02.八〇〇と二年と八九日
「あの、花泉先輩」
「飛梅君?」
「後夜祭、良かったら俺と……」
これが、八〇〇年、前かは若干定義が難しい記憶。
その時、校庭に幾つかの謎の光が生じ……気が付けばとある教会の前に倒れていた、大量の金貨とそれから教会の責任者に下されたこの男の面倒を見るようにとの神託と共に。
不自由はしない暮らしの中で必死に文字を覚え古い記録などを読み解いていくと、ここは昔居た所と文化・環境面で多少の共通点はあるものの異なる世界であろうということを知った。
そして時折女神に導かれ異邦人と呼ばれる存在が現れる、ということも。
その中でも一番克明に記されていたのはそこから八〇〇年後(つまり現在)一〇〇〇年の封印から蘇る魔王たちとの永き戦いに終止符を打つ勇者たちが現れるであろうという預言。
それを知った時、理屈ではないが納得できることがあった。
俺のクラスメイトとその周囲には何人かの本当に物語の主人公のような高潔で眩しいばかりの者がいたこと……彼らが、多分そうではないのだろうかと。
そして俺はそこに巻き込まれたのではないかな? と。
何せ八〇〇年ばかり生きた中でも間違いなくその役目に相応しいと思えるクラスメイトが俺の背後に恋人と居たし、俺は俺でその仲間の候補に相応しいであろう女性の手を握っていた。
そりゃあ器用に分けるのも女神だろうと難しかったのだろう……その直後、光の奔流の中で彼女を引き寄せたく一瞬手が緩んだ隙に引き離されてしまったが。
そしてご丁寧に詫び金と生活の保護を与えて戦間期の平和な別の時代に関係のない俺を、俺だけを移したのだろう。
「関係ないわけあるかぁ!!」
そこまで考えてから、今度はワインがなみなみと入っている木製ジョッキを一気に呷ってテーブルに叩き付け……かけて咄嗟にジョッキもテーブルも強化魔法で保護して鈍い音をさせるに留める。
ジョッキは酒場の先代が、テーブルは先々代の船大工が贈ってくれた大切な品だ、一時の感情に流されるわけにはいかない。
が、それにしたってこちらの怒りは収まらない……何だって学園の三大美少女の一人に一世一代の勇気を振り絞り告白しようかというタイミングであんなことをやらかしてくれたかなァ!?
「ふぃーっ……」
ワインをもう一杯注ぎつつ干し肉を魔法の炎で適温に炙る。
そんな訳でこの世界では信仰しないものがほぼ居ない女神を恨んでいる稀有な人間であろう俺だったが、便宜を図れという申し添え自体はフルに活用させてもらい通常は閲覧不能である数々の古文書を読み解き、最も不老不死に近付ける確率が高いであろう妖精の女王の秘薬へとターゲットを絞り込んだ。
そこまでで大体八年かかり二〇代の半ば。
そこからもう八年かけひたすら死に物狂いで妖精の森の宝物殿からターゲットを掠め盗るのに必要そうな魔法に絞り込んで習得し、無事に達成。
ギリギリ三〇ちょいの肉体で固定できたかと安堵したが秘薬の効果で二十歳くらいのところまで上手いこと巻き戻ってくれた。
後は当然、戦いの場に巻き込まれるであろうあの人のために魔法の腕を磨き続け……必要に応じてその力を振るったりしているうちに「大賢者」なる大仰な称号まで贈られてしまった訳だ。
尤も、当たり前と言えば当たり前だが、悠久の生で代替わりもしないエルフの一族からは大いに嫌われ、漏れ出た態度から教会関係者達からもやや煙たがられたりもしているが。
まあ、とある仕方がないとはいえ失念していた問題に比べれば些細なことだ。
「……ん!?」
そんな物思いは近くの村に突然現れていた強力な魔力に断ち切られる。
これで悪意も含まれれば魔王軍の幹部くらいなら排除できる使い魔たちが即座に襲い掛かるところだが、そんなものは微塵も感じられないどころか神秘の森に涌く泉の水のように穢れなく澄んだ気配。
そういえば妖精の森に侵入した際に飲んだ沢の水は矢鱈美味かったなあ、と昔の記憶がふと蘇る。
そんなことを思いながら最寄りの使い魔に視界をリンクさせ訪問者を確認する。
いや、実のところ覚えがある魔力だったので現実はとうに知っていた。ただ頭が追いついていなかっただけで。
訪問者は勇者一行のうち、神秘の魔法を操る少女。
いや。
「……花泉先輩」
八〇〇と二年と八九日。
忘れたことのない想い人の突然の来訪だった。
「ここが賢者のおじちゃんが住んでるところだよ」
「今朝帰ってきたところだからのんびりしてると思う」
「はい、ありがとう」
いつも届け物をしてくれる二人の元気な声の後、ずっと聞きたかった優しい声色がした。
ええい、収まれ心臓……と見た目はともかく八〇〇年生きた割に落ち着きのなくなる精神に深呼吸を繰り返す。
そうしながらもマントを羽織りフードを深く被る……あと、喉元を隠す用に襟を弄りこっそり変声の魔術を仕込む。
絶対に俺だと知られるわけにはいかない、そう絶対に。
