第71話 アマンダ嬢とリリアス
シエナは目を見張った。
「え?」
「リーズ伯爵にはもう、申し込みを済ませてある」
リオは平然と言った。
やっと邪魔なアラン殿下がいなくなった。
これまでは弟枠だったので、アッシュフォード子爵として名乗りを上げることすら遠慮していた。
邪魔者がいない今、他の誰よりも一番乗りだ。
もう、この際、マンスリー・レポート・メンズ・クラシックにだって感謝したいくらいだ。
なぜなら、『もっともイイ男』認定されたんだから!
シエナが恋人になってくれるのを待つ時間的余裕がない。ボリスの一件でリオは学んだ。
まず、何よりも、婚約を申し込んだりする男と接触させないことと、人を選ばず娘を勝手に売りにかかる父親が大問題だった。
そのためには、自分は本人を囲い込む。付きまとうとか、離れないとか、侍女をつけるとか。もはや、本人さえ認識してくれているなら、世間で弟認定されたら好都合だ。シスコンになってやろうではないか。
今頃、彼が遣わした弁護士……若い方の元執事のベイリーのことだが……彼が、せっせと伯爵を脅すとともに、うまい話を匂わせているだろう。
つまり、伯爵はおびえ切っていたので、今までそんなこと考えもしなかったのだが、姉娘のリリアスの婚約破棄の賠償金が法外で、取り戻すことが出来るのではないかと言うウマそうな話と、リオネール・リーズの両親から預かっているはずの金を返せという二つの話を同時に持ち込まれているはずだ。
「それとね、今日はお客様を呼んでいるんだ」
「お客様?」
「うん。ほらきた。あなたのお友達のアマンダ嬢だ」
アマンダ嬢……シエナは忘れていた。
ジョージとまだ婚約していたころ、平民出身のマナーも何もなっていない女性と友達になった。
勉強も出来なさそうだったので、シエナが教えることになった。
そして、ジョージから婚約破棄された晩、彼女は真実の愛を見つけて学校から去って行ったのだ。
「こっちかい? りっぱな庭だねえ!」
ちょっと困惑気味の侍女に案内されてきた女性の声には聞き覚えがあった。
「アマンダ嬢?」
かつての着飾った成金風の装いは、今は商家の既婚夫人の装いに変わっていた。
彼女はニコリとした。
「お久しぶりです、シエナ様」
シエナはびっくりした。
リオが連れてきたくらいだから、シエナに頼みごとがあるとか、そんな話ではないだろう。
商家の夫人が、貴族階級の娘に近づくことはあまりなかった。
「彼女は、国一番の商家ラッフルズ家の次男のアルフレッド殿と結婚されて、今ではラッフルズ夫人だ」
リオが紹介すると、落ち着いた様子でアマンダはお辞儀をした。
「ラッフルズ家は元々大商家だったが、次男のアルフレッド殿は優秀で、どんどん商売を広げていかれた。今や本家をしのぐ勢いなんだ」
リオの言葉が続く。
「そのラッフルズ家の本家も負けてはいない。ご長男のエドワード殿も立派な方だ。ご兄弟はお二人とも平民だが、貴族学園を出ている」
一体この話は、何の話なのか。
シエナは内心、首を傾げた。
アマンダ嬢が遊びに来てくれたというなら、それはこれまでの積もる話がある。リオに改めて紹介されるまでもない。彼女は友達だ。
昔、貴族学園で見た時、アマンダは借りてきた猫のようだった。
だが、今やアマンダは堂々としていた。
服も、貴族風ではないがとても似合っているし、大変高価な物だということはシエナにもわかった。
「ここへはイライザ嬢の紹介できたのです、シエナ様」
「はい……?」
アマンダ嬢……もといラッフルズ夫人はむしろ何かなつかしいと言ったようにニコリと笑った。
「私は、貴族学園のダンスパーティでアルフレッドと出会いました。とてもすてきな人で、たちまちとても仲良くなって。二人とも平民出身だったことも大きかった。でも、アルフレッドの方は、うまく貴族社会へ馴染んでましたけどね。彼は、ちゃんとしていましたもの。私は思ったことを口にしてしまうので、貴族の社交界では全然通用しませんが、アルフレッドはそう言う時も上手に躱していました。それで私たちは決めて、退学して、結婚したんです。貴族社会で勉強することはもうないだろうってね」
