ねえ?
ねえ? 明日もこの世界にいられたらって思えるものがある?
単調な日々の繰り返しの中で、それでも明日が待ち遠しくなるようなものだとか、うんざりすること以外何も感じないことに感情の動きが順応していく中で、それでも気づいたら心臓の鼓動が高鳴っているときだとか。
存在意義? ううん。そんな大層なものじゃない。
ただ、明日がちょっとだけ待ち遠しくなるようなもの。
それって、あんたにはある?
「ないよ。ってか、この教室のどこを見回せばそんなのが見つかるわけ?」
「……別に、この教室の中だけってわけじゃないよ」
「あのねえ、あたし達は一日の三分の一をこの教室の中で過ごしてるのよ。周りはあたしたちを高校生としてしか見ないし、それはあたしたち自身だってそうなんだから。つまるところ、あたしたちの存在価値はこの教室の中にいるかどうかで決められて、私たちの居場所もこの教室の中にしかないってこと。分かる?」
「……分かんない」
「ふうん。ま、別にいいけどさ」
「真由美はそれでいいと思う?」
「さあ? 別に、居場所なんて他にも腐るほどあるじゃん」
「この教室の中にしかないって言ったくせに……」
「ん?」
「なんでもないよ」
そして、私は真由美に聞こえないように床に向かってはき捨てた。
「嘘つき」
私の質問に、真由美はないって答えた。多分、私だって同じ質問をされたら真由美と同じ答えしか出せない。そう、私と真由美は同じ質問に、同じ答えをつけるのに。
なのに、どうして?
真由美はいつも笑ってる。
どうして、昨日待ちどうしくもなかった今日を、あんたは笑って過ごせるの?
私とあんたと、なにが違うの?
私には分かんないよ。
おかしくなる。
率直な感想だった。
私はおかしくなる。
でも、真由美に言わせればそこが私の居場所だった。
整然と並ぶ席。参考書で埋まる机。前には少し猫背気味の華奢な背中。右も左も、後ろなんてなにがあっても見たくない。
話し声に紛れて、シャーペンをノートに押し付ける規則正しい音が聞こえる。耳をふさげば、まるで意思でも持ってるみたいにそれは私の中に入ってくる。まるで、せせら笑うように。
決まった時間に、決まった席で、決まったことを繰り返す。まるで、機械仕掛けの人形みたいに。そして、私はうんざりして顔を上げる。目を向ける先はいつも右斜め前。そこには、表情には出さなくても、面白そうに私を見てる真由美がいる。
おかしくなる。
率直な感想だった。
私はおかしくなる。
私は真由美がうらやましいのだろうか? 時々そんなことを考えているときがある。もちろんそれは私の意思でそうしているには違いないけど、決まってそれは私の意思の届きにくい意識の一番端っこのほうで勝手に話が進んでる。だから、私は気がつけば、知らないうちに進んでいる話の中に割り込んで、勝手に答えをこじつける。
そんなはずない――って。
いつか、私の気づかないところで、知らないうちに別の答えに行き着く日が来るのだろうか? でも、それは私にとっては何よりも耐え難いことで、それでもそれは、そう遠い先の話でもない気がしてたまらない。
だから、そんなはずない、と答えた直後にはそのことを考えないように意識を集中することが癖になった。いつの間にかその直後には真由美を視界の中心に留めていることも一緒に。
そして、決まってそんなときには、真由美はこっちを向いている。
おかしくなる? ううん。
私はもう、おかしいんだ。
「はあ?」
親、兄弟、先生、etc……。みんながみんな馬鹿面して「はあ?」と聞き返してくるのにうんざりしてたけど、正直、真由美のその反応は私にとっては唯一の救いのように思えてしょうがなかった。もちろん、真由美を驚かせることができたのがうれしかったというのもあるけど、真由美だけは馬鹿面をせずの「はあ?」だったので、なぜか私は救われた気がしたのだ。
「あんた、正気?」
伺うようなまなざしのちょっと上を、不自然にそりあがったまつげが何度も上下運動を繰り返す。真由美は目をぱちぱち開いたり閉じたりしながら、呆れた、と言いた気な顔を私に向けていた。
「もちろん、正気だよ。もう、親にも先生にもその意思は伝えてる」
そう言って真由美を見つめ返すと、真由美は斜め右上に一度視線を逸らしてから、すぐに私に目を戻して「それってさあ」と声を出した。
「もしかして、いつか私に聞いてきたことに関係してるわけ?」
「存在意義?」
「そうそう。明日もこの世界にいられたらって思えるものがある?」
眉間にしわを寄せて、真由美はいつか私が質問した言葉を口にした。私は別におかしくもないのに笑って見せて、真由美もおかしくもないのに笑ってるみたいだった。
「決め手は私の答えってわけ?」
「かもね」
「ふうん」
「ねえ、真由美。だから、私あんたにどうしても伝えておきたいことがあるの」
「なに?」
「うん。私ね――」
私は内からこみ上げてくる何かをこらえようと、必死にひざの上に置いた拳をぎゅっと握った。無理やり密着させた手のひらはすぐに汗ばんで、そのじっとりとした不快感は、私の中に潜む何かに似ていて、私は耐え難い吐き気につばを飲む。
整然と並ぶ席。参考書で埋まる机。前には少し猫背気味な――ううん、今はじっと私の答えを待っている、ほとんど作り物のきれいさを備えた真由美の顔がある。
飲み込んだつばが、ゆっくりと私の喉を通り過ぎる。そして、私はひざの上で固めた拳を解いて、こみ上げる何かに従った。
「私、あんたのこと大嫌いなの」
「ないよ」
その答えを聞いたとき、私は、もう認めてしまっていた。
私は真由美がうらやましいんだって。
どうして、私は真由美じゃなかったのだろう。
どうして、私は真由美になれなかったのだろう。
どうして、私は? どうして? どうして?
