4.1 魔法情報革命とフィルター誕生
王都アルカディアの中央広場は、朝日が昇る前から人々の熱気で満ちていた。魔法通信ボードの前に集まった市民たちは、魔法OS v2.0導入から一ヶ月が経過した今、かつてない情報の洪水に驚きと困惑を示していた。
「おい、見てみろ!商業区の新店情報がまた増えてる!」
「いや、それより北部国境の警報情報を見るんだ。何か重要そうだが...」
「どこにある?この魔法ニュースの海から見つけられないよ」
魔法通信ボードからは青白い光の文字が絶え間なく溢れ出し、空間を埋め尽くしていた。情報の糸が互いに絡み合い、時に融合して新たな意味不明の文字を生み出していた。市民が手を伸ばすと、情報の糸が指に絡みつき、それを引っ張るだけで関連情報が雪崩のように増殖し、瞬く間に視界を埋め尽くした。
元々は魔法の色彩で区分されていた情報—赤色の緊急通知、青色の教育情報、金色の商業広告—が今では混ざり合い、虹色のカオスとなって広場の上空を覆っていた。情報の密度が濃すぎて、同じ場所に複数の情報が重なり、透明度が下がり、後ろの情報が見えなくなる現象まで起きていた。
若者たちはこの情報の海に飛び込むように次々と新魔法を試し、喜びの声を上げていた。一方、年配の市民は頭を抱えて溜息をつくばかりだった。
「昔は情報が少なくて良かった...」ひとりの白髪の商人が呟いた。「何が重要か、すぐにわかったものだ」
情報を求める群衆は日に日に増えていた。商人たちは競うように自分の商品情報を目立たせようと魔法の強度を高め、さらなる情報カオスを生み出していた。建物の壁にまで魔法情報が映し出され、路上の空気中にも文字が浮かび、市民は歩きながら思わず手を伸ばしては情報を引き寄せていた。
「これは素晴らしい民主化だ!」若い魔法使いが声高に叫んだ。「誰もが情報にアクセスできる!」
「しかし、何が真実で何が虚偽かわからない...」年配の教師が心配そうに返した。
誰もが語り、誰もが聞き、そして誰もが混乱していた。魔法OSアップデートは確かに情報の民主化をもたらしたが、同時に前例のない「情報過多」という新たな問題も生み出していたのだ。
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王宮の朝食会議室。明るい日差しが大理石の床に反射し、金色の輝きを室内に広げていた。
殿下は窓際の椅子に深く腰掛け、半分閉じかけた目で、情報省次官トビアス・レッドキャンドルの熱心な説明を聞いていた。あるいは「聞いているふり」と表現する方が正確かもしれない。
トビアス次官—常に几帳面に整えられた灰色の口髪と、左胸ポケットから覗く4本の万年筆が特徴的な中年男性—は30ページにも及ぶ詳細レポートを手に、熱心に説明を続けていた。
「そして殿下、これらの情報交通量の増加率は前例のないもので、第14図にありますように、魔法回線の処理能力をすでに95%使用しており、このままでは...」
クラリッサは殿下の右側に立ち、完璧な姿勢で警戒を怠らずにいた。リリアーナは左側で、トビアスの説明にときおり熱心に頷きながらも、殿下の表情の変化を気にしていた。
殿下の顔には微かな苛立ちが浮かんでいた。その青みがかった目が何かを追っているようだったが、それはトビアスのレポートではなく、頭の中の何かだった。
「さらに、情報の質についても問題が発生しています」トビアスは続けた。「虚偽情報の拡散率が143%増加し、これにより市民間の混乱が—」
「要点だけを教えてくれないか?」
殿下の声は静かだったが、室内の会話を即座に中断させるだけの力があった。トビアスは口を閉じ、少し困惑した表情を浮かべた。
「しかし殿下、この複雑な状況は詳細に把握すべきで...」
殿下は深いため息をつくと、額を押さえながら目を閉じた。この瞬間、彼の脳裏に青い光のコードが閃いた。データストリームの映像...過負荷になったシステム...そして解決策。
「情報が多すぎて選ぶのが面倒だ」殿下はゆっくりと言葉を紡いだ。「自動で良い情報だけ見られないのか?嘘や無駄な情報を除外するフィルターみたいなものは作れないのか?」
室内が静まり返った。
クラリッサが即座に反応した。「殿下、そのようなシステムは軍事情報の機密性を危険にさらす可能性があります。誰が『良い』情報を決めるのでしょうか?」彼女の声には警戒心が滲んでいた。
「その通りです!」リリアーナが熱心に同意した。「情報へのアクセスは平等であるべきです。フィルターが人々の見る情報を制限するのは—」彼女は自分の言葉を止めた。「でも...確かに、質の悪い情報があふれているのも事実で...」
殿下は二人の言葉に耳を傾けながら、再び頭の中に浮かぶ青いコードの断片を見ていた。それは過去の記憶なのか...
