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1#の誤字・脱字や文章を修正しました。読みにくかった点をお詫び申し上げます。
カチャカチャカチャ
細長い白い指が滑らかにキーボードの上をすべる。
「先輩、朝から仲いいですネエ。」
四角いインテリ風の眼鏡をピクッと動かして隣の後輩、飯田にチラッと視線を投げる。
「なんなの?飯田君。誰のこと?」
そう答えながらも澪の指は滑らかに動いている。飯田も視線はPCの画面にはりついたまま、キーボードを打ちながら話しかけていた。
ここは、MK部である。澪はメイクの人気ブランドを担当をしている。澪はこの2つ年下の飯田と組んでいる。頭が切れてなかなか気の利いた男なので仕事のコンビとしては最高だった。今は半年後の新製品のMK計画の幹部へのプレゼンが近いため、このデスク周りではピリピリとした空気に包まれている。
前回の新色は、はずれこそしないが、どこで漏れたのか、ライバルのH社に発売日を同日にされて、斬新な打ち出しをする予定が、半分ぐらいを持っていかれたのだ。今回はそのビハインドがある。それだけに幹部も手厳しく出てくるであろうことは目に見えていた。
「何言ってんですか〜。毎朝、春日先輩と仲良くご出勤。妬けますネエ。」
「はっ?」
痛いところをつっこまれて入力ミスをする。それに気付かれないようにすました顔でやり直した。飯田はそれに気付いているのか口元で笑いながら済まして画面を見ている。
「今朝は特に仲がよかったですよ。電車の中なんか、とっても。」
澪はそう言われてかーっと顔が熱くなってさらに焦る。それでもすまして何事もなかったかのようにポーカーフェイスで画面を見て指を動かし続けている。
二人が通勤に使っている電車は一番混み合う区間で、今朝は澪が押されて扉近くの角に押し込められた。それに覆いかぶさるように体をピタっと密着させて流星が目の前に立っていた。澪も女性なのに170cmと長身なため、流星が覆いかぶさるようにくると息がかかりそうなくらいのところに顔が来る。その上、流星はこのときとばかりにおもしろがって色仕掛けをしてくる。まるで抱き合ってるみたいだとか、キスしそうだとか、じっと澪をみつめて言ってくるから始末が悪い。この男はからかっているだけだと言い聞かせて必死に自分を保っていた。どきどきして体が熱くなるのがばれないようにするのが精一杯で精神的にゆとりなんかなかった。
本当は流星が好きなのだ。もう、昔からずっと。
でも、流星が連れて歩く女の子は美人でかわいい、澪とはまったく違うタイプの女っぽい感じの子ばかりだった。澪もはっとするぐらいの美人だが、中性的で美少年ぽいのだ。クールでひんやりするような上品で気品がある瞳に、口紅をつけていなくても真っ赤でやわらかそうに見える唇は白磁のように綺麗な肌とのコントラストがひどく鮮烈にうつる。人を惹きつけるような色香は十分あるのだが、告白されたり、ラブレターをもらったりしてくるのは女の子ばかりだった。しかも、いつも決まって「王子様みたい」といわれるのである。要するに白馬に乗ったエレガントで超美形の王子様に見えるらしい。宝塚のイメージだ。もちろん澪にはそんな気はさらさらないので丁寧に断ってきた。
澪は幼い頃からずっと流星だけを見てきた。それでも、年頃になって流星がいろんな女の子をとっかえひっかえしだすと、何度か流星を諦めようと思った。その度に毎日間近にいる流星を見ていると、そんな決意も一瞬にして揺らいでしまうのだ。本当は流星の新しい彼女の話が浮上するたびに、傷ついているのだが、この関係を崩したくないがために、本当のことが言えずについ意地を張ってしまう。
こんなに近くにいるのに、いったい自分は流星のなんなんだろうと時々真面目に考えてみる。
