第64話 アラン殿下の無形プレゼント
「あの男のことは知っていたの?」
シエナはかわいそうに震えていた。
「顔は初めて見ました。父から手紙は受け取りました。婚約を進めると」
「あの顔は好きかな?」
シエナは思わず激しく首を振った。
アラン殿下はふっと笑った。
「マンスリー・レポート・メンズ・クラシックは、男としてはどうかなと思う雑誌だが、あのボリスとか言う男を見ていると、女性たちの気持ちはわかる」
「あの人は心根が貧しいと思います」
シエナが思い切ったことを言った。
アラン殿下はシエナの顔を見た。
おとなしいばかりが目立ったシエナだったけど、こんなところもあった。
「婚約話がわかった時、どうしたの?」
シエナはうつむいた。
「家を出ました」
「家を?」
シエナは変な顔をした。
「ご存知でしょう? だってドレスは私がいた場所に届きましたわ」
アラン殿下はシエナにバレないように笑った。
「ブライトン公爵家にね」
「ご存知なんじゃありませんか」
「うん。でもね」
アラン殿下は言った。
「貴族令嬢が、家を出るだなんて、思い切ったことをしたなと思った。あなたの意志じゃないのかと思ったんだよ」
「いいえ。私が一人で決めました。リオには反対されたけど。仕方がなかったのですわ。私は結婚したくなかったのです」
「ん?なぜ?」
アランは意外だった。
あの男の結婚が嫌だったのではなく、結婚そのものが嫌だったのだろうか。
この年頃の娘たちはみんなステキな王子様を見つけて、幸せな結婚を夢見ているのだと思っていたから。
「私は王都に来る前は、田舎の領地の屋敷で育ちました。いつかは王都に出て、ステキな王子様に見つけてもらうつもりでした。でも、姉のリリアスの結婚の失敗があって……ご存知ないと思いますが」
そういえばそうだった。
あのボリスの一回目の婚約の相手は、シエナの姉のリリアスだった。
そして、その結末は、伯爵家の財政を破壊したのだ。
「私は姉のリリアスと親しくはありませんでした。でも、姿形はよく似ている。きっと同じように、婚約を守れないだろうと言われました。学校へ行けることになって、私は嬉しかった。でも、私の婚約者も、別な人を愛していました。そして私が貧乏なことを理由に婚約解消を求めてきました」
アラン殿下は、必要な情報は、簡単に手に入れられる。
シエナのことだって、隅々まで事情は調べてあった。
王太子殿下の周りに怪しい者は置けなかったから、調査は厳重だった。
「私は結婚はあてにならないと思います」
シエナは言った。
「私もキャロライン様やイライザ嬢と似たところがあるのかも知れません。自分の力でどうにかしていきたいのです。私は、なにも出来ませんけど」
「確かにイライザ嬢は、自分の力でどうにかやって行けそうだな」
アラン殿下は笑った。
「ねえ、シエナ嬢」
アラン殿下は話しかけた。
「今、シエナは、自分には何も出来ないけれどって言ったよね?」
「え? はい」
「だけど、それ、大間違いだからね」
「え?」
アラン殿下は大真面目だった。
「君は凄いカードを持っている」
「凄いカード?」
「そうだ。ゴート国の誰もが羨み、ぜひ手に入れたいと望む力だ」
「え? そんなもの、どこにもございませんわ?」
「あるとも」
アラン殿下は言葉を続けた。
「どうやって、そんな力を引き寄せたか、教えてあげる。機転が利いて、抜け目がなくて、そのくせ謙虚だからだよ」
シエナは目をパチクリさせた。最後の謙虚はよく言われたが、他の点は全然当てはまらない。
「僕の通訳の話だ。元々僕に通訳は必要なかった。早々にアーチボルトとか言う男子生徒は脱落したろう」
すっかり忘れていたが、アラン様の通訳候補はそういえば二人いた。自分とアーチボルト・カミングだ。
「はい」
「君が残ったのは、通訳として君の方が上だったからだけど、それ以上に僕を学園内に溶け込ませるのは君の方がはるかに上手だったからだ」
「それは殿下が社交性に富み、お話し上手な方だからですわ」
「君は、僕が生徒に話しかける場を作った。とても巧みにね。僕はなんの苦労もなかった。他の生徒の方から、話しかけてくるんだもの。通じないかも知れないのに」
シエナにはわからないかもしれない。彼女はいかにも自然にやってのけた。
「僕は君が気に入った。わかるかい? それこそが君の力なんだよ」
「え?」
「君は、自分自身について謙虚すぎる。他人のことになると、あんなに頭が働くのに。大欠点だよ!」
「そうでしょうか……」
シエナ自身も、よく引っ込み思案すぎると言われていたので、シエナに好意的だと思われる殿下からの指摘はグサリときた。やっぱり?
「性格なんて、そうそう変わらない。君のその大欠点は、これからもそのままだろう」
「うっ……はい」
「従って、僕は安心して君のお願いを聞くことが出来る。僕を騙したり利用したりしないだろう」
「え?」
「君は僕がどんな人間なのか理解した。それは生涯を通じて強みになる。隣国の王を知っている。王も君を知っている」
シエナはアラン殿下に仕えているだけだった。そう言おうとした。
「ただの仕事が思いがけない財産になることがある。それが今だよ」
「でも、殿下がセドナにお帰りになられたら」
「帰ったら、いずれ僕はセドナの王になる。君はその人に嫌われなかった。好かれた」
愛された。
殿下はそこまでは言わなかった。
彼のあからさまな好意の言葉は彼女を困らせるだろう。困らせたくはない。
こんなに人を大切に思ったことは初めてだ。
触れたいとか、もっと長く一緒にいたいとか。
許されるなら、彼女を連れて帰りたい。セドナで一緒にいられたら、いろんな場所を案内して、着飾らせ、楽しませて、きっと愛してもらえるようになる。
彼女が自分の名前を呼ぶのが聞こえるようだ。愛情を込めて。
一瞬だけ目をつぶり、その光景を想像したアラン殿下は夢に酔いそうになった。そうなったらどんなにいいことか。
「殿下、そろそろお戻りを」
夢は千々に砕け、残念な現実が仏頂面をして目の前に立っていた。ジョゼフだ。
「シエナ嬢もお疲れ様でした」
シエナ嬢は深く礼をした。
「シエナ」
顔を起こしたシエナを見つめて、アラン殿下は素早く近づいた。
「好きだよ。好きだ」
シエナはあっけに取られた顔になった。
距離は取っている。だが、湿った声と態度は彼の本心だったりする。
「殿下! こちらへ」
鋭くジョゼフの声が飛んだ。
ちょっと目を離すとこれだ。
ジョゼフは殿下をシエナから引き剥がした。
「今、いいところなんだから!」
「どう言う意味で、いいところなんです?」
ジョゼフは、殿下を詰問した。
「さあ、とっとと戻りましょう。ファーストダンスをどっかの没落伯爵家の娘と踊るだなんて、遊びもいいところです」
「遊びじゃないよ!」
ジョゼフはジロリと睨め付けた。
「余計、ダメじゃないですか! さあさあ、出かけてって、さっきの生意気バカご子息を親父もろとも締め上げましょう。不敬罪でね」
ジョゼフは蛇の知恵を働かせた。
「行きましょう! あなたはシエナ嬢が、あのくだらない男と結婚させられてもいいんですか?」




