第55話 うまく言えない
同じ頃、公爵家の馬車の中では、イライザ嬢がキャロライン嬢に向かって説明していた。
「私、愛の天使役をこの度拝命しましたので」
「どういうことなの?」
「シエナ嬢をちょっとだけ待っていただいてもよろしいでしょうか。実はコーンウォール卿夫人直々のご依頼なので」
コーンウォール卿夫人は、芸術部門に関しては、目利きで有名だった。
夫人が目をつけた若いデザイナーや俳優は、後年必ずと言って良いほどバズったし、輸入元の国ではありふれた絵や日用品でも、夫人がそんな茶碗を使ったお茶会を開くと、いつの間にか大流行りになった。
いろんな噂にも通じていて、もしコーンウォール卿夫人が何か新しく企んでる、ないしは噂を聞きつけたというなら、これは絶対聞かないわけにはいかない。
「何か新しいものを見つけたの? ぜひ教えてほしいものだわ」
「少々お待ちくだいさいまし。それで誰も乗りに来なければ、大成功というわけでございますよ」
「この馬車になの? 全然わからないわ」
しかし誰も来る様子はなく、イライザ嬢は満足した様子で、ニコニコ笑顔で、帰りましょうと御者に合図をした。
イライザ嬢は満足していた。シエナ様は馬車に乗りに来なかった。これはつまり、リオ様とお二人でハーマン侯爵家へ向かわれたのだわ。
「私、苦労がようやく報われました」
キャロライン様は笑い出した。
「イライザったら、随分思わせぶりねえ。後でしっかり聞かせてもらうわよ?」
「良いお話しですもの。もちろんですわ」
大成功。シエナ様がリオ様を受け入れられたのだ。
リオ様ときたら、愛しているの一言もうまくいえない朴念仁。見た目だけは天下一品だけど。
だが、心からシエナを大事にする様子には、なんだかほろりとさせられるものがあった。
ほろりともさせられたが、同時にちょっとイラッとした。
とっとと、どうにかしてこいと言いたい。
一方で、薄ら寒くもなった。
薪の心配から、食料品の心配、果ては料理人に警備の人間、気のつく侍女をバッチリ配置して、蟻の這い出す隙もない……というか、完全なる包囲網の完成だったらしいし。
最近、イライザ嬢は、コーンウォール卿夫人の愚痴聞き係になっていた。
逐一聞かされるところによると、現在リーズ伯爵邸は廃墟同然らしい。
リオの伯爵への意趣返しと思えば納得できないわけではなかった。それに聞くところによると、伯爵邸の必要品は、ほぼリオが彼のポケットマネーで出したらしい。
だが、そうなるとシエナが帰る場所はもうない。
(まさか、リオ様、そこまで狙ってやったのかしら?)
きちんと屋敷を管理しなかった伯爵が悪いのだが、マーゴの名前を使って、何も必要なものはありませんと、勝手に報告したのはリオだ。
自分に都合の良い報告なら、どんなにおかしな話でも信用する伯爵はバカなのかと、イライザ嬢さえ思った。
学校へ通う貴族令嬢に、全く費用がかからないなんてこと、あり得ないのに。
今度こそ、リオの思いは伝わるだろう。
「なんですの? イライザ、気持ちが悪いわ。ニヤニヤしたりして」
キャロライン嬢が文句を言った。
「うまく物事が進んだので嬉しいのですよ」
リオの真情がついに通じたのだろう。シエナが馬車に乗って来ないと言うことはそう言う意味だ。
イライザ嬢はすっかり満足していた。
「きっとシエナ嬢は公爵邸には戻ってきませんわ」
「ええ? せっかくきたばかりなのに?」
キャロライン嬢が頬を膨らませた。
「絶対あり得ないわ。だって、一緒に街歩きをしたいって希望を出したのよ、私」
そして、キャロライン嬢は、正玄関に立つ人影を認めて叫んだ。
「シエナがいるわ。わたしたちより先に帰ってきていたのね」
イライザ嬢は目の玉が飛び出る思いだった。
なぜ、ここにシエナが?
