第60話 二度目の貴族学校のダンスパーティー
て、次のマンスリー・レポート・メンズ・クラシックの表紙はアラン・レッドと決まった。
絵姿も前回同様、一部の特別版冊子にはつけた。
当初は、リオほどの売り上げは見込めないだろうが、今後値打ちが出てくることをイライザ嬢は知っていた。
だって、アラン様は隣国セドナの王太子殿下なのだ。
その話は、だんだんと上位貴族から知れ渡っていた。
もちろん表立ってそんな話は出てこない。
今度、王宮で催される大舞踏会の場で、アラン様はセドナ国の王太子殿下として姿を表す予定だった。
当然、招待客名簿は事前に公表されたし、その中にセドナ国の王太子殿下の名前も載っている。
細い点を追求していけば、当然答えは出てくるのだ。現在、留学生としてこの国に滞在しているアラン様が、その人だと。
「でも、その前に貴族学園のダンスパーティがある」
シエナにしてみれば、そのダンスパーティは胃が痛くなる思いだった。
ついこの間のピクニックの時、アラン様からまたパートナーを頼まれてしまった。
「王太子殿下からのお話は断れない」
学園のダンスパーティは、アラン様が留学生として参加される最後の学校行事だ。
たかが、学校のパーティだが、それは半ば公式のもの。
婚約者にエスコートしてもらう場合が圧倒的に多い。
それはいつでもそうだった。
婚約が決まった場合は、いわばお知らせの必要がある。
学内でも貴族の法則は厳然として存在する。たとえ校内でのダンスパーティだったとしても、二人で一緒に出ると言うことは、他の人は手を出さないでねの意味合いがある。
学校の場合、一人参加がむしろ原則だからだ。
「私はアラン様の婚約者ではないのだけれど」
セドナは比較的厳格な一夫一妻制だ。没落伯爵家の娘のシエナが王太子殿下の正妻になるなんてあり得ない。
「でもだからと言って……」
未婚のアラン様が、まさか早くも今から愛妾ということはないだろう。便利なお手つきの通訳として連れ帰ると言うことはあり得るかもしれないが、どのパターンも全部シエナは嫌だった。
シエナは、自分の家でもないブライトン公爵家の広い邸宅で打ち沈んでいた。
シエナは、キャロライン嬢にリオが優しく、この上なく恭しく手を押しいただいた時のことを思い出した。
なんと様になっていたことか。
リオは肩幅が広く、均整の取れた体つきだった。黒いまっすぐな髪と、高い鼻、濃い青い目はむしろ冷たい印象だった。
だが、体をかがめて、キャロライン嬢に向き直った時、黒いまっすぐな髪がいく筋か垂れ下がり、口元が少し微笑んでいた。
キャロライン嬢ならいいのかもしれない。
その時、シエナは咄嗟に思った。
キャロライン嬢は可愛らしい。
何不自由なく育って、親の愛情をたっぷり注がれて大きくなった。
その分、人が良くて、悪いことなど考えない。
家の力は大したものだ。その領地は広大で、父親も有能で宮廷で力を持っている。網の目のように張り巡らされた貴族間の親戚縁戚関係を考えた場合、ブライトン家の娘は最高だろう。
一方のリオは、将来の騎士団長と将来を嘱望され、筆頭侯爵家の跡取りの地位が約束されている。
望みうる最も良い縁談だった。
「キャロライン様は、きっとリオを幸せにしてくれる」
シエナは青い顔をして、自分の手を握りしめた。
そして、同じ頃、アランは買い込んだ宝石をいじくり回していた。
ジョゼフには大反対されたが、理由を言うと黙ってしまった。
「連れて行かないよ。でも、何か渡したいんだ。僕を忘れないでいてほしい。そんな小さな願いも聞き入れられないと言うのかい?」
シエナを連れていきたがるんじゃないかと、ジョゼフは本気で心配していた。
最近のアラン様は様子がおかしいと思っていた。シエナ嬢も何事か感じ取っていたらしく、少し不安そうだ。
「なら、いいです」
ジョゼフは引き下がり、お休みなさいませと言って部屋から出て行った。
一人自分の部屋に残ったアランは買い込んだ小さなアクセサリーを箱から取り出して眺めた。
ゴート国にきて初めて買った金額の張る買い物だった。
「何かの時に換金してもいいし、きっとシエナを守ってくれると思うんだ」
シエナは一人で頑張っている。
「僕を頼ってくれたらな」
何もできないけど。
何もできないはずのアランは、しかし、翌日、一人でハリソン商会に来ていた。
「いらっしゃいませ」
ハリソン商会と店の名前を確かめ、ドアをギィと開けると、声がかかった。
ハリソン商会は、一見様お断りの店。格式が高い。
注文するのにも、紹介状が要る。顧客はよほど裕福な豪商か、高位の貴族のみ。
アランは上質の服をきてはいたが、お付きも連れないで来ていた。
「いらっしゃいませ。どなたかのご紹介でしょうか?」
いかにも何気ない質問だが、紹介でない人間は追い返すことになっている。
