第66話 リオの出番
リオは複雑な顔をして、アラン様とシエナのダンスを見ていた。
彼からのドレスがよく似合う。
初めて会った時、子ども心に美しい人だと感動したが、今もしみじみ思う。
リオは、アランがドレスを贈ったことは知らなかった。
知っていたら、もっと焦っていただろう。
彼は、このパーティにシエナは出ないだろうと思っていた。
彼女に高価なドレスを贈り、パーティに出て欲しいと書き送ったものの、シエナの慎重な性格を思えば、人前に出ることは避けるだろうと思われた。
シエナはレイノルズ家のボリスから、借金のカタに結婚を迫られている。今は、いわば逃げている状態だ。
だが、ダンスの相手がアラン殿下なのを見て、殿下の希望で出席したのだと理解した。
セドナの王太子からの頼みを断れるわけがなかった。
アランは並み居る貴族の家の子弟を差し置いて、ダンスの先頭に立った。
その意味するところは明らかで、彼はついに正体を表したのだ。これまでは人目に立たないよう、それとなく平服で警備についていたセドナの警護の者も、セドナの騎士の格好に戻り、ジョゼフことブルーノ伯爵もそれらしい豪華な身なりになっていた。
ゴート側も外交担当の者が非常にへり下った態度で付き従っている。
周りでは、驚いたらしい生徒たちが興奮した様子で、できるだけ小さな声でささやいていた。
「セドナの王太子殿下ですって!」
「知らなかったわ! そうとわかっていれば……」
「えー、オレ、知らなかったから殴ったことある。どうしよう」
青くなっていたのは、それまで友人だと信じていた男爵家の息子だった。
アラン殿下は、シエナとダンスを踊ったけれど、そのあと何かトラブルがあったらしい。人垣ができていて、リオにはよく見えなかったけれど、その後は会場を後にしてしまい戻ってこなかった。
もう、戻って来ないだろう。
リオは理解した。
あのジョゼフが、これ以上の勝手は許さないという顔をしていた。
本当はシエナと踊ったりしてはいけなかったんだろうなと、リオにも察しがついた。
リオは会場を急いで横切った。
シエナが心配だった。
セドナの王太子と踊った後、一人で残っていたら……妬んだご令嬢くらいならまだいい。
もっと悪辣な連中が寄ってくるだろう。セドナの王太子と踊った女性なのだ。縁を求めて、ハイエナのような者達が集ってくるに決まっていた。
もしかしたら、寵姫だと思われるかもしれない。
そこに気がつくと、リオは頭に血が上った。
「シエナ!」
リオは急いでシエナに近づいた。
シエナは一人だったが、リオが近付くと振り向いた。
まるで光がシエナの周りを包みこんで、彼女以外の者を曇らせてしまったかのよう。
リオにはシエナしか見えなかった。
きれいなひと。
そして、強くて、弱い。
今こそ、リオは表舞台に立たなくてはいけない。
彼が矢面に立って、シエナを守らなくてはいけない。
そのためには、リオは今のままではいられない。
「ごめんなさい、リオ」
リオがそばに近づくと、シエナは謝った。
「本当はダンスパーティには出ない予定でした。だけど、アラン殿下に出て欲しいと頼まれたので……」
「シエナ」
リオは決然として話しかけた。
「僕の手紙を読んだよね?」
「読みました」
「あなたが着ているドレスは僕が贈ったものだよね?」
「え……そうです」
だって、アラン殿下のドレスを着るのが怖かった。とても、怖かった。
アラン殿下に逆らうのも怖かったけれど、もしかして本当にセドナに連れて行くと言われたら……シエナに逆らうことは許されない。
きっと、ゴートの誰もシエナを助けようとはしないだろう。
リオにだって無理だ。わかっていた。
そして、もし、本当にセドナに渡ったら……どうなる?
何も持たないシエナは、アラン殿下の好意にすがって生きていくしかなくなる。
最初はいいかも知れない。
でも、殿下はきっと立派な王太子妃様を迎えられて、いつかアラン殿下にも、シエナをうとましく思われることだろう。
だって、シエナには、これと言って、人に誇れるようなものは何もないのだもの。(そんなことはないと思う)
それにしても、自己評価が低すぎる。
もうちょっと、シンデレラ・ストーリー的な発想はないのか。
王子様を射止めちゃったわ!的な。
さすがはシエナである。
これを聞いたら、さすがのジョゼフも呆れ返ることだろう。
ウチの殿下を、人でなしみたいに言わないでもらえます?