思わず知らず、シエナはうなずいた。
残る者、去る者。
イライザ嬢は残り、逆に貴族社会を引っかき回している。彼女の思うままに、貴族たちの方が、踊らされているようだ。
そしてアマンダ嬢は貴族社会に見切りをつけて、去った。
「だけど、私は結婚して、義姉に会ったんです。それまで義兄は妻を人前に出すことを嫌ったので、家族の中でさえ、彼女の顔を知る人はほとんどいませんでした。でも、夫が、私があなたを知っていることを義姉に話したんです。リリアス様に」
「リリアス?」
リリアス……それは、シエナの姉の名だ。
「あなたの姉上だ」
リオが優しく注釈を付けた。
シエナは、本気で驚いて、アマンダ嬢の顔を見つめた。
「まさか」
アマンダは嘘は言わない。アマンダはずっと正直で誠実だった。
「今日は一緒じゃないんです。許してもらえるかどうかわからないって、バカなことを言うもんでね」
アマンダ嬢が笑った。
その昔、今よりずっとマシだった伯爵邸で、着飾ってダンスパーティに出て行く姉を見に行ったものだ。
姉は夢のようにきれいな人だった。着飾ると、まるで魔法がかかっているかのようだった。
「お姉さま、きれい」
シエナが言うと、姉はいつも優しく笑って言った。
「もう少ししたらあなたの番よ?」
姉が言った『もう少し』は来なかったし、きれいなドレスを着て、王子様の待つダンスパーティへ出かける夢は永遠に叶わないと思うけど。
シエナの時にはリーズ伯爵家は思い切り没落していたから。
「どうして? 私はお姉さまに会いたいわ!」
思わずシエナは叫んだ。
「義姉は自分の結婚のせいで、あなたがお嫁に行かないんじゃないかって、心配してるんですよ」
「さあ、二人とも座って、座って」
リオが微笑みながら促した。
「長い話になるだろうしね」
平民と、意に染まぬ結婚を強いられた夢のように美しい伯爵令嬢との恋物語は、真実の愛とはこうあるべきかも!と言う説得力を持っていた。
最初にあった時。二度目に会った時。それから本当は会ってはいけないのに、示し合わせて秘密に会い続けた。
「本当の恋ね」
「でしょー? 私も初めて聞いた時は、スゲーとか思っちゃってさあ」
「憧れるわ。ロマンチックよねー」
「そーなんよー。そいで、本人、見たらすごい美人でさあ。なんか婚約の一方的な破棄ってどうなん?って、多少は思ってたんだけど、そんな気皆無になっちゃったよ。美人は正義!みたいな気になったわ」
「お姉さま、本当にきれいだから」
リオが横で聞きながら、シエナの方が美人に決まってると訳の分からない敵愾心を燃やしたのは秘密だ。
「いや、シエナ、あんた、被害者でしょ? 正義じゃないって」
そうか。確かに姉の行動のせいで、実家は大きな被害を被った。
「ごめんね。助けらんなくって」
「え?」
「だって、ラッフルズ家は金持ちだもん」
ラッフルズ家は元々羊毛や綿製品の取扱いで名を上げた家だった。
アマンダの実家も大商家だったので、この結婚は思わぬところで大きな成果を生んだ。両家で力を合わせて盛り立てているらしい。
「まあ、貴族と結婚しろとか、アホウなこと言ってたウチの親だけど、アルフレッド連れてったら黙っちゃったよ」
以前と同じようにガハハと笑う。
シエナも嬉しくなって微笑んだ。
「この方がよかったって。でも、知り合ったのは貴族学園だから、貴族学園に行かせたことは間違ってはなかったって言うんだよ。うちの父親は頑固もんだよ」
「でも、今日、ここへ来た用事は近況報告だけじゃないよね?」
リオが口を挟んで軌道修正した。
「あ、そうだよ。ずっと助けたかったんだよ、初めてリリアスに会った時からね」