「紹介?」
アランは聞き返した。
アランは店でものを買ったことがなかった。
必要なものは先に侍官たちが整えてくれる。もし、どうしても欲しい秘密のものがあれば、ジョゼフのような年の近い側近に耳打ちすれば、苦笑しながらどこかで買ってきてくれた。最高級品を。
「紹介が必要な店なのか、ここは?」
アランは平気で聞いた。
「さようでございますね。もし、どなたかのご紹介がないなら、ハリソン商会でドレスをお作りになられている方からご紹介をいただいてから……」
「僕はアラン・レッドというが……」
アランは店員の話を平気で遮った。
「前に一度、ドレスを頼んだことがあるはずだ」
店員は慌てて名前を調べに奥へ入って行ったが、数分後、青筋を立てながら戻ってきた。
「そのような名前はありませんでしたよ!」
アランはまるで平気な様子で店員を眺めた。
「じゃあ、セドナ国の外交部からの発注かもしれない。ちょっと前だが、リーズ伯爵令嬢にドレスを贈った者がいただろう」
「……え」
あのものすごく変わった発注。
店員ははっきり覚えていた。
シエナのドレスはハーマン侯爵家からの発注だった。人の顧客のサイズを教えろという勝手な注文に対し、ハリソン商会は当然抵抗した。ハーマン侯爵家に知られたら、当然、問題になる。店員は作れませんと断ったのだ。
だが、数日後、会長がげっそりした顔になって、言ったのだった。
「責任は全部私が持つ。リーズ嬢にドレスを作ってくれ」
そのことを思い出した店員は上司を呼び出した。
上司はたまたま店にいた会長を呼んできた。
「アラン・レッド様と名乗っておるのか?」
創業者でもある会長は、白い髭をかっこよく顔の周りに生やし、光沢のある白髪をきれいにまとめたダンディな紳士だったが、慌ててやってきた。
あれは一ヶ月ほど前の話だ。おかしな話だった。
ゴート国の外交部とセドナ国の外交部が、二人、真剣な様子でドレスなんかの話を持ち込むだなんて。
ゴート国の外交部の方は、自分自身ハリソン商会の顧客でもあるモーブレー公爵だった。
彼はこっそりハリソン会長に向かって、早口で囁いた。
「セドナの代表には固く口止めされてるがね。ゴート国の王太子が秘密裏に留学しているんだ。王太子殿下の気まぐれさ。気に入った女性にドレスを贈りたいと言い出されたのだ」
ことの次第の意外な成り行きに、大抵のことでは驚かないハリソン会長も目を見張った。
「ですが、顧客、しかもコーンウォール卿夫人のご実家でもあるハーマン侯爵家からのご発注だったのですよ? それを他家に横流しせよとは……」
普通に考えたら、ハーマン侯爵家は令息の婚約者にドレスを発注した。
ハーマン侯爵家に娘はいないのだから、それしか考えられない。
他人の婚約者に、婚約者でもない男がドレスを発注するって、どうなの?
しかも、サイズをちゃっかり利用しようだなんて。
商売に今後大きな差し支えが出ますのでと断ろうとする会長を、必死な様子でモーブレー公爵は押しとどめた。
「殿下は、留学期間が終われば帰ってしまわれる。ハーマン侯爵家も了解するだろう。何かあれば、私を呼んでくれて構わない。ドレスを作ってやってくれ」
店員の脳内を走馬灯のようによぎる記憶……
まさか、あの時の? つまりセドナの王太子殿下、その人だろうか。
アランは白髪のダンディな会長を意味ありげに眺めた。
もう正体をバラしたっていい頃だ。
彼は、留学生から本来の身分に戻る。
その代わり、今まで勝手放題に過ごしてきた自由を失う。
シエナだって手放さなければならない。
最後にパーティで踊る。それくらいの楽しみはあってもいいではないか。
そして、彼女に贅を尽くしたドレスを贈りたい。まるで、自分のものだと宣言するかのように。
……かのように……
実際には違う。
わかっている。だけど、今だけは、この恋物語がつつがなく順調に進んでいるような芝居を続けたっていいではないか。
「今はアラン・レッドと名乗っている」
ああ、やっぱりとハリソン会長は思った。
「この前と同様に、ドレスを。シエナ・リーズ嬢に。支払いなら心配いらない。前回と同様のところに、問い合わせするといい」
「かしこまりました」
ハリソン会長は深く頭を下げた。
「では、どんなドレスがいいか、見せてもらうよ」
アランは知らない。
その数時間前に、ハーマン家からハリソン商会は呼び出しを受けていたことに。
そしてごく当たり前のように、今頃、ハーマン家の屋敷の中では、若様のリオがシエナに似合いそうなドレスを熱心にデザイナー担当のエリンと話し合っているはずだった。
アランが帰った後、ハリソン会長は、見たこともないくらい怖い顔をして、関係した従業員一同に命じた。
「このことについては、絶対に誰にも話すな。家族にもだ」




