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その夕方から明日の検討会にあわせて資料作成をつめる。今日は深夜になるな。澪は深いため息をつくと一旦休憩に立った。
休憩室に行くと飯田と流星が何か話しをしていた。澪の姿を見てぱっと二人が一瞬構える。澪はどうせ、聞かれたくない話をしていたんだろうと無視して自販機でコーヒーの味付けを選んでいた。砂糖増量を押したところで流星が話しかけてくる。
「なんだ、ラテン男とえらくゆっくりなランチタイムだったな。」
今日の昼間といい、今といい、言い方に棘がある。いつものからかいモードじゃない。澪はとっさにさっきの倉元のキスを思い出して顔を赤らめながらつい俯いてしまった。なんだか後ろめたい気持ちで流星の目が見れない。こら、堂々としてろ!べつに流星には関係ない!そう言い聞かすが、やはり流星に顔を上げられない。
流星はいつもなら、売り言葉に買い言葉でやり返してくる澪が何も言わず、目もあわせないに様子に何かあったと悟るには十分だった。流星はそう思うと急に腹が立ってきた。
「あの男と何かあったのか?澪。こっちを見ろよ。」
そういって澪の腕を掴んで引っ張った。
「やめてよ!流星。仕事の邪魔しないで。彼はV誌の看板編集者の倉元圭祐よ。ただでさえ、うちは前回のビハインドがあるのよ。今回V誌のタイアップでもう少しでいい返事がもらえそうなのよ。なんとしてでもこれを成功させたいの。だから、変に勘ぐって勝手なことしないで!」
澪が流星をキッと睨んで食って掛かる。
「あの男は危険なんだ。おまえなんかすぐ騙されるぞ。必要以上に近づくな。」
流星がイラついてめずらしく声を荒げた。澪はハラハラしながらも負けずにやり返す。
「あなたは私の保護者じゃないでしょう?自分の彼女の心配でもしてたら?」
流星の顔色が変わった。澪はしまったと思ったときにはもう完全に怒らせていた。
「彼女って誰のことだよ!」
澪もあとにひけずについ口を滑らせる。
「しらばっくれて!セクレタリーセクションの美女よ。」
「へえ〜?おまえ、妬いてんの?」
静かににやっと笑って澪に迫ってきた。その冷たい笑顔に澪はぞっとして一瞬、鳥肌が立つ。それでも気持ちを奮い立たせて強気に言い返した。
「何考えてんのよ!あほらしい。私忙しいんだから。流星の相手してる暇ないのよ!」
そう投げ捨てるとコーヒーをもって流星から逃げるように休憩室を出た。取り残された流星は大きくため息をついた。
「先輩、なんであんなに突っかかるんですか?どうみても子供のけんかみたいですよ。いつもは冷静でスマートなのに、なんで真藤先輩にだけあんな風になっちゃうんですか?もう…、もどかしくて俺、見てらんないですよ。」
「うるさいな、飯田。」
流星は静かに低い声で言うと、振り向きざまにじろっと飯田を睨みつけた。飯田は悪寒がするように一瞬ゾクッとした。流星は真剣に怒っているのだ。
流星はめったに怒らない。飯田はこれまでバレー部で流星とずっと一緒だったが、どんな状況になっても声を荒げたり、イラついたりはしなかった。いつも冷静沈着で、みんなをうまくなだめたり、励ましたりして上手にマネジメントしていた。言うならば理想的なキャプテンらしいキャプテンだった。その姿に憧れて流星を慕ってこれまでついてきた。
しばらく一緒にいて初めて、時々こんな風に子供みたいに怒るのを目の当たりにするようになったのだ。それはいつも澪に関係するときだけ見られる顔で、他ではまったく見られない光景だった。澪に対してはあんなに子供みたいな接し方をするくせに、いないところでは澪はいかにも自分のものといわんばかりに澪に興味を持つ男を牽制する。飯田は大学時代にそうやって澪の周りに男が近寄らないように自分の女だから勝手に手をつけるなとクギを刺している姿を何度も見かけた。流星のような頭が良くて容姿も抜群の男に俺の女だと強気で出られれば、たいがいの男はかなわないと思って退いていった。
なのにこの男はなぜか、澪には何も言わずただ、未だに幼馴染をやっている。
そして自分はと言えばいろんな女をとっかえひっかえ連れて歩いている。ただし、一度として一緒の女を見たことはなかったが…。
飯田は澪に対してのこの不可解な行動だけが、唯一理解できないところだった。好きなら、早く告白してしまえばいいのに…。飯田は大学時代からずっとそう思ってきた。でも、その話に触れると流星の逆燐に触れるのだ。流星は普段怒らないくせに、怒らせるとかなり迫力がある。恫喝するのではなく、男に対しては限りなく冷たく、静かに怖いのだ。流星のひと睨みは寒気がするぐらい綺麗で凄みが増す。
なのに、飯田はなぜかよくわからない行動をするこの男が妙に好きなのである。それだけに日頃から澪のそばにいて澪の様子を流星に逐一報告してやっているのだ。そうとは知らずに、澪は付き合いやすい仕事のできる後輩と思ってなんでも話してくる。本当は仕事中の澪も家での澪もすべて流星の知るところになっていることを澪はまったくもって気付いていなかった。
飯田は、こんなに執着するなら早く自分のものにすればいいのにと深くため息をついて重い足どりで残業に戻っていった。