第47話 なぜか侍女になる
「弟がお金を持っていたのには理由がありました」
シエナが言葉を続けた。
カーライル夫人はハッとしたような顔をした。
それはそうだ。シエナが貧乏だったら、弟のリオだって貧乏に違いなかった。まだ、二人とも学生なのだから。
もちろん、カーライル夫人はリオのことはよく知っていた。
何しろ、主人であるキャリライン嬢が、公爵令嬢としては前代未聞の『ふぁんくらぶ』とやらに加入してしまったのである。リオを褒め称える会らしい。あろうことか、公爵令嬢が、どこぞの馬の骨の推し活に血道を上げているのである。
むろん、最初はなんのことかわからなかった。
「オシカツとは何でございますか?」
最初、キャロライン嬢からその活動のためにパーティを開きたいと持ち出された時、当然ながら、厳然とカーライル夫人は問いただした。
「推すのよ。推しを推して推して推しまくるの。推しの幸せは私の幸せ。グッズも作ったわ!」
熱狂的にキャロライン嬢は説明してくれたが、やっぱりわからない。
「公爵令嬢ともあろうお方が、そのような、役者でもなんでもない個人を……」
ところで……リオって誰?
カーライル夫人は、リオを綿密に調査した。
まあ、思っていたような結果は出なかったが。
案に相違して、リオは至って真面目な優等生で、顔がいい他は、特に女遊びに耽るとかたぶらかすとか、そういう傾向はないらしかった。
「?」
なぜ、キャロライン様は一方通行できゃあきゃあ言っているのだろう?
そのうちに屋敷には同様に熱狂的な推し活令嬢が大勢やって来て、はしたなくも、リオ以外の大勢の男性についても堂々と論じるようになってしまった。
はしたないことに間違いはないのだが、叱りつけて完全な禁止事項にするためには決定的な何かが欠けていた。
カーライル夫人は、何が欠落しているのかいろいろ悩んだが、とにかく浮気でもないし、色恋沙汰でもない。推しがリオ様だということはわかったが、リオ様相手に婚約を迫るとか、父の公爵にお願いをするとかは厳禁らしい。
「仲間を出し抜くとか、そんな卑怯な真似、死んでも出来ないわ。それに推しは神聖。そんな対象ではありませんわ、失礼な」
キャロライン様は、忿懣やる方ない、見損なわないで!とおっしゃった。
じゃあ、どんな対象なんだろう。
その点こそがカーライル夫人の疑問だったのだが、結局、数週間たってみて、カーライル夫人はこれは放置に限ると判定を下した。
公爵令嬢が、一人の生身の男に惚れ込むことになったら、そっちの方が余程怖い。
それにリオはなかなか良さそうな推し対象だった。
リオは、ある意味、カーライル夫人同様、どうやら推し活に対して基本的に違和感を覚えているらしかった。そして、公爵令嬢を狙ったりもしないらしい。
「逆にこれはリオ様にご迷惑なのでは?」
夫人は心配になっていたところだった。
シエナはリオの話を続けた。
「リオは騎士学校の特待生枠で入学を果たし、王都に来ていました」
貴族の出身でありながら、超難関の特待生枠をトップ入学!
むろんリオのことは調べ上げたので知っていたが、改めて言われると響くものがある。
さらに、本日、イライザ嬢が持ち込んだマンスリー・レポート・メンズ・クラシックの表紙で、初めてリオの顔を見たが、なるほど、あれだけの数のご令嬢方の人気をさらうだけあって、思わずカーライル夫人もうっかり見入ってしまう美貌だった。
「それが理由で、後継のいなかったハーマン侯爵の養子に迎え入れられたのです。そして代々ご子息が名乗られるアッシュフォード子爵になりました」
「!」
それは知らなかった。
まだ、表沙汰になっていないのだろう。
「それはハーマン家がお金を出してくれていた、ということですか?」
「どうやらそうらしいです」
シエナはますますしょんぼりした。
「父は結婚しろと迫りますが、リオは反対しています。私も、レイノルズ家のご子息と結婚したくはないのです」
カーライル夫人はついうなずいた。
ボリス・レイノルズの評判は聞いたことがある。ついでに父のジョンが強欲だということも。
「リオが強硬に反対すれば、お世話になったハーマン侯爵家にもご迷惑がかかるかも知れません。どことも知れずに、私がいなくなってしまえば、誰にも迷惑はかかりません」
「いつまでも行方不明になっているわけにはいかないのですよ?」
シエナはうなだれた。
「はい。申し訳ございません。でも、家に帰ると、まるで借金のカタのような結婚が待っています。キャロライン嬢のお遊び相手兼語学の家庭教師のお話をいただいたこともありますので、ブライトン家で働くことは不自然ではありません。ブライトン家で働くことになったと言えば、レイノルズ家は無理を言えないと思うのです」
果たして、ブライトン家がうんと言ってくれるかどうか。
見ず知らずのシエナの運命なんて、ブライトン家の人たちにとってはどうでもいいことなのだ。
ブライトン家にとっては取るに足らないレイノルズ家かも知れなかったが、たとえ平民相手でも事を構えるのは普通は面倒くさい。
ものすごく厚かましいお願いだと分かっていたが、ここが最後の砦だった。
いや。
もちろん、最後の砦はここではない。
リオがいる。
リオによると、シエナとリオは婚約しているらしい。
寝耳に水とはこのことだ。
リオと婚約!
