星先輩うらみますよ!もちろん、真藤先輩をくどいていいんなら役得ではありますけどね、俺まだ死にたくないし…。
その瞬間、小会議室で大量の資料に囲まれて1人PCに向かっていた流星がくしゃみをした。
「ちぇ、誰だよ、人のことうわさしてんのは!どうせろくな噂じゃないんだろうけどな!」
さっきからキーボードをうつ手がとまっているのだ。一向に考えが浮かばない流星はひどくイラついていた。イラつきの原因は仕事じゃなかった。澪の顔をもう一週間も見ていないからだ。しばらく会わずにいよう、電話すらしないと決めたのは自分なのに、ひどくめいっている。
この間、澪が自分から離れたがっているような感じがして、自分がいては澪のためにならないとふと思ってしまったのだ。いつまでも自分が澪にかまっていると澪も年頃なのに恋愛もできない。そんなこと前からわかっていたが、なんだかあの時、澪の様子が変だったので、妙に真剣にそんなことを考えてしまった。
いくら澪のことが好きでも、澪が自分のことをただの幼馴染と思ってる限り、仕方がない。そろそろ離れないといけないのか…。
流星は自分の狡さに気付いていた。
今まで澪から離れたくないばかりに幼馴染の立場を維持するべく、澪を好きな気持ちをごまかしてきた。そのカムフラージュとしていろんな女と付き合った。しかしどれも、長く続いて一ヶ月だった。適当に付き合って、適当に別れた。
流星は女にとってはひどい男だった。はじめから自分は本気にならないと宣言して、それでもいいといって本気にならない前提で付き合ってきたのだ。
とはいえ、そんな約束はできるはずもなく、相手が本気になりそうな気配があると頃あい見て
別れてきたのだ。スマートにできるだけ相手を傷つけないように…。
しかし、最近は適当に女と付き合うことさえ出来ずにいた。この間現れたラテン男、倉元の存在が、動物的勘がはたらいて危険人物と認識したのだ。それからどうにも澪のことが気になって気が気じゃなくなってしまったのだ。
いつもは予防線を張っておけば、澪から出向いていかない限りは男の影はないので安心できた
が、あの男は別格だった。おまけに澪が真剣に打ち込んでいる仕事のターゲットと来たら、危険なんてもの極まりない。おそらくランチに行ったときに何かあったのは明白だが、澪に怒鳴られてしまってからは嫌われるのが怖くて聞けずにいる。
俺は何をしてるんだろう?流星はPCの画面をじっと眺めて思わず考え込む。
流星は今まで、澪しかみていない。高校行く時だって、大学行くときだって、この会社に入る時だってそう。理由なんてひとつだった。澪がいるから。
流星はなんでも器用にこなす上、頭もいい。だからそれなりになんでも人よりうまくやれてしまうがために、時に人からは尊敬されたりもする。
しかし、流星にはそんなことどうでもよかった。実際は澪以外に興味がもてるものがないのだ。そんな自分はおかしいと思いつつも、どうしても他に興味が持てない。流星が澪以外のことに冷静でひどく客観的なのは、澪以外に興味が持てないからなのだ。だから、澪に嫌われたら、すべてが終わってしまうように感じて怖いのだ。唯一の物をなくしてしまう自分が怖くてしかたない。
だから、流星は自分を誤魔化し、澪の前で女たらしの幼馴染を演じている。
それでも、もう、流星も澪も28歳という微妙な年頃になってきて、澪は特に結婚も意識してもおかしくない。いつまでも子供じゃないのだ。手に入れるか、手放すかのどちらかにしなければならないときにきているのだ。
澪に本当のことを言うのか…。
でも、それで、ただの幼馴染としか思ってなかったら、あの澪の潔癖な性格からして、もう、
流星に会わないように努力するだろう。自分が応えてやれないとすれば、そうする優しさが澪にはある。
でも、本当にそれで自分が耐えられるのか…。澪しかない自分は、澪がいない生活に本当に耐えられるのか。そう思うと自分のやり切れない思いをもてあまして、仕事にも身がはいらない。
「はっ!俺はどうしようもなくバカな男だな…。自分が傷つくのが怖いなんて…。」
そう言って自分をあざけりながら、流星はPCの前で頭を抱えた。