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ここは最近話題のイタリアレストランで、中の造りが複雑で、ところどころ個別のスペースが確保できるようになっているところが受けている。個室ではないが、いちいち入り組んだところに席を設けてあるので、互いの姿も見えないようになっているため、プライベートな空間でゆっくりと食事ができるのだ。中庭があり、緑もたくさんあるので目もやすまり、明るく落ち着いた雰囲気が漂っている。また、ハーブはこだわりで、メニューにもふんだんに使われている上、専門のハーブ・コーディネーターも常駐しているので、客の注文に応じてアドバイスもある。ハーブに関連したメニューの多さから、女性には特に人気があった。
「ここ知ってます。最近話題のお店なんですよね。」
社交辞令のつもりで澪は倉元に話しかける。本当は倉元と二人でこんなおしゃれで落ち着いた空間で食事するのは非常に緊張するので出来れば避けたかった。倉元はそんな澪の思いとは裏腹に上機嫌で魅力的な笑顔をたっぷり澪に向けてくる。
「君を是非連れて来たかったんだ。二人で食事するチャンスを狙っていたからとってもうれしいよ。」
倉元は仕事ではなく、すっかりプライベートモードだ。言葉遣いや口調もどこかリラックスして親しげな感じで接してくる。はたから見れば、二人はどうみても恋人同士に見える。澪はどうやってこの先を乗り切ろうか、ひやひやしながら愛想笑いを返した。
「倉元さんはどこにいってもモテルでしょうね。黙っていてもステキなのに、お話もとってもお上手ですもの。」
澪はやんわり倉元を牽制してみる。
「そうでもないよ。本当に好きな人にはなか通じないみたいだけど?」
そういってニッコリ笑って軽くウインクしてくる。
澪はドキッとして、一瞬真っ赤になったが、すぐに気を取り直して仕事の話題に切り替えた。しばらく倉元はクスクス笑っていたが、先ほどの商談の詳細の確認と今後のスケジュールについての確認作業をテキパキとこなした。倉元はやはり、頭が切れる。思いのほか早く終わって驚いた。
そして、料理がゆっくり運ばれてくる。相手が倉元だったので、緊張はしていたが、料理はことのほか澪の口にあった。
「おいしい…!」
澪の顔が一瞬ほころぶ。
「いいね。」
倉元が目を細める。
「はい。とってもおいしいです。」
澪は倉元に思わず満面の笑みで答えてしまった。
「そうじゃなくて…。」
倉元はその表情に思わずクスクス笑っている。
「えっ?」
一瞬、澪があどけない草食動物のような目をしてぽかんと倉元の顔を上目遣いで見上げた。
「君のその表情だよ。僕にはそのほうがおいしいけどな。君は真剣に仕事の話をしている時もいい顔してるけど、そうやって少し表情がやわらいでいる時はもっとステキだね。」
澪はますます顔を赤らめて困ったような顔をした。
「さっきの彼、ほら、ぶつかった人。君の大事な人?」
「え?」
澪は唐突な倉元の質問に一瞬驚いた。
「ああ、流…いえ、春日ですか。申し訳ございません。失礼しました。春日とはそんな関係ではありません。」
「へえ、そうなの?彼は…君のこと特別におもってるんじゃないのかい?」
「あ…、えっ?ちっちがいます。そんな…!」
これまでの様子とは違って焦ってあわてて否定する。その様子に倉元はクスッと笑った。
「勘違いですよ。彼はただの幼馴染で…。」
「幼馴染?」
倉元が食事をしていた手を止めて、澪の顔を見た。
「はい。家が隣同士で腐れ縁なんです。」
澪は苦く笑う。
「じゃ、なおさら君の事好きなんじゃないの?」
倉元は少し真顔で尋ねた。
「そんなはずありませんよ。兄妹みたいなものなんです。それに彼には綺麗な彼女がいますし…。」
澪はそう言葉にすると心にチクリと痛みを感じた。ついこの間会社の帰りに、セクレタリーセクションの一番の美人でかわいいと評判の彼女と二人で出かけていくのを偶然見かけた。最近、流星とその人は社内の女の子達の噂になっている。
