第74話 あなたの武器は何ですか? 使えていますか?
「それで、今度発売のアンジェリーナ・シークレットなんだけど」
ちょっと言いにくそうにイライザ嬢は持参したカバンの中から、一冊の冊子を取り出した。
「一位は、ええと、シエナ嬢になったの」
あやまるようにイライザ嬢が言った。
イライザ嬢は友達だ。だけど、雑誌になんか載せられたくない。
「いろいろ事情があって……発刊せざるを得なくなってしまいました」
「そんな栄えある一位だなんて、私が載ることが気に入らない人もいるんじゃないかしら」
「でもね、名前は出ないの」
名前が出なくても、一緒じゃないかしら。シエナは文句を言いそうになった。
「アンジェリーナ・シークレットは予約販売で……マンスリー・レポート・メンズ・クラシックに比べたら、用意した冊数はずっと少ないわ」
出ること自体が問題なので、冊数は……と思ったが冊数も気になる。
「ちょっと待って。マンスリー・レポート・メンズ・クラシックは何冊売れているの?」
「倍々ゲームで、町娘にも飛ぶように売れているのよ……」
イライザ嬢は渋々認めた。
「特に絵姿を入れてからは、そのページだけ売れて売れて……」
イライザ嬢は発行部数を教えてくれたが、あまりのことにシエナは呆然とイライザ嬢を見つめた。
「そして、今度のマンスリー・レポート・メンズ・クラシックの一位はアラン殿下なの」
「え?」
「あなたは、横暴な父親のせいで、評判の悪い貴族令息との婚約を強要されたかわいそうな令嬢なの」
「それもなんだかいやだわ」
「かもしれない。だけど、私はこの方法で戦ってみようと思うの」
「戦う?」
シエナが聞き返した。
「アンジェリーナ・シークレットの紹介文は、あなたの立場を説明しているの。直接あなたを知る人は少ないわ。発行部数は少ないけれど、雑誌は人から人へと渡り歩く。書いた文章は、どの雑誌も同じ。噂を修正して、同じ話に戻してくれるわ」
聞いたこともない方法だ。シエナは目を丸くした。
「社交界は噂の世界。あなたは、これまで社交界に余り出入りせず、自分の容姿をこれまで積極的に使って来なかった」
「容姿を使う?」
「とても美人だと思うの。美しさは好意を呼ぶわ。でも、ボリスを呼び寄せてしまうだなんて、悪い方に回ってしまったわ。今度は、いい方に利用しましょう。それもまたあなたの力だと思うの」
力? そんなもの、力になるのかしら?
『どうやって、そんな力を引き寄せたか、教えてあげる。機転が利いて、抜け目がなくて、そのくせ謙虚だからだよ』
あのアラン殿下の声が頭の中によみがえった。
「控え目で、清楚な令嬢。そのイメージで売り込みたいの。親の横暴に悩まされている。親に不満を持つ令嬢は多いわ。あなたに悪意は抱かないと思うの」
「それで行くと、リーズ伯爵の評判はめちゃくちゃになるわ」
シエナは言ったが、イライザ嬢の目が動いた。
「望むところじゃないの?」
機転が利いて、抜け目のないシエナ嬢は、突然、しっかりと計算を始めた。
これで姉を助けられる。
「いいわ。ありがとう、イライザ嬢。やりましょう」
その頃、ラッフルズ家のエドワードは、リリアスに書かせた兄への手紙を持って街道を馬車で走っていた。
それは一族を揺るがす大問題だった。人には任せられない。
前の晩、最愛の妻リリアスにエドワードは、リーズ家の事情を聞いていた。
ありふれた茶色な髪と、よくある焦茶色の目の、平凡を絵に描いたようなエドワードだったが、頭のキレは最高と言われている。
「兄は腐っていました。何もできなくて。私のことも助けられなくて」
「ダメな兄貴だな」
「でも、彼は騎士学校を卒業して、辺境に配属されていたのです。兄は私の婚約を知らなかったと思います。知っていても、レイノルズ侯爵家のボリスの評判を知らなかったと思います。そして、私があなたと恋に落ちていたことは全然」
「それでも、君は兄に救いを求めるべきだった」
「だって。咎められると思ったんですもの。婚約者を裏切るなんて」
「結果から見たら、まだマシな方を選ばないと。僕が商売人だからかもしれないけど、割れてしまったガラスは元に戻らない。ヒビの方がマシだ。潔く割ってしまうのが貴族流なのかもしれないけど」
「意地悪を言わないで」
「ごめん。終わってしまったことは言っても仕方ないよね。君のお兄さんはどんな人?」
「おとなしい人でした。今は、国境警備の責任者をしているはず。警備隊長ですわ」
「おとなしい人なのに警備隊長なの?」
辺境の警備隊長は、相当な曲者でないと務まらないと言われていた。
商売人で、軍事には知識がないエドワードも、そう聞いたことがある。
「それとこれは別らしいわ。警備隊はいいって言ってました。はっきりしているって。レイノルズ侯爵家を斬っていいなら斬るけれど、世の中、そうはいかないからって」
「爵位を継げと言われたらなんていうかな?」
「嫌がると思います。今の仕事が性に合ってるって、昔言っていましたから」
「君のことはどう思っている?」
「可愛がってくれていました。妹のことは歳が離れているので、あまり知らないと思いますけど、憎んでなんかいないでしょう」
「弟のことは?」
「弟?」
「リオネール君のことだ。ハーマン侯爵家に養子にいったという」
「私たちに弟はいませんわ。リオネールは従兄弟にそういう名前の人がいると思います。父の弟の子どもですわ」
「そうか」
「リオネールは養子にいったのですか?」
「そうらしいね。あなたの妹のシエナと結婚したいそうだ」
それからエドワードは微笑んだ。
「びっくりするようなイケメンだそうだ。騎士学校に特待生で入学したらしい」
「侯爵家に養子にいって、特待生入学? 元帥コースじゃありませんか!」
「僕はそこまでは知らないけど、あのボリスよりずっといいんじゃないかな」
「妹には幸せな結婚をしてほしいわ! あ、いえ、あなたとの結婚が不幸という意味ではなくて」
エドワードは優しく微笑んだ。
「わかっているよ。でも、今度のことはチャンスだ。名誉挽回をしてやる」
「無理はしないで、エドワード。私はとても幸せなのよ」
「わかっている。でも、もっと幸せになろう。君の妹のためにも必要なことだ」
一介の商人が、たとえ大商人だったとしても、商売などとは無縁の警備隊の隊長に会うのはなかなか難しかったが、エドワードはメモを取り出すと一言書いて、これを隊長のパトリック・リーズに渡してくれと頼んだ。
メモには、
『リリアス』
とだけ書かれていた。