シエナ嬢はいつもの物静かな様子でキャロライン嬢とイライザ嬢を迎えた。
「時間が余りましたので、先に戻ってしまいました。街歩きの件でございますが」
シエナはキャロライン嬢に向かって言った。
「嬉しいわ。カーライル夫人が認めてくれるだなんて、珍しいのよ。楽しみだわ!」
イライザ嬢は一言も発しなかった。
なんでだ……と言うのがイライザ嬢の思いだった。
自慢ではないが、このイライザ、頼まれた仕事を失敗したことはない。
「リオ様と、進展は……」
と言いかけてハッとした。キャロライン嬢の推しはリオ。
シエナとリオの関係なんて口にしたらどんな反応が返ってくるかわからない。
「街歩きの護衛には、リオがついて来てくれることになりましたの」
シエナがスルッと説明した。
「え? そうなの?」
すかさず食い付くキャロライン嬢。
シエナは素直に頷いた。
「街はどんな人がいるかわかりませんから。リオがついてきてくれますの」
イライザ嬢は、シエナの話になんだか感銘を受けた。
シエナのことは、ボケボケの天然令嬢ではないかと思っていた。
いや、王都育ちの令嬢は別として、田舎育ちの令嬢はたいていのんびりしていた。
だが、シエナは違う。
大体、ただの貴族の息子のアラン様に、護衛が必要な理由はないはずだ。(それを言うなら通訳も必要ない)
それともアラン様の身分が意外に高いとか?
当然起きるはずのその手の疑問を、街は危ないですからの一言で見事に封じてしまった。貴族令嬢たちの街への外出を、弟が心配するのは当たり前と言わんばかりである。
「それで、アラン様とキャロライン様の護衛に、リオとセドナ王国からの護衛兼通訳のジョゼフ、それから私がご一緒させていただくことになりました。少し遠出をして、そのあと、街に戻って、お食事とお茶を楽しみましょうって。そのほかに、もうすぐセドナに戻るアラン様たちはお土産を買いたいそうです」
「そ、それは、なかなか盛りだくさんですわね」
キャロライン様が普通そうに感想を述べた。でも、絶対にノリノリだ。
推しと一緒に過ごせる一日だなんて、嘘みたいだ。
キャロライン嬢は公爵令嬢で、この国のこの年齢層の女性の中では最も身分が高かった。
しかし、推しに身分はない。
「何を着て行こうかしら」
本当は、物陰から、ひっそりリオ様を堪能したい。でも、同じ馬車か。どうしよう。隠れるところがない。マントとか着て行って隠れようかしら。でも、不気味かしら。
「なんでもよろしいのでは?」
シエナはいつものように物静かに微笑んでいる。
イライザ嬢はイライラしてきた。
違うだろ、シエナ嬢!
今の主人公は、シエナ嬢! なのに、なんだ、その体たらくは。
コーンウォール卿夫人が依頼してきたのは、リオとシエナの仲の進展であって、リオとキャロライン嬢ではない。
「リオ様とは、お話しできました?」
イライザ嬢はシエナに探りを入れた。何か進展はなかったのか、進展は?
「ええ」
それだけじゃわからんわ。
せっかく狭いところへ二人きりで押し込めたのに。何の話をしてきたのかしら。まさか、アラン様の休日のスケジュールの打ち合わせだけじゃないわよね?