「そうなの?」
倉元が一瞬ほっとしたような表情をした。
「はい。そうですよ。私のことなんてそんな風に思ってませんよ。」
「へえ、もったいないな。近くにこんなにステキな人がいるのに。」
倉元は何か意味深な視線でじっと澪の目を見つめながら言った。
澪は目のやり場に困って、はずかしそうに下を向いた。
「君は誰か決まった人がいるの?」
「え?あ…、いえ、ない…ですけど。残念ながら。もてないんですよ。私。」
澪が苦笑いする。
「もてない?それは嘘だろ?君はすごく魅力的だよ。誰も声かけないのかい?君の周りの男の目はどうかしてるよ。」
「えっ?あの…、そういう冗談は私苦手なので、すみません…。」
澪は真っ赤になりながら苦笑いしてまた俯いてしまった。倉元はその様子に目を細めながら続けた。
「じゃあ、僕が立候補してもいいわけだ。」
「え…?」
澪は素っ頓狂な顔をして倉元の顔を見た。倉元はその顔を見てクスクス笑う。
「君は…なんかいいね。仕事のときはクールで強気な顔してるのに、それ以外のこととなるとひどく純情でかわいい。ますます好きになる。」
「え…、あの…倉…元さん?」
澪はあまりに驚いて言葉を失って、顔を真っ赤にして思わず俯いてしまった。どう切り替えしてよいものか皆目考え付かない。何か言わないとともたもたしている間にウェイターがデザートをもってやってきた。澪はなんとなくほっとしたようにそのうウェイターがお給仕する様子を黙って見つめた。ウェイターが去っていったのを見計らい倉元が話しかけた。
「ここのドルチェはおいしいよ。」
そう言って涼やかに笑いかけた倉元に心底ほっとして澪は笑顔で頷いた。倉元に促されてデザートを口にしたが、澪には味よりもさっきの倉元の言葉が耳に焼き付いて楽しむどころではなかった。最後にコーヒーを飲んで食事を終えると、倉元が時計を見た。
「ああ、残念だ。君ともう少しゆっくりしていたかったけど、次の予定がせまってるんだ。」
申し訳なさそうに倉元が口を開いた。
「あ…。申し訳ございません。お引きとめして。こちらで支払いをしておきますので、どうぞお先にお出かけください。」
そう言って伝票の閉じてある革のケースをとろうと立ち上がった。倉元がすかさずその手をすっとさえぎるように握った。一瞬、澪ははっとする。
「僕が払おう。君と楽しい時間が過ごせて楽しかったしね。」
倉元はニッコリ笑いながらもまだ澪の手を離さない。
「え?そんな、今日はうちで持たせていただきます。」
澪もひかない。もともと、ランチでもといったのはこちらの接待のつもりだったのだ。
「いいよ。これは君の会社やうちの社で払いたくないんだ。僕が個人で払うよ。君とまた会いたいしね。」
「え?そんな…、困ります。倉元…。」
澪が言い終わらないうちに倉元が掴んでいた澪の手をぐっと引き寄せて澪の唇を軽くふさいだ。
倉元の身につける香にふわっと包まれて一瞬頭が真っ白になる。これ…、エゴイスト?…流星と同じ…。日本人には使いこなすのは難しい香だが、倉元にも似合いの香だった。もちろん流星にも。でも、なぜか、倉元と流星はまったく違うように感じた。同じ香がするのに何かが違う…。
ぼんやりそんなことを考えていた澪は、はっと我に帰るとあわてて倉元から逃げる。倉元はクスクス笑っている。
「何か、初々しくていいね、その反応。仕事のときとのギャップがたまらないな。僕とまた会ってくれる?仕事抜きで。」
澪は呆然としていて言葉を失い、返事ができなかった。
「何もいわないということはOKとみなすね。」
そう嬉しそうに答えると倉元は澪をともなって店の出入り口へと向かった。
外に出ると倉元はタクシーを停めて、乗り込む際に澪に声をかけた。
「また、電話するよ。今日は急ぐから。じゃあ。」
そういって急いで乗り込んで行き先を告げると、ニッコリと最上級の笑顔を落として澪の前から
消えた。澪はしばらくそこに放心状態で立ち尽くしていた。