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怠惰哲学者の魔法革命  作者: Ki no Sora
第2章 『日常魔法』
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2-4 システムロールバックによる危険な解決

 混乱の極みにある王宮は、まるで悪夢の様相を呈していた。暴走する魔法の影響で部分的に損傷した大魔法制御室では、赤い警報光が不規則に点滅し、魔力の漏出によって空気そのものが振動していた。床には砕けた魔法結晶の破片が散乱し、制御パネルからは青白い閃光が迸っていた。


「現状報告!各地区の被害状況は?」


 マギウス首席魔法技術官の声は、恐怖と絶望に震えていた。彼の顔は蒼白で、ずっと誇りにしていた魔法システムが崩壊していく様を目の当たりにして、半ば茫然としていた。


「北区では建物が逆さまになり、住民が天井に立っています!」

「南区では泉が沸騰し、蒸気で視界ゼロです!」

「西区の魔法動物園の檻が消失!ドラゴンが3体、グリフォンが7体脱走しました!」

「東区では時間の流れが遅くなり、人々が彫像のように動きが止まっています!」


 報告は次々と届き、事態は刻一刻と悪化していた。クラリッサは制御室の中央に立ち、冷静に状況を分析していた。緊張と責任感で背筋が伸び、その姿はまるで戦場で指揮を執る将軍のようだった。


「このままでは民間人の死傷者が出ます。子供や老人が最も危険です。全兵力を避難誘導に回し、緊急時魔法バリアを展開してください」


 リリアーナも隣に立ち、経済と民生の観点から切実な懸念を声に出していた。


「市場は崩壊し、生活基盤が失われています!食料と水の確保、避難所の準備を急がないと、社会的パニックが加速します。今後に備え、南部の備蓄庫を開放するよう準備を!」


 彼女の声には焦りはあったが、普段の明るい調子は消え、代わりに実務者としての冷静さが感じられた。


 騒然とした制御室の中で、殿下はふと静かになった。周囲の喧騒が彼の耳から遠ざかり、世界がスローモーションのように見え始めた。目の前の混乱を見て、彼の内面に何かが目覚めるような感覚が広がっていく。


「これは...私が引き起こした混乱だ...」


 その瞬間、殿下の瞳が青く輝き始めた。顔から表情が消え、背筋が自然と伸びた。声のトーンが低く、機械的な響きを帯びていく。まるで別人のような存在に変容したかのようだった。


「魔法コア不安定性検出。異常パターン分析中...解決策算出...通常の停止手順では間に合わない。システムロールバックが必要」


 その声は殿下のものでありながら、まるで深い洞窟から響いてくるような不思議な残響を持っていた。周囲の人々は一瞬で彼の変化に気づき、静寂が制御室を包み込んだ。


 クラリッサが驚きの表情で殿下を見つめる。「殿下?どうなさいましたか?」


 マギウスも動揺を隠せない。「殿下の目が...!」


 リリアーナは驚愕を混ぜた表情で呟いた。「声が変わったわ...別人みたい...」


 ちょうどその時、ロザリンド魔法顧問が急いで制御室に駆け込んできた。彼女の白髪は乱れ、いつもの穏やかな表情は真剣そのものに変わっていた。

  彼女は殿下の言葉の後半を聞いてしまったらしく、表情にさらなる驚愕の色を浮かべた。


「殿下、今『システムロールバック』とおっしゃいましたか?ひょっとして、それは古代三大禁術の一つ『ロールバック』――時間を巻き戻す禁断の魔法と関係が!? あれは使用者の生命力を著しく消耗し、時空の歪みを引き起こす危険があります!」