大体、同じ馬車に乗って帰ってくるとばかり思っていたのに、別々に戻ってきている。それも、予定よりはるかに早い時間にだ。
何していたんだろう。
イライザ嬢のイライラ度が増して来た。
(失敗かしら。それなら今度の街行きは、リオ様とシエナ嬢、キャロライン様とアラン様をセットにしなくちゃ)
公爵の意向はイライザ嬢にもなんとなく伝わっていた。
どうやらはっきりとは言わないけれども、アラン様は相当な高位貴族らしい。
おそらくは王族かそれに準ずる地位に違いない。
それは優雅で洗練された所作にも現れていた。
お近づきになっておきたい公爵の意向はわかる。
ならば、リオ様とシエナをくっつけて置けばいいのだ。自然余ったもの同士が仲良くするだろう……と思っていたのだが、これはそうは行かないかもしれない。
とにかく、次回の街歩きは次の休日と決まった。
アラン様は留学期間が終わる前に、庶民として、街のあらゆるところを見ておきたいらしい。
「少し遠出をして、農業の様子を見てみたいんだ。それから町に戻ってセドナへの土産物を買いたい」
「ゴートの特産品をお買い求めになられるのですか?」
アラン様は首を振った。
「それは外交部の連中、エドワードにでも言いつけておけば一式取り揃えてくれるさ。そうではなくて、ここで一人の生徒として過ごした期間の記念品だ。僕だけの思い出になるようなものを買いたいんだよ」
シエナはアラン様の顔を見つめた。
なんだかわかるような気がする。
シエナは、ゴート国の王族と話をしたことはない。彼らはいつでも、うやうやしく選ばれた人々に取り囲まれていた。
もちろん、宮殿の中に入れば、もっと親しく話をする人はいるのだろうけれど。
だが、街歩きだなんてとんでもなかった。
名を隠し隣国にいるから、自由なのだ。
レストランでもカフェでも出入りできる。
たとえマンスリー・レポート・メンズ・クラシックがバカげた単なる遊びの雑誌にすぎなくても、そこでランク入りすることは、王太子には出来ない。アラン様の素の値打ちを認めて掲載されたのだ。
多分、そのせいだろう、彼は素直にランクインして喜んだ。
貴族学校で、アラン様の素性をしらないゴートの身分の低い生徒とけんかになった時、アラン様はみごとな屁理屈で言い負かしていた。ジョゼフの助けなんか要らなかった。
剣の授業で打ち負かされても、悔しそうにしているだけだった。ジョゼフは、不敬罪で八つ裂きの刑に処しましょうかと提案していたけど、アラン様は苦笑いしていた。
「アラン様は、学園で開催される次のダンスパーティを最後に学園を抜けられるご予定です」
ジョゼフが説明した。
シエナは真面目な顔で頷いた。
「また、王家が主催される恒例の祝賀会がございますが、隣国の王太子としてご臨席なさいます」
その時、アラン王子の自由な時間は終わりを告げるのだ。
思わずシエナは正式のお辞儀をして、アラン様に言った。
「セドナに戻られても、アラン様にご多幸がありますように」
ちょっとアラン様は涙ぐまれたようだったが、言った。
「学園最後のダンスパーティは、僕がパートナーだ」
「……ぇ……?」
「異論は認めない、ジョゼフ」
「いや、そんな、殿下」
ジョゼフは真剣にあわてて、アラン様に何か耳打ちした。だが、アラン様は首を横に振っている。
「留学生時代は好きに過ごして良いと父上からお許しをもらっている」
「好き放題にしていいとはおっしゃらないと思いますよ。これだから殿下は……」
二人はもみ合いになって、食堂を出て行ってしまった。
ジョゼフは気がついていなかったが、二人はゴート語で口論していた。
ゴート語とセドナ語は、隣接しているため同じ単語が多い。
アラン様も板についてきたなあと思いながら、シエナは二人を見送った。
学園のダンスパーティは、学期の終わりとか節目の際に行われる。
礼儀作法の集大成の場でもあるし、交流を深める意味もある。
出席するかどうかまで含めて本人の自由だが、前回のこともあるので、シエナは次のダンスパーティは出ないつもりだった。
婚約者問題が面倒すぎる。




