第83話 シエナ、男装する
「え? あのう、私、男性ではないのですけど」
「大丈夫。もう、ハリソン商会に依頼を出しました。そろそろ着くころよ」
「ど、どういうこと?」
イライザ嬢はもったいぶって答えた。
「いいこと? あなたはリオ様のお友達として一緒に行くのです」
「マドレーヌ嬢とのデートにですか?」
「そうそう。リオ様には、デートなんか、よくわからないし友達を連れてきたと言わせればいいのです」
「そんな。姉だと言って一緒に行くわ」
「婚約者ならいざ知らず、姉なんか何の防波堤にもならないわ。それとも、婚約者だと名乗りを上げて正々堂々立ち向かうつもり? シエナまで不敬罪を適用されたら困るでしょ?」
シエナは青くなった。自分の心配をしたのではない。
「本気でリオに不敬罪を適用される可能性があると思っているの? イライザ嬢」
「わからないのよ。皇帝陛下ご寵愛の皇女様で、どんなわがままも聞いてあげると言う娘なら、可能性はあると思うけど、今まで放っておいたくらいでしょう。そこまで、気にかけてくれているわけではないと思うの。でも、皇女様をバカにした、帝国の威光を損ねたと言われると、それは困るわ。今はマドレーヌ嬢がどういう立場なのかわからないので、うやむやにしておきたいのよ。それで、リオ様から目移りしてほしいと言うのが本音なの。ほかにも探せばもっとイケメンがいるって気が付いてほしいのよ」
「リオほどのイケメンは、そうそういないと思うけど」
本音大会。マドレーヌ嬢の手紙と言い、今日のシエナと言い。おなかいっぱいだ。
イライザ嬢は力なくニヤリとした。そこへベイリーの案内で、ハリソン商会の面子がドヤドヤと部屋にやってきた。
「お嬢様! この度は婚約者様が変質者に狙われたそうで!」
正解。ただし、これも不敬罪適用案件かもしれない。
「そうなんです!」
シエナ嬢……この間まで、自分は婚約者ではないとかごねてましたよね? この即答は何?
「リオが危険なんです」
細かいことは、どうでもよくなったのだな。
「騎士服をお持ちしました! あと、ヒールの付いたブーツも」
「ええと?」
「ですから、リオ様のお友達枠ですっごいイケメンに変装されるのでしょう?」
「シエナ様なら可能ですわ! 女性にしては背がお高いですし」
ハリソン商会の針子たちが口々に言い、次から次へと準備してきた男性用の服を取り出し始めた。
「シエナ!」
聞き覚えのある声が響いた。
「ブライトン公爵嬢とダーンリー侯爵令嬢がお見えです」
邸内を走りまくるご令嬢方の後を、年寄りの方の執事のベイリーが、階段で後れを取ったらしくハアハア言いながらついてきた。
「お茶の支度を!」
シエナが命じた。こんなにはっきり口を利くシエナ嬢を初めて見たベイリーは、一瞬だけシエナの顔に目を止めたが、ちょっと嬉しそうに口元を緩ませて答えた。
「はい。すぐに」
「大変だわ。なんだか品も何もあったものじゃない皇女様ですって?」
キャロライン嬢が聞いた。
「そうなの。そこにリオあての手紙があるんだけど、まるで文章になっていないのよ!」
二人の令嬢は頭をくっつけあって、手紙を読み始めた。
ハリソン商会の針子たちは、服を取り出した。
「シエナ様、一度、こちらの上着をお召しになってみてください」
「シエナ嬢、協力して。明日の十二時までには仕上げないといけないので」
イライザ嬢が心配そうに言うと、シエナはハリソン商会の針子たちに頭を下げた。
「申し訳ございません。よろしくお願いいたします」
やる気ね!
イライザ嬢は、本来の目的から逸脱したワクワク感で、内心小躍りした。
これは、絶対、売れる!
さすがはハリソン商会。プロ集団である。その場でどうにかこうにかシエナが着られるように騎士服に手を加えた。
シエナが着替えて寝室から出てきた時、イライザ嬢、キャロライン嬢とアリス嬢はもちろん、侍女たち全員が、おおおおーと声を上げた。
イケメン。
すっごいイケメン。
ちょっと細身だけど。
「何のさわぎ?」
コーンウォール卿夫人までにぎやかなざわめきを聞きつけてやってきた。
そしてシエナを見て絶句した。
「まっ。イケメン……」
若い方のベイリーまで見物に来た。
「え? まさかシエナ様ですか?」
すらりと細いが、顔が小さいので大きく見える。
夢見るようなイケメンだ。
全員がため息をついた。
「あ。でも」
何によらず気が付くイライザ嬢が言った。
「リオ様とシエナ様、お二人だけで並ぶと、世の中、みんなイケメンだと言う誤解が生じるかもしれません」
そんなことはないのでは?
「こんなイケメン、そうそういませんわ。誰も誤解なんかしないと思いますけど」
しかし、イライザ嬢は主張した。
「でも、二人だけより、もう一人追加しましょう。フツメンを。そうすればより一層、美しさが増しますわ」
そのフツメンが気の毒なのでは? フツメンなのに、ひどい評価になりそう。
その時、あ、そういえば、と声を上げたのはアリス嬢だった。
「昨日、ちょうどアーネスト・グレイ様から、一緒にお出かけしませんかと声がかかりましたの。暇で暇で、もうどうしようもないので、男性だと入りにくい感じだけど、行きたい素敵なカフェがあるのでお付き合いいただけませんかって」
おお。ついに。デートのお誘いを。暇という口実は、試験前にどうかと思うけど。
「ちょうどいいですわ。時間もぴったり。十二時でお約束しましたの。今から、そのお時間、空いている方を探すのって難しいですものね」
そりゃ試験前に暇な生徒はそういないでしょう。アーネスト様だって暇なわけない。察してやれよ、アリス嬢……とイライザ嬢は思ったが、この際、ちょうどいい。アリス嬢が頼めば、アーネスト様は何でもOKすると思う。
フツメンと聞いた途端に、アーネストを思い出すあたり、不憫だけど。
「それと、名前が要りますわ。キャロライン様。テオドール・クレイブン様のお名前をお借りしたいのですけれど、キャロライン様からお願いしていただけないでしょうか? 侯爵家の名前を出せばマドレーヌ嬢には効果的だと思いますの。テオドール様は、騎士学校に行っていますし、リオ様のお友達でぴったりですわ」
「わかったわ。頼んでみるわ」
キャロライン嬢が力強く請け合った。
「リオ様からお願いすればいいのですが、実はテオドール様とはひと悶着ありましたから」
「あれはテオドールが悪いのよ」
アラン殿下と遠乗りに行ったとき、テオドールが不審者として捕まりかけた時の話だ。
「テオドール様は、リオ様に借りがありますから、承諾してくださると思います」
「大勢で、一体、なにしてるの?」
今度はリオが学校から帰ってきたらしい。リオの声がした。
「俺よりイケメンの男を連れて行くって聞いたんだけど……ここ、シエナの部屋じゃないか。男なんか引き入れて……シエナ、入るよ?」
ドアをカチャリと開けて入ってきたのは、騎士学校の制服のままのリオだった。
部屋の真ん中には、騎士服姿の細い男が立っている。
「だ、誰だ?」
リオはうろたえ、そのリオの反応に、中にいた全員がどっと笑った。
「リオ様にわからないなら、大成功です」
「よかった。頑張り甲斐があったと言うものです」
お針子軍団が、満面の笑顔になった。
シエナがにっこりとほほ笑んだ。やる気満々らしい。
「テオドール・クレイブンです。よろしく」