「英知の賢者様」
柔らかい案内への礼の後、子供たちの足音が去っていき、ドアが軽くノックされる。
「その者かはともかく、居りますよ」
「……失礼します」
僅かに軋む音と共に木製のドアが開き流れた風に先輩の髪が踊り外の陽光を透かして輝く。
あの頃は物珍しかった金の髪……この世界では珍しさはないものの、だからこそわかる、彼女の髪は比べるものがないほど美しい。
嗚呼、胸が痛い……あと、叶うならば抱き締めたい。
絶対にそうするわけにはいかないが。
「お初にお目にかかります……」
「いえ、よく存じておりますよ『月明かりの妖精』殿」
その美貌と神秘の魔法、そして強大かつ膨大な魔力によって捧げられた異名だった。
実に相応しいと思うし、考えた者には金貨の一〇枚でも進呈したいくらいだ。
「葡萄酒にしますか? それとも果物を漬けた水で」
「では、お水を」
取って置きのガラスの器に七割ほど入れてテーブルに。
小さなありがとう、の声が聞こえた。
「して、どのような御用で?」
こんな辺境で偏屈に暮らしている男相手に、とは引っ込める。
必要以上に声を発してはならない……この聡明な女性に少しでもヒントは危険だ。
「まず、昨夜の戦いの際、魔王軍の四天王を抑えて下さっていたそうなのでお礼を、と」
「気まぐれでしたことです、礼には及びません」
使いの鳥で見ていた先代の方の聖女がバラしやがったな!?
ちなみにその座を譲られた当代の聖女は昔のクラスメイトで、あと勇者の恋人……底抜けに明るくお人好しな奴だった。
「他にも船を譲って下さったり、特別な薬草の在処のメモを残していたり」
「……」
先回りして細々とさせては貰ったな、万が一にも先輩に怪我などさせたく無いしボロ船など似合わないし。
……バレてたか、というかちょっとあからさまだったか、な。
「それと、私たちのパーティに宜しければ加わって頂ければ、と」
「……」
本当は、心からそうしたい……先輩や気の良いあいつらと旅をしたい、してみたいけれど。
「来るべき戦いでは魔界からの干渉を抑える役を負います」
「そういうこと、ではなくて」
「……」
それ以上何を応えればいいかわからず訪れた沈黙に。
「私たちには、旅をしながら探している人が居るんです」
「……」
まあ、こちらに流れてきている可能性がある同郷の人間は、探すだろう。
一年ばかり色々な話をするようになった間柄だったなら、猶更。
「遠い国にあるその人の部屋と、この部屋は何だか空気が似ている気がします」
「……」
ぎっしりと詰まった本棚と、天体観測の器具か……無意識にそうなっていたのは認めざるを得ない。
そして先輩が言っているのは……一度だけ、雨宿りを口実に招いた時のことか。
折角着替えて貰ったのに、緊張で俺がコップをひっくり返して大変なことになったものだった。
粗悪品の葡萄酒や漬け過ぎたレモン水以上に苦く酸っぱい思い出だ。
「まあ、似た趣味の人が居たのでしょう」
「……それと」
「?」
「先程案内してくれた女の子たちが不思議な歌を歌ってくれました」
何のことだ? と思ったのも一瞬。
「賢者のおじさんがお酒を飲んでご機嫌な時に歌っている歌だ、って……懐かしい、遠い国の歌でした」
「……噂はご存知かもしれませんが、相当に長生きしていますので、何処かで聞いたのかもしれませんね」
目の前の女性の美貌に先ず目を奪われ、それから偶然にも優しさと純真さや案外お茶目なところなどに触れて惹かれ、必死になって距離を縮めた頃とは真反対の行為をしてしまっている。
その痛みを甘んじて受けながら、再び訪れた沈黙をひたすら守る。
「あの……」
「はい」
「……お顔を見せては、頂けないですか?」
「醜い顔をしておりますので……その、傷で」
教会辺りで審判に掛けられていたら即座に引っ掛かるほどの上擦った声だった。
「村の方々はそんなことを仰ってはいませんでしたが」
「幻術で隠しているんです。でも、貴女のような方には通じないでしょうから」
「……そう、ですか」
三度目の沈黙は長かった。
ただただ、波の音と海鳥の声。
「ご用件は、以上でしょうか」
「……はい」
耐えきれずこちらから破れば、彼女は小さく頷いた。
「飛梅君」
「……何の、ことですか?」
「いえ……何でも」
そして。
「……ちくっ、しょう」
独りに戻った部屋で、四日分は届けてもらった葡萄酒を初日で空にしながら慟哭する。
「俺が賢者なわけないだろう」
違う時間に送られてしまい……それでも逢いたく道を踏み外した。
その外れた道で、異なる時間の尺度と寿命でもう一度会うこと自体は叶ったが。
僅かなりとも好いてくれていると自惚れられる女性はとても優しいから……共に生きたとして俺を独りにすることを心から哀しんでしまうと思うから。
だから、僅かに道が交わっただけで去ってしまおう……そう心に決めていた。




