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8 神意

 デリクとドーリンは暗い牢屋の中で言葉に詰まり、しばらく無言だった。


 やがて、デリクが口を開く。

「おい、あんたに少しでも真っ当な心が残っているなら、あのガキを助けてやったらどうだ。あんたの奇跡の力ならあのガキを助けられるだろ」

「気軽に言うな。神殿で十分な供物を捧げ祈りを捧げて神意を得ないと奇跡は使えない。あれから全く神に祈りさえしていない、供物も全く捧げていない。無理だ」

 ムクッと起き上がって答えるドワーフ。

「神様ってぇのは代償がないと動かないのか」

「無償の愛こそ疑わしいものじゃないか。戒律を守れ、労力を出せ、寄付をしろと言いながら、これは無償の愛ですなんて嘘をつく神こそ偽善だ。俺はそう主張して嫌われている」

「……」

「だから俺は、神の奇跡に値段をつけた。そうした方が、わかりやすいだろう。奇跡を授かる者たちにもすこぶる好評だった。ところが、それは奇跡の陳腐化だとか教団の権威を傷つけると批判を受けた……最後には誓言を強要され今は破門だとよ」

「……」

「でも、俺は教団に属さなくてもエクセレス神の信仰を続ける。教団が価格をはっきりさせないのは、支払いの上限をなくして人の足元を見る行為だ。実際、教団は貧民が全財産を差し出さなかったら、目の前で死んでも見殺しにしている。人助けの本質を見失った教団こそまさしく破戒者だ」

「あんた、それを言ったら誓言破りだろ?」

「死ぬ相手になら話しても問題ない」

「フン! でも偉そうな事を言う割には目の前の死に掛けのガキすら見捨てるのか。確かに牢屋に放り込まれたガキに金なんて払えないからな」

「俺が金を取るのは払える奴だけだ。それに、助けたくても鉄格子が邪魔でけが人に触れない。闇でも俺たちドワーフにははっきりと見える。それに、あの扱いだと明日には裁判で死刑だろう。明日死ぬ奴を今助けても単なる自己満足だ」

「俺でもかすかに星明りで見えるぞ。あのガキは向かいの牢に入れられているが、扉は開いている、あの怪我じゃ逃げないってことか? おそろしくいい加減だな。牢番は」

 少年が入れられている牢は二人の牢の向かいにある。

 何故か少年の牢は扉が開いていた。

 足をこちらに向けて、人形のように力なく横たわっている。

 夜中であり、他の牢の囚人は寝静まっていた。

 二人は始終小声で話していたので、起きて文句を言う囚人は今のところいない。

「あの扉は閉まっていなかったか?」

 ドーリンが不思議そうに聞く。

「ああ、あのガキが放り込まれたとき牢番がしっかり閉めていた。あのときは晩飯の後だったから良く覚えている。あんたは飯も食わず寝てただろ。そうだ、いいこと思いついた。あのガキを引き寄せたら鉄格子があっても指で触れるだろう。それで奇跡はいけるな?」

「どうやって引きつける。それに、人を治すには生き物を供物として捧げないといけない。ここで生き物はお前しかいないな、デリク。それに死刑になる奴を助けてどうする?」

「どうせ、俺たちも死刑になる。死ぬ前に人助けしたら天国に行けるかもな。よし、俺を供物として捧げろ。今更高い命でもないし」

 ドーリンは闇の中で驚愕する。

 デリクからこのような台詞を聞くことになるとは思っていなかったのだ。

「ほ、本気か? 神は代償としてお前の命をとるかもしれないぞ。普通は家畜でするもんだ」

「いいよ、今更、どうでもいい。俺様の最後の行いが善行なら死んだ両親も天国で満足してくれるだろう」

「……お前の両親はまだぴんぴんしているって言ってなかったか?」

「そういう設定のほうが美談だろ?」

「この期に及んでも呆れた動機だ、でも、心がけはよいぞ……」

 闇の中で髭の顔が苦笑する。

「とりあえず、かっこよく死なせろ」

「言われなくても、捧げてやる。でも、死ぬとは限らないがな。魂を神に捧げる儀式をするだけだ、お前が死すべき者ならその場で死ぬ。家畜は捧げられなくても肉にされる運命だから死ぬのが通例なのだ」

「結果で俺たちの差し迫った運命も予言できるな、俺が儀式で生き残ったら死ぬ運命じゃない」

「オイオイ、神を試すような事を言うな。でも、事実上そうなるな」

「話は決まったな。刑が怖くてびくびくして過ごすより、ここですっぱり自分を試した方がすっきりするぜ。よし、まず、あいつを引き寄せるために紐が必要だ。俺たちのボロ毛布を解くぞ」

