第二節 課題と宿題 2話目
「あーうー……難しすぎるよこれぇー……」
「防衛術はスラスラと勉強できるのに、それ以外はてんでダメなんだね」
「うるさい、ジョーンズ」
「何をそんなに頭を抱えているんだい?」
この日の放課後もリリーと一年生二人が残って勉強をしているが、リリーが手をつけている内容は防衛術ではなく別の教科。上からのぞき見る限りでは、内容としてそんなに難しいものとは思えない。
「グリーン先生が庭先に湧き出るピクシーの駆除方法を調べてこいって……」
「魔法生物学か……大変そうだね」
「大変って……先生教えてくれないのー?」
教えてって言われても、ピクシーが忌避する臭いを放つ魔法薬を調合して庭に設置しておけば問題ないだけの話だと思うが、それを教えてしまっては宿題をする意味がない。
「基本的に宿題は自分でやるものだからね」
「だってさ、ネイサン。聞いてるかい?」
「ちょっと僕に振るのは違うだろエリオット!?」
それに教員が他の授業の答えを教えているとなったら、色々と面倒事になるのは目に見えている。下手にこの自習の時間に口出しされるのも、彼女にとっては良くないことだろう。
「むむぅ……防衛術は教えてくれるのに」
「それは私の担当教科なので、私の判断で教えているだけです。とはいっても私もヒントしかあげていませんし、後はいつもそこの本棚を漁って答えを探しているでしょう?」
「全部の教科がカイ先生の授業だったらなー……」
遂には考える気力も無くなったのか、リリーはぐだぐだと机の上に両腕を広げて突っ伏し始める。
「……あれ? リリーっていつの間にバトラー先生とそんなに親しくなったの?」
「へっ?」
「うん? 私とリリーがどうかしたかい?」
エリオットが突拍子もないことを言い出したことに、私は首をかしげる。特におかしな点は無かったと思うが――
「だってリリー、今バトラー先生のことを名前で呼んだよね? 普通恐れ多くてそんなことできないと思うけど――」
「あっ!? えっ、しょっ、そんな呼び方、だったかなー……?」
「言われてみれば、先生のことカイ先生って――」
「あー! あー! 黙れ! 黙れ、ジョーンズ!」
顔を真っ赤にしているリリーを横目に、私自身もネイサンの指摘があるまでは全く気づいていなかったことを自覚する。
「僕のこともネイサンって呼んでくれてもいいのにね……」
「僕は名前で呼んで貰えてるけど」
「エリオットは賢い、ジョーンズは間抜け。以上」
「ひ、酷すぎる……」
確かにいつの間にか彼女は私のことを下の名前で呼ぶようになっていて、私もそれを特に気にすることもなく受け入れてしまっている。
「……別に私はどっちで呼んでも構わないよ。僕だって生徒のことは基本的に名前で呼んでいるし」
私自身も名前呼びの方が授業も堅苦しくなく済むような気がする。モーガン先生との合同授業を見ていればなおさらに。
「えっ、本当? じゃあ僕もカイ先生って――」
「ダメ。ジョーンズはきちんと尊敬の念を持って、バトラー先生と呼ぶ」
「えぇー……」
「まあまあ。リリーぐらい勉強熱心ならともかく、宿題もできないのに馴れ馴れしくしても先生にとっては不愉快なだけだよ」
羽ペンを走らせながらさらりと酷いことを言ってのけるエリオットの腹黒さに、私は苦笑いで誤魔化さざるを得ない。
「と、とにかくお菓子でも食べて残りの宿題を終わらせなさい」
「はーい先生! このお菓子があれば頭がぐんぐん働く気がするから頑張る!」
「働く気がするだけで、結局僕の答えを写すんだろ?」
「宿題に関してだけ冷たすぎるだろエリオット……」
私としてもこんな感じでよく友情が続いているものだと、一年生二人の関係について口出ししたくなってくる。
そう思いながらしばらくして時計を確認すると、時刻は既に九時を回っていることに気がつく。
「君達、今日はここまでにしておきなさい。就寝時間になるからね」