 殿下は、感情を感じさせない声で応えた。「リスク評価済み。代替手段なし。許容範囲内の生命力消費で実行可能。成功確率98.7%」


 その言葉には迷いのかけらもなく、まるで全ての可能性を計算し尽くした上での冷徹な判断のようだった。


「時間を数時間だけ巻き戻し、暴走直前の状態に戻す。実行には三点同時起動が必要。東西の魔法核と中央制御陣を同時に作動させる必要がある」


 殿下はクラリッサに向き直り、明確な指示を与えた。「東の塔へ行き、青の魔法結晶を起動して。カウントダウンは10分後。絶対的正確さが必要」


 次にリリアーナへと視線を向ける。「西の塔の緑の魔法結晶を同時に起動する必要がある。同じく、カウントダウンは10分後。誤差は10秒以内に抑えて」


 二人は一瞬だけ顔を見合わせ、互いの目に決意を見た。軍人と学者、全く異なる道を歩んできた二人だが、この瞬間、彼女たちの間には不思議な連帯感が生まれていた。


 クラリッサは即座に「了解しました!確実に遂行します!」と応え、素早く動き出した。


 リリアーナも「西の塔ね!わかったわ!」と答え、魔法書を握りしめて走り出した。


 ロザリンドは懸念を隠さない表情で警告を続けた。

  「殿下、やはり危険すぎます!『ロールバック』は古代三大禁術の一つ……時間を巻き戻す禁断の魔法です。そのシステム版である『システムロールバック』も同様に、時空の歪みや、最悪の場合、実行者の存在消失という重大なリスクを伴います!」


 殿下は冷静に答えた。「危険性認識済み。確率計算では98.7%の成功率。失敗の代償は受け入れ可能」


 残された殿下が中央の制御魔法陣の再構築を始めた。殿下の手が青い光跡を描き、空中に複雑なパターンが浮かび上がる。それは伝統的な魔法陣とは似ても似つかぬ、直線と角度で構成された幾何学的な構造だった。


 一方、クラリッサは東の塔へと急いでいた。彼女の動きには無駄がなく、崩れた階段を軽々と飛び越え、制御不能の魔法剣と一瞬の剣劇を繰り広げ、無力化する。


「北部国境での実戦は、この程度の障害に比べれば...!」


 彼女の心の中では、殿下の命令を完璧に遂行することだけが全てだった。それは単なる義務感ではなく、不思議な感情に駆り立てられるような気持ちだった。


 リリアーナも西の塔へと向かう道中、創意工夫で障害を乗り越えていた。浮遊する家具を踏み台にして上層階へ登り、魔法書から急遽「短距離跳躍」の呪文を唱え、崩れた通路を飛び越える。


「理論と実践の両方があってこそ...私にできることを!」


 彼女の中にも、今まで感じたことのない感情が芽生えていた。それは学者としての好奇心だけでなく、もっと根源的な、誰かのために全力を尽くす喜びのようなものだった。


 クラリッサの軍事的精確さが魔法通信を通して届く。

  『目標地点到達。東の塔、青の魔法結晶確認。起動準備完了、残り15秒』


 続けてリリアーナの創意工夫も通信越しに伝わった。

  『西の塔到着。階段が壊れていましたが、浮遊魔法で対応しました。緑の魔法結晶、起動準備完了です』


 殿下は中央制御陣で目を閉じ、全感覚を集中してカウントダウンを開始する。その声が魔法通信を介して二人に同時に届く。

  『5、4、3、2、1……実行』


 三つの場所で同時に魔法が起動し、青い光が王宮全体を包み込んだ。中央制御室では、殿下の魔法陣から「System.Rollback.Execute(Time.Now - 300);」という謎の呪文が浮かび上がった。


 空間が歪み、時間が逆流するような感覚が全体を包み込む。天井から落ちていた破片が逆に浮かび上がり、砕けた窓が元に戻り、流れていた水が逆流する。まるで時間そのものが巻き戻るようだった。


 しかし、そのプロセスの中で、殿下の体に大きな負荷がかかっていることは明らかだった。青白い光が殿下の体から漏れ、肌には亀裂のような模様が浮かび上がる。額から血が流れ、膝が震え始めた。しかし、その目は依然として鋭く、魔法陣を見据えていた。


 青白い光が殿下の体を貫く瞬間、激しい痛みが全身を走った。肌の下を生命力が急速に流出していくのが感じられ、視界が暗くなり始める。「リスク許容範囲」と判断していたが、実際の負荷は予測を上回っていた。しかし、中止するわけにはいかない—これは自分が引き起こした混乱だ。責任を取らねばならない。殿下の意識の奥底で、合理的な部分と感情的な部分が交錯し始めた。「このダメージは22.6%の生命力低下...許容限界に近い...」と冷静に分析する思考と、「痛い...でも、みんなを守らなきゃ...」という感情が混ざり合う。一瞬、自分が何者なのかという根源的な疑問が浮かんだが、魔法の完遂が最優先だった。


 ロザリンドの懸念が現実に。「殿下の生命力が急速に消耗している...!このままでは...!」


 一瞬の空白の後、すべてが暴走前の状態に戻った。光が収束し、部屋を満たしていた魔力の嵐が静まり、壊れていた機器や窓が元通りに。まるで何事もなかったかのように、制御室は平穏を取り戻していた。


