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07:不思議な白猫

「ようやく会えたわね、アリアの末裔。あたしはルナ。初代聖女アリアの、ただ一人の友人よ」


 時が、止まった。

 マリアンヌは白猫を見つめたまま、凍りついたように動けない。愛らしい猫から発せられた言葉が、脳に届くことを拒絶している。

 庭園は陽光に満ち、噴水は穏やかな水音を立て続けている。何も変わらない、平和な昼下がり。その中で目の前の出来事だけが、夢の中のようにふわふわとして非現実的だった。


(猫が、喋った?)


 疲労が見せた幻聴だ、とマリアンヌは思った。きっとそうだ。あれほどの絶望と緊張から解放されたのだから、心が悲鳴を上げていてもおかしくはない。あるいは、誰かが近くに隠れて、悪趣味ないたずらをしているのか。腹話術とか?

 マリアンヌは必死に考えて、警戒しながらゆっくりと周囲を見回した。しかし手入れの行き届いた庭園に身を隠せる場所はなく、そこにいるのは自分と、噴水の縁の上で何事もなかったかのように香箱座りをしている白猫だけだった。


 マリアンヌの疑いを見透かしたように、ルナと名乗った猫はふわりと尻尾を振った。呆れたような口調で言う。


「幻聴なんかじゃないわよ。まったく、呑気なんだから。あんた、自分の力の源がどこにあるか、本当に分かってる?」


 その問いかけに、マリアンヌは息を呑んだ。


「……どういう、意味ですか?」


「言葉の通りよ」


 信じられずにいるマリアンヌに、ルナは決定的な事実を突きつける。


「あんたのその聖女の力は、ガルニエ侯爵家のものじゃない。あんたのお母様が受け継いだ、あの傍系の伯爵家こそが、初代聖女アリアの血を引く本当の家系。……そうでしょ?」


 その言葉は、マリアンヌの心を貫いた。

 それは侯爵家の中でもごく一部の人間しか知らない、固く封じられた真実だった。だからこそ父は傍流の伯爵家から母を娶り、だからこそアニエスは自分を「傍流の血」と蔑んでいたのだ。聖女の力という「資産」を侯爵家に取り込みながら、その出自を見下す。その歪んだ構図のすべてを、この小さな猫は理解している。

 幻でもいたずらでもない。目の前の存在は、人智を超えた何かだ。マリアンヌはそれを確信せざるを得なかった。


「あなたはいったい、何者なのですか……?」


 震える声で尋ねる。混乱と畏怖と、そしてほんの少しの期待を込めて。

 ルナはマリアンヌの青い瞳をまっすぐに見つめ返した。小さな獣の顔立ちに、永い時を生きてきた者だけが持つ、不思議なほどの威厳が宿っている。


「あたしはルナ。言ったでしょ? 初代聖女アリアの、ただ一人の友人よ」


「初代聖女の、友人?」


「アリアの願いを叶えるために、あんたみたいな後継者が現れるのを、ずーっと、ずーっと待ってたの。あんたの居た国は、あたしは入れないから。いろいろ事情があってね」


「アリア……」


 その名は、国を救った伝説の聖女。誰もが知るお伽話の英雄。はるか昔、神話の時代の住人である。

 目の前の小さな猫が、その伝説の人物の「友人」という事実は、あまりにも現実離れしていて、彼女の理解を完全に超えていた。自分を繋ぐものが、まさかそんな古の伝説に行き着くなど、考えたこともなかった。


「アリアの願い? 聖女の力の……真実? それは一体、何なのですか!?」


 マリアンヌは思わず身を乗り出して、ルナに詰め寄っていた。自分が捧げ続けた力の本当の意味を、自分の人生を費やしたものの正体を、知らなければならない。

 だがルナはそんな彼女を諭すように、静かに首を振った。


「話せば長くなるわ。それに、あんたはまだ心も体もボロボロ。まずは、あの独占欲の塊みたいな王子様の甘い檻の中で、しっかり休むのが先決」


「甘い、檻……」


 ルナの言葉は、ヘンリーの献身に感じていたマリアンヌの微かな息苦しさを見事に言い当てていた。


 ルナは噴水の縁から軽やかに飛び降りると、去り際にこう付け加えた。


「本当の戦いは、それから。あんたが自分の足で立つと決めてから、すべてを話してあげる」


 その言葉は、この安息の日々が、より大きな試練への序章に過ぎないことを予感させるもの。

 マリアンヌは一人残された庭園で、ただ呆然と白猫の消えた茂みを見つめていた。




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