などと返されそう。
アラン殿下が知らなくて良かった。
そんなことはないと、真顔で返され、
証明しよう、とかなんとか反応が返ってきたら、ジョゼフでも抑えが聞かなくなってしまいそうだ。
こうような究極のマイナス思考の結果、シエナはリオのドレスを選択した。
アラン殿下のドレスだけは着てはいけない。
「それが僕のドレスを着た理由……」
これには、リオもへこんだ。
彼は、そもそもアラン殿下から、ドレスを贈られていたことを、知らなかった。
聞いた途端に腹の中がヒヤリとした。
殿下の本気度が伝わったからだ。
同時に、二枚ドレスがあってリオのドレスを選んだ理由が、リアが好きだから!ではなくて、シエナのネガティブ思考の結果だったことを知り、ガッカリした。
「なら、僕とダンスをしなくてはならない」
気を取り直して、リオは宣言した。
どういう理屈かわからない。
「むしろ、放っておいてください……さっき、ボリスが来て」
リオは目を丸くした。
「レイノルズ家のボリス?」
「そうです。アラン殿下に婚約者に何をすると言って突っかかっていきました」
リオは呆れた。なんてバカなヤツ。
「アラン殿下の様子を見れば只者ではないとすぐにわかるだろうに」
シエナはうなずいた。殿下の正装には勲章の略章がいくつか付いていた。シエナは全部はわからなかったが、自国の勲章の略章はわかる。アラン殿下は王族なのだ。
「それで、警備兵に連れていかれました……」
それで、あの人だかりができていたのか。
「私と一緒だと、リオにも迷惑がかかるかもしれません」
リオはぐいっとシエナの手を取った。
強い力だ。
「シエナ。一緒に踊るんだ」
シエナはリオの顔を見上げた。
「ダメ。私はどうしたらいいかわからない」
「何を言っているんだ、シエナ。これ以上、僕に迷惑をかけるつもりか?」
リオは強い調子でシエナを責めた。
「め、迷惑?」
意外な言葉にシエナは目を見張った。
シエナはリアに迷惑をかけないために、ダンスを拒否しているのに?
リオは正しく理解した。
シエナは自己評価が低過ぎる。
それはもう、周回回ってリオの愛が理解できないくらい。
それなら、それを利用した方が、話は早い。今は、世間からシエナを守ることが一番大事だ。
シエナのバックにはリオがいる。
溺愛という域を超えて、シエナを愛するリオが。
この会場でも、そのことを理解してもらわねばならない。シエナに手を出す者にリオは容赦しない。それを、示すために、ダンスをして、引き留めて、人前でイチャイチャしなくてはいけない。
素晴らしい方策だ。ぜひ実行しなくては。
リオは熱のこもった調子で言った。
「僕のことはあれほど弟だと言っていたね。実はそうじゃないけど、世の中にはそう通っている」
それはそうかもしれない。
「あなたが自信たっぷりに弟だなんて、嘘を伝えたからだ」
嘘?
「そのうえ、アンジェリーナ・シークレットの表紙に載ってしまった」
「それは、私の希望ではなくて……」
リオは(自分だって乗ったくせに)シエナの抗議は無視した。
「そのうえ、いくらブライトン家とは言え、令嬢が侍女の真似事をするとは何事だ。ハーマン侯爵家の名を辱める気か。お友達のところに遊びにいったなら、そろそろ自宅に帰ってこないといけない時期だ」
シエナは目を見張った。
いつものリオと全然違う。
「これ以上、僕やハーマン家に迷惑をかけないでもらうために、今後、僕の言うことは聞いてもらわなくてはならない」
音楽が始まったので、リオは逆らい難い力でダンスをするためにフロアの真ん中の方にシエナを引っ張って行った。
「あの……それなら、ダンスはどうして踊らなくちゃいけないんですか? ブライトン家の侍女さえ辞めればいいのでは?」
リオは返事しなかった。
説明が面倒だ。それよりやらなくてはいけないことがある。
「仲良くしないとね、今夜はいけないんだ、シエナ」
シエナの腰を抱いて引き寄せると、リオは言った。
なんて細い腰だろう! リオはその感触にゾクゾクした。アラン殿下もボリスも、もう絶対に寄せ付けない。絶対に守り抜く。