しかし、その答えはいつも、ただのお隣の兄妹みたいな家族同然の幼馴染である。澪は、もう10年以上もそんな悶々とした日々を過ごしていた。当の流星はそんなこともまったく知らずに能天気にあいかわらず女をしょっちゅう替えている。
「やあね、見てたの?混んでいたからしょうがないでしょ?」
そういってなんとか平静を装ってやり返す。
「そうですか〜?なんだか恋人同士の熱き語らいって感じでしたよ。お二人とも。」
飯田がにやにやして言うと澪はまた入力ミスをした。思うようにいかずにイラついて大きくため息をつくとキーを荒っぽく叩いて、飯田に振り返った。
「飯田君、いい加減にしてよ。仕事の邪魔しないで。明日プレゼンなのよ。今日つめないといけないんでしょ?あなたの方は間に合うの?」
そう噛み付いた瞬間、おそるおそる事務スタッフの女性が近づいてきたのに気付いた。澪は飯田に投げかけるつもりだった言葉を飲み込んで、かけていた眼鏡の四角いレンズ越しにその若い女性の顔をじろっと見上げる。もともと恐る恐る近づいてきたのが、さらに飛び上がりそうに怖がっている。
「何?何か用でも?」
澪は会社では恐れられている。もちろん身近なスタッフにはそんなことはないが、仕事ができる上、見かけはいたってクールで気が強そうな知的美人である。笑わないとかなり怖いらしい。もっとも、もともといつもポーカーフェイスで笑うことはめずらしかった。仕事に厳しくて誰が相手でも徹底的という噂だけが先行して周りに定着してしまったのである。ただの照れ隠しなだけなのだが、真顔だと誤解されやすいのだ。
「あ、いえ、この資料を届けるようにと木村マネージャーから頼まれまして…。」
「木村マネージャーから?」
木村とは澪の上長でブランド担当マネージャーだ。メイクブランドは3つあってそれをすべて統括している。澪が担当するのはその中でも核になる20代〜30代に向けた先端のトレンドを引っ張るブランドである。澪はいぶかしげな顔をして資料を受け取って内容をざっとみる。途中何かに気付いてじっと見る。その様子を黙って見ていた女性はどうしようかとそわそわしていた。ふと、澪が顔を上げて、わかったわ、ありがとうと声をかけると、用事がすんだとばかりにあわててお辞儀をしてそそくさと去っていった。
「先輩怖がられてますね〜。」
また、飯田が笑っている。この飯田は見た目はいかにも頭も育ちも良いですといわんばかりのなかなかの好青年で、大学も学部は違うが同じで、バレー部で流星の後輩だったのだ。流星と気が合うのか、時折、学校の中で一緒にいるところに何度か出くわしていたので、話もしたことがある程度に知り合いだった。流星からどんな風に聞いてるのかは知らないが、この男だけはまったく構えず接してくる。不思議と気を使わなくてもいいので、澪にとっては楽な相手だった。時々流星とのことを冷やかされる以外は…。
「いい加減…。」
飯田に一言クギを刺そうとするとまたもや邪魔が入る。澪のデスクの電話がけたたましくなった。はあ、とため息をついて受話器をとる。
「はい。真藤ですが。…はい、…はい。わかりました。すぐに参ります。」
受話器を置くと澪はすっと立ち上がった。
「ちょっと、集倫社のV誌の担当者と打ち合わせしてくるわね。今日はランチも一緒にしてくるから遅くなるわ。クノチアキの件たのんだわよ。今日中に必ず確約とってよ。」
「大丈夫ですよ。ほぼ確約までいってますから。向こうも乗り気ですから午後にはハッキリします。いってらっしゃい。」
飯田はニッコリわらって澪を送りだした。しかし、飯田は澪がいなくなるとすかさず、メールを立ち上げて何やら猛スピードでうっている。送信ボタンを押すと遠くなった澪の後姿に大きくため息をついた。