 牢屋にはこれ以上ない程不潔なボロ毛布がある。酷く粗く編んだ毛布だが、崩壊寸前の布が幸いして簡単に紐状に分解できた。

「紐ができてもどうやって引き寄せる?」

「フッ、俺様が忍者ってことを忘れてもらっては困るぜ。縄術鞭術は得意技よ」

「……なら、良かろう。俺の方は頑張って聖別して事前の儀式と準備をするから……信仰は物じゃない。でも、あまりに何もないな」

 そう言うと、ドーリンはあたりの埃を払い、飲み水を撒いた後、かすかに聞き取れるかどうかの小声で奇跡を願う儀式を開始する。

 デリクは、ヨレヨレの毛布の繊維を器用な手つきで寄り合わせる。対象に届く程度の細くしっかりした紐を作った。

 そして、部屋の端からレンガの欠片を取って紐の先端にしっかりと結わえる。

「俺はできた、早速引き寄せるぞ」

 デリクはそう一人でつぶやく。

 ドーリンは一心不乱に神に祈りを捧げている。

 デリクは右手にレンガの先端、左手に紐の束を持ち、食料を放り込む床すれすれの穴から、ヒョウッと少年に投げつけた。

 少年は足をこちらに仰向きに寝転がっており、僅かに浮いた左足の膝の隙間に入り、器用に石を跳ねさせて、くるっと巻きつける。

「さて、後は引っ張るだけだな」

 小人種族の中でも最も小さな妖精小人族では、小柄な少年でも人間を引っ張るのはかなりの難行だった。

 デリクはふうふう言いながら引っ張る、が、少ししか動かない。

 やがて、紐が外れてしまう。

 汗を拭きながら、同じように巻きつく箇所に紐を走らせ、引っ張る。

 それを何度か繰り返し、ようやく彼らの牢の前に少年は引き寄せられた。

「ハァハァ、おい、ドーリン。俺はやることはやったぞ」

 デリクの言葉を無視しながら儀式を行っていたドーリンは、その言葉を聴くとおもむろに振り返る。

「俺の方も準備ができた」

 ドーリンが厳かに言う。

 まるで、この汚く惨めな牢屋が清浄な神殿であるかのように感じられる。

 神をまるで信じていないデリクも、すっと心身が引き締まるようだった。

「では、上半身裸になって、この床に書いたサークルに横たわれ」

 よく見ないとわからないが、いつの間にか小石で床に円陣が描かれいてる。

 デリクは無言でボロボロのシャツを脱ぎ、小さな体を横たえた。

 彼の体は白いが、体中に無数の傷跡がある。年齢の割には忍びとしての激闘を生き延びてきたのだ。

「思い残す事はないな。エクセレス神の神威を感じる。儀式は成功する」

「ああ、それより頼みがある」

「なんだ」

 デリクの最後の言葉かもしれない。少ししんみりして返事をするドーリン。

「生き延びたら金貸してくれ」

「……ああ、あるだけ貸してやるよ」

 いつもなら、怒るか嫌味の一つでも言うのだが、今から行う事の重大さから、そんな気持ちにもなれず、無理やり微笑むだけだった。

 ドーリンが聖句を唱えながら両手をかざすと手がほんのりと白く輝く。

 そして、デリクにその手を振り下ろす。

 パシッ!

 一瞬、小さな光輝が辺りを満たす。

 デリクは、一声うめくと動かなくなった。

「……」

 暫く、デリクを眺めるドーリン。

 デリクはぴくりとも動かない。

 軽くゆすり、心音を聴く。

「……」

 心音は聞こえなかった。

 ドーリンは小さくブツブツ言い始める。

 神に魂の安寧を願う祈りだった。

 ひとしきり終えた後。

「友よ、お前は、最後は高貴だったな」

 湿った声で呟くドーリン。

 急速に冷たくなって行くデリクを、恋人でも抱くかのようにそっと起こすと、シャツを着せる。

 ドーリンは陽気な友人があっけなく死んだことに狼狽しきっていた。

「殺しても死なない奴だと思っていたが……」

 搾り出すようにそう呟くのがやっとだった。

 ドワーフは暫くうずくまっていたが、やがて、瀕死の少年の方に目を向ける。

(こいつを助けるためにデリクは死んだ。奴の死を無駄にするわけには行かない)

