第97話 パトリックのデビュー
どうにも出来ないくらい邪魔なアラン殿下は去った。
自称婚約者のボリスは牢の中に埋まっている。
父親のレイノルズ侯爵も一蓮托生だ。
これにより、うるさかったマドレーヌ嬢は、ピタリと行動をやめてしまった。
要するに、軍資金が途絶えたらしい。本人も資金源はレイノルズ侯爵だと言っていたし。
「たぶん、マドレーヌ嬢も帝国がどんな国かあまり知らなかったんじゃないかな。うまくいって皇帝の娘だと認められると、どこかの部族のハーレムに行くことになるらしいし。それは、あんまり希望しないんじゃないかな」
アーネストが、情報提供してくれた。また、もしかするとレイノルズ侯爵が失踪したのは、外交部のせいかもしれないと言っていた。帝国と下手に連絡を取るのはマズいらしい。
表向きには貧乏人どもがわあわあ押し寄せて、自宅にいられなくなったからだと言われていたが、真実はわからない。
だが、そんなことはどうでもよい。
それよりも、もう成年に達した彼、リオネールは無事に学校を卒業したら騎士団に入団し、エリート街道をばく進するつもりだった。
カネがなくては始まらないし、シエナを守るために地位も必要だ。
そして、一日も早く、婚約して、結婚して、名実共に誰からも手出し出来なくしなくてはならない。
だが……
兄にエスコートされて、夜会に臨むシエナ。
なんて美しい……。なんてお似合いな。そして、腹立だしい。
しかもパトリックの服を見ると、あれはハリソン商会製じゃないか!
シエナがそこまで兄の世話をしたのかと思うと、なんだか腹が立った。
しかも、あの兄!
シエナを回収しに行って、兄を置き去りにしたら、兄のヤツは満足そうにいそいそと酒に向かって行ったが、才覚があり過ぎて行き遅れの気味があるジェーン・ブッシュ嬢につかまっていた。
「こんばんわ。リーズ伯爵」
「こんばんわ……と言っても、私はお名前を存じ上げないのですが」
「聞きましたわ。ついこの間まで、南部地域の部隊長をされていたそうですのね」
「そうです。父の隠居で、王都に引っ張り出されました。こんな夜会にはまるでふさわしくない人間です」
そこで彼は少し照れたように、片手にグラスを持ったまま柔らかく笑った。
短く刈り上げられたひげが似合う日焼けした男は、確かに、夜会の会場にはいない種類の動物だ。
精悍なのに甘い顔立ち。
なんか朴訥な雰囲気もある。
夜会知らない=女性とご縁ない。多分、間違いなく、女性にご縁はない。
しかも声がいい。
目をつぶって聞いていると、夢に運ばれるようなイケボなのに、実物見たら、とってもすっごくガッカリしたと言う話が世間にはざらに転がっているが、イケメンのイケボなんてズルすぎる。
「そんなこと、ございませんわ。伯爵位を継がれたんでしょう? 立派なおうちではございませんか」
ジェーン嬢が褒めた。何でもかんでも褒めたい気分になったらしい。
彼はフッと気まずそうに笑った。白い歯がきらっとした。見ているリオはイラっとした。
「貧乏伯爵家ですよ。意味がない」
下手な見栄は張らない!
そして、相手を何気なく見ているだけだが、とにかく目元がいい。この目には、何か意味があるんじゃないかと誤解しそう。お持ち帰りしていいですか?
「なんだか、兄は困っているんじゃないかしら。そばに行ってあげた方が……」
なぜかリオとシエナと一緒になって、食い入るように、パトリックの様子を見つめていたイライザ嬢が、ガシッとシエナの腕をつかんで止めた。
「大丈夫!」
すると、次の令嬢が話に加わり、それからもう一人が加わり、パトリックはかなり困惑しているらしかった。
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ではありません」
イライザ嬢が耳をそばだてながら答えた。
「大丈夫ではないかもしれないけど、一人で夜会を乗り切れなくてどうします。たとえ、ご令嬢方の山に埋もれてしまったとしても」
そんなことになったら、うちの兄は夜会恐怖症になるに決まってます……と言いかけたシエナだったが、リオが手を引いた。
「シエナ、踊ろう」
「え、ええ」
パトリックが冗談みたいに多くの女性を引き寄せているのを、シエナは横目で見ながら踊っていたら、リオに叱られた。
「兄上はいい大人だ。大丈夫だよ。パトリックは王都の騎士団に配属替えになったんだから、今後、立派な貴族として夜会に出ることも増えるだろう」
シエナは笑った。
「まあ、リオの方が大人みたいな口の利き方だわ」
「シエナが心配することじゃないって言いたいんだよ。シエナは自分の心配をしなくちゃ」
「私の心配?」
「そうだよ。この間、パトリックが伯爵邸を改造するだけの資金を得たら、自分もそちらへ移るって言ってたけど」
そういえば、パトリックがそんな話をしていた。その時は、場所はハーマン侯爵家でエドワードと弁護士が一緒だった。
「多分ね、ラッフルズはそれくらいの資金なら、すぐに出してくれるだろうと思う」
「なぜ? 大金だと思うけど」
シエナが聞いた。
「リーズ伯爵家をすぐにでも復興させたいのさ。昔よりも華やかに」
「多分、兄が嫌がりますわ。人のお金でそんなことをするだなんて」
「それを我慢するのが、今までほったらかしてきた妹たちへの償いだろう」
「お金を恵んでもらうことがですか?」
「そうだね。リーズ伯爵家が持ち直し、兄が当主として認められれば、リリアスは堂々と大富豪のラッフルズに嫁いだことを公にする。そういう筋書きだよ」
そういうことか。
こうやってみると、兄は素敵なハンサムガイで社交界での滑り出しも順調なようだ。あとはラッフルズの言うように、立派な実家を作り上げればいいだけだ。兄は自尊心を飲み込んで、ラッフルズの言い分を聞くだろう。
「うまくいっていない点が一つだけある」
リオが言った。
「僕とシエナだ」
リオは行動に出た。
「アッシュフォード子爵のことは嫌いだった? シエナにプレゼントを贈った男のことだけど。君をどこかで見染めたとかいう」
「いいえ。いいえ。感謝していました」
「欲しいのは感謝じゃない。僕は弟だった?」
「違うわ。従兄弟だった。知らなかったのは私だけ」
「そうだよ。パトリックの顔を見てごらん?」
リオはパトリックを指した。パトリックがシエナをエスコートして夜会の会場に入った時、かすかなどよめきが広がったが、リーズ伯爵とリーズ伯爵家の令嬢と言う案内だったので、年回りから見て、誰もがすぐに兄妹だと悟った。よく似ている。
「兄妹は似るんだよ。あなたと僕は似ているかい?」
シエナはリオを見た。
全く似ていなかった。