情報省の役人たちは、互いに興奮した様子で耳打ちを始めていた。彼らの目は啓示を受けたように輝いていた。
「殿下の発言は正に時宜を得たものです!」トビアスが身を乗り出した。「我々もまさにそのような解決策を模索していたところで...」
殿下は窓の外を見つめ、無意識に呟いた。「フィルター...そう、それが論理的だ...」彼の声は自分自身に向けられたものだったが、その言葉が部屋中に響き渡った。
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王立魔法技術研究所の開発室は、夜になっても明るい魔法の光で照らされていた。研究者たちは一ヶ月前の殿下の言葉を実現するため、不眠不休で作業を続けていた。
アレン・トゥルースシーカー—30代前半の痩せた研究者—は中央の大型魔法陣の前で指を動かし、複雑な計算式を微調整していた。彼の隣では、マリエル・クリスタル—40代の女性上級魔導士、白い研究服に銀色の魔法結晶のブローチが輝いている—が「真理の結晶」と呼ばれる青い宝石を慎重に設置していた。
「殿下の提案は啓示のようだった」アレンが熱っぽく語った。「かつて私の父は偽情報で全財産を失った。それ以来、真実と虚偽を区別することが私の使命だった。殿下はその思いを明確に理解されている…」
マリエルは結晶を微調整しながら頷いた。「私の祖父も同様よ...もしフィルターがあれば、もっと多くの人々が守られる。殿下は王家の血筋だけでなく、民の苦しみを理解される真の指導者だわ」
開発室は熱気と期待で満ちていた。「王族でありながら、一般市民の混乱を考慮される殿下の深慮には感服する」若い研究員が言った。
「殿下の言葉は常に本質を突いている。真の賢者の証だ」別の魔法技術者が応えた。
「我々の仕事は殿下の神託を現実のものとすることだ!」アレンが宣言し、室内から賛同の声が上がった。
中央には「真偽判定システム」の魔法陣が完成しつつあった。同心円状の三層構造で、外側から情報が入り、中心部の「真理の結晶」で判定される仕組みだった。判定基準は「既存の公式記録との整合性」「情報源の信頼性」「論理的一貫性」の三要素。判定結果に応じて情報が「純白の真実」「灰色の曖昧さ」「漆黒の虚偽」と色分けされる設計だった。
「しかし...」マリエルが少し眉をひそめた。「このシステムの判断には、設計者の価値観が反映されることになる。我々の主観が入り込む可能性は?」
アレンは手を止めて彼女を見た。「システムは客観的だ。我々は真実を見極める基準を設計しているに過ぎない」
「でも『真実』とは何かしら?誰にとっての真実?」
一瞬の沈黙が流れた。
「我々は学者だ」アレンは自信を取り戻すように言った。「真偽の判断は学術的基準に基づいている。それ以上の哲学的議論は…」彼は言葉を切った。「実用を優先すべきだ」
マリエルはわずかな不安を胸に抱えながらも、作業を続けた。彼女の研究日誌には、後に重要な意味を持つことになる一文が記されていた。
「これで人々は考える手間から解放される」
彼らの頭上では、完成間近の魔法フィルターが青白い光を放ち、情報の海を整然と色分けし始めていた。白く輝く情報、灰色に揺らめく情報、そして黒く沈んでいく情報。
技術者たちは誰一人として気づいていなかった。魔法フィルターの中心にある「真理の結晶」が、ほんの一瞬、青い光から深い紫色に変化したことを。その瞬間、結晶の表面には微細な文字が浮かび上がり、すぐに消えた—「WARNING: Protocol Error」。