第86話 高級レストランでの会話
「ねえ。教えて欲しいの」
店に入るなり、マドレーヌ嬢は質問した。
「リオ様と一緒にいたあのイケメンは誰?」
「テオ様ですか?」
イライザ嬢は驚いた様子をして見せた。
「そう。彼のフルネームが聞きたいのよ。大体、あの人、すごく失礼だったの」
え? あのシエナが? と言いかけて、あわててイライザ嬢は口をつぐんだ。
「私のことを、タヌキだっていうの」
「え? タヌキ?」
イライザ嬢は、目の周りを黒々と塗りたくったマドレーヌ嬢の顔を見て、うっかり吹き出しそうになった。
部屋の反対側では、肉料理を食べていた客が、ゴボッとか変な音を立てたかと思うと、いきなり水をごくごく飲みだした。何かがのどに引っ掛かったらしい。
「ええと、あの、何か仕返しでもするつもりですか?」
イライザ嬢は探りを入れたが、マドレーヌ嬢はまるで違うことを考えているらしかった。
「とにかく、あの銀髪で、細面でうっとりするようなイケメンの名前を知りたいのよ」
「テオドール・クレイブン様のことですか?」
「そうそう。そのテオよ」
そういうとマドレーヌ嬢は顔を赤らめた。
「あんなに美しい男には会ったことがないわ。マンスリー・レポート・メンズ・クラシックには載っていなかったわ。私がきっと最初に発見したのね」
間違ってはいない。けど……なんだかイライザ嬢は猛反発したくなった。
企画、構成、制作は自分である。
「リオ様と結婚したいと言うお話だったのでは?」
「もちろん。とても良いお話だって聞かされたのよ、リオ様もまんざらでもないってことだったし」
イライザ嬢は耳が故障したのかと思った。
「リオ様がですか?」
「そう。どこかで私を見染めたららしいの。私も、街の中から貴族学校なんてややこしそうな所へ入れられてさあ、どうにもやりきれなかったわけよ。そこへ、さすがに帝国の皇女様ともなると、縁談が申し込まれるのねえ。リオネール・ハーマンとかいう、そこそこイケメンの男から、さっそくお話が来たって手紙が来て」
そこそこイケメン……
「そのお話、誰から聞いたのですか?」
「ええとね」
バッグの中から、マドレーヌ嬢はいろいろなものを取り出した。
脂ぎった安物の化粧品がいくつか、家の鍵、高そうなハンカチがグチャグチャに丸められたもの、汚らしくたたまれた何枚かの紙などだった。
その紙をかき回して、これよと言って彼女はイライザに、一枚の紙を渡してくれた。
それは貴族風の長い手紙だったが、マドレーヌ嬢が言う通り、要旨はハーマン侯爵家の跡取りの養子が、皇国の皇女と結婚を望んでいると言うものだった。
最後の署名を見て、イライザ嬢は心底驚いた。
レイノルズ侯爵!
最後にこの手紙は燃やすようにとの指示があった。
ちょっと不安げにイライザ嬢は、マドレーヌ嬢の様子を窺った。
この一文を、読んだのか、読まなかったのか、気にしているようではない。
「なんでもリオって、低位の貴族の息子だなんだってさ。それがいいとこへ養子に入ったので、箔をつけたいんだって。それで、皇国の皇女が嫁になれば、どこへ行っても恥ずかしくないからぜひ結婚してほしいって言っているって。ただ、養父の侯爵の方は、私を勧めてくれているらしいんだけど、肝心のリオが実力もないのに、うぬぼれ野郎でね。顔を自慢にしてるらしいので、少し、圧力をかけてやってほしいって、養父が望んでるらしいの」
ここまでの話で、二組ほど入っていた客がもはや食べるのもやめて、茫然と皿を見つめ始めた。
それに気づいたマドレーヌ嬢は、不安になったらしい。
「ねえ。ここの店って、ひょっとして値段ばっかりのまずい店なの? 誰も食べてないよね? 客も少ないしさ。私、いっつも高級貴族の気取った飯より、屋台の串焼きの方がうまいって思ってたんだけど」
四人が突然せっせと食事を進めだした。
「あ、一口召し上がってくださいな。食べてみてからご判断くださいな」
「う、うん」
案の定、マドレーヌ皇女様の食事のマナーは最低だった。あとでキャロライン嬢が見ていて地獄だったと感想を述べたくらいである。
「でもさ、リオ様ってのも、イケメンだわー。田舎じゃ見たこともないイケメンだった。最初見て、もう、絶対結婚してやろうと思った。結婚して欲しいって、懇願されてるし」
ピキィ
あ、今、キャロライン様の青筋が立った音が聞こえた気がする……
「でも、今日、さらに、すごいの見ちゃったからねえ」
「テオドール様ですか?」
「そう。その人」
マドレーヌ嬢は、ドレスにトマトソースが跳ね飛ぶのも気にせず、食べながら大声でしゃべりだした。
「テオ様もいいなあって思って。だけど、あの二人が絡んでいる様子って、なんか神々しくてさ」
この新奇な発言に、その場にいた客四人が、またもやフォークを止めてしまった。
「皇国の皇女ともなれば、下手な国王より権力があるっていうのさ。国際問題になるって。だから好きにできるって、お使いの人に教えてもらったんだ」
これよ、と言って、イライザ嬢は、渡されたもう一通の手紙の署名と印を見つめた。
マドレーヌ嬢を帝国の皇女として認めると言う手紙だ。
本物のように見える……
このマドレーヌ嬢は、バカで高飛車で高圧的だ。
だけど帝国人独特の姿をしている。
背が低くて豊満で、大きくて黒い目、真っ黒で硬くてくせの強い巻き毛と浅黒い肌。明らかに帝国の人間との混血だった。
「この手紙、預からせてくださらない?」
「ダメだよ。なくされたら困るもん」
「リオとテオに見せるのよ」
「あの二人、私が皇女だって信じてなかったもんなあ」
「だからこそよ」
イライザは力を込めた。
「マドレーヌ嬢はどっちの方がお好きですか?」
「両方とも区乙つけがたいんだけど。でも、テオドール・クレイブンのファンクラブはないんだよね?」
そりゃ、しゃくれ顎のテオドール・クレイブンのファンクラブなんか存在するわけがなかった。
「そうなの? じゃあさ、皇女様の私がなるわ。うふふ。ファンクラブの会長になれば、絵姿なんかも手に入るし、会う用事もあるだろうしさ。リオのファンクラブにも入ろうかなあ」
どっちなんかーい!……などと、淑女が言うわけにはいかなくて、平民だがハイソな貴族社会の一員であるイライザ嬢は、曖昧な微笑みを浮かべた。