 混乱が嘘のように収まり、システムが正常動作に戻った静寂の中、殿下が疲れた表情で床に膝をつく。


 殿下が最適化した防衛システムは見事に稼働し始めた。無駄が排除され、魔力消費量は劇的に低下しながらも防御能力は維持された。その革新的な成果は即座に周囲に伝わり、殿下への評価をさらに複雑で期待に満ちたものにしていった。


「ふぅ...なんか妙な夢を見た気がする...あれ、みんな何してるの?」


 殿下の声は完全に元の調子に戻り、眠たげな目と困惑した表情も、いつもの王子のものだった。緊張した姿勢も、機械的な声も消え去っていた。


 クラリッサとリリアーナが急いで戻り、殿下の無事を確認する。クラリッサは厳格な表情に隠しきれない安堵を浮かべながら殿下の肩を支え、「殿下!大丈夫ですか?」と問いかける。


 リリアーナは感情を抑えきれず、涙目になりながら殿下の手を握り、「あんなすごい魔法...大丈夫?無理しすぎたんじゃ...」と心配そうに尋ねた。


 殿下は混乱した表情で首を傾げる。「え?何かした?...あぁ、面倒くさい。詳しく聞くのはやめておくよ」


 頭を抱え、記憶の欠落に戸惑う殿下に、ロザリンド顧問が意味深な質問を投げかけた。


「殿下は今、何を言われたか覚えていらっしゃいますか?『システムロールバック』の意味は?」


 殿下の困惑は深まる。「システム...何?さっぱりわからないよ。何か起きたの?」


 マギウスは畏怖の表情を隠せなかった。「殿下は我々を救われた...しかし、あの魔法は古来の記録にすらない...」


 ロザリンドは「魔法視」で見た光景に震えていた。殿下の周りには常に青い光のコードが漂っているが、今回はそれが殿下の全身を覆い、空間そのものに干渉していた。「システムロールバック」...時間魔法は禁断の領域、それも殿下が使った術は古代魔法書にすら記述がない。そして何より驚くべきは、殿下自身がその行動を覚えていないことだ。まるで別の人格が一時的に表れ、危機を救ったかのよう...。殿下は一体何者なのか...。もし彼女の見立てが正しければ、これは単なる才能ではなく、もっと深い謎がある...彼女は「魔法視」で見た真実を、いつか殿下自身に告げるべきなのだろうか...


 クラリッサは殿下が一瞬、まるで別人のように変わった姿に深い感銘を受けていた。あの冷静な指揮、的確な判断、そして何より——その目の光。まるで彼の中に眠る真の戦略家が目覚めたよう。北部防衛戦でさえあれほど明確な指揮系統はなかった...。彼女は殿下の姿に、無条件の忠誠を誓いたいと思った。同時に、殿下があの魔法で苦しむ姿に胸が痛んだ。彼女は守るべき対象を見つけた気がしていた。


 リリアーナもまた、危機の瞬間、殿下が見せた別の姿に心を奪われていた。殿下は単なる王子ではなく、新時代を切り開く革命家に思えた。明晰な思考、システム全体を見通す洞察力...そして、その代償を自ら引き受ける勇気...。理想だけを語る者と、実際に行動する者の違いを見た気がした。政策書だけでは決して救えない命があること、それを殿下は教えてくれた。彼女は殿下の理想と現実を繋ぐ力に全力で応えたいと感じていた。


 殿下はまだ混乱しているようだった。彼自身、何が起きたのか、そして何より自分が何をしたのか全く記憶にない。しかし、クラリッサとリリアーナの表情から、何か重大なことが起きたのだと理解できた。


「何があったにせよ...二人のおかげで解決したみたいだね。ありがとう」


 殿下の素直な感謝の言葉に、クラリッサとリリアーナは互いに顔を見合わせた。二人の間に流れた視線には、初めての連帯感と、殿下という不思議な存在への共通の関心が込められていた。


 そして、この事件を機に、王宮内に殿下についての新たな噂が広がり始めた。「時間を操る魔法を使える王子」「古今の魔法を超える力を持つ天才」「『面倒くさい』という言葉の後ろに隠された深い戦略」...


 殿下が自分の能力について自覚し始め、クラリッサとリリアーナが互いの価値を認め始める転機となった出来事だった。しかし同時に、殿下の正体についての疑問、そして殿下自身の自己認識についての葛藤が、より深まることとなった日でもあった。

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