第78話 レイノルズ侯爵家の没落
ボリスはタカをくくっていた。
これまでだって、父がどうにかしてくれた。それに、今回のことは誰を傷つけたわけでもなかったし、そもそもシエナは彼の所有物だ。婚約者なのだから、何をしたっていいはずだ。
「全く異国の王子の機嫌取りに汲々として。この国で他国の王太子なんかが偉そうにしだしたら、国家の権威にかかわるだろう。世間知らずのバカ王子には困ったものだ。他人のモノに手出しして無事で済むわけがないのだ。それなのに、この国の人間である俺を牢屋に閉じ込めるなどと」
実際、父はすぐに牢から出て行った。
「すぐに俺の番だ」
だが、その順番はなかなか来なかった。
待てど暮らせど、何の知らせも来ず、焦ったボリスは父に手紙を出したいと要望を出したが拒否された。
「手紙? ややこしい。あんな厄介な代物は、少なくともアラン殿下の出国まで閉じ込めておけ」
イライラした様子でモーブレー公爵は言った。彼が、この問題の担当者なのである。
終いにレイノルズ侯爵から、金の延べ棒が一本、麗々しく包まれた菓子折りを贈呈された時は、うっかりキレてしまった。
「この、このバカ者にこのまま突っかえせ。それから、国王陛下と法務長官にはお伝えしておくと」
それくらいの金では動かんと大見栄を切ったが、言い過ぎだった。彼はあわてて言い直した。
「いや、違う。額の問題ではない。金銭では動かぬわ」
親子そろって、俗物の上、馬鹿だと、彼は頭が痛くなった。
「しかし、どう言う罪状で結論を付けたものかのう?」
あんまりレイノルズ侯爵の話題なんか聞きたくなかったが、そうそう捨て置くわけにもいかないので、渋々王宮の法務官に尋ねてみた。
「今、それどころではないようです」
「え? だって、息子の釈放より大事な事なんかあるのか?」
「それがですね……」
なんでも、レイノルズ家は現在訴訟の嵐なのだという。
「訴訟? なんの?」
「ものすごくつまらない話ですよ。どこぞの喰い詰めた貧乏人みたいな生活をしていたのだそうです」
「喰い詰めているようには見えなかったが?」
「寸借詐欺みたいに、支払いを渋っていたそうです」
「はあ? そんなつまらない事に追い回されているのか?」
「そうです。足せば、結構な額になるそうです。あと娼館からの損害賠償が来ているそうで、これは貴族の威信にかけても、闇に葬らないとならないのですが……」
「はあ?」
娼館利用などしたことのないモーブレー公爵は、なんとも微妙な顔をした。
「不払いのほかに、娼婦たちに乱暴を働いていたそうです」
「誰が?」
「ボリス殿が」
モーブレー公爵は、さああっと顔色を変えた。
不払いはとにかく(いや、もちろん論外だったが)、女性で弱い立場の娼婦たちに乱暴を働くだなんて。
貴族の風上にも置けない。
(一応、貴族たるもの、領主として品行方正で他人の見本となるべきという考え方もあるにはあった)
彼はまともである。そして品行方正だった。三回も離婚しているが、まともに愛を貫いたからこそ、離婚歴が増えたのだ。
「世の中に、ばれたら婚約どころではなくなります。そっちの火消しで懸命なようです」
いやいやいや、こんな話が出回っている時点で、バレバレなのではあるまいか?
何か、触ってはいけないものに関わっている気がしてきた。
「理屈をつけてボリスの拘留期限を延ばしておけ。外との交流は厳禁だ」
余りのことに、社交界ではボリスの名前は禁句状態になってしまっていた。
ついでにレイノルズ侯爵もである。
彼がパーティやカードの会に現れると、かつての知り合いたちはそそくさと帰り支度を始めた。
多分、ロクな話じゃない。
そして、ハーマン侯爵邸ではリオがシエナを囲い込んでいた。
ハーマン侯爵家の夕食の席上で、リオは発言した。
「今すぐとは言わないから、今はどうか婚約者と言う地位を名乗って欲しい」
シエナは黙った。
今すぐじゃない今っていつなの?
それに、一旦名乗ってしまったら、取り返しがつかないのでは?
「あのボリスから守りたい」
リオは真剣に言った。
「ハーマン家に守らせてほしい。本当の兄妹だったら婚約なんかしなくていいんだけれど、あいにく、従兄妹に過ぎないから」
従兄妹なら必ず婚約するものなのでしょうか。シエナは混乱し始めた。
「シエナの身分と言うか、この家にいる理由が欲しいんだ。婚約者なら、完ぺきだと思わないか? コーンウォール卿夫人がいるので、同じ部屋にいても言い訳が立つと思うし」
シエナとコーンウォール夫人は、ナイフとフォークの手を止めて、妙な顔でリオを見つめた。
「婚約をはっきり公表しておきたいんだ。誰も手出しできないように。後継問題も解決されて、きっと明日をも知れぬハーマン侯爵も安心されるだろう」
ハーマン侯爵は、アラン殿下の遣わしてくれた侍医のおかげで、最近劇的に回復していた。
今日の午後だって、乗馬をしている侯爵の姿を見つけて、シエナは文字通り腰が抜けるほど驚いたものだった。ただ、そのすぐあと、侯爵は腰の具合が悪くなったらしく、担架で寝室に運ばれていた。横には、医師らしい人物がいて、盛んに何か言っていた。
セドナ語の分かるシエナには「だからダメだって言ったでしょう!」と言う一言が耳に入った。
全力疾走の乗馬は、明日をも知れぬ人物のやる事ではない。
「今度、アラン殿下の出立前の公式ダンスパーティに招待されている」
リオは二枚の封筒を取り出した。
「エスコートさせてほしい」
「リオ、二枚来ているということは別々のご招待と言うことで……」
たまり兼ねたコーンウォール卿夫人が口を出したが、リオにさえぎられた。
「婚約を公表するよい機会だと思う」
「リオ、私の婚約は今は白紙状態になっていて……」
しかしシエナがそう言った途端、リオ本人はもちろん、その場にいたコーンウォール夫人、ベイリー、ダイアナとビクトリアが、一斉にシエナの顔を見た。
「シエナ。明日は騎士学校が休みなんだ」
しんと静まり返った食堂で、リオが言いだした。
「一緒に出掛けよう」
シエナが何か言う前に、コーンウォール卿夫人がすばやく言った。
「行ってらっしゃい。せっかくですから」
リオがにこりと笑った。
まだ、まだ、正式な婚約ではない。
だが、ハーマン侯爵はシエナを認めてくれたし、レイノルズ侯爵は追い払った。
少なくとも、今は息子の婚約話どころではないはずだ。
そのうちに、パトリックが辺境の軍から王都に戻ってくれば、リーズ伯爵は引退を余儀なくされるだろう。新リーズ伯爵パトリックが正式に婚約を認めれば、もう誰も手出しできない。
リオはフフフと笑った。




