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怠惰哲学者の魔法革命  作者: Ki no Sora
第3章 『魔法OS大型アップデートと混乱の時代』
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3-5 歩み寄る視点、紡がれる絆

「魔法OSアップデート」の技術的な問題は収束したものの、社会の混乱はなお王宮内に重苦しい影を落としていた。混乱を収拾するため、あらゆる部署が慌ただしく動き回っていた。


 東翼に位置する軍事作戦室では、クラリッサが数人の部下と共に深刻な表情で会議を進めていた。壁に貼られた地図には都市の混乱状況が細かく記され、赤銅色の短い髪を持つ彼女の目は厳しい緊張感に満ちていた。


「今回の混乱は、一歩間違えれば国家安全保障の危機に繋がりかねませんでした。安全性を徹底するためには、魔法使用の基準をもう一度厳しく見直す必要があります」


 クラリッサの声は静かで冷静だったが、その奥には強い責任感が宿っていた。周囲の軍事魔法専門家たちは彼女の指示に即座に頷きながらも、小さな声で疑問を呟きあっていた。


「しかし、基準を厳しくし過ぎれば、新しいシステムを使いこなせる人間が限られてしまいますが……」


 クラリッサはわずかに眉を寄せ、小さく息をついた。


「だからこそ、基準を明確化する必要があります。自由と安全の両立は、口で言うほど簡単ではありません」


 そう言いながらも、クラリッサの心中は揺れていた。


 *安全保障に妥協は許されない……でも、殿下の言う『広く魔法を使える社会』の価値も理解はできる。この矛盾をどう克服すれば……*


 一方、西翼の明るく整頓された教育政策室では、リリアーナが若手の魔法教育者たちを集めて積極的に議論を進めていた。彼女の周りには、多様な資料が乱雑に広げられ、部屋の空気は熱気に包まれていた。


「今回の混乱で明らかになったのは、魔法知識が一部の人々に集中していることの弊害です!」リリアーナは熱を帯びた声で語りかけた。「市民が自ら魔法を理解し、柔軟に対応できていれば、これほどの混乱にはならなかったはずです」


 教育者や若手魔法使いたちはその言葉に力強く頷き、彼女の示した書類や図面を熱心に読み進めていた。しかし、ある若い女性魔法使いがためらいがちに手を挙げた。


「でもリリアーナ先生、市民がみんな魔法を使えるようになると、魔力の管理や治安維持は大丈夫でしょうか?安全性の問題が心配です」


 リリアーナは答えるのに一瞬ためらった。彼女の心にもまた葛藤が生じていた。


 *自由と教育こそが社会の基盤だと思っていたけれど、クラリッサの指摘した安全の重要さも否定できない……*


 リリアーナは窓の外の街並みを一瞬見つめ、小さく頷いて答えた。


「もちろん、それも重要な課題よ。安全を守りつつも、広く魔法を使えるようにするためには、慎重なバランスが必要になるわ」


 夕刻、廊下を足早に進んでいたクラリッサは、廊下の交差点で偶然リリアーナと出くわした。

 互いに手にしていた書類が重なりそうになり、二人は驚いて立ち止まった。


「あら、クラリッサ……ちょうど良かったわ」

 リリアーナが明るく言ったが、その表情には微かな緊張があった。「あなたに聞いてほしいことがあったの」


 クラリッサは一瞬戸惑いながらも、短く頷いた。

「偶然ですね。私も、あなたに確認したい点がありました」


 二人は目を合わせて微かに微笑み合ったが、その微笑には互いへのぎこちなさが残っていた。廊下の端にある小さな会議室に入り、二人は向かい合って椅子に腰掛けた。リリアーナは深呼吸をしてから、自分が抱えていた計画書をクラリッサの前に差し出した。


「あなたが心配していた安全性の問題について、私なりに検討したの。教育プログラムに、安全管理の知識を盛り込むことにしたわ。ぜひ、意見を聞かせてほしいの」


 クラリッサはリリアーナの計画書を慎重に受け取り、視線を走らせると、驚きを隠せなかった。そこには、魔法教育と安全管理をバランスよく統合する、慎重に練られた案が記されていた。


「あなたがここまで安全を考慮してくれるとは、正直、意外でした」

 クラリッサの声には、控えめだが確かな敬意が宿っていた。「安全と自由を両立させることは難しいと考えていましたが……これは、予想以上に可能性がありますね」


 リリアーナの表情がぱっと明るくなった。「本当にそう思う?あなたにそう言ってもらえると自信がつくわ」


 クラリッサは珍しく微笑を浮かべ、自らがまとめたセキュリティ案をリリアーナに手渡した。「こちらも見てください。あなたの指摘した柔軟性を考慮して、制限を段階的に緩めることを検討しました」