私は真由美と同じ顔を持ってるのに。同じ声を持ってるのに。同じ体を持ってるのに。
私たちは、同じ双子なのに。
どうして、私は笑っていられない?
そんなの、もう分かりきってるじゃない。
そう、あんたよ。
真由美。あんたがいるから、私は笑っていられないの。
だから、私は急に学校を辞めると言い出した。だから、私は何日も飲食を避けて、何キロも体重を落とした。だから、私は誰かれかまわず「ねえ?」と質問を繰り返した。
――明日もこの世界にいられたらって思えるものがある?
すべては、私がおかしくなったとみんなに思わせるため。それは、内から溢れてくる押さえようのない殺意の矛先を、私以外の誰かではなく、私自身に向かわせるため。私が死んだとしても、その予感を誰もがあらかじめ知っていたと感じさせるために。
そして、すべては私が真由美に成り代わるため。
気の遠くなりそうな時間の中を成長し続けてきた殺意は、私に真由美を殺すことを望んでいる自分をようやく自覚させてくれた。そして、私は、自覚したその殺意に吐き気を感じることはあっても、その次の瞬間には真由美に成り代わった私の未来に胸を躍らせている。
――そう。私は今日、真由美を殺す。
そしてね――。
「なんか、暗いなあ」
数枚の原稿用紙から顔を上げると、真由美はしかめた顔を私に向けて、そう声を出した。
「っていうかさ、この話の中の真由美ってもしかして私?」
不満げな声を出す真由美に、私はあいまいに笑って肯いてみせた。その不満は、おそらく、ほとんど作り物のきれいさを備えた真由美の顔、という部分なのだろう。ただ、これは本当のことなのでしょうがない。すっぴんの真由美は、はっきり言って目を覆いたくなるぐらい不細工なのだ。
「それにしても、あんたにこんな趣味があるなんて知らなかったな」
そう言って、真由美は原稿用紙を机の上に放った。原稿用紙は何とか体の半分を机の上に留めて、地面に落ちることを免れた。
「別に趣味ってわけじゃないんだけどね」
「ふうん。ま、別にどうでもいいけどさ。この、そしてね――って何なの? なんかすごい中途半端だけど、まだこの先あるんでしょ?」
「うん。今考え中だから。できたら、また読んでみてよ」
「うん。まあ、別にいいけど――」
真由美の声をさえぎるように、チャイムの音が教室の中に響き渡った。真由美は、肩をすくめると、私の右斜め前の席に戻っていった。
私は原稿用紙を机の中に忍ばせると、誰にも気づかれないように音を殺して、それをびりびりに破いた。
整然と並ぶ席。参考書で埋まる机。前には少し猫背気味の華奢な背中――。
おかしくなる。
うんざりして顔を上げる。右斜め前。自然に向けた視線の先には――。
私は、おかしくなる……。
――私は今日、真由美を殺す。
そしてね――。
殺す前に、あなたにこれを読んで欲しいの。
ねえ? 明日もこの世界にいられたらって思えるものがある?
単調な日々の繰り返しの中で、それでも明日が待ち遠しくなるようなものだとか、うんざりすること以外何も感じないことに感情の動きが順応していく中で、それでも気づいたら心臓の鼓動が高鳴っているときだとか。
存在意義? ううん。そんな大層なものじゃない。
ただ、明日がちょっとだけ待ち遠しくなるようなもの。
それって、あんたにはある?
私はもう、手に入れたよ――……。