第9章:邪神復活の予兆
隣国ガルニアとの関係が改善し、王国に束の間の平和が訪れた。俺の研究所もますます活気づき、日々、新たな作物の研究開発に勤しんでいた。
しかし、俺の心の中には、言いようのない不安が燻り続けていた。ガルニアで感じた、大地の生命力が失われていくような感覚。それは気のせいではなかった。
アストリア王国内でも、原因不明の現象が起こり始めていたのだ。
「耕作顧問、大変です! 南方の穀倉地帯で、作物が一斉に立ち枯れる病気が……!」
「北の森では、魔物たちが異常に狂暴化し、被害が続出しているとの報告が!」
次々ともたらされる悪い知らせ。俺が畑の土を調べてみると、明らかに生命エネルギーが希薄になっていた。まるで、世界全体がゆっくりと病み、死に向かっているかのようだ。
この異常事態の原因を突き止めるため、俺とリネット王女は、王宮の地下深くにある禁書庫を訪れた。そこには、王国の創世記からの、あらゆる記録が眠っている。
何日もかけて古文書を読み解くうち、俺たちはついに、ある一つの記述に行き着いた。
『――古の時代、世界は『邪神』により喰らい尽くされんとした。邪神は万物の生命力を糧とし、すべてを無に帰す存在なり。初代国王と聖女は、世界樹の苗木を植え、その力をもって邪神を大地の奥底に封印せり。されど、その封印は永劫にあらず。千年の時を経て、世界樹の力が衰えし時、邪神は再び目覚め、世界は闇に閉ざされるであろう――』
「邪神……」
リネット王女が、蒼白な顔で呟く。
書かれていた内容は、まさに今、世界で起こっている現象と一致していた。作物が枯れ、魔物が狂暴化するのは、復活しつつある邪神が、世界中から生命力を吸い上げている影響だったのだ。
「初代国王が植えたという世界樹は、今どこに?」
俺の問いに、リネット王女は首を横に振る。
「……分かりません。その場所を示す記録は、歴史の中で失われてしまったようです」
手がかりは完全に途絶えてしまった。このままでは、世界は邪神に喰らい尽くされてしまう。
絶望的な状況の中、俺は一つの可能性に思い至った。
失われたのなら、もう一度育てればいいのではないか?
「俺が、『聖なる樹』を育てます」
俺の言葉に、リネット王女は目を見開いた。
「育てるって……そんなことが可能なのですか?」
「俺の【農業スキル】は、作物を『進化』させることができます。普通の木の苗だって、俺が育てれば、あるいは世界樹に匹敵するほどの聖なる力を持つ樹に成長させられるかもしれない」
それは、ほとんど賭けに近い考えだった。だが、他に方法はない。
俺は早速、王国内で最も生命力に満ちた場所を探し出し、そこに研究所の仲間たちと共に向かった。そこは、清らかな泉が湧き、古代の魔力が未だに残る『妖精の森』と呼ばれる聖域だった。
俺は森の中心で、王家に伝わる最も古い樫の木の苗を植えた。そして、その苗に、自分の持つ魔力と生命力、そして農業スキルのすべてを注ぎ込み始めた。
「頼む……育ってくれ……!」
俺は来る日も来る日も、苗の世話を続けた。それは、これまで育ててきたどんな作物よりも、膨大なエネルギーを必要とした。俺が力を注ぎ込むと、苗はわずかに成長するが、すぐに世界のどこかで邪神がそのエネルギーを吸い上げてしまう。まるで、邪神と生命力の綱引きをしているようだった。
俺が疲労で倒れそうになると、ミーヤが心配そうに寄り添い、ガルムが護衛として周囲を警戒し、リネット王女が王宮から持ってきた貴重なポーションで俺を回復させてくれた。
仲間たちの支えを受けながら、俺は必死に聖なる樹を育て続けた。苗は、俺たちの想いに応えるかのように、少しずつ、しかし確実に成長していく。淡い光を放ち始めた幹は、邪神の放つ邪悪な瘴気をわずかながら押し返しているようだった。
だが、邪神の復活もまた、刻一刻と近づいていた。空は日に日に暗さを増し、大地の亀裂からは、邪悪な魔物たちが這い出してくるようになった。
俺たちの聖なる樹が、邪神の完全復活を阻止するだけの力を得るのが先か。それとも、世界が邪神に飲み込まれるのが先か。
世界の命運を懸けた、時間との戦いが始まっていた。俺は、聖なる樹の若木に手を触れ、静かに語りかけた。
「お前だけが、希望なんだ。俺たちの未来を、頼んだぞ」
若木は、その言葉に応えるように、ひときわ強い光を放った。