 ドーリンは聖句を唱えながら、少年の足を柵越しに掴む。

「エクセレス神、この者に癒しを授けたまえ。血を止め、肉を戻し、苦痛を和らげん」

 ドーリンの手は光り輝き、少年の体も全体が光り輝く。

 少年の体は包帯の下で見る見る回復していく。切り傷は消え、抉れた肉は戻っていく。


 ドサッ

 ドーリンは施術が終ると倒れ伏す。

 かなり長い深夜の儀式と施術。

 そして、精神的ショックなどで疲れきっていた。

(切り傷は治ったな、俺の奇跡だ、手足も治るだろう。でも、失明は治るまい。無くなった物までは戻せないのだ……)

 そう思いながら、意識を失うドーリンだった。




 夜。

 エルヴィはこっそりと三人の男を見張っていた。

 そのうち一人はラパレイである。

 彼は足を打ち砕かれた後、急ぎ神官医師を訪ね、奇跡で治療を受けていた。

 上手な医者なら、かなりの機能を回復できる。

 現にラパレイは歩き難くそうにしながらも、一人で歩いていた。


 やがて三人は下品だが繁盛している酒場に入る。

 地味なローブを被ったエルヴィも監視できそうなテーブルに座った。

 三人はすぐに酒を飲み始める。

「あのガキ、絶対殺してやる。親父に言って裁判官に賄賂を渡したら奴はその場で縛り首だ!」

 大声で悪事を口走るラパレイ。

「アニキ。でも、親父さんからは勘当されて金も何も出ないんじゃないですか」

「そうですよ。また騒ぎを起こしたと言って逆にやばいかも」

 子分二人が口々に不安を述べる。

「うるせぇ! 親父は俺が怪我させられて黙ってるわけがねぇよ! そりゃ、少しはしかられるかも知れねぇ。でも、あのガキは見せしめに絶対殺すと親父なら言ってくれるさ」

「へへへ、確かに。バルカス一家に楯突いた者には死の制裁が下ることは有名ですからね。さ、アニキ。もっと飲んでくだせい」

 下品な笑い声を立てながら、子分がラパレイの杯に酒を注ぐ。

 赤と青の上着を着た三人は酒場でも目立つが、周りは質の悪い道場の人間との関りを恐れて近寄らない。

 エルヴィはエールをちびちび飲みながら観察している。

 彼女は際立った美しさを持つので、目立たないように黒いローブを目深に被っていた。

(呆れた連中。完全にヤクザ者じゃない。剣術道場なんて体と精神を鍛えると言っているけど、現実はバカが暴力の技術を磨いているだけね)

 ひとしきり、飲んで騒いだ後、ラパレイは一人立ち上がり酒場の路地裏に向かう。

 不潔なことにこの店に便所はなく、小便も吐しゃ物も裏手の砂地にぶちまけるのが慣例だった。

 そっと後をつけるエルヴィ。


 ラパレイは寒い夜空の下で、悪態をつきながら小便をしていた。

 膝が痛む。

 この痛みは生涯取れないかもしれない。

 そう思うと、あの棍棒を持った田舎者を縛り首にしないと気がすまないと考えていた。

「お兄さん」

 突然背後から、艶っぽい女の声がする。

 もちろん、声をかけたのはエルヴィである。

 小便を終えると急いでブツをしまい、振り向く。

 見目のいい売春婦なら買ってやるかと考えていた。

 そこには、美しい、明らかにエルフの血を引く女が立っていた。

 予想以上に美しい女が声をかけてきたのでニヤニヤしながら、

「ねぇちゃん。なかなか綺麗じゃないか。幾らだ?」

 いきなり値段を聞かれたので、誇り高いエルヴィはむっとするが、顔には出さない。

 無理やり笑顔を作ると。

「あなたには払えないわ」

 ローブの下にはいつの間にか小さな弓を構えていた。すっと差し上げるとピタリとラパレイの腹に狙いを定める。

「お、おい。まて」

 うろたえて、自分の小便の水溜りに足を取られる。

 彼が動いても、弓の狙いは吸い付くように外れない。

「騒いだら、わかってるわね」

 うなずくラパレイ。

 明らかに、彼の剣技では至近の弓を外せない。そう感じさせる迫力がエルヴィにはあった。

「なぜ、あの子とトラブルになったの?」

「トラブル、ああ、あのティルクというガキか。あ、あんたはあのガキといた女じゃないか」

 ようやく気がつくラパレイ。

「質問にだけ答えなさい。なぜトラブルになったの」

「トラブルも何も、頭がおかしいガキに突然襲われただけだ」

 ニヤニヤしながらいう。

 ビン!

 いきなり矢が放たれ。右足にずぶりと刺さる。

「うが!」

「本当のことを言わないと、次は手加減しないわ」

 美しい女の瞳はとても冷酷だった。




2026/3/22 微修正

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