シエナの眉と眉の間に見たこともないくらい深いしわが刻まれた。
なにかこう、考えただけで、思考の大洪水になりそう。
これは考えてはいけない話題な気がする。
リオはきっと万難を排して助けてくれる。そんな気がする。
だけど、なんとなく怖い。
怖すぎる。
やっぱり魔王だけある。
それよりもブライトン家で侍女として働ければ、その方がずっといい。なんと言うか、心の平安が得られる気がする。父親の伯爵はあの有様だし、もう、ただの侍女の方がよっぽど安定している気さえする。
でも、こんな事故物件、果たして公爵家が引き受けてくれるかどうか。
いつまでもカーライル夫人が黙っているので、シエナはおそるおそる顔を上げた。そして、仰天した。
カーライル夫人は滂沱の涙にくれていた。目から涙があふれている。
(えっ?)
シエナは心の中で叫んだ。
(何があったの?!)
「わ、私は……」
カーライル夫人が涙の中から声を振り絞った。
「私は、男爵家の娘で……」
カーライル夫人は言い出した。
「あなたと同じように、恋人がいたのです。初恋でした」
え? ちょっと! それ、違う。
「ですけれど、十六の時に、家が破産して近くの裕福な伯爵家は嫁がされました」
十六歳! 早いな、初恋。いやいやいや、それよりもシエナに恋人はいない。そこ、間違っています。
しかし、口を差しはさむ余地は全くなかった。夫人の声は震えていた。
「ですけれど、夫はケチで、私のやることなすことに作法がなっていないとか、伯爵家のやり方と違うとか、しつこく苦情を言い続けました。紅茶のカップの置き方が違う、お茶がぬるい、お茶が熱い、毎日です。ずっと説教され続けました」
うっかりシエナは聞き入った。この話は自分の運命かも知れなかった。
それにしても嫌がらせの極致だろうか。
「今、思えば愛情だったのかも知れません。当時は本当に萎縮しました。ずっと謝っていました」
その愛情表現は間違っていないだろうか。
シエナは自分の不幸を忘れてカーライル夫人の話に聞き入った。
「夫は十年して亡くなりました」
最早、もっと早く死んでもらった方がよかったくらいじゃないだろうか。
「それからが地獄でした」
えっ? まだあるの? どんな地獄?
「嫁いだ娘たちが帰ってきて、財産を巡って争いになりました」
「それは……」
察するところ、未亡人になったカーライル夫人の財産は取り上げられたのだろう。
「私に元々財産は残されていませんでしたが、それまで夫が細々と私の悪口を言っていたようで、娘たちは私がまるで財産を食い潰したかのように、責め立てました。いくら言われてももらっていないものは、何も出せません」
「ひどい……」
「実家から持ってきたものまで取り上げられ、泥棒と言われて無一文で追い出されました。ブライトン公爵とはまた従兄弟と言う遠い関係なのですが、学園で一緒でしたので」
「そうなのですか……」
「多少の繋がりがあって、事情を話すと快く侍女として働くことを許されました。その後、婚家先とも掛け合ってくださって、実家から持ち込んだものは返してもらえました。以後、私は公爵家に一生をささげようと思ったのです」
カーライル夫人は、涙で一杯の目を拭いて、シエナに宣言した。
「私の初恋は実りませんでしたが……シエナ嬢や他の若い娘たちにつらい思いはさせたくない。精一杯、公爵様にお願いしてみます」