「よし、今日も予習分まで終わらせられたぞ」
三人の中で予定通りに勉強を終わらせられたのはエリオットだけのようで、残りの二人は時間切れを知った途端に机に突っ伏している。
「結局分かんなかった……」
「エリオットさん、いやエリオット様、この卑しい私めに宿題を後で見せてください」
「全く……宿題は見せないけど、教えてあげることはできるよ」
「ありがとうございます!」
一年生二人は荷物を纏め、寮に戻る準備をする。リリーはというと、これまたいつの間にか準備室の一角を私物化しているようで、持ち帰る荷物と置いていく荷物とで整理をしている様子。
「ふぃー、相変わらず夜になると寒いなぁ」
「もうすぐ春になるから、それまでの我慢さ」
「とか言いながらエリオットもマフラー用意しているじゃん」
教室を閉めて廊下に出ると、既に消灯されていて廊下も暗くなっている。
後はいつものごとく呪文学の教室だけが明るいくらいで、ほとんどの教室も暗く――
「――おや? 珍しく魔法語学の部屋が明るいな」
生徒が言うには居残りとは一切縁の無い授業、それが魔法語学というくらいにヤング先生は授業外の指導を嫌っているようだが、そんな彼女が担当している教室が明るいということは何かしら居残りがあっているのかもしれない。
「せ、先生……」
「ん? ああ。当然、送っていくよ」
既に一年生二人は廊下の先を歩いていて、男子寮の方へと向かっている。そんな中でリリーは律儀に私の袖を握ってじっと待っている。ブラウンの一件以来、どうしても夜の学校というものが怖いらしく、こうしてバスカヴィルの女子寮近くまでは送るのが毎日の日課となっている。
「……先生の部屋で寝られたらいいのになぁ」
「っ!? 流石にそれは……よろしくありません」
「えー? どうして?」
どうしてもこうしてもない。ああそうか、まだ十三歳の子どもだ。そこまで考えが巡らないのも確かか。
「と、とにかく女子寮で寝るのは決まり事なので! …………これ以上譲歩してしまうのは流石に俺が校長に咎められてしまう」
「先生、何か言った?」
「いいえ、何も! とにかく、規則なので!」
今はこう言う他に方法は無い。ただでさえモーガン先生からは一部の生徒を贔屓にしているのではと皮肉を言われているのに、このままだと俺もシャックルズ送りになりかねない。そうなったら今度こそ校長の名に傷をつけてしまう。
「ご飯は食べてもいいのに……」
「全部を私の部屋で済ますのは流石によくありません。他の生徒はちゃんと寮で寝ているのですから、貴方もそうするべきです」
この子も今は私に頼っているが、いずれは大人となった時に他の生徒と同じで色んな人と関わっていかなければならない。その為の寮制度でもあるのだから、寝る時くらいは寮で寝て貰わないと彼女は成長できない。
そう思っての指導のつもりだったが、受け取った彼女のリアクションはというと、どこか不満が残っている様で肩を落としている。
「……どうかしました?」
「……ううん、何でもない」
「そうですか……さて、近くまで来ましたよ」
この先を進めば女子寮。しかし男性がここを一歩でも前に進めば、晒し者の呪いが容赦なく襲い掛かる。そんな中女子生徒のリリーは何の影響もなく私より前に十歩ほど歩いていくと、再び私の方を振り返って意味深長な言葉を並べた。
「……先生、は、私のことどう思ってる?」
「リリーのことを……どう思うのか」
その問いに、私はすぐに答えきれなかった。本当ならば真面目で良い生徒ですよとでも即答すべきだったのだが、一瞬でも考え込んでしまったせいかここで時間切れ。
「それ、先生の宿題!」
「宿題? 私の?」
「うん。ちゃんと答えて。私に伝えて」
「……分かったよリリー。ちゃんと答えを見つけるから」
最後にニッコリと笑顔を見せると、リリーは女子寮の方へと駆けていった。