 リリアーナが手に取ったその書類には、確かにこれまでより柔軟で、魔法の自由度を段階的に高めるための工夫が記されていた。


「クラリッサ、あなた……ここまで柔軟に考えてくれるとは思わなかったわ!」

 リリアーナは感嘆し、思わず声を弾ませた。「私の案との接点もたくさんある。この二つを組み合わせれば、本当に素晴らしい制度になると思うの」


 クラリッサは照れたように頷き、小さく声を落として言った。「私も、あなたが安全を軽視していると思っていました。でも違った。申し訳ありません」


 リリアーナは首を横に振り、笑顔で答えた。「いいえ。私こそ、あなたがただ頑固なだけだと思っていたけれど……違ったわ」


 部屋に穏やかな空気が広がり、二人の表情には互いへの敬意と理解が満ち始めていた。


 その頃、遠く離れた自室で書類に埋もれていた殿下は、小さなあくびを噛み殺しながら目を細めていた。彼の視線はまるで遠くを見ているかのようで、ほんの一瞬だけ微かな微笑みが口元に浮かんだ。


 *二人とも案外柔軟だったんだな……ちょっと安心した。やっぱり人は、互いの「面倒な部分」を理解し合ってこそ進歩するんだね*


 彼は再び目を閉じ、椅子に深くもたれかかった。二人が少しずつ近づいていく様子を想像し、満足げに小さく頷いていた。


 夜が更けた王宮の図書室は、柔らかな灯りだけが静かに揺らめいていた。


 書棚の間で偶然顔を合わせたクラリッサとリリアーナは、最初こそぎこちなかったが、すぐに微笑を交わし合った。


「また偶然ね」リリアーナが軽い冗談交じりに言うと、クラリッサも微笑みながら小さく頷いた。


「ええ。でも、偶然にしてはタイミングが良すぎますね」


 二人は自然と並んで座り、それぞれの書類をテーブルに広げた。沈黙が一瞬流れたが、今はそれが不快ではなかった。二人は互いの資料を交換してじっくりと読み込み、それぞれに小さく頷き合った。


「あなたの計画、改めて感心したわ」リリアーナが静かな声で告げた。「特に段階的に規制を緩和していく仕組みが素晴らしいわね」


 クラリッサは少し照れくさそうに顔を上げた。「あなたの教育プログラムも、市民の自発的な理解を促す設計が秀逸です。私にはない視点でした」


 互いの称賛の言葉は、これまで感じていた緊張を少しずつ溶かしていった。二人の表情には互いへの尊敬と共感が芽生え始めていた。


 クラリッサはふと視線を落とし、静かに口を開いた。


「私は北部の国境で育ちました。常に侵攻の危険にさらされていた地域で、安全性こそが最も重要な価値でした」


 リリアーナも穏やかな目でそれに応じた。


「私も南部で育ったの。裕福な地域と貧困な地域の差を常に目にしてきて、知識と教育がいかに重要かを痛感して育ったのよ」


 二人は微笑みを交わした。互いの過去を知ることで、考え方や立場の違いが、初めて具体的に理解できた気がした。


「私たちは、まるで真逆の場所で育ったみたいね」リリアーナは柔らかく言った。


「でも……だからこそ、互いに見えない部分を補い合えるのかもしれません」クラリッサの声にも暖かみが滲んでいた。


 窓の外では静かな月明かりが王宮の庭を照らし、木々の影が揺れていた。図書室には、二人が広げた資料のページをめくる静かな音だけが聞こえた。


 しばらくして、クラリッサが時計に目をやった。


「もうこんな時間……明日も早いですね」


「ええ。でも今日はあなたと話せて良かったわ」リリアーナが微笑んだ。「明日はこの計画を一緒に殿下に報告しましょう」


 クラリッサも穏やかに頷いた。「そうですね。二人でやれば、殿下も驚くかもしれません」


 二人は資料を丁寧にまとめ、静かな図書室を後にした。


 その夜、二人の胸には、これまでなかった新たな絆が静かに芽生えつつあった。それはまだ小さく脆いものかもしれないが、確かな一歩だった。


 そして、二人が去った後の図書室の片隅には、深く影の中に隠れるように殿下の姿があった。彼は静かな月明かりを受けながら、二人の後ろ姿を満足げに見送った。


「面倒な状況だったけど……まあ、これはこれで悪くないかな」


 殿下は小さく呟くと、静かな図書室を後にした。その口元には、珍しく穏やかで満足げな微笑が浮かんでいた。

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