第45話 ブライトン公爵家
リオとシエナ、二人が乗った馬車の行き先は、あっと驚くブライトン公爵家だった。
なぜここに?
正確には、リオに連れてこられたのではない。
リオがシエナに連れてこられたのだ。
「今日はあの日だから」
ポツリとシエナは答えた。
「ちょっと待ってよ。あの日って、なんの日なの?」
シエナはリオの質問には答えず、辻馬車の御者に車を停めるように言った。
威容を誇る公爵邸の前で、リオは焦った。
シエナとリオは辻馬車に乗ってきたのだ。
立派な家名を持つリオが、公爵家を訪ねる場合、当然自前の馬車で行くに決まっている。
公爵家訪問に辻馬車だなんてあり得ない。恥ずかしい。そんな貴族はいない。
と、思ったが、なぜか目の前では、もう一台の辻馬車が、「ハイヨッ」とか言いながら、公爵邸の正門から出て行くところだった。
「?」
正門から辻馬車が? リオは仰天してその馬車を目で追った。
なんの変哲もない、ただの辻馬車。
「公爵家へ辻馬車で出入りするって……誰?」
しかも正門から?
リオは口の中でつぶやいた。
制服を着て背筋をピンと伸ばした守衛は、全然気にしている様子もないが、それもおかしい。
「公爵令嬢のキャロライン様にお取り次ぎを」
シエナが直接守衛に話しかけるのを見て、リオは恥ずかしさで小さくなった。
普通、門番に声をかけるのは、御者だとか同乗してきた侍女だとかの役目である。令嬢自ら声をかけるなどあり得ない。
しかし、門番は平然としていた。
「お名前は?」
「リーズ伯爵家のシエナですわ」
リオだって、御者の代わりに自分が出ると言ったのだが、騒ぎを起こしたくなければ、リオは行かない方がいいとシエナに強く止められたのだ。
「騒ぎ?」
リオは首をひねった。
「あっ、シエナ、しかし今日の迎えは?」
リオは馬車から出るなと止められていたのに、シエナが公爵家の中へ入ろうとするのを見て、あわてて馬車を飛び出した。
まさか公爵家に居続けるわけには行かないだろう?と尋ねるとシエナはなんだか硬い表情で答えた。
「リオ様」
リオ様………?
「ご心配は無用です」
「えっ?」
シエナの言葉使いに、リオは目の前が暗くなったような気がした。どうして敬語なの?
「だって……」
「レイノルズ家に嫁ぎたくはございません」
「も、もちろんだ!」
「そうなると、もう、リーズ家にも居られるかどうか……」
シエナは悲しそうにうなだれた。
その通りだと思う。帰るところがないだなんて。リオは思わずシエナの手を取ろうとした。
するりとシエナは、リオから手を抜いた。
「私は一人で生きて参ります」
「は……い……?」
リオは目をまん丸にした。
「え? どう言うこと?」
「大丈夫ですわ。ご心配はいりません」
シエナは硬い表情のまま、リオから離れるようにして公爵邸内に入った。
「ち、ちょっと、シエナ!」
しかし、門番がリオを阻んだ。
「女性のお客人が来られる予定と伺っております」
シエナのことは、さっさと通したくせに!
「僕はハーマン侯爵家の者で、あれは姉のシエナだ」
リオは興奮気味に怒鳴った。確かにブライトン家から招待されている訳ではないが。
「男性のお出入りの予定はございません。公爵からお許しのある方しか、中には入っていただけません」
門番が冷厳と答えた。
公爵家には護衛も大勢いるだろう。それに強行突破したら不法侵入罪になってしまう。あとから社交界で何を言われるかわからない。
リオには、なす術がなかった。
ブライトン公爵家は敷居が高すぎる。
リオは呆然として立ち尽くしていたが、門番に白い目を向けられて、ようやく我に返った。
「コーンウォール卿夫人だ。コーンウォール卿夫人に相談しよう」
リオは口の中でつぶやいた。
そして、公爵家の邸内に入ったシエナはどうしたかと言うと……
「まあっ シエナも来たのね!」
大騒ぎの庭へ通された。
シエナは苦笑いするしかなかった。
本日は、定例のリオ様ファンクラブの(本人抜きの)ファンミーティングの日。
会場が格調高い公爵家になってしまったのは、誠に無理のない事情があった。
つまり、どこぞの貧乏伯爵家の貧相な客間では人数が入らず、どこぞの大富豪の大広間だと身分の問題で訪問を家人から阻止される令嬢が続出したのだ。
「ここしか残らなかったのよ」
ニコニコしながら、ダーンリー侯爵令嬢アリスが宣った。
「次回はあなたのお家よね」
ブライトン公爵令嬢キャロラインが答えた。
「ええ。お任せあれ。実は母もリオ様ファンなの」
アリス嬢が握り拳を作って、意欲満々に宣言した。
それを見たシエナの顔色がちょっと悪くなったのも無理はない。
先程、当の本人から、よくわからない婚約者宣言を受けたばかりだ。
推し活に専念する彼女たちにバレたら、どんな反応が返ってくるのだろう。
しかも、なんだか前に聞いた時よりファンクラブの規模は広がっているらしい。
ダーンリー侯爵夫人まで会員になっているとは知らなかった。
リオの話は、ここでは黙っておこう。
沈黙は金なり。
シエナは心の中でつぶやいた。
それに、リオがどう言うつもりで、あんなことを言い出したのか、よくわからない。
レイノルズ家はどうやら評判が悪いらしい。
それは、わかった。
どう考えてもリオは、シエナにそんな結婚はダメだと思ったのだろう。
だけど……魔王様はリオだったの?
どうしたらいいの?
シエナは大混乱中だった。
「シエナは姉なのに、参加してくれたのね?」
とても機嫌が良さそうにブライトン公爵令嬢が声をかけてきた。
「名簿に載せて置いてよかったですわ! うまくすればリオ様とご一緒と言う場合もありますからね」
こう言ったのは、ファンクラブ事務局のイライザ嬢だった。今、部屋に入ってきたところだ。手には大きな紙袋を持っている。
そのリオは、今さっき、公爵家の門番に追い払われたばかりだが。
「新しいマンスリー・レポート・メンズ・クラシックですわ!」
キャーと言う叫び声が上がり、令嬢たちが群がった。
「今月からは、絵師様をお願いしましたの!」
「まああ!」
「なんて素敵なの?」
これまで活字のみで、黒白だけだったマンスリー・レポート・メンズ・クラシックの表紙がフルカラーになっている。
うっとり見惚れる乙女たち。
「さあ! シエナ嬢も!」
スッと差し出されたマンスリー・レポート・メンズ・クラシックの表紙は、全面リオだった。
よく似ている。真正面ではなく、斜めからで、目線はこちら?に向けている構図だ。
「もう、これは家宝レベルですわっ」
誰かがうっとりとつぶやく。
「額に入れて飾っておきたい……」
「こちらはご令嬢方への特売品でして……」
満面の笑顔でイライザ嬢は、ご令嬢方に説明した。
そして別の冊子も取り出して付け加えた。
「こちらは絵姿なしの廉売品。おかしなことに殿方にも売れますの」
「まあっ」
「密かに順位を気になさる方は多いんですのよ」
なーるほどぉーと、ため息がもれる。
「美しさに男女はございませんものね」
オホホ……と笑ったのはイライザ嬢である。
「一部を除いて、ランキングがとても気になられるようですわ」
その一部って誰?と思ったが、ランキング云々で、思い出したのはアラン様だ。
絶対、買ってる。これはもう間違いなく買い込んでいる。
そして絶対、絵姿付きは買わないだろう。理由は腹が立つから。
だけどランキングは知りたい。
かわいそうな護衛兼通訳のジョゼフが買いにやらされている姿が目に浮かんだ。
「まるで女の下着を買いに行かされているような恥ずかし感……いえ、それ以上ね、きっと」
「シエナ様、何を考えてらっしゃるのですか?」
「あ、いえ、あの、リオのところには届いているのかな?と」
リオは欲しくないだろう。
自分の絵入りの豪華版なんて、見た途端にゴミ箱直行のような気がする。
「うふふっ」
イライザ嬢が笑い出した。
「もちろんお届けしてますわ。それより、お茶会が始まりますわ! みんなおしゃべりをとても楽しみにしていますのよ。特に今日はお姉さまのシエナ様がお越しになられたのですもの。リオ様の小さい頃のお話なんて、大大大好物ですわぁ」
なんとなく、なんとなくだが、シエナはちょっと怖